「“北海道”名付け親・探検家の松浦武四郎「遺品展」・・古物収集品も展示」
読売新聞2013年9月25日
当ブログでは珍しく、当日に間に合うご紹介記事です。
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幕末に蝦夷地を踏査し、“北海道”の名付け親にもなった探検家の松浦武四郎の遺品展が10月5日東京世田谷の静嘉堂文庫美術館で始まる。
描いた地図の他に、約120年ぶりに同文庫で確認された武四郎が収集した古物も初公開される。
アイヌとの交流をうかがわせる資料もあり、多面的な顔を見られる趣向だ。
松坂藩(三重県松坂市)の下級武士の家に生まれた武四郎は幕末、ロシアの南下政策を知ると危機感を抱き、1845年以降6回に亘って当時蝦夷地と呼ばれた北海道や樺太を探検。
だが、明治に入り、任じられた蝦夷地の高官をすぐに辞し、日本各地の古物収集に没頭したとされる。
ただこれまで収集の実態は分かっておらず、武四郎の子孫も古物の行方を把握できていなかったという。
同文庫では、創設者で三菱2代目社長の岩崎弥太郎が、武四郎の没後その収取品約600点を入手しており、4年前に着手された調査でようやく存在が公にされた形だ。
今回はこのうち 約90点を展示。
注目されるのが、縄文時代から近代にまで作られた勾玉、切り子玉など約240点を連ねた長さ140センチの大首飾りだ。
玉は5センチ近いヒスイやメノウ、水晶などで、全国を旅した武四郎が生涯をかけて集めたものを自ら首飾りにしたと見られる。
この大首飾りは肖像写真や、釈迦の代わりに武四郎が横たわる「武四郎涅槃図」でも首にかけており、晩年に愛用していたようだ。
さらにこの涅槃図で武四郎の周囲に描かれたコレクション30数点のうち、共に江戸時代後期に制作された木彫りの聖徳太子像、地蔵菩薩立像など20点が同文庫の所蔵品に含まれていたことが判明、陳列される。
この他、古墳時代の勾玉などで作られた別の首飾りや、古墳から出土したと推定される大型の鈴なども並ぶ。
「松浦武四郎記念館」(松坂市)の山本学芸員は
「文献でしか知られていなかった収取家としての顔が確認された。
集めた古物の価値は高く、コレクターとしての存在の大きさもうかがえる」と語る。
また探検家時代の業績として、国後島・択捉島を含む北海道全域を詳細に記した地図「東西蝦夷 山川地理取り調べ図」も展示される。
地図に10000語以上のアイヌ語の地名が細かく記載されている他、調査記録「天塩日記」には、アイヌに手を引かれて崖に架けられた丸木橋を渡る姿が描かれ、アイヌとの交流を知ることができる。
同文庫の須藤雄事務長は「武四郎は、明治政府のアイヌへの同和政策に反発して外交官を辞した。
アイヌ政策が転換期を迎えた今、当時のアイヌに入り込んだ数少ない和人としての武四郎を知ってほしい」と話している。
展示は12月8日まで。
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とてもスケールの大きな人物だったのだと分かりました。
出口王仁三郎に似ているような感じもあります。
静嘉堂文庫美術館HP
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