「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

暑い日のラーメン 「上町 燈灯亭」

2017年07月29日 12時22分29秒 | Weblog

暑い!



こんな暑い日に 熱いラーメンなんて…
と思ったが、前々から気になっていたので
つい入ってしまった

世田谷通り 上町近くの
「燈灯亭」だ



家系や二郎系とは異なる
オジサンの胃に優しい
サッパリした魚介系の味わい

美味かった

しかし汗が止まらない…

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人を馬鹿にする人ほど能力が低い

2017年07月27日 13時02分36秒 | Weblog

世界屈指の名門コーネル大学のダニング博士と
クルーガー博士の研究によると、論理的な思考
力、理解力の高い人ほど、自己の能力に対して
過小評価する傾向が高いという
つまり、自分の事を、それほど「頭が良い」と
は思っていないのだ。逆に、思考力、理解力等
が低い人ほど「自分はできる」と思っているら
しい。どうしてそうなるのか。両博士は言う
「①能力が低い人は、能力が低いがゆえに、自
分がいかに能力が低いかを理解できない」
「②能力が低い人は、他人のスキルを正しく評
価できない」
「③だから、能力の低い人は自分を過大評価す
る傾向にある」のだ、という
(ダニング=クルーガー効果)
いるよねぇ~。例えばウチの課長」等と、自
分を棚に上げて他人を評価する人も、「能力の低
い人」だ。これを「バイアスの盲点」と呼ぶ
一般に、他人を低く評価する人、「自分以外馬鹿
ばかり」と思っている人の多くは、能力が低い
という結果が出ているらしい
歴史を振り返っても、世間を見回しても、不遜
な人間、傲慢な人間に限って、教養がなく、能
力が劣っていると感じるのは自分だけではない
と思う。教養があり常識があり能力の高い人ほ
ど謙虚であり、決して人を馬鹿にはしない

その点、自分はどうか
特に運転中、他のドライバーの操作に対して
「下手くそ!」と車内で毒づき、ノタノタし
ている女性ドライバーには「運転止めろ!」
「下手くそのくせに、大型ベンツ乗ってんじ
ゃねぇ!」と怒り狂っている。全く、無教養
で紳士じゃない。道は遠い…
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二階俊博幹事長「批判に耳貸さぬ」

2017年07月26日 16時30分20秒 | Weblog

自民党の二階俊博幹事長が
大阪市内での研修会で

「自民党がいろいろ言われていることは
知っている。そんなことに耳を貸さないで
頑張らなくてはいけない」と


いやいや、それは傲慢の極みでしょう
「それを言っちゃあ お終いよ」
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「そんな学説、信用せぇへんでぇ!」

2017年07月25日 16時12分43秒 | Weblog

想像も出来ないくらいの巨大エネルギーが
一点に凝縮し、それがある瞬間に大爆発を
起こし、凄まじいスピードで膨張した…
いわゆる「宇宙の起源・ビッグバン」だ

じゃあ、凝縮した一点の前は、どんなん
だったの?
これは、幼い頃からの疑問だったが、天文
学の世界でも大きな課題だったらしい
それが最近、新たな学説が発表されたという
ビッグバン以降、加速度的に膨張を続けた
宇宙は、その終局において限界を迎えた時
収縮を始める。そして、数兆年かけ無限小
の点にまで収縮すると、再びビッグバンを
起こし宇宙が創造される…というもの
つまり「宇宙の生と死」だ
この「生と死」が永遠に繰り返されている
というのだ。正に輪廻転生だ
この説が正しければ、「宇宙には始まりも
なければ終わりもない」ことになる

それは一体どういうことか…?
「サイクリック宇宙論」と名付けられた
この学説が正しいとすると、まず「絶対
的な始点」を前提にした〝一切の創造者
である最高存在(つまり神)〟を立てる
必要がなくなる。宇宙を創ったとされる
神様がいなかったことになるのだ
これは一大事!
我々が信じていたのは、人が創った想像上
の「ハリボテの神」ということになるからだ
進化論を未だに否定するキリスト教原理主義
の信者のみならず、多くの一神教信者は怒り
を込めて言うはずだ
「そんな学説、信用せぇへんでぇ!」
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新聞の思想

2017年07月25日 13時29分41秒 | Weblog

今回の加計問題を新聞各社は取り上げているが
その切り口、スタンスは、見事に各紙の思想を
浮き彫りにしているのが面白い

「読売」は、前川喜平前文部科学事務次官が
「出会い」系のナンチャラに通っていたから
「信用ならない」との報道を流した。「だから
奴の言うことは信じるな」と暗に臭わせた
まあ、僕から言わせれば節操もない〝権力擦り
寄り〟新聞。〝政府御用聞き〟新聞で、思想
らしきものもなく、それこそ信用できない
「サンケイ」も同じく、加戸守行前愛媛県知事
の「前川氏は想像を全部事実のように発言して
いる。精神構造を疑う」との言葉を全面肯定
〝右〟政治にイチャモンをつける前川氏を批判
している。自分たちが右思想だから当然か…
民主党への政権交代前に、テレビの生放送や
新聞などで「民主党にやらせてみましょう」と
声を限りに叫んでいた与良正男記者のいる
(その後の民主党の酷すぎる政治に対しての
彼の反省の弁を聞いたことはないが…)
「毎日」は、前川氏の間違い発言にも甘く
「とにかく安部が嫌い」の〝やや左〟思想が
色濃く出ているし、「朝日」はご存じの通り
〝左〟切り口が鮮明だ

同じ事柄でも、思想的見方によって180度
異なる記事となることも多い。それに加え
(これは私が何度も見聞きしてきたことだが)
記事を書く記者の傾向性(話を盛る。少しアレ
ンジして劇的にする。注目を集めるため嘘を入
れる
)によって、内容は全く違うものにもなる
(よくUFOを見たり、水子や背後霊を信じ、時折
幽霊を見る記者は要注意だ)
シロが時にはクロにもなるのだ

これは新聞だけに限らない。週刊誌は当然のこと
テレビの報道も御多分に漏れない
そういう、いわゆる〝マスコミ〟を鵜呑みにする
のは、伝言ゲームで出てきた最終回答を信じると
同じく、危険きわまりない
だから「ご用心あれ」と申し上げたいのだが…

