アンソニー・アヴェニ氏の「ナスカ・地上絵の謎」という本を読んでみました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
古代ナスカの文化について今のわれわれが知っているのは、紀元前100年ごろから紀元800年にかけて作られた土器の編年体系くらいである。
多彩色の土器、精妙に織られた布、大建造物、それらがナスカ・ラインを作った人々の、つまり紀元後最初の数世紀にペルー南部海岸で栄えたナスカ文明の特徴的な品々である。
しかし考古学者の鋤はペルー南部海岸での人類の定住がそれより少なくとも9000年は早かったことを証明している。
ダーヴィンの言葉を借りるなら、考古学者にとって過去への道はいつでも現在に入口の扉を開いている。
彼らは地面の下や横穴の奥を掘り返す。
彼らはテキサスで発見された粗製石器、フリント(火打石)の尖頭器、洞穴遺跡の中の炭化した木などの年代が、おそらくは24000年以上前にまで遡ることを示し、
また南アメリカ南端の遺跡では、紀元前9000年にすでに薄く割った尖頭器という特徴的なタイプの矢じりが生産されていたことを明らかにした。
いわゆる石器(紀元前4000年ごろまで)の生活は我々の多くが想像するよりも進んでいた。
その一例としてケンタッキー大学の考古学者トム・ディルヘーのチームが調査したモンテベルデ遺跡の泥炭地を挙げよう。
モンテベルデはチリ中部、アンデスの麓にある古アメリカインディアン時代の遺跡で、住民は100人ほどであった。
彼らは野生のジャガイモ、果物、木の実、塊茎、薬用植物などを採取し、投石器の鶏卵大の石や尖頭器付きの飛び道具でマストドンを狩った。
尖頭器を作るためには、研削と石鎚を用いた。
モンテベルデの人々は複数の部屋を持つ小屋に住み、集落の中央部にある木組みの大きな建物で共同体の活動を行った。
ディルヘイが収集した資料の放射性炭素年代測定によれば、紀元前11000年頃のことである。
こうした環境の中で、人間の分散とそれに伴う行動の多様化が起こり始めた。
約11000年前に採取狩猟民の集団がいくつか、西へ向かった。
西には海岸があり、沖合を流れるフンボルト海流が豊かすぎるほどの栄養源を与えてくれた。
考古学者は紀元前9000年頃のゴミ捨て場跡から、エビ、カニ類の殻、魚、アザラシ類の骨などを発見している。
紀元前5000年頃のある集落では1・8メートルの高さに貝を積み上げて、大きな円を作った中に窪んだ広場が作られていた。
季節が変わると、この人々は葉型の投げやり用尖頭器をかついで東へ向かい、アンデスの麓で鹿や野生のラクダ科の動物を刈った。
しかし海岸地域の紀元前6000年ごろの遺跡からウリ類やオオブドウホオズキやマニオクがみつかっており、石器時代後期のナスカ周辺の人々は、すでに農耕を始めていたことが分かる。
彼らは細長い帯状の平坦な海岸部を歩き回り、周囲の多様な生態環境を利用すべく、技術的な適応を進めていった。
やがて海岸部の漁労民はモリを発明し、サボテンのトゲで複雑な釣糸を考案し、ひょうたんと木綿で魚網を作り、
ついには舟を作って、釣りのしにくい波打ち際から沖合へ進出し、漁獲高を伸ばしていった。
豊かになるにつれて人口が増えた。
チリ北部海岸のチンチョロ文化では、世界最古の部類に入る死者崇拝が発達した。
彼らは死体をミイラにしたのである。
死体の手足や首をバラバラにし、臓器や組織を取り出して保存し、それから再び元通りにして、腕と脚と脊柱には木製の支持具を取り付け、胴体に詰め物をしてから、全体を粘土で覆い、顔の造作を描いたのだ。
エジプト人より1000年も早く。。
(引用ここまで)
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AFP/BBニュース 2008・05・13
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2390190/2920081
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【5月13日 AFP】チリ南部のモンテベルデの住居跡は1万4000年前のものであり、南北アメリカでは最も古い居住跡であることが確認されたとの論文が、9日の米科学誌「サイエンス」に発表された。
1976年に発見されたモンテベルデの住居跡は、サンティアゴ(Santiago)から南に800キロの泥炭湿原にある。
これまでの発掘で、居住民が食料にしていたとみられる海草9種類が確認されているが、今回、放射性炭素年代測定によってこれらの海草が1万3980-1万4220年前のものであることが判明した。
これにより、モンテベルデの住居跡には、これまでに知られている南北アメリカで最古の居住地よりも1000年以上も前に人が住んでいたことが立証されたとしている。
研究者らは、同住居跡の年代が明らかになったことで、「人類は1万6000年以上前に、当時、陸地だったベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸に移動した」とする一般的な仮説も裏付けられるとしている。
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「ナスカ・地上絵の謎」という本が翻訳されたのが2006年で、上記のAFPニュースが2008年のものなので、南米チリのモンテベルデの遺跡は14000年前のものと考えてよいのではないかと思います。
彼ら古代南米の人々は、イロコイ族が記憶している旅によって、ベーリング海峡を渡って、北米から南米へとやってきたのでしょうか?
それとも、別のルートで南米大陸に上陸した可能性もあるのでしょうか?
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ベーリング海峡を渡ったのはかなり早かったのですね。
いや、別ルートで入ったのかも。
ひょっとして、まだまだ先のことであったのかもる
根保孝栄・石塚邦男様
コメント、どうもありがとうございました。
16000年前って、そうとう昔のことですね。
さらに、24000年前に、アメリカ大陸に人の痕跡が残されているのだとすると、ちょっと驚きですよね。
>彼らはテキサスで発見された粗製石器、フリント(火打石)の尖頭器、洞穴遺跡の中の炭化した木などの年代が、おそらくは24000年以上前にまで遡ることを示し、
文明は、栄えては滅び、栄えては滅ぶものなのかもしれませんね。
今のこの文明も、余命は案外長くないかもしれません。。
いつか、私たちの化石が掘り出されて、古代人を発見、と報道される時がくるかもしれませんね。