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「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

備忘録 名字の言 10・30

2011年10月30日 15時03分29秒 | Weblog
 
私たちは日頃の会話で、相手の話に耳を傾け
真意を受け止める努力をしているだろうか

教育てい談「人間教育への新しき潮流」の中で
バージニア工科大学のガリソン教授が興味深い
指摘をしている。私たちは「相手の考えを聞こう
と努力しないと、自分の要求や必要、そして願
望を、相手のものと混同してしまうことがあり
ます
」(「灯台」1月号)
先入観や印象だけで、よかれと思って話していると
〝相手もそう思っているだろう〟と思い込みがち
それでは、自分の考えの押しつけになりかねない
相手の立場に立つというのは、同時に自分自身の
狭い視野を広げることでもある。誠実に「相手の
ため」と思えることが、そのまま「自己変革」に
直結する。それを忘れず語り合いたいもの
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未だに“黒船”頼み?

2011年10月29日 13時58分59秒 | Weblog

あの原発事故で東電は「最悪の事態ではない」
「健康に被害はない」を繰り返してきたが
世界的権威のフランス放射線防護原子力安全研
究所が最近、「福島の事故で、海洋に流出した
放射性物質セシウム137の総量は2万7千テラ
・ベクレル(テラは1兆倍)に上ると推計する」
という試算を発表した
2万7千テラ・ベクレルと言われてもピンとこないが
この数字は、東電が公表した数値の20倍にあたる!

更に、フランスの同研究所は、この数値は「人類が過去に
経験したことのない規模の放射性物質の海洋流出

と指摘している
本当なら、背筋が凍る事態だが、何故に東電は「本当」
を発表しないのか。「本当」の数値が判らないというの
なら、そんな低レベルの企業に原子力という“怪物”は
任せられないし、隠蔽なら“正しさ”という理念のない
害悪企業というレッテルを貼らざるを得ない。何れにし
ても、企業として東電は終わっている

世界的企業のオリンパスが、企業買収に関わる疑惑で揺れ
ている。企業の信頼は壊れ、株価も反落している。この疑
惑を明らかにしたのが、元社長のウッドフォード氏だ
彼は、“事件”をほじくり返したために解任された。この
一連の事件を、アメリカのFBIも捜査に乗り出したとい
うが、今頃、オリンパス経営陣は戦々恐々だろう

百億円以上の会社の金を、水洗トイレに流すが如く、賭け事
(おそらく)に投じて消してしまった大王製紙の井川意高前
会長。結果的に、彼のバカさ加減を許していた顧問の父親や
現経営陣の姿勢も厳しく問われるだろうが、同族企業にはウ
ンザリさせられる。その点、アシックスの創業者・鬼塚喜八
郎さん(1918~2007)は偉かった…


さて、東電にしてもオリンパスにしても、企業の根底を揺る
がしたのは“外国企業”“外国人”だ。大王製紙の場合は
カジノ…。ま、苦しいところだが賭けの胴元は外国だ
何れもキーワードは「黒船」。この構図、過去も現代も何も
変わっていないのだ。なんとも嘆かわしい。強い力を持った
他人から言われないと、自分を変えられない体質は、幼稚で
虚弱と言われても仕方がない。変わりたい気持ちは強いけど
自分では何も出来ず、ただ“黒船”到来を待っているだけ…

情けないじゃないか。自らを鼓舞し、ダイナミックに“自分”
を変えようぜ、ニッポン!

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♪ 何億光年 輝く星に…

2011年10月28日 17時24分24秒 | Weblog
 
今朝は4時に起きて夜空を見上げた。夜空は晴れ渡ってい
た。今の時期は東京でも、天上のやや東に位置する冬の星
座・オリオン座が見える。その左側に輝く赤い星ベテルギ
ウス。星座で言えば、巨人の脇の下あたりに輝く星だ。太
陽の約千倍の大きさの此の星は、間もなく寿命を終え、近
いうちに超新星爆発を起こすといわれている。否、既に
爆発しているのかも知れない。この赤色超巨星は、地球か
ら640光年の距離にある。光の速度で640年の向こう…
時代的には鎌倉時代が終りを告げた頃か…