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腐敗国家

2017年07月23日 14時45分03秒 | Weblog

人間の鼻は鈍感に作られているという
例えば家庭内に漂う独特な臭い。そこ
を訪れた客は、敏感にその「臭さ」を
感じ取る…が、1時間、3時間、そし
て1日いると、その臭いは感じられな
くなる。臭いが消えたわけではない
それに慣れてしまったのだ

同じく、人間(特に日本人)の倫理観
や正義感も、次第に薄まり、最後には
現状維持や肯定に流されていくようだ

それに抵抗し、いつまでも「この部屋
は臭い」と言い続ければ、その人は煙
たがられ、終いには拒絶される
倫理や正義に関しても同じ事が言える
が、「言い続ける」人が絶えれば、その
共同体の倫理は崩壊し正義が否定され
どんどん腐敗していく。その末路は破
滅だ。過去、絶大な興隆を誇ったシュ
メール文明も、ある日、忽然と消え去
った。原因のひとつに、倫理の崩壊と
思想の乱れを指摘する学者もいる

人間社会に於いては、目に見えない
この「心根」が全てを左右するとは
哲人の言葉だ
「ただ心こそ大切」なのだ

「嘘をつく」「誤魔化す」という
実に小さく単純な悪が、友情を壊し
家庭を離散させ、会社を潰し、巨大
な国家さえ崩壊させる

だから周囲から嫌われ、疎まれ、遠
ざけられようと、公人や行政や為政
者に向かい「嘘をつくな!」と言い
たい。「君たちの嘘は、我が身、会社
共同体、そして国家を守るためとの
言い訳を掲げているが、結果は全く
逆になる事を知るべきだ」
「嘘、誤魔化しは、国民への最大の
侮辱だ。考え直せ。君たちの主君は
誰だ? 総理でも大臣でも局長でも
ない。国民だ!」
「君たちの嘘が国家を腐敗させ崩壊
させる。嘘をつく君たちは、国家を
潰す大罪人だ」
日本を独裁国、共産国のような、腐
敗国家にするな…

と…国会に向かって叫んでいる夢を見た

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朝の吉祥寺

2017年07月18日 13時01分30秒 | Weblog

午前9時過ぎの吉祥寺

凄い、朝からラーメン屋がやってる…



って言うか、24時間営業なのね



ついつい、ラーメン屋に目がいく



で、結局 時間まで待って 食べてしまった
コレステロ~ル パンチッ!



牛メンチで有名なお肉屋さん



ここのチャーシューも有名
で、結局買ってしまった

昼夜、チャーシュー・パンチ!
コレステロ~ル Wパンチッ!

ま、明日から節制しよう…
できるかな? ポツリ
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「Hillbilly Elegy ヒルビリー・エレジー」を読んで…

2017年07月17日 14時35分11秒 | Weblog
以前から漠然と思っていた事だが
この「ヒルビリー・エレジー」に
そのことが直球で書かれていた
すなわち「米国における貧困」「ま
たは衰退」の原因は、〝周囲の人が
なんとかしてくれるべきだ〟と考え
ている点、と指摘している
自分の人生なのに、自分ではど
うにもならないと考え、なんでも
他人のせいにしようとする
〟思考
回路にある、というのだ

勿論、米国の貧困層の人たち全員
がこういう思考回路ではないだろ
うが、大なり小なり「他人のせい」
にしている事が多い
(その筆頭が現大統領だが。とい
うより貧困層を代弁するポーズで
彼は得票を得た。自身は世界有数
の金持ちなのだが…)
そういった思考回路になった最大
の原因がキリスト教にある、と言
うと大いに反論はあろうが、この
事は私だけではなく、ハーバード
大学のクリストファー・クイーン
博士も述べている
「神が全てを造り、人間の運命も
神に委ねられている。キリスト教
世界に育った私は、それを信じ、宗
教の神髄は神を信じ、祈りを捧げ
ることにあると信じていました
神に祈り、天国に行くことばかり
を望む…。それが信仰と思い込ん
でいたのです」と
キリストの復活と同じく、祈りを
捧げていれば、いつかきっと〝神〟
がなんとかしてくれる…。(キリ
ストの復活を持ち出した意図は
それは永遠にあり得ないと私が
思っているからだ)
最後は天国に行かせて貰える…
徹底的に神任せの考え方は、カソ
リック、プロテスタント等の宗派
に関係なく、熱心な信者ほど心の
奥底に染みこんでいるという
「何処かの誰かが、なんとかして
くれる」という思考が、負のスパ
イラルから抜け出せない最大の原
因だったのだ
(「ラストベルト」の住民は、〝彼〟
に期待を掛けたが、住民の一人一人
自身が変わらない限り、期待は裏切
られる結果となるだろう)
そろそろ、その(神任せは間違って
いる)ことに、気づいてもいいと思
うのだが、そういう思考にならない
のも「子羊」だからか…?
この方程式はイスラム諸国にも共通
する。石油が採れる一部の国家には
「貧困」「衰退」は無縁と思われるだ
ろうが、実はそうはいかない。石油は
無限ではないからだ(事実、危機感
を抱く石油産出国は多い)
イスラム教信仰者の「身勝手な信仰
解釈」を止めない限り、紛争の歴史
は終わらないだろう

「何処かの誰かが、なんとかして
くれる」

実は、この思考回路は日本人の多く
にも見られる。特に「神道」系や
「念仏」系の信仰者に多い。その説明
は簡単だ。「神道」はキリスト教原理
主義と共通した〝神話〟をベースに
した原始宗教で、「神」が全ての采配
を握っていると考えているから、その
思想は「なんとかしてくれる」思考に
なるのは当然だ。「念仏」は、この世は
辛く厳しいが、死んだら極楽に行ける
と説いている。つまり、現実逃避宗教
だから、何もかも諦め、流され、なる
ようになる。いよいよになったら「誰
かが、なんとかしてくれる」となる

