始まりに向かって

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うさぎが、鹿よりも小さくなったわけ・・「アイヌ神謡集」より

2015-04-22 | アイヌ


先日の新聞に、北海道の鹿の話が載っており、アイヌのユーカラのことを思い出しました。


            ・・・・・

「エゾシカ、迷わず帰還 釧路―標津の季節移動 環境省が追跡」
                         朝日新聞2015・04・09


北海道の釧路湿原国立公園で越冬したエゾシカが、約80キロ離れた牧草地で夏を過ごし、再びもとの場所に戻ってきた。

環境省が発信器を着けて追跡していたメスで、往路、復路とも同じルートを通っていた。

釧路湿原のシカの季節移動のデータがここまで詳細につかめたのは初めてだ。

数が増えているシカを減らすため、環境省は冬場、湿原東部の達古武(たっこぶ)沼(釧路町)に面した林地に、柵をシートで覆った囲いわなを設置している。

この場所のシカの行動を把握するため、昨冬に成獣のメス2頭にGPSを組み込んだ発信器を取り付けた。
1頭は昨年4月中旬に移動を始め、約1カ月後に80キロ余り北東の標津(しべつ)町の牧草地に到着。

8月下旬に戻り始め、しばらく途中の標茶(しべちゃ)町にいたが、12月17~18日の暴風雪で積雪が増すと、翌日にかけ一気に約20キロ離れた達古武沼に戻った。

行きも帰りも林に身を隠し、国道を横切る場所も空港の迂回(うかい)も同じコースだった。子ジカと一緒だった可能性が高い。



追跡は発信器付きの首輪が自動的に外れた今年2月11日まで続き、ほぼ周辺にいた。

もう1頭は冬も達古武沼周辺から離れず、秋にハンターに捕獲された。

旧式の機器は、その時々の居場所がわかる程度だった。

夏の湿原には、繁殖のため別の越冬地からくるシカもいる。

行動を把握できれば、影響を及ぼすシカを湿原の外で捕獲するなど広域連携で対策をとれる。

同省釧路自然環境事務所は「発信器を取り付けた個体を増やし、効果的な捕獲手法を探っていきたい」と話す。

 
            ・・・・・



この新聞記事を読んでいたら、アイヌのユーカラの一つを思い出しました。

知里幸恵さんが伝えたものです。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。




             *****


           (引用ここから)


「うさぎが自ら歌った謡「サンパヤ テレケ」」


サンパヤ テレケ

2つの谷、3つの谷を飛び越え、飛び越え、

遊びながら兄様のあとをしたって山へいきました。

毎日毎日兄様のあとへ行ってみると

人間が石弓を仕掛けておいてあると

その石弓を兄様が

こわしてしまう、

それをわたしは笑うのを

つねとしていたのでこの日もまた

行ってみたら、ちっとも

思いがけない

兄様が石弓にかかって泣き叫んでいる

わたしはびっくりして、兄様のそばへ

飛んでいったら兄様は

泣きながら言うことには

「これ弟よ、今これから

お前は走って行って

私たちの村の後ろに着いたら

〝兄様が石弓にかかったよーー、フォオオーイ″と

大声でよぶのだよ」


わたしはきいて

ハイ、ハイ、と返事をして、それから

2つの谷、3つの谷を飛び越え、飛び越え

遊びながら来て

私たちの村の村後へ着きました。

そこではじめて兄様がわたしを使いによこしたことを

思いだしました。


わたしは大声で叫び声をあげようとしたが、

兄様がなにを言ってわたしを使いによこしてあったのか

すっかりわたしは忘れていました。

そこに立ち尽くして

おもいだそうとしたがどうしてもだめだ。


それからまた

二つの谷を越え、3つの谷を越え

後へ逆飛び逆飛びしながら兄様のいるところへきて

見ると誰もいない。

兄様の血だけがそこらに付いていた。

(ここまでで話は外へ飛ぶ)(原文ママ)


ケトカ ウォイウォイ ケトカ、ケトカ ウォイ ケトカ

毎日毎日わたしは山へ行って

人間が石弓を仕掛けてあるのをこわして

それを面白がるのが常であったところが

ある日また、前の所に石弓が仕掛けて

あると、その側に小さいヨモギの石弓が

仕掛けてある。


わたしはそれを見ると

「こんなもの、何にする物だろう」

と思っておかしいので

ちょっとそれに触ってみた、すぐににげようと

したら思いがけなく

その石弓にいやというほど

はまってしまった。


逃げようともがけば

もがくほど、強くしめられるのでどうすることも

できないので、わたしは泣いて

いると、わたしのそばへなんだか

飛んできたので見るとそれはわたしの弟

であった。わたしはよろこんで、私たちの一族のものに

このことを知らせるようにいいつけてやったが

それからいくら待っても何の音もない。


わたしは泣いていると、わたしの側へ

人の影があらわれた。見ると、

神のようなうつくしい人間の若者

ニコニコして、わたしを取って

どこかへ持って行った。見ると

大きな家の中が神の宝物で

いっぱいになっている。


彼の若者は火を焚いて、

大きな鍋を火にかけて、掛けてある刀を引き抜いて

わたしのからだを皮のままブツブツに切って

鍋いっぱいに入れそれから鍋の下へ頭を突き入れ突き入れ

火を焚きつけ出した。どうかして

逃げたいのでわたしは人間の若者の隙を

ねらうけれども、人間の若者はちっともわたしから

眼をはなさない。


「鍋が煮え立ってわたしが煮えてしまったら、なんにも

ならないつまらない死に方、悪い死に方をしなければ

ならない。」と

思って人間の若者の油断を

ねらってねらって、やっとの事

一片の肉に自分を化らして

立ち上る湯気に身を交えて鍋の縁に

上がり、左の座へ飛び降りるとすぐに

戸外へ飛び出した、泣きながら

飛んで生きを切らして逃げて来て

わたしの家へ着いて

ほんとうにあぶないことであったと胸撫でおろした。


後ふりかえって見ると、

ただの人間、ただの若者とばかり

思っていたのはオキキリムイ、神の様な強い方

なのでありました。


ただの人間が仕掛けた岩弓だと思って

毎日毎日いたずらをしたのをオキキリムイ

は大そう怒ってよもぎの小弓で、

わたしを殺そうとしたのだが、わたしも

ただの身分の軽い神でもないのに、つまらない死に方、悪い

死に方

をしたら、わたしの親類のもの共も、困り惑うであろう

ことを不憫に思ってくだされて

おかげで、わたしが逃げても追いかけなかった

のでありました。


それから、前には、うさぎは

鹿ほども体の大きなものであったが、

このようないたずらをしたために

オキキリムイの一つの肉片ほど小さくなったのです。


           (引用ここまで)

         (改行は原文どおりです・写真は私がイベントで教わって作った「鹿笛」)


            *****


鹿も、うさぎも、愛しい生き物だと、心から思いました。


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