鎌倉時代と言えば、最近、その時代に日本を攻めようとし
て、いわゆる“神風”に遭遇し全滅した蒙古(元軍)の船
団の残骸が、長崎の沖合いで発見された。鎌倉時代の光が
届いたこの時期に、その船が発見されたことに、何かの縁
を感じるのは僕だけだろうか…

そして今年、未曾有の大地震による大津波が日本を襲った
胸の痛くなる悲惨が人々を奈落に落とした…

原発事故も起こった。ノルウェーの某科学者の研究結果に
よると、もし事故の起こった後、東京に雨が降っていれば
原発近辺と同様の放射線量上昇に見舞われていた可能性が
あるという。事故後、「極めて高濃度の固まりが東京の上空
を通った」ためだ。だが、雨は降らなかった
もしも、豪雨となっていた場合、東京全体は汚染され、集
団疎開を余儀なくされ、東京の機能だけではなく日本全体
が麻痺し、政治や経済、全てが壊滅状態になっていたかも
しれない。日本の終わりという最悪の事態は免れた。蒙古
が日本への攻め入りに失敗した鎌倉時代と同じく、日本は
命拾いしたのだ…


ベテルギウスは、やがて爆発する。それは既に起こってい
て、光速で進む光の矢は、こちらに向かっている最中かも
知れない。また、この瞬間に爆発しているかも知れない
だとすると、地球に爆発の知らせが届くのは640年後だ

だが、明日、東天に月ほども明るい青い巨星が輝く可能性
もある。その巨星は数年間、夜空を彩る。僕は、その星の
発する光を見て、鎌倉の昔と現代とが繋がっている錯覚を
覚えるだろう。悠久の大河の流れのような宇宙の時間の中
に佇む自分を感じることだろう…
夜空を見て、そんなことを思ったのだった

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「百億円の借金、水に流して」BY 井川意高・エリエール前会長

2011年10月26日 09時31分33秒 | Weblog
 
いくらトイレットペーパーの会社だからって
借金の“尻拭い”した上に“水に流せ”なんて
できません!


巧い事まとまった 笑
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お笑いを一席

2011年10月25日 04時50分09秒 | Weblog

これは冗談と受け止めるべきなのか…

お笑いコンビ・ロンドンブーツ1号2号の田村淳氏が
外務省行われた「世界ポリオデー」のイベントで政界
進出を問われ「政治家になって舵を取るより、今の方
が取りやすい」と述べ、更にその場にいた民主党幹部
から社交辞令(?)の出馬要請が飛び出すと「いろん
な党があるので…お話が来たら考えます」と…

うーん…なんと言えばいいのか

米映画「三銃士 王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」
宣伝のため来日した世界的有名女優のミラ・ジョボビッチ
の会見に同席した溝端淳平氏(自称・俳優…)が、ミラ
から社交辞令で「一度会ったら忘れられないルックス」
と褒められると、「僕、日本では結構有名なんです!」

うーん、なんとも恥ずかしい…

東京電力が、福島の原発事故に関する事故時運転操作の
“手順書”を、以前、黒塗りで提出したが、経済産業省
原子力安全・保安院の再提出命令で渋々、無修正のモノ
を出してきた。それを見て保安院はビックリ。津波の高
さを6メートル弱と予想するなど想定が甘く、全電源喪
失などの事態に対し、“手順書”が役に立たなかったこと
が判明したのだ。黒塗りは、その“お粗末”を文字通り
塗りつぶすためになされたことだったのだ。やることが
小学生並みだ。この『嘘』がバレた東電だが、面の皮厚
く反省の色は無い…。こんなレベルの企業が原子力を管
理していたのだ。例えにすると、幼児がティラノザウル
スの首につけたロープを持っているようなもの
全く、本当に、ご冗談を、だ

なんとも…なんとも…





最近の世の中、全て「冗談でしょ?」と言いたくなることばかり
ま、芸能人の戯言など可愛いもんか…


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リビアの今後…

2011年10月24日 16時35分21秒 | Weblog

42年間に渡り、北アフリカ・リビアで独裁政治を
行っていたカダフィが死んだ。独裁者に代わって
実権を握った反カダフィ派「国民評議会」のアブ
ドルジャリル議長は、リビアの「解放」を宣言し
その式典で、“シャリア”と呼ばれるイスラム法を
国法の基本となることを発表した