つまり、「負のスパイラル」の原因は
思想・信仰にあるのだ
もし仮に、「ラストベルト」の住人の
多くが「世間が悪いと嘆いても何も変
わらない。自身の幸せのために、自分
をどう変えていくか。人生をどう変え
ていくか。そのために、今何をすべき
か」という思考回路に切り変わったな
らば、人生の折れ線グラフは、急激に
上向いてくるに違いないと思うのだが…

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「終活」は「〝生〟活」

2017年07月13日 16時39分06秒 | Weblog

少し前から「終活」が話題になっている
自分が死んだ後の事を、あれこれと心配し
色々な手続きを済ませておく「活動」らしい
それも大事だが、もっと大事な事がある
それは「いかに生きているか」ということ
「前向きで賢明な生」があって初めて
「賢明で安心できる死」が訪れるはずだ

死後に関しては、軽々な事は言えない
ある人は「無」と言うし、ある宗教では
「天国(極楽)や地獄」「神の国」での
永遠の生を得られると言うし、あるカルト
では「七人の処女を与えられる神の国」
で生きられると喧伝しているが、誰も
その「後」を見た人はいない
誰かが「ただ言っているだけ」だ
まあ、大きな声では言えないが
「七人の処女を与えられる」と言うが
処女も関係を持てば、もう処女ではない
口うるさい(し、失礼…)女が七人も
常にそばにいてガミガミ文句を言われるのだ
これは、もう「天国」とは言えない
完全なる「地獄」だ
また、女性が「七人の処女」を貰って
どうするのか…? そもそも女性は天国
に行けないのか? もし行けるとしたら
代わりに「七人のチェリーボーイ」を貰うのか?
それは、一部のマニアックな女性を除
いて、皆、御免こうむるだろう
ともかく、そんな〝低俗で幼稚〟な天国は
常識で考えて「見なくとも」あり得ない
のは判る
まあ、死んだら「こうなった」という
レポートが出ない限り、「嘘が横行」の
世の中であることは間違いない
それにつけ込んで、詐欺師が跋扈する
それに騙されてはいけない
「賢明に生きる」のだ
「死後を説く」輩は、まず疑う事だ
彼らは「死」を体験していない
何故なら「生きているから」だ
臨死体験は死後の世界ではない
あれは、あくまでも「脳の活動」だ
そんなことより、「いかに生きるか」
を追求する哲学こそが、生きている
我々に必要だ

ちと話がそれた

小説家・山田風太郎(1922~2001)の著作に
人間臨終図鑑」というのがある。古今東西の
著名人の死に様を記録した名著だ
それを読んでいると、実に興味深い

例えば、アル・カポネ。誰もが知る
ギャングの帝王だ。イタリア移民の
子で、165センチと小柄だった
20年代の禁酒法時代に悪の限りを尽
くし、殺した人間は数限りない
32歳の時に、アンタッチャブル
すなわち脱税で検挙され11年の
懲役を食らう。服役中、梅毒が
進行し意味不明な事を言うよう
になる。出所後、卒中や肺炎で
苦しみ、48年の人生を閉じた
現役時代、巨万の富を手にした
カポネだったが、晩年は無一文
だった…

「風と共に去りぬ」の著者マー
ガレット・ミッチェルは、元々は
地方紙の記者だった。電力会社社
員の夫のジョンと結婚後、記者を
辞め家事に専念。その合間に、ア
メリカ南北戦争を題材とした壮大
な物語を書き始めた。27歳の時
九年後、完成した物語は世界中で
記録的なベストセラーとなる
物語に流れる〝愛〟が読者の心
を打ったのだ。その後、彼女は
作品を書くこともなく、莫大な
印税だけで暮らした
それから14年後、夫と共に映画
館に向かう途中、酔っ払い運転の
車に突進され、彼女は反射的に
夫から離れ、一人で歩道に戻ろ
うとしたが、車は夫を避けようと
ハンドルを切り、結果、彼女の方
に向かい衝突。彼女は49歳の生
涯を閉じた。夫の側を離れなかっ
たら、彼女は死ぬことはなかった
ろう。自らが書いた「風~」の主
人公のように、〝愛〟に生きてい
たならば…


中国の黄帝時代から前漢の武帝まで
の通史・百三十巻の大著「史記」を書
いた司馬遷は、漢帝の書記官だった
「史記」を書き始めた頃、親友の李
が部隊長として戦に赴いていた。李
は勇敢にも敵本陣に深く攻め入った
が、逆に攻められ全滅状態となる
李は敗戦の責任を問われたが、司馬
遷だけは彼を擁護した。それは責任
を問うた将軍への非難に通じる
武帝の怒りを買った司馬遷は、死罪
か宮刑(男根切除)を迫られる
なんとしても「史記」を完成させた
い司馬遷は、死よりも屈辱の宮刑を
選び、周囲の嘲笑のなかで仕事を続
けた。46歳の時だ。それから約10年
後、遂に「史記」を完成させ、それか
ら四年後に病死する。数ある歴史書の
中で、「史記」は時の権力に偏らない
〝真の歴史書〟として、未だに賞賛さ
れている

古来、仏教において肉食、妻帯は厳禁
である。一度の〝よう犯〟(女性との
関係)でも許されなかった鎌倉時代に
何人かの妻を持ち、子供も数人いた破
戒僧がいた。親鸞である。生前の彼は
たいした注目も浴びず、晩年は息子の
善鸞に裏切られ、失意のうちに89歳で
死んだが、彼の臨終を見た末娘が、不
安を母親に書き送っている。その内容
とは「生前、父は〝自らが入寂する際
は、確かな奇蹟が起こる。例えば釈迦
の入寂の時、大地が振動し天空に白い
虹が出たように〟と言っていたが、何
も起こらなかった。本当に父は浄土へ
行ったのか」と…。そういえば、彼の
師である法然が死んだときも、何の奇
蹟もなかったと、記録にはある
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禍福は糾える縄の如し (再)

2017年07月09日 14時45分00秒 | Weblog
禍福は糾える縄の如し

【災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた
縄のようにかわるがわるやって来るものだ。不幸
だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っ
ていたことが不幸に転じたりする。成功も失敗も
縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化する
ものだということの例え】出典『史記・南越列伝』


