モンゴルの草原をこよなく愛する西村幹也氏の「もっと知りたい国モンゴル」のご紹介を続けさせていただきます。
太古の森がかつてあった大地には、今もこのような太古の心を持つ人々が住んでいることを教えていただきました。
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(引用ここから)
「アー、疲れた、疲れた」。
もう立っていられないかのように言いながら、婆さんは座った。
しかしこの直前、約2時間もの間、婆さんは歌って、踊って、飛んで、跳ねて、太鼓をたたき続けていたのだ。
「どこまでいったの?誰と一緒だったの?」と尋ねると、
「最初にやって来たのは、ひばりぐらいの大きさの鳥だよ。で、その次は蛇だね。
そして最後に化け物がやって来た。
それで、一緒に行ってきたんだよ」。
婆さんはこの鳥や蛇、化け物の形をした「オンゴット(祖先霊)」と一緒に飛び立ち、とある場所まで行って、そこにいる祖先霊に会ってきた、というのだ。
婆さんの名はソビヤン。
この当時90才代後半という高齢だったにも関わらず、2時間にもわたる儀礼を行った。
秋営地を移動させ、誰もいまだ使っていない土地にやって来て、その土地の低木を抜き、家を建てる場所とトナカイの寝床を作った夜だった。
この土地の精霊、守り神に許可を願い、滞在中の安全無事を祈ったのである。
モンゴルには極度の精神集中状態の中で、精霊などと直接に交信することの出来る特別の人がいる。
モンゴル語では「ブー」といい、男性ブーはザイラン、女性ブーをオットガンと呼ぶ。
いわゆるシャーマンである。
人間の住んでいる世界と精霊の世界を自由に行き来できる存在として、この両世界の調和を維持することを役目としている。
モンゴルでは、チンギスハーン以前の時代より、この「ブー」は生活の場面のみでなく、政治の世界でも大きな力をもっていた。
1600年代以降はチベット仏教にその勢力をそがれ、1930年代の宗教弾圧によって、過去の迷信と喧伝され、社会主義時代に多くが活動を止め、1990年代初頭には山岳地帯にわずかに年配の人が残るのみとなってしまった。
言論、信仰の自由を得た90年代から再び、活動を開始、長い社会主義時代に科学万能の教育を受けた多くのモンゴル人の中で、しっかりと復活を遂げている。
社会主義崩壊による社会不安によって、精神的拠り所がなくなった多くのモンゴル人の中で、いまではウランバートルに「シャーマン連盟」などの組織も存在するに至っている。
しかし都市部におけるシャーマンの活動は、神秘主義的、新興宗教的な色合いも強く感じられ、従来のものとは別物のように思える。
絶対的な自然の力によって支配される遊牧民・狩猟民たちは自然界に対しては一方的に“お願い、感謝”をするだけで、“交渉、相談”が不可能であることを知っている。
しかし人間側にもっとも近い霊的存在と直接に関わることは許されている。
その霊的存在が「オンゴット」と言われる。
この「オンゴット」は、かつてのシャーマンの霊だ。
シャーマンは死後、それぞれに“シャーマンの木”が選ばれ、そこに衣装や太鼓などの儀礼道具一式を掲げ、保管される。
そしてそれぞれのシャーマンは、どこかの土地の守り神として存続し続けるという。
土地の守護神は、かつてのシャーマンの霊なのである。
「ツァータン」達は、それぞれの民族・氏族・家族もしくはもっと大きな集団ごとに“故地”と呼ばれる土地を持つ。
そしてそこにいる「オンゴット」と、ある程度定期的に交信を持つべきであるとされている。
このように自分達の生きる土地が祖先たちによって守られていることを感じ、また、自分達に最も近しい
霊的存在を生活の中で常に意識することで、その土地を守り、また集団としての記憶を今に残すのに一役かってきたのが、シャーマンなのだ。
モンゴル人のシャーマンを「古代の信仰を守る」などと言うように妙に神秘的に扱う人々もいるが、シャーマンの活動は、現在そこに生きる人々を守る為に繰り広げられるのだ。
それは時には現代の文化的なグローバリズムに対する抵抗をするための唯一の、そして強力な武器ともなっており、決して未開の信仰なのではない。
トバ人にしてみれば、大多数を占めるモンゴル人に対して、自分達の独自性を文化的に維持させるのに、同じ祖先を祀り、その集団への帰属心を養い、維持するためにシャーマンは存在し続けているのではなかろうか?
「ツァータン」たちの話では、かつてはそれぞれの氏族ごとにシャーマンが存在しているのが普通だったと言う。
最低でも季節ごとに一度、月が出る夜に儀礼を行い、自分達の生活の状況を伝え、尋ね事をするのだと言う。
病気の原因を尋ねたり、いなくなった家畜の居所を尋ねたりと依頼は多岐にわたる。
おおよそ普段の生活で出くわすすべての問題の解決を、シャーマンに依頼するのだ。
「病気になったらどうするかって?
まずはシャーマンに原因を聞くよ。
治らなかったら?
その時は、今度は仏教僧に聞くかな。このあたりにはいないけどね。
で、それでも駄目だったら、仕方がない、病院にいくね」。1990年代半ばの話であるが、こんな話を聞かされた。
モンゴル中央から見捨てられたかのような土地で、頼りになるのはシャーマンだけだという状況を暗に示しているようだ。
(引用ここまで)
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