シャリアに基づけば、銀行の利子は原則として
禁止され、妻も4人まで持つことを許されるという
イスラム教がより厳格に国民生活に関わってくるの
だが、それには「女性は4人の夫を持てる」とは記
されていない…

今まではカダフィが国民を管理してきたが、今後は
“宗教”が国民を管理するということか…
リビア国民は、新たな“独裁”に苦しむことになら
なければいいが、という懸念は杞憂か

イスラム教では、女性が肌を露出することを禁止し
ている。そのため、イランの女子サッカーチームが
写真のような“ユニフォーム”を着ることを余儀な
くされ、それがW杯規定に反するため、試合に出る
前に失格となり、イランチームはワールドカップに
出場できなくなった。悲しむ彼女たちの姿を見て
彼女たちの無念を思い、僕も同じく悔し涙を流した



一体、宗教とは何なのだろう。本来は、人を幸せに
するための教え、哲学なのではないのか
イスラムだけではなく、キリスト教もユダヤ教も
そして戦前の日本の神道や、今の一部の仏教など
人間の上に君臨し、“神と人間の仲介役”とされる
牧師や、“仏の次の位”とされる坊主が信徒よりも
「偉い」と信じさせ、「言うことを聞かないと地獄
に堕ちる」と脅し、金を巻き上げ、跪かせている
また、それに疑問を抱かない信者たち…

この、今の現状を、マホメットやキリストや仏陀が
見たら何と言うだろう

彼ら宗祖は、「全ての民衆の幸福」を願い「生命の尊厳」を
教え「平和」を求めていたはずなのだ
“自宗の信者のみ”という風に、民衆を狭量に区切っては
いなかったはずだ。皆が誇らしい人間として伸び伸びと人生
の幸せを満喫して貰いたい。そう思っていたはずだ
宗教の名の下に信者を睥睨(へいげい)し、自分の家来か
子分と勘違いする神父や坊主がいたら、烈火のごとく怒り
それこそ“破門”にしていたはずだ。ましてや、人間を奴隷
化させ、殉教を強いるのは、邪教と断じていたはずだ


彼ら宗祖は、全ての人間を自らの大きな愛で
抱えていたはずなのだ。それを後世の偏狭な
宗教指導者たちが、宗祖に遥かに及ばぬ狭量
な人間性ゆえに、宗祖が慈愛で抱えた「全民
衆」を「自分たち信者のみ」に差し替え、
「全ての生命の尊厳」を「信者のみの命」に
差し替え、「平和」は自分達のみの「平和」
にすり替え、宗教の根幹たる「他者への尊敬」
や「寛容」を捨て、他宗の人間は「人間」と
して扱わないという教えに変えてしまった

そんな教えは人間を不幸にするばかりか、世界
をも壊してしまう

折角、国民を抑圧する独裁が終わったのだ
リビアは、そんな“変節”した教えに戻る
のではなく、本来の宗祖の教え、本当の
「原点」に戻るべきと思うのは、余計な
お世話だろうか…?
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中国の「女児ひき逃げ・見殺し事件」に思う

2011年10月22日 14時43分58秒 | Weblog
 
街の防犯カメラが写したその衝撃的な映像は、初めは
ネットで流れた。その後、テレビ地上波の報道で再
生され、全世界の人々が知るところとなった

いわゆる「人・現代中国人の実態」映像だ

事件は10日ほど前の夕方に起こった。自宅近くの商
店街を一人で歩いていた女児・悦悦ちゃん(2)が
ワゴン車にひき逃げされた
苦しみもがく彼女を通行人は誰も助けようとしない
見て見ぬふりをした人間は十数人に及ぶ。そして
更に、次に来た車にもひき逃げされてしまった
その子が、21日の未明、息を引き取った…


あまりに惨い事件に、世界はおろか、当事者の中国の
国民も憤った。広東省政府は、「見殺し行為」を処罰
するかどうか検討中で、「見て見ぬふり禁止法律」を
作る声もあるというが滑稽としか言いようがない
また、マスコミは「中国国民の道徳が失われた」など
と批判しているらしいが的外れだ

今回の事件で問題なのは、単に「道徳」の問題か?