「良いことがありますように」
「悪いことが起きませんように」

今年も新年に、多くの参拝客が神社仏閣を詣でた
その中の多くが、「良いこと」の訪れを願い「悪
いこと」の回避を願った。心情はよく理解できる

アジア人、とりわけ日本人の信仰の姿勢が現れて
いる。また、巫女らアルバイトが社務所の奥で作
った神籤(単なる確率)の吉と凶に一喜一憂した
ことだろう。それら背景にある精神土壌とは何だ
ろう。雨が降ったら「雨だ」と嘆き、日照りが続
けば「雨が降らない」と悲観する。突然襲ってく
る災害や事故、そして病に怯え、会社の倒産やリ
ストラに内心ビクビクしながら生きている
だから、実体があるかないか不明な神仏にすがり
「良いことばかりがありますように」「どうか悪
いことが起きませんように」と祈るのだ



「良いことがありますように」
「悪いことが起きませんように」
幼いの頃、それはいつも願いの中心だった

僕が小学校に上がったとほぼ同時に、両親が
離婚した。長男の僕を筆頭に妹、弟2人の
4人兄弟は、父と母にそれぞれ引き取られ
また養子に出された。そうして4人は離れ
離れになり、父に引き取られた僕と妹は仕
事の続かない父のせいで転校を繰り返した
転校のたびに、新しい級友と関係を作ろうと
したが大抵は失敗し、その結果として苛めら
れた。ある冬、数人の級友に拳で顔面を殴ら
れたことがあった。鈍い音が鼻骨から聞こえ
た。鼻血が止まらなくなり、雪道が広い範囲
で鮮血に染まった。それを見た級友たちは一
斉に走り逃げた。家計を思い医者へは行かな
かった。数日間、痛みと腫れに苦しんだ。明
らかに腫れあがり変形した僕の顔を見た父が
「大丈夫か」と訊いたが、僕が「平気」と答
えると「そうか」と言ったきり口を閉ざした
父も、病院代を気にしていると感じたその時
の僕の直感は、おそらく当たっていただろう

家では、父からも虐待を受けていた。毎日の
ように、拳で理不尽に叩かれた。人は暴力を
受け続けると、心が次第に壊れてくる。振り
返ると、当時の僕の精神は明らかに異常だっ
た。例えば笑うという行為にもそれは現れた
笑い方が尋常ではなく激しいのだ。痛みを感
じた幼児の泣き方を「火がついたような」と
表現するが、当時の僕の笑い方は「火がつい
たような」笑い声を上げ、それがいつまでも
続いた。皆の奇異な視線を感じつつも、笑い
が止まらなかったのを覚えている
(その壊れた心の後遺症は、実は最近まで引
きずっていたように思う。未だに「マトモに
なれた」感はない…)

ある日、父がまた仕事を辞めた。家に閉じこ
もるようになった父は酒を飲み続けた。そし
てアル中になり、入院した。一時的に僕らは
遠い親戚に預けられた。再び一家が離散した
悲しみよりも、父の暴力から開放された安堵
の方が大きかった
その親戚の家では食べ物をロクに与えられな
かった。ある日、親戚が指で摘まんでヒラヒ
ラさせた一枚のハムを貰うために、犬のよう
にワンワン吼えることを強要された。空腹だ
った僕は…小さく吼えた。それを見て親戚は
笑い転げた。僕は懸命に犬の真似をしたのだ
が、結局ハムは貰えなかった。恥ずかしい行
為をした後悔だけが残った
その後、僕と妹は、孤児院に送られた。生活
は完全に規制された。なんだか収容所に入っ
た気分だった

母に会いたかった。夜、布団の中で母を想い
泣いた。妹も辛かったと思うが、彼女に配慮
する余裕が無かった。その妹とも、15才の時
に別れて以来会ったことはない
その後、本当に偶然に再会した三番目の弟から
妹の話を聞いた。彼女は僕と離れてから住み込
みの仕事に就き、働きながら夜間高校に通った
そこで知り合った男性と結婚したが、子供が産
めないことが判り、男性の母親から石女(うま
づめ)と罵られ、離縁されたという
その後、再婚したらしいが、弟の話はそこで終
わっていた。妹の不幸に泣いた。何もできない
自らの力の無さに地団太踏んだ

弟とも、それ以来会っていない。もう30年近く経つ
養子に出された末の弟とも6歳の時以来会っていない

父とも15才のとき以来会っていない。父は精神を
病んでいた。入院している父の目の下には黒々と
した隈があった。鬼のような形相だった。恐ろし
くて正視できなかった。あれから30数年、既に鬼
籍に入っているのかもしれない
母とは19才のときに再会した。母が住む世田谷の
小さなアパートを訪ねた。そこには、若かった母
の面影だけ残した母と、大工をしているという再
婚相手、そして7歳になる“妹”がいた
結局、母は、合計5人の子供を産んだのだ
会いたくてたまらなかった母の前で、僕は号泣した
泣きながら深い安堵感を覚えた。ようやく母の前に
辿り着けた、と。だが、そんな僕を前に母は呟いた
「この子、なんでこんなに泣くんだろう…」
僕の心が一気に冷めるのが判った

母とも“妹”とも、それ以来会っていない

子供の時から「不幸がこない」ことだけ祈って
いたが、皮肉なことに不幸に翻弄され続けた
「良いことがありますように」
「悪いことが起きませんように」
子供の頃、何度もそんな風に願っていたのだが、願
いと正反対のことばかりが訪れるのに気づき、いつ
の間にか反対の祈りをするようになっていった
「不幸になりますように」と…
そう願えば、反対の結果である幸福が訪れるように
思ったのだ。それも中途半端では決して祈りは通じ
ない。強く祈らねばと自らに言い聞かせ「不幸」を
心の奥底から願うようになっていった

