朝日新聞「日曜版」「日本人の起源」2011・05・01
アジアに最初に入ってきた人たち、日本人の遠い祖先が住んでいた巨大な洞窟を訪ねた記者の記事です。
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その洞窟は、とにかく巨大だった。
体育館のようにだだっ広く、奥に向かって小高い丘になっている。
その先は真っ暗で何も見えない。
高いところでアナツバメやコウモリが舞っている。
不思議と怖さはない。
むしろ、大きなゆりかごのなかにいる気分だ。
40000年ほど前、ここに「祖先」たちがいたかと思うと、洞窟の奥の暗闇に向かって「会いに来たよ」と走りだしたくなる。
マレーシア・ボルネオ島のニア洞窟。
私がここを訪れたのは、「祖先」の足跡をこの目で確かめたかったからだ。
2人の人類学者・国立科学博物館の海部陽介と沖縄県立博物館の藤田祐樹に同行してもらった。
東京から首都クアラルンプール、そしてボルネオへ。
2日かけて、ブルネイとの国境の町ミリに入った。
そこから車で2時間ほど走り、ようやく「ニア国立公園」の入り口に辿りつく。
ニア川を渡し舟で渡り、鳥や虫の声を聞きながらジャングルを歩くこと1時間。
石灰岩の切り立った崖にぶつかり、木で出来た階段を5分ほど登ると、「さあ、我らが故郷にようやく到着だ」と、洞窟の前で案内役のサラワク博物館長が歌うように言った。
ここで1958年、人間の頭がい骨が見つかった。
深さ2・5メートルの地中に眠っていたため、「ディープスカル」と名付けられた。
2000年、サラワク博物館や英ケンブリッジ大の合同調査団が4年かけて発掘。
現場の地層や「ディープスカル」を再検証し、約42000年前の20才前後の女性と特定した。
東南アジア最古の現生人類だったのだ。
洞窟を訪ねる2日前、私たちはサラワク博物館で「ディープスカル」と対面した。
ふだんは館長室で厳重に保管され、めったに人目に触れることはないらしい。
館長は、白い紙箱からうやうやしく骨を取り出す。
茶褐色で薄く、何かはかなげだ。
40000年の時を超え、身内と向き合っているような気分になる。
「思ったよりきゃしゃですね。骨と骨の結合部分にまだ成人になりきっていない特徴もある」。
海部はいろいろな角度から観察し、そんな感想を口にした。
「ディープスカル」の発見現場は、半世紀前のまま残されている。
周辺では、焦げた跡や傷のある動物の骨、木の実の毒を抜くために灰とともに埋めたと見られる穴の跡もみつかった。
森で生き抜く知恵をもって暮らしていた「祖先」の姿が、目に浮かぶ。
「ディープスカル」の主は、その形態などから「オーストラリアやタスマニアの先住民に似ていたのでは」と推測されてきた。
海部や藤田が研究している沖縄の旧石器人も、同じような集団の仲間だった可能性がある。
海部は研究者になった16年前から、ニア洞窟に来るのが夢だったという。
「日本人のルーツを辿る旅で、ニア洞窟は避けて通れませんから」。
約20万年前にアフリカで生まれた現生人類は、中東からインドを経て東南アジアにやって来た。
そこからユーラシア大陸を北へ、様々なルートで日本列島を含む北アジア各地に広がっていったと考えられている。
「ディープスカル」の主は、アジアに入ってきた初期の人たち、つまり日本人の遠い祖先だった可能性がある。
午後4時ごろ、洞窟の外は猛烈なスコールに見舞われた。
雨に洗われる新緑の木々を洞窟の中から見ていると、まるで大画面のスクリーンのよう。
雨は一滴も入ってこない。
風雨を避けられる一方、十分な光は差し込んでくる。
「祖先」たちのいた場所は居心地がいい。
ただ、やがて彼らは、慣れ親しんだ洞窟を後にする。
行く先々で何が待っているのかもわからないまま、あちこちに散っていった。
海部は言う。
「その好奇心と、何とかなるという自信、これがホモサピエンスの証じゃないかな」。
もし「祖先」たちがニア洞窟に留まっていたら、日本を含む東南アジアの歴史は変わっていたかもしれない。
彼らが前に踏み出してくれたおかげで、日本人はここにいる。
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