「道徳」は“~すべきだ”“~してはいけない”次元の
社会生活を円滑にする人生の規範、単なるルールだ
だが、生命軽視、他人の救済心は哲学・宗教の問題だ


中国、正しくは中華人民共和国は、戦後の1949年
共産主義の国へと舵を切った。下地には、一部の
特権階級の利益独占と庶民抑圧という自国の社会
的不正の歴史への反発があったためだったが、利己
主義、拝金主義、生命軽視という浅薄な風潮に陥った
現在、果たしてその選択は正しかったのか。国民は
もちろん、指導部の一部にも、選択への疑問が頭を
もたげているのではないかと思う

共産主義はひとつのイデオロギー、資本主義に対抗する
政治形態と信じられているが、英国の歴史学者A・J・
トインビー(1889~1975)は、共産主義は「宗教」と断じている

彼の説によれば、『ルネサンスや宗教改革などが起こった
17世紀、キリスト教の後退により西欧の人々の心に精神
的空白が生じた。それを埋めるように台頭してきたのが
科学技術への“信仰”と、国家への“信仰”(ナショナリ
ズム)、そして共産主義である』『共産主義はキリスト教
から派生した一つの異端宗教』『共産主義は、ユダヤ系宗
教の悪い面である排他的・不寛容を最も引き継いだ。
(中略)ゆえに、共産主義者は狂信的傾向が強く、全人
類を“改宗”させる使命があると思い込んでいる』

長い引用になってしまったが、つまりは、共産主義は宗教
なのだ。宗教だから「他の宗教」はアヘンだとして否定し
国民に、自宗の共産主義を押し付けたのだ。だが、その宗
教は間違っていた(と僕は思っている)。間違った宗教に
染まった国民の生活の結果として、今の中国がある、と言
えるのではないかと思う

(興味深いのは、共産主義と同じく、ナショナリズムも
 科学信仰も、共に「生命軽視」「他人に冷たい」傾向が
 あるということ。これら2つの宗教に染まった国も中
 国と同じ道を辿っているし、今後も辿るだろう)


悦悦ちゃんの死が人々を覚醒させ、「人間回帰」の
道に進むことになればと願わずにいられない
国家やイデオロギーを信仰してはいけない。それは邪教だ
国は神ではなく、我々のために存在する一つの公共事業体なのだ

女児ひき逃げ・見殺し事件に触れて、そんなことを思ったのだった
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さあ、舞台の幕は上がった!

2011年10月20日 14時37分12秒 | Weblog
 
オーディション番組での一場面。
色とりどりの電飾で飾られた華やかなステージ。期待
を膨らませ注目する大勢の観客。そこへ、全く場違い
な、小太りで見すぼらしいなりをした中年男が舞台袖
から姿を見せ、中央に進み出てきた。
観客は、一瞬、舞台スタッフが出てきたのかと思った
のだが、居心地悪そうにしながらも、舞台から外れよ
うとはしない中年男を見て、彼が番組の出場者である
ことを知る。観客は口元を押さえ、小さく苦笑した。

その中年男の動作を目で追い、怪訝な面持ちを浮かべ
ていた審査員長が声をかけた。
「君、何か用かね?」
会場から爆笑が起こる。まるで、堪えていたものが弾
けたような笑い声だ。
笑いの中、舞台の男は申し訳なさそうに口を開いた。
「歌を、やりにきたんです。旦那」
審査委員長は吹き出した。
「旦那、か!」
男は何故笑われているのか判らない態で、客席最前列
の審査委員長の顔色を不安気に窺っている。
「まあ、いい」審査委員長は言った。
「で、何を歌うんだね」
男はおずおずとタイトルを告げる。
「Canto Della Terra(大いなる世界)を…」
イタリアの盲目の歌手、アンドレア・ボッチェーリが
得意とする曲目だ。
「フン」審査委員長は鼻で笑い書類に目を落とした。
前奏曲が流れ始める。
審査委員長は隣に座る美人歌手の耳元に何やら囁く。
美人歌手は妖艶な笑みで審査委員長を見つめる。
素振りから、口説かれているのが判る。
中年男の静かで張りのある低音が響いてきた。
その第一声に、審査委員長の口説きの囁きが止まり、
美人歌手は驚いたように中年男を見た。
観客たちも唖然とした表情で歌う男を見ている。
サビの部分の歌い上げる高音に差し掛かると、心揺さ
ぶられた美人歌手の目から、一筋の涙が流れた…。