皮肉なことに、その願いは叶い続けた…


幸とは何だろう。そして不幸とは何だろう。いつの頃
からか、そんな哲学的問いかけをするようになった
両親が離婚したから不幸になったのだろうか。離婚し
なかったら幸福だったろうか。僕の場合、貧しいから
不幸だった部分は大きいが、では金持ちは不幸ではな
いのだろうか
経済的事情から満足な教育を受けられなかった僕は社
会で差別的扱いを受け、屈辱を散々味わった。高学歴
の人には思いもよらない不幸なのだが、では有名大学
院を卒業した人間は不幸にならないのか
誰もが病気になったら不幸と感じる。健康は幸せの大
事な要因だ。では難病を抱えていたり、体が不自由な
ら幸福ではあり得ないのか

裕福な家庭に育ち、容姿端麗、五体満足健康で、両
親も揃い、国立の大学を出て大企業に就職。更に美
貌の妻を娶り会社でも重役コースに乗っている人間
だとしても、実は最大の不幸が待っている

それは「死」だ

死は不幸の代表ということに殆どの人は同意するだろう
どんな人間でも、残念ながら最後には必ず死ぬ。死が最
大の不幸とすれば、誰もが人生の最期に最大の不幸を迎
えることになる。「どうか死にませんように」と願っても
それは絶対に叶えられることはない
人は最大の不幸に向かって生きている。つまり、人間は
結果的に、絶対に幸せにはなれないことになる。人生と
は本当にそんなものなのだろうか。そんな空虚なものな
のだろうか。色即是空が本当のことなのだとしたら、生
きている意味はなんなのだろう
最期に待っている最大の不幸に戦きながら、刹那的な快
楽を追い求める生き方しかないのだろうか

そもそも、生まれてきたのが不幸なのではないか
この世に生まれるずっと以前から自分が抱えている
“不幸のタネ”が、誕生とともに発芽し、それが現
象となって人生のあらゆるところに現れていく…
だから、どんなに「不幸が来ないこと」を祈っても
自らが“不幸の根源”なのだから詮無きことなのか
もしれない
だが、達観に似た、実は諦めのこの思考は、人を幸
せにするだろうか。負のベクトルからは決して幸福
は生まれないのではないだろうか

人間は誰しも幸せになりたいはずだ。だが、心の底
を掘ってみれば、実は負のベクトルが隠れているの
ではないだろうか。それが自らを不幸に向かわせて
または呼び込んでいるのではないだろうか。子供の
ときの自分のように

最近、その負のベクトルの正体を見たような気がし
た。その正体とは、実は「不幸への恐れ」「弱さ」で
はないかと…

そんなことを考えているうち、唐突に、地球の生い
立ちを思った。いまから数十億年前、宇宙に漂って
いたガスが互いに引き寄せられ、固まりとなり、塊
が重力を生んで更に固まり、固体となった
固体の中心部では、すさまじい重力で加熱した核が
マグマとなり、惑星に気温をもたらした。そのマグ
マが地表に噴出した。熱いマグマに地表は悲鳴を上
げたが、マグマのおかげで地形の隆起が出来、気体
が生まれ気流が作られた。同時に、固体となった惑
星に、多くの流れ星が被弾するようにぶち当たった
惑星は痛みに泣いたが、それでも耐え忍んだ。激痛
を与えた流れ星だったが、それは多くの物質を宇宙
から運び込み、豊穣な土壌の基を提供した…やがて
水が生まれ草木が発芽し、生物が誕生して、その惑
星は「地球」となったのだ

地球は不幸だろうか。宇宙は、不幸と不安のカオス
だろうか。そして宇宙を貫く“生命”の根幹は、不
幸だろうか。地球の誕生だけとっても、それとは逆
の、とてもつもない「強さ」を発見する。その強さ
は「幸福」の旋律で満ちている
地球は、宇宙は、激動する変化に立ち向かい勝利を
重ね続けている。その姿は幸福に満ちていると感じ
るのは僕だけだろうか
宇宙の根幹は「不幸が来ませんように」とは正反対
の「不幸なにするものぞ」「必ず打ち勝つ」という
力強い生命力に満ちているように思える。だから宇
宙は誕生し、地球が生まれたのだ

地球の誕生、宇宙の成り立ちと、自分を重ね合わせ
ると、今までの行き方が間違った姿勢だったように
感じる。「不幸が来ませんように」という弱気な姿
勢こそが不幸の根であり、不幸や災いに打ち勝つ姿
勢、乗り越えてやるという強い姿勢こそが「幸福」
を呼び込む核なのではないかと思うのだ
第一、“苦難”を嫌い、“身に甘い”ことばかりを
願う生き方の末に出来上がるのは、精神的に未熟な
甘ったれで弱虫の人間だ

だから僕は、ある時期から
「良いことがありますように」
「悪いことが起きませんように」と願うのではなく
「何があっても一喜一憂しない、負けない自分、強
い自分に」と願っている

それ以来、編む縄のように禍福が交互に訪れ
または禍ばかりが続くが、歯噛みをしつつも
平然としている。そうしていると気づくこと
がある。つまり「災難に怯え、福のみ期待す
る」姿勢は、子供の姿勢であり成熟した大人
の姿勢ではないということ

それにやっと気づいた。50を過ぎてようやく
“大人”としてのスタートが切れた
新年を迎え、そんなことを思ったのだった


追記(2017年7月)
別れた母と5年前、偶然に再会した
妻とも会わせ、時折電話をする仲となった
一時は心から憎んだ母だったが
今では盆暮れには贈り物をし
誕生日には少額だが金銭を送り
親孝行の真似事をしている
親を愛するという当然のことを
最近、やっと出来るようになった
幸せとは、自分の心の深さや成熟度と
無関係ではないと、最近感じる

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日蓮、最大の難 龍ノ口の法難を振り返る

2017年07月07日 17時15分10秒 | Weblog
   ↑松葉ヶ谷草庵への道



それは、文永八年(1271)九月十二日の午後
(これは旧暦。現在の太陽暦で言うと10月
24日)、数百人の武装した侍たち(一説には
一千人とも…)が、鎌倉の中心地・若宮小路
(現在の若宮大路)から東に徒歩で20分程の
地・名越にある小さな草庵に向かっていた
大規模な兵士の移動にしては、実に静かだ。敵
に察知されないよう、訓練されている証拠だ
彼らは、時の若き執権・北条時宗(当時21歳)
の配下たちである。その部隊を指揮し、先頭の
馬上にいるのが、時宗の側近(今で言うと官房
副長官クラスか)の平左衛門尉頼綱。彼は、松
葉ヶ谷の草庵と呼ばれる日蓮の住居がある小山
の下まで来ると、手を挙げ兵を制止した。そして
前列の精鋭数人を偵察に行かせた。精鋭たちは
深い木々の中に消えていく。偵察が戻る数分の間
彼は二日前の評定衆会議(裁判)を振り返っていた

