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ニシキヘビに雨乞いの歌をうたう・・「仮面の森」吉田憲司氏・アフリカ・チェワ族の仮面結社の世界(6)

2017-08-30 | その他先住民族



引き続き、吉田憲司氏の「仮面の森」というアフリカの習俗に関する本のご紹介をさせていただきます。

これは、端的に、「蛇を用いた雨乞いの儀式」です。

          *****


         (引用ここから)

○雨乞い儀礼


憑依された人物=霊媒にとって、このように憑霊は一面では病として発現する。

しかしその一方で、こうした憑霊を意図的に招来し、「ニシキヘビ」の霊力を利用することによって、彼女らは予言の能力と雨乞いの能力を獲得する。

「ニシキヘビ」は、雨をもたらす神のお使いと考えられている。

「ニシキヘビ」の体の模様は、白と黒の二色からなるといわれるが、その白色が晴天時に現れる白い雲を呼び、黒色が雨をもたらす黒雲を呼ぶのだという。

雨のあとに現れる「虹」が、「ニシキヘビ」のことだとされる。

霊媒は、この「ニシキヘビ」の霊を通じて神に働きかけ、雨をもたらすことができるようになるというのである。

干ばつに襲われると、人々はまず、森の中の川辺に生えた霊木の下に小さな祠を築く。

そして日を定めて、皆でそこへおもむく。

その際、黒い服を身にまとった霊媒を先頭に立て、歌を歌いながら行く。


私に黒い布をおくれ

そういったのは お母さん お母さん


ここでいうお母さんとは、ニシキヘビの霊のことである。

黒い布は、黒雲と結びつけられ、それによって雨を呼ぶことができると考えられている。

祠に着くと、人々はドラムを叩いて、手拍子をとって歌う。

その歌は、たとえば次のようなものである。


ニシキヘビさん、水をください

わたしの心は 乾いています

降れ、いっぱいに 降れ、いっぱいに


かくして憑霊が始まり、霊媒は踊りだす。

ひとしきり踊りが続いた後、人々は歌をやめて、こう唱える。


雨が降らないので、私たちは、霊媒と共にここにきました。

私たちは、あなたがおなかを空かせているのだと思います。

だから、私たちは食べ物を持ってきました。

どうかこれを食べて、私たちに雨を与えてください。



その後人々は、持ってきたトウモロコシの粥を注ぐ。

木を通じて、その粥はニシキヘビの霊の元に届くと考えられている。

霊媒は、歌声が止んでいる間、そばに座り込んでいるが、人々が再び歌を歌い始めると、起き上がり、踊りを再開する。

その最中に、村から持ってきた鶏の首を噛み破って、その血を吸う。

霊媒に付いた「ニシキヘビ」が鶏を食べている、というわけである。

鶏はそのまま放置される。

しばらく踊ると、霊媒は村に向かって歩き出す。

人々も歌を歌いながら、それに続く。

村に帰りつくと、今一度ドラムが叩かれ、霊媒の踊りが行われる。

この踊りの中でも、霊媒は鶏の首を噛みやぶって血を吸う。

そして、その踊りが終わる頃には、もう雨が降り出すとされている。



種々の霊媒のうち、チェワ社会に最も古くから存在していたと考えられるのは、「ニシキヘビ」の憑く霊媒である。

中でも中心的な役割を果たしていたのは、チェワの発祥の地と言われる丘に住む霊媒である。

彼女は「子供たちの母」という称号を持つ。

その他の祠の霊媒は、この霊媒を頂点として組織化されていたという。

これらの祠は、いずれも人里離れた山中に位置するのが特徴である。

伝承によれば、彼女らはその祠を「狩猟採集民のアカフラ」から受け継いだのだという。

「アカフラ」は今日ではサン人=ブッシュマンを指す言葉になっているが、この場合の「アカフラ」が、現在のサン人を指すのか、他の狩猟採取民を指すのかは定かでない。

これらの祠が狩猟採集民から受け継がれたのは事実だとしても、憑霊信仰は彼らから受け継がれたとは考えにくい。

儀式の機能は雨乞いにあり、その信仰は狩猟より農耕の豊穣性と結びついているからである。

いずれにしろ、この伝承は「ニシキヘビ」の憑霊信仰が古い歴史をもつことを示している。


           (引用ここまで)


             *****

たくさんの蛇に関する呪術的な習俗の中で、ホピ族の蛇に関する習俗もとても有名です。

他の資料もリンクでもご紹介していますが、リンク中の「ホピ族と蛇・・自然現象への呪術的崇拝(1)」(6まであり)というヴァールブルグという研究者が書いた本の冒頭部分を再掲させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

                *****

「プエブロインディアン」という名前の由来は、スペイン語で「村」を意味する語(プエブロ)で呼ばれる複数の集落に、彼らが定住していることにあります。

そのように呼ぶのはまた、現在プエブロインディアンが定住しているニューメキシコやアリゾナの同じ地域で何十年か前までは狩猟と戦いにあけくれていた流浪の狩猟民族と区別するためでもあります。

私が興味を引かれたのは、アメリカのいわば真ん中に、未開の時代の異教的な文化の飛び地が残っているという事態、そして彼らが農業と狩猟を目的とした魔術を、今なお断固として守っている点であります。

この地域では、いわゆる迷信と生活の活動とが相互に手を携えて生きているのであります。

この迷信とは自然現象に対する、そして動物や植物に対する呪術的崇拝です。

インディアン達はそれらが生きた魂を持っていると思い、しかも何にも増して、仮面をかぶって行う自分たちの踊りでこうした様々な魂に力を及ぼすことができると信じているのです。

このように狂信的な魔術と冷めた合目的的な行動が同居している様は、我々から見ると分裂の印にしか思えません。

ところがインディアン達にとっては、分裂でもなんでもなく、それどころか人間と環境世界との間に限りない結合の可能性があるという、解放の体験なのです。


この地域には、固有の宗教形成のファクターがあります。

それは「水不足」です。

「水不足」と、「水への渇望」の故に、魔術的儀礼がなされたからです。

土器の装飾を見ただけで、宗教的象徴の基本的な問題が見えてきます。

見た目にはただの飾りに見える模様が、実は宗教的に解釈する必要があり、宇宙論的に解き明かし得るのです。

それを示しているのが、私があるインディアンからもらった一つの絵です。



この絵では、宇宙論的表象の基本的要素である「家」・・それは「宇宙」が「家」の形をしているという、宇宙論的な想念・・の近くに、非合理的な大きさで動物が描かれています。

謎めいた、そして恐ろしいデーモンとしてここに現れているのは、蛇なのです。


また、自然に魂を見るアニミズム的儀礼の最も激しい形態は「仮面舞踏」です。

これは純粋の動物舞踏であったり、あるいは木を崇める舞踏であったりします。

最後に重要なものとして、生きた蛇との舞踏です。


               (原文引用ここまで)

              
蛇を中心とした、ホピ族の魔術についての研究です。

著者は、ホピ族のことは、「彼らが農業と狩猟を目的とした魔術を、今なお断固として守っている」人々としてとらえています。

文中の絵は、「インディアンの学童が描いた蛇型の稲妻の絵」というタイトルがついています。

家の左右の上方から下りているものが、蛇なのだと思います。

この絵が、ホピ族の世界観を表わしていると、著者は考えています。

ホピ族は、家と世界とを、相似形でとらえていると考えています。

そして、世界は、ただ一つ、蛇とつながりをもっていると述べられています。

             (引用ここまで)

               *****

続きがありますので、ぜひご一読くださいませ。

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