それは、聴く者の心を捉えて離さない、まるで奇跡の
様な歌いっぷりだった。
男の力強く、また情感たっぷりの歌が終わると、会場
を揺るがすような歓声が起こり、拍手が鳴り響いた。
なかには、泣きながら拍手をしている女性もいる。
その嵐のような拍手のなか、審査委員長を始め、審査
員全員が、呆然と舞台の男を見ていた。
舞台の男は、その審査員達の顔を不安気に見ている。
やがて、審査委員長が口を開いた。
「…あ、なんて言ったかね、君の名前は」
「田舎です。田舎…田吾作」
「タゴサク君…いや、田舎田吾作さん。今、この場で、
君と契約したい。もちろん、君さえ良ければだが」
会場から大拍手が巻き起こる…。

スター誕生の一場面。以前、このような海外のオーデ
ィション番組が紹介され、多くの人々に感動を与えた。
中年男の持つ“特別”な才能は、多くの人々が彼に抱
いた蔑みを尊敬へと変え、彼のその後の人生も変えた。


これは歌手のオーディション番組だが、歌の才能など
なくとも、全ての人間に、“特別”があり、それが舞
台の上の中年男のように多くの人々を感動させ、自ら
の人生をも“変革”させる力を持っている。

その“特別”とは、一人ひとりの心の中にある“清浄
で尊極な生命”だ。
『その生命は自由自在であり、晴ればれと開かれてい
る。生きとし生けるものへの慈しみに満ち、苦悩する
存在への同苦がみなぎっている。枯れることのない智
慧と精神力がほとばしり、尽きない生命力と福徳が湧
き出でている。さらに、自他の悪と戦う勇気が燃え、
何ものも恐れない』
その生命は、誰の心の奥底にもあるのだ。その生命力
を発揮した瞬間に、過去の自分は変革し、新しい自分
となって、人々から感動の拍手を持って迎え入れられる。
オーディションに臨んだ彼のように…。

自分の人生の舞台の主役たる自分は、古いベールを脱
ぎ、“尊極の生命”を持ったヒーローとして、今後の
人生の舞台を堂々と演じきっていくのだ。常に、感動
と賞賛の拍手を浴びながら…。

そう、種明かしをしよう。君が舞台で演じる君の人生のシ
ナリオは、実は君自身が書いたものだ。その台本を手に、
君は願って舞台に立っているのだ。君自身が望んだ波乱万丈、
時には絶体絶命のストーリーなのだ。
さあ、存分にヒーローを演じたまえ!
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民主党議員って…皆バカ?

2011年10月18日 22時23分52秒 | Weblog
 
「津波で逃げ遅れた」人を馬鹿呼ばわりするなど
人間として信じられない失言の閣僚が続出したり
議員になった途端、勘違いして愛人は作るわ
恐喝まがいのことをやるわ、交通費誤魔化すわの
下賎の横峰ナントカはいるわ、沖縄県民に
「最低でも県外」、更に米国大統領に「信じて」
なんてウソを言う総理がいたり、無能すぎて
話にならず、今はお遍路に行っている人がいるわ
マンションから酔って落ちるヤツがいたり
もう、数えあげたらキリがない
凄いね、民主党議員って

皆さん、実は馬鹿?

おっと、人様を馬鹿扱いしちゃあ良くないな
言い方を変えましょう


皆さん、脳足りんのコンコンチキの
すっとこどっこいのポンポコなーのおバカ?


我が地域の中学校の生徒会役員生徒たちと
全員入れ替わったほうが、なんぼか良いのでは?
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備忘録 10.18 報恩こそが“人間”の証明について

2011年10月18日 14時38分31秒 | Weblog
 
「周囲の人に感謝や尊敬の心をもてなくては
どれほど力があっても結局は孤立し、せっかくの
力も発揮できずに終わってしまう
感謝や尊敬の心は、その人の人間としての
大きさの証である」(創立者)

「恩を知り、恩に感謝し、恩に報いようと生きるとき
人間は、自分自身を豊かに高めていくことができる」(同)

「感謝のない人間は、人が自分のために、何かしてくれて
当り前だと思っている。結局、人に依存し、甘えて生きている
といってよい。だから、人が何かしてくれないと、不平と不満を感じ
いつも、文句ばかりが出てしまう。そして、少し大変な思いをすると
落ち込んだり、ふてくされたりする。それは、自分で自分をみじめにし
不幸の迷路をさまようことになる」(同)

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“武器輸出三原則”って、日本は武器作って売ってるのか?