一段高い板の間に座る彼の前には、白砂の上に
敷かれたムシロに座す18歳年上の日蓮がいる
日蓮は、この数年のうちに次々と亡くなった時宗
の父親である第五代執権・北条時頼(通称・最明
寺殿)や、六代執権・長時や、更に北条家の重鎮
北条重時(通称・極楽寺殿)が、法華経を否定し
なおかつ念仏を唱えていた為に「無間地獄に墜ち
た」と吹聴。更に「極楽寺や建長寺を焼き払い良
観などの頸を刎ねよ」等と言ったという。その悪
口の罪に問われていたのだ
「真であるか!」頼綱は激高して問い詰めた
すると日蓮は、顔色一つ変えず「念仏無限とは
かねてより言っていたこと。更に邪教の坊主共
の頸を刎ねよとも、確かに一言も違わず申した」
そして「ただ…。極楽寺殿や最明寺殿が地獄に
墜ちたとは申し上げてはいない。誰かの…そう
良観坊に誑かされた後家尼御前あたりが言った
讒言と思われる」
「ええい、黙れ! 言い逃れは聞かぬ!」
頼綱の尋常ではない怒りは、正に怒髪天を突く
のようであった。彼が怒るのは当然だった
彼自身も熱心な念仏信仰者で、極楽寺の住職
良観坊は、彼にとっては「生き仏様」だったの
だ。その崇拝する人間の首を刎ねよとは、到底
許されざる暴言だった
しかし、その怒れる権力側の実力者を前に、
日蓮は平然と諭し始めた
「貴辺は政を与る大事な役についておられる
からこそ申し上げる。拙僧が文応元年に上奏
した立正安国論をお読みか。そこにも書いて
ある通り、国を思い民を慈しみ、世を安穏に
導く政を行うためには、邪法邪義を排し、法
華経を信奉するしか道はないのだ。それなのに
真に国を思う日蓮を罪科に問わんとするとは
物に狂い道理に迷う者のすること。速やかに…」
最後まで言わせず、頼綱の怒号が響いた
「この儂を狂っておると申すか!」
と、脇差しに手をかけた時、頼綱の隣に鎮座
していた数人の侍が前に出た
「お止めくだされ! 皆の評定が出る前に罰を
下すのは御法度。それに、僧侶を殺すと七代祟
られ、過去七代も成仏出来ぬと申す。頼綱殿の
為にも、ここは堪えるのが最善」
寸前のところで抜刀は止められたが、頼綱の
怒りは収まるどころか燃え上がっていた
そんな頼綱に対し、日蓮は更に厳しい言葉を
投げつける。
「日蓮を用いず、理不尽に罪におとすようなら
ば、国に後悔する事件が起こるであろう。日蓮
が幕府の御勘気を蒙るならば仏の御使いを用い
ないことになる。その結果、梵天・帝釈・日天
月天・四大天王のお咎めがあって、日蓮を遠流
か死罪にしたのち、百日・一年・三年・七年の
内に、自界叛逆難といって北条幕府の御一門に
同士打ちがはじまるであろう。そののちは他国
侵逼難といって四方から、そのうち殊に西から
攻められるであろう。そのとき、日蓮を罪に落
としたことを後悔するに違いない」とまで言っ
ている。これには侍たちも驚いたようだ
(実際、歴史にも残っている有名な幕府の内紛
「二月騒動」は、日蓮を流罪にした約百日後に
起こっている)
侍たちは怒る頼綱をなだめ、評定は後日下すこと
を伝え、全員が席を外した。その後、日蓮と弟子
たちは、何事もなかったかのように屋敷を出た

この後、日蓮が大人しくしていれば状況は
変わったかもしれないが、なんと翌日に
「一昨日御書」を頼綱に書き送っている
その内容は、昨日の評定の様子を振り返り
立正安国論の趣旨を盛り込みながら、再び
頼綱を諫めたものになっている。火に大量
の油を注いだ格好だ
この「一昨日御書」を読んだ頼綱に、もは
や迷いはなかった。彼は若き時宗を強引に
説き伏せ、日蓮を佐渡へ島流しにする決定
を手にした

時宗としては、日蓮に関わりたくなかった
何故なら、日蓮が立正安国論を自分の父・
最明寺時頼や、極楽寺重時らに送ってきた
後に、そこに書かれた他国から敵が攻めて
くることや、日本で疫病が蔓延し、天変地
異が起こり、更には内紛が起こる等の事柄
が、ことごとく事実となったこと。自らの
信仰である念仏宗や禅宗を邪教と決めつけ
たことへの怒りから、日蓮の襲撃を指示し
傷を負わせ、後に伊豆への島流しを決めた
父や重時らが、その後、次々と変死したこ
とが脳裏から離れないのだ
かといって、日蓮の主張を呑むわけにもい
かない。ここは、いくら騒ごうが無視を決
め込むのが最適と思っていたのだ。しかし
若き自分を補佐し、頼みとも思う頼綱の強引
な願いも無視できない。死罪ではなく遠流
という条件で、時宗は決定を下した
時宗から「日蓮は佐渡流罪」と命じられた
頼綱だが、思惑は他にあった。日蓮の殺害
である
「七代祟るものなら、祟ってみよ…」
偵察が戻る間、頼綱は小さく呟いた




