前回の続きです。
星野道夫氏が亡くなって2年、映画「ガイアシンフォニー第3番」が完成し上映が進む中、1998年 、龍村仁監督はボブ・サムを日本に招待しました。
どうしても見せたいものがあったからです。
ほんとうはそこを星野道夫とボブがいっしょに訪ねるところを撮影したかったのです。
監督は北海道の小樽(余市)にある続縄文時代の洞窟、フゴッペ洞窟にボブを案内しました。
この洞窟にはとてもたくさんのミステリアスな線刻画(ペトログラフ)が描かれています。
それらは1500年から2000年以上前に描かれた線刻画(ペトログラフ)で、その時代は“縄文海進”といい、海が洞窟のすぐそばまで迫っていたということです。
当時海際にあったと考えられるこの洞窟は、海から来た人々がなにかの儀式に使っていたのだろうと考えられています。
その洞窟を訪れたボブは奥の壁に描かれた、ヘ先に鳥のようなシンボルをつけた大きなカヌーを大勢の人が漕いでいる絵を見て、激しく嗚咽し、祈りの声を響かせました。
監督はこのように書いています。
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洞窟に足を踏み入れた時から、ボブの耳には、浪間からとぎれとぎれに聞こえてくる呼び声のような響きが聴こえていた。
そしてカヌーの絵の前に立ったとき、その声が誰のものであるかがはっきりとわかった。
それは、彼自身の祖先からの呼び声だった。
部族の神話の語り部になるための儀式を受けたとき、彼はアラスカ・シトカの洞窟の中の壁に、へ先にワタリガラスのシンボルをつけたカヌーの絵を見ていた。
北海道・小樽のフゴッペの洞窟の中で見た絵は、これとほとんど変わらないものだった。
さらに渦巻き状や格子状の様々な模様も、ほとんどが同じものだった。
その時、彼は自分たちの祖先がここに来ていた、あるいはここから来たと確信を得たのだ、という。
ボブが洞窟の中で祈った(歌った)歌は、アラスカ・クリンギット族の間で、はるか昔から歌い継がれてきた悲しい物語だった。
「遠い昔、一族の優れたリーダーに率いられた屈強な男たちが、はるか西方の彼方にある兄弟たちの国へ、交易の旅に出た。
大きな木彫りのカヌーによるこの海の旅は、一度旅立つと二年は帰れない。
なぜならアリューシャン列島の海の道は気象の変化が激しく、一年のうち、夏の数か月しか航海できないからだ。
出発から二年たち、男たちがたくさんの交易品を積んで南東アラスカの故郷に帰ってきてみると、そこには人影がまったくなかった。
村に残していった妻も子供もお年寄りたちも誰一人として姿が見えず、彼らがどこに消えたのかも、なぜ消えたのかも全く分からなかった。」
という物語をボブは歌ったのだった。
洞窟の入口から響き渡ってきたボブの祈りの声は、こうした関連を全く知らなかった私たち日本人の魂を直接ゆさぶり、自分自身の中に眠っている遠い記憶を呼び覚ます力があった。
(龍村仁著「ガイアシンフォニー第3番・魂の旅」より抜粋)
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フゴッペの洞窟の壁に描かれている絵は、角の生えた人や杖を持っている人、羽が生えている人の絵など、不思議な雰囲気をかもしだしています。(リンク先で見て下さい)
この洞窟についてはアイヌに伝承はなく、ここに絵が描かれた今から1500年前は、アイヌ文化が成立するより前の時代とされており、東シベリア、樺太など、北方の文化の影響が考えられているようです。
ロシアのアムール川近辺に同じような線刻画(ペトログラフ)があるようで、それらの人々の文化を統合してアイヌ文化ができていったのでしょうか。
ボブが感じ、交感したのは、そのような北方アジアの文化、オホーツク文化の意識だったのでしょうか?
北方系の民の血はわたし達の中にもまた、深く眠っているのだと思われますが、私たちの先祖も丸木舟に乗って四方の海を行き来したことでしょう。
ボブの先祖が私たちの土地までやってきたり、私たちの先祖が彼らを訪ねたことがあったかもしれません。
翌日、一行は青森の縄文遺跡・三内丸山遺跡に向かいました。
それについては次の記事で。。
ボブが壁画に見た“丸木舟”を、アイヌの工法で復元した高校生たちの記事がありました。
こうした試みの一つ一つが、私たちの深い記憶をよみがえらせていくのだと思いました。
参考サイト
HPフゴッペ洞窟
http://www3.ocn.ne.jp/~yoiti/fugoppe.html
HP手宮・フゴッペ洞窟
http://inoues.net/ruins/temiya_fugoppe.html
あさひかわ新聞「アイヌの丸木舟復活・高校郷土部員が進水式」
http://www.asahikawa-np.com/digest/2007/08/0220109/
台風で倒れた長さ八メートル、直径八十センチほどのカツラの木を譲り受け、川村兼一・川村カ子トアイヌ記念館館長の指導で昨年八月から製作を開始。
一年がかりで完成した。
Wikiフゴッペ洞窟より
フゴッペ洞窟(フゴッペどうくつ)とは、北海道余市町栄町にある続縄文時代の遺跡。
日本海の海岸から南方約200メートルの平地に立地し、通称「丸山」と呼ばれる砂岩質よりなる小丘陵の東方に面した岩陰遺跡である。
遺跡の現状は、奥行が約5メートル、問口が約4メートル、高さは約5メートルである。壁面のいたる所に原始的な図像が陰刻されている。
図は200以上あり、人物や動物、船などを象徴したものと推定されるものが多く、他に列点もあり、呪術的な性貭を有するものと考えられている。
アムール文化との関連性が言われているが詳細は不明である。
wiki縄文海進より
縄文海進(じょうもんかいしん)とは、縄文時代に日本で発生した海水面の上昇のことである。
海面が今より3~5メートル高かったと言われ、縄文時代前期の約6,000年前にピークを迎えたとされている。
日本列島の海に面した平野部は深くまで海が入り込んでおり、気候は現在より温暖・湿潤で年平均で1~2℃気温が高かった。
Wikiアムール川より
アムール川はモンゴル高原東部のロシアと中国との国境にあるシルカ川とアルグン川の合流点から生じ、中流部は中国黒竜江省とロシアのシベリア地方との間の境界となっている。
ロシアのハバロフスク付近で北東に流れを変えロシア領内に入り、オホーツク海のアムール湾に注ぐ。
オホーツク海の流氷は、アムール川からの流水により塩分が薄くなった海水が氷結して形成される
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