2011年10月17日 02時47分06秒 | Weblog
 
全く、最近の若い政治家は、なっちゃないな
戯言ばかり並べて平気な顔してやがる


まあ、今に始まったことではないですけどね

民主党の、なんだ。政調会長の前原って奴。アメリカに
媚売るのはいいけどよ、度が過ぎる。なんでも、新しい
武器をアメリカと共同で作ろうなんてほざいてるらしい
日本は、史上最悪な非道な兵器、原爆を落とされた国だよ
何百万人も犠牲者出した国だよ。戦争なんか二度としない
って懲りた国だよ。国同士で殺しあうなんて、とことん愚かな
ことだと身に染みた国だよ。それが、戦争で使う人殺しの道具
を作る訳が、無ねぇっつうんだよ。な?


あ…実は、作ってるんですよ

へ?

以前は64式小銃を…今は、その後継の89式小銃を
日本企業が生産してるんです


なんだ?小銃って、殺しの道具をか?許せねぇ!
その、作ってる奴の住所教えろ。すぐに警察に通報してやる!


いや、通報しても無理ですよ。なにせ、政府から
許可を得て作ってるんですから


あーっ? き、許可って、なんだ? まさか日本が
殺人道具作るの許してるってのか?つまりは何か
人殺しの片棒担いでるってことか!?そんなこと
俺は聞いてねぇぞ! 冗談じゃねぇ。そりゃあ
とんでもねぇことだ!


他にも色々作ってますよ。戦車や空対空誘導弾
短距離地対空誘導弾…。対戦車誘導弾もありますね
それに滑空砲。榴弾砲。自走迫撃砲。水際地雷敷設
車や対戦車ヘリ。多連装ロケットシステムなんかも
開発しましたね。全て日本の有名大企業です…


下手な国の軍需産業、真っ青じゃねぇか…

ただ、武器輸出三原則という法律がありますから
北朝鮮などの共産圏や国際紛争の当事国、国連で
武器輸出禁止国に指定された国には、日本製の武
器は輸出できないことになってます


だから何だって言うんだ?

いえ、ですから…

北朝鮮に売らなけりゃいいって話か?
西側なら売ってもいいって話か?
西側がその武器使って北朝鮮の市民を
殺しても、いいって話か?
北朝鮮の親方は嫌いだけどよ、市民は俺達と同じ
普通の人間だろ。殺していい市民なんて、この地球上にいるのか?
いる訳無ぇだろが。それによ。西側の武器商人が
北朝鮮の親方に売らない保証なんてあるか?
人殺しの道具売って儲けてる奴らだぞ。信用ならねぇだろ?
そんなナントカ三原則なんてもんは
詐欺師の手形と一緒だ。無いも同じだ
全くフザケやがって。何やってんだ、世界の政治家は
口では平和を言いながら、家では人殺しの方法考えてやがる
そんな平和があるか!紛争を終わらせるために「相手の市民を殺す」?
何矛盾したことやってんだ!何が「平和維持軍」だ。「殺人部隊」じゃねぇか!
ヤクザやマフィアより悪質だぞ!
一体、人を殺すために幾ら使ってるんだ
全部、国民の税金だぞ!俺達に人殺しの片棒担がせるんじゃねぇ!
平和を考えるってのは、誰も死なない方法を考えるって
ことじゃねぇのか!誰もが食える世の中にするのを考えること
じゃねぇのか!勉強したい奴に、ありったけの教育を受けさせる
方法を考えることじゃねぇのか? どうなんだ?
誰か納得のいく説明しろ!
責任者出て来い!
おい! 責任者で… 

ブチッ   うっ…
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ラッキー? or アンラッキー?