偵察が戻ってきた。日蓮と弟子たちは、熱心
に読経しているという
「よしっ、参るぞ!」
それを合図に、兵士たちが雪崩を打って松葉ヶ
谷の草庵に攻め込んだ
激しい音を立てて開き戸が壊される。驚いた日
蓮の弟子たちが「おお」と声を上げたが、次の
瞬間、日蓮の前に立ちふさがるように立った
十年以上前、日蓮が「立正安国論」を上奏した
際に、念仏の信者たちが怒り狂い、松葉ヶ谷草
庵を襲ってきたことがあった。その時は、遠く
から怒号が響き、襲撃の迫ってくることが分か
ったので、危機回避のために掘ってあった裏手
の洞窟に逃げて難を逃れたのだが、今回は全く
の突然で、逃げる余裕もない。弟子たちは唇を
嚙んだ
狭い入り口から押されるように草庵に入った十
人ばかりの兵が、正面に端座し振り返った日蓮
と目が合った。その迫力に一瞬たじろぐ。ほん
の少しの間があった。そこへ、頼綱が兵を割っ
て入ってきた。彼は芝居じみた口調で宣言する
「日蓮、評定は下された!」
と、そこへヒョコヒョコと小柄な兵が前に出て
日蓮に向かって金切り声で叫ぶ
「この、くそ坊主がぁ!」
つい最近まで日蓮を信奉し「聖人様に死ぬまで
ついていきます」と宣誓した信者の少輔坊とい
う兵士だ。少輔坊は日蓮の懐にあった巻物を取
り上げ、その巻物で「食らえ!」と日蓮の顔を
叩き、更に二度も殴りつけた。日蓮は哀れを見
る目で少輔坊を見つめたが、彼は日蓮を見ること
なく叫び続ける。それを合図に、他の兵士たちも
家具を倒し、並べられていた経典を破りまき散ら
し、狼藉の限りを尽くす。頼綱も「もっとやれ!」
と怒鳴り散らす。日蓮は、少輔坊が自分を殴るの
に使った巻物を拾い、再び懐に仕舞う。その巻物
とは法華経第五。末法に法華経を弘通する者は
さまざまな大難に遭うと書かれた経典だった

頼綱たちの狂乱は続いていた。それを見ていた日蓮
は、やがて大音声を発する
あら面白や 平左衛門尉が物に狂うを見よ!
殿原、ただいま日本国の柱を倒す!」
その声に、兵士らは「ヒッ」と悲鳴に似た息を漏ら
し動きを止めた。実は、彼らは日蓮という僧侶に
内心恐怖を抱いていたのだ。強大な権力にも怯まず
位の高い有名な僧たちを批判し、次々と預言を的中
させ、そして、彼を迫害した権力者たちが、突然に
この世を去ったことも知っていたのだ。この怪僧に
関わると、自分の身に何か起こるかもしれないと思
う者も多かった。最近は、兵士仲間と呑む際の話題
は、この怪僧の話ばかりになっていた
だから、日蓮の大音声には腹の底から恐怖を感じた
動きが止まったのは頼綱も同じだったが、凍り付いた
ように動かない自軍の兵士たちを見て、彼は我に返る
「も、者ども、日蓮を縛につけよ!」
兵士たちは日蓮を縛り上げた。弟子たちがそれを阻
もうとするが、日蓮はそれを制した。やがて、日蓮
は馬に乗せられ、侍所に連行される。日興はじめ弟
子たちは、極度の緊張で奥歯を噛みしめながら、馬
上の日蓮の後に続いた




侍所では、頼綱は死罪をちらつかせながら
日蓮に命乞いをさせようと策略を繰り返し
ていたが、それに反し日蓮の破折は一向に
止まない。「されば事の理非を説いて示そう
心して聞かれよ」と、燃え上がる炎のよう
に邪教を攻め、頼綱に改宗を勧めていた
頼綱の目論見は失敗した。彼は佐渡流罪を
日蓮に伝えた
その後、日蓮は北条宣時邸に移送され、弟子
たちもそれに続いた。記録によると、宣時邸
で日蓮は弟子たちに法華経勘持品の講義をし
ている。後に回想しているが、佐渡流罪は表
向きで、実際は死罪にするつもりだと彼には
分かっていた。凡人では計り知れない境涯だ

一方、殺害するつもりの頼綱だったが、やはり
時宗に黙って実行する訳にはいかない。なんと
か死罪の了解を得ようと、必死に食い下がった
だが、時宗は死罪を許さなかった。酒を呑む度
日蓮を罵倒し乱れた父・時頼の姿と、目をカッ
と見開き、虚空を掴むように手を伸ばしたまま
死んだ恐ろしい死に顔が重なり、なんとも言え
ぬ恐怖が沸き上がる。父の死と日蓮は、全く関
係のないことと知りつつも、釈然としない感情
が支配していたのだ。時宗は、念を押すように
頼綱に言い含めた
「日蓮は流罪。それも時期は未定とする」
頼綱は平伏し、時宗の屋敷を辞した
時は午後十時過ぎ

午後十一時。就寝の準備をしていた日興ら弟子
たちは、物々しい音に騒然とする。侍頭を筆頭
とする十数人の武士たちが、日蓮の部屋の戸を
開いた。「上意により、場所を移動いたしまする」
日興は師の日蓮を見た。日蓮も日興を見て頷く

それから間もなく、用意を調えた一行が宣時邸
を出た。数頭の馬と十数人の兵士が門の外で待
っていた。松葉ヶ谷で日蓮を連行した際には
数百の兵が後に従ったが、「移動」名目のこの夜
は、たった十数人の兵のみ。そこに頼綱の姿も
ない。後に判明したことだが、なんとしても日
蓮を亡き者にしたい頼綱は、配下の中でも特に
口の堅い家来を選び、日蓮の殺害を命じた
隠密に事を運ぶため、見だたぬよう少人数で
それも深夜に行うことも言い含めていた
日蓮の殺害後、「屋敷の移動の際、数百人に上
る日蓮の信者たちが襲ってきたため、やむを得
ず切り捨てた」という言い訳は出来ていた