2011年10月16日 02時05分06秒 | Weblog

米国で「最もラッキーな都市」は“カリフォル
ニア州サンディエゴ”だという。米国の男性雑
誌「メンズ・ヘルス」にあった記事だ。その選
ばれた理由が“全米100都市のなかで、宝く
じの当せん率やゴルフのホール・イン・ワン達
成率がもっとも高く、落雷件数や落下物による
衝突死がもっとも少ない”からだという

統計で、宝くじが当たるなどの幸運が多く、天
災や人災などの事故が少ないとなれば、やはり
「ラッキーな都市」となるのだろうが、問題は
その期間だ。100年間の統計でラッキー度が
高かったならば、それは頷ける結果と言えるが
1年、もしくは数年の統計なら“偶然”と言え
なくも無い。その統計の期間を雑誌は明らかに
していない

似たような事は日本でもある。いわゆる“パワ
ースポット”なる場所だ。以前、その場所に関
わったことで“元気になる良い事”“幸運を招く
事”があったとかで、木や石や池や山や川など
が「有難い」とされているのだ

しかし、これも統計的には曖昧で、ハッキリ言
って胡散臭い。その場所に“賽銭箱”が置かれ
たニワカ神社や、お土産屋などが並んでいると
ご利益も、商売のための作り話に思えてくる
「イヤイヤ、ご利益があるから人が集まってき
て、その人たちを相手に商売しているのだ」と
反論されそうだが、鶏が先か玉子が先かの話だ

ともかく、もしもその場所で“良い事”があった
としても、それは場所が招いたのか証明できない
し、その場所で100年ばかり統計を取ったなら
果たして本当に“パワースポット”足りえるか大
いに疑問だ。観光客が多く集まったおかげでスリ
や窃盗などの犯罪が増え、観光客の乗ったバスが
転倒事故を起こすこともあり得るだろうし、統計
的に結果として「事故や犯罪の多い場所」となる
可能性は高い。そうなると、もう“パワースポッ
ト”ではなく、“災いの地”だ

後世の歴史家は、その現象を見て「結局、良いこ
とも悪いことも、原因は場所やモノではなく、人
にあった」と結論づけることだろうし、そもそも
何がパワースポットだ、と言いたい

こう書くと、なんて偏屈、へそ曲がりな奴と思わ
れそうだが、ありもしない絵空事に浮かれ、ラッ
キーだのアンラッキーだのと毀誉褒貶(きよほう
へん)、八風に冒されて右往左往している輩より
偏屈なへそ曲がりの方がナンボかいいのだ


因みに、先の雑誌だが、「最もアンラッキーな都
市」として、“ウェストバージニア州チャールス
トン”を挙げている。落下物の衝突による死亡率
が最も高く、宝くじの当選者もいなかった、のが
理由だが、その土地にこそ、僕は訪ねてみたい

街の入り口に「全米一のアンラッキーな街によう
こそ」の看板を作れば、面白がって全米から人が
集まり全米一観光で潤う街になる、かも…ね

そうなると、もはや“アンラッキー”ではない
要は、“こちら”次第なのだ
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「ビックバン」説が大勢な訳

2011年10月15日 07時16分22秒 | Weblog
 
宇宙が出来る前の“無”の世界に、超高温度で超密度の
“宇宙の源”の小さな1個のボールがあった

それが137億年前、突如として爆発した

爆発したボールは細かいチリとなって膨張し、その後
膨張しながらもチリは集まり銀河となり、それが集まり
宇宙を形作った。今も、光速に近い速さで宇宙は膨張する

有名な「ビックバン理論」だ

そのビックバン以前はどうだったかというと「不明」で
あくまで「ビックバン」が宇宙の“始まり”と説明する
そして今後の宇宙は、このまま膨張を続けるのではなく
「いつかは収縮して“終わる”」と考えられている
「初めがあり、終わりがある」…というのが、今の
“常識”となっている

主に西洋諸国の学者は、この説を支持する根本に
“直感”が働いているようだ。勿論、支持する理
屈は色々とあるのだが…

しかし、この「ビックバン理論」、つい最近まで
学者の間では歯牙にもかけられていなかった説だ
事実、アインシュタインも、宇宙に初めがある
というこの説を「馬鹿げている」とまで断じた
「それは科学ではなく、宗教上の戯言だ」と…

そう、今は常識となっているこの説の根は
実は彼ら西洋人の信じる宗教にあるのだ
それが“直感”として考えに影響している

“初めがあり、終わりがある”
“無から宇宙は創造された”など
聖書の元とされるユダヤ神話にある話だ
子供の頃から聖書と密接に関わった西洋人が
この発想から抜け出せないのも理解できるし
宇宙膨張は、“始まり”を裏付ける証拠と
飛びついたのも判る

そして、その理論が今の主流になっている
数十年前とは全く逆の学説が主流になったのだ

学説の振り子現象といえるが、この説が主流に
なってきたのと、キリストやイスラムの世界で
聖書を原典通りに捉えるべきとの原理主義が台
頭してきたのと時期を一にしている点が興味深い

世界では、ユダヤ、キリスト、イスラム教徒が
圧倒的に多い。当然、学者たちの信奉する宗教
分布も同様だ。彼らの発想の土壌に、それら
宗教が深く影響しているのは当然だろう

しかし、だ
宇宙が誕生したとされる同時期には存在して
いた巨大天体ヒミコなどを上げて、ビックバン
理論は宇宙の一部を捉えただけで全体の説明に
はなっていないとする学者もいる
その多くが、仏教徒やヒンズー教徒だ
彼らの思想背景には「始まりもなければ終わり
も無い」「宇宙・生命は輪廻する」という仏教
ヒンズー教思想がある

宇宙膨張とは別に、新たな発見があり、学説の
振り子が再び逆に触れ、ビックバンが否定される
可能性も無ではないが、この宇宙起源に関する学
説の戦いを宗教戦争とみるのは僕だけだろうか…
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デモも良いけど…でも…ねぇ

2011年10月14日 06時45分34秒 | Weblog

初めは世界都市NYのウォール街からだった
それが欧州など世界の主だった都市に飛び火し
遂には、今月15日には、「Occupy Tokyo
(東京を占拠せよ)」のチャッチフレーズで
それが東京にも起こるという

世界的規模の“反経済格差デモ”だ

一部富裕層による富の独占や、長引く深刻な不況による失業
と貧困スパイラル。それに対する不満、怒りが、若者を中心に爆発した

彼らの怒りの矛先は、貪欲に利益のみを追求する金融機関や
大企業経営者だけではなく、それを律さない政府、そして
社会全体にも向けられている。本来、金融などの経済活動は
“人間のため”であったはずだ。それが、人間の幸福のため
という目的を忘れ手段が目的化した結果、今日の世界的大不況
大混乱を招いてしまった

だが、当事者たる多くの経済人は
その“一凶”に気づかい振りをしている
それは、彼らの受けた教育に起因していると思う

彼らが親や教師から教わった人生の目的が
「功なり名を遂げる」「栄誉栄達」なのだ

「いかに人々を幸せにできるか」
「社会や国、世界に貢献するか」更に「自分の居る
 地域を、社会を、国を、そして世界を
 どうしたら住みよく平和にできるか」
という発想が皆無だ

今から彼らに、そのことを言っても
残念ながら改める可能性は低い
いくらデモで叫んでも彼らには
「うるさいハエの群れ」程度にしか思わないだろう
防音の窓を閉められれば抗議の声も届かない

だからデモは無駄…とは言わないが
社会を変える確かな行為とも言えない
特に日本では、権力側に抗するデモは
民衆さえ内心では快く思わない傾向がある
まあ、江戸時代からの「体制に飼いならされる」
という癖が抜けていない証拠なのだが…

時間はかかるが、デモより確実に社会を
変える方法がある。まず、自分が変わることだ
「いかに人々を幸せにできるか」
「社会や国、世界に貢献するか」更に「自分の居る
 地域を、社会を、国を、そして世界を
 どうしたら住みよく平和にできるか」
という自分に変わる事だ

「栄誉栄達」は、それが好きな奴に譲ってやろう
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備忘録 山本周五郎曰く

2011年10月13日 00時21分29秒 | Weblog
 
「人間が一度、自分の目的を持ったら、貧窮にも屈辱にも
 どんなに強い迫害にも負けず、生きられる限り生きて
 その目的をなしとげることだ。それが人間の最も人間らしい生き方だ」
コメント (2)
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