馬に乗った侍頭を筆頭に、馬上の日蓮、それを
囲むように日興らの弟子たちが続く。更にそれ
を囲む侍たち。一行は東方面の龍ノ口に向かう




少し進むと若宮小路にあたり、そこを横切る間
際に、日蓮が馬から降りようとした。慌てた兵
士たちが「何をするかっ!」と声を荒げる
すると日蓮は「騒ぎなさるな、ほかのことはない
八幡大菩薩に最後にいうべきことがある」
そして、小路が続く北の端にある八幡大菩薩の
社に向かい「八幡大菩薩はまことの神か。和気
清磨呂が道鏡の策謀によって首を斬られようと
したときは、たけ一丈の月と顕われて守護し、伝
教大師が宇佐八幡宮の神宮寺で法華経を講じられ
たときは紫の袈裟をお布施としておさずけになった
今日蓮は日本第一の法華経の行者である。その上
身に一分の過失もない。いま法のために首を斬ら
れようとしているが、これは日本の国の一切の衆
生が法華経を誹謗して無間大城に堕ちるべき者を
助けようとして申している法門である。また大蒙
古国からこの国を攻めるならば天照太神・正八幡
であっても安穏ではおられようか。その上、釈迦
仏が法華経を説いたときには多宝仏・十方の諸仏
菩薩が集まって、そのありさまが日と日と月と月
と星と星と鏡と鏡とを並べたようになったとき、
無量の諸天並びに天竺・漢土・日本国等の善神・
聖人が集まったとき、仏に『おのおの法華経の行者
に対して疎略な守護をいたしませんという誓状を差
し出しなさい』と責められて一人一人の誓状を立て
たではないか。である以上は日蓮が申すまでもない
大いそぎで誓状の宿願を果たすべきであるのに
どうして此の大難の場所には来合わせないのか!」
そして最後には「日蓮が今夜首を切られて霊山浄土
へ参ったときには、まず、天照太神・正八幡こそ
起請を用いない神であったと名をさしきって教主
釈尊に申し上げよう。それを痛いと自覚されるならば
大至急お計らいなされ」と言い放ち、また馬に乗った

一部始終を見ていた兵士たちは、唖然としていた
日蓮は、神に向かって怒鳴っていたのだ。彼らは
恐怖にかられた。この御坊は「本物かもしれない」
そして「その本物を我々が殺そうとしている」
「それはどれほどの罪業となるのか」
日蓮が予言した他国からの侵略は、蒙古からの
通告状で現実となっている
「僧侶を殺すと七代祟る」との言い伝えも蘇った
兵士らの顔面は蒼白となっていた



一行が由比ヶ浜に着こうとしたとき、日蓮が
また口を開いた。「しばらく待て殿方。ここに
知らせるべき人がいる」
そして、共に付いていた熊王という所化(僧侶
見習いの童子)を、近隣(現在の江ノ電・長谷
駅の近く)に住んでいる在家の信者・中務三郎
左衛門尉(四条金吾)邸に遣わせた




間もなくして、金吾と弟二人が全力で駆けつけて
きた。(金吾は次男。長男は禅宗の信奉者
で、日蓮や金吾らを目の敵にしていた)
皆、着の身着のままという態であるが
侍らしく脇差しだけは刺している。鬼の形相で
走り寄る侍三人に、兵士たちに緊張が走る。
柄に手をかける者もいる。そんな緊張を知ってか
四条金吾は兵士らに「お勤め、ご苦労様にござ
いまする」と、深々と頭を下げた
そして、日蓮を見上げ、肩で息をしながら金吾
が決意を込めたように、低く言葉を発した
「聖人様!」
日蓮は頷くと「今夜、日蓮は首を斬られに行く
この数年の間、願ってきたことはこれである。この
娑婆世界において雉となったときは鷹につかまれ
鼠となったときは猫に食われた。あるときは妻子の
敵のために身を失ったことは大地微塵の数よりも多い
だが法華経のためにはただの一度も失うことがなかった
そのために日蓮は貧しい僧侶の身と生まれて、父母
への孝養も心にまかせず、国の恩を報ずべき力もない
今度こそ、首を法華経に奉ってその功徳を父母に回向
しよう。その余りは、弟子檀那に分けようと申してき
たのはこれである」

現代語で表すと、やや迫力に欠ける。これを日蓮が弟
子に送った手紙「種種御振舞御書」によると…
今夜頚切られへ・まかるなり、この数年が間
願いつる事これなり、此の娑婆世界にして・雉
となりし時は・たかにつかまれ・ねずみとなり
し時は・ねこにくらわれき、或はめこのかたき
に身を失いし事・大地微塵より多し、法華経の
御ためには一度だも失うことなし、されば日蓮
貧道の身と生れて父母の孝養・心にたらず国の
恩を報ずべき力なし、今度頚を法華経に奉りて
其の功徳を父母に回向せん 其のあまりは弟子
檀那等にはぶくべしと申せし


ともかく、その言葉を聞いた金吾は「お供いた
します」と言い、手綱を持っていた侍に「我ら
に先導させて頂きたい」と頭を下げた。
侍頭の了承を得て金吾ら兄弟は先導役を務めた

当時の日蓮教団の特徴の一つに、構成員の身分
の多様性がある。幕府内で事務方として働く侍
から、金吾のような要職に仕える家臣、ただの
町民や商人、職人、そして農民と多種多様だ
それらが宗教上の会合では一同に集まる。身分
で集まりを分けなかったのだ。武家だけが会す
禅宗や、女だけの会を作った念仏宗とは根本的
に異なった。だから集まりでは、誰もが平等に
話し祈り、説法を聞いた。身分の垣根は全くな
かった。第一、宗祖の日蓮が「せんだらが子」
漁師の子である。世間の身分は、この教団には
関係のないことだった。なにせ、この教団の根
本の教えが「全ての人間の心の底には、究極の
善性・仏の生命が脈打っている」というもの
法華経を唱えることで、その仏の生命が沸現し
それが身を飾っていく。極論を言えば、自らが
釈迦のような仏になるのが目的の教団なのだ
仏を目指す者にとって、世間の身分は全く役に
立たない。そんなものに執着すること自体、仏
とは反対の世界に他ならない。信者はそう信じ
ているから、世間の身分で計りはしない。農民
の信仰体験を侍が真剣に聞き、侍の悩みを町民
が同苦することは、この教団にとっての常識だ
った。その常識が軍事政権とも言える幕府の常
識と衝突するのはある意味当然だったかも知れ
ないが、それはまた別の話

日蓮の教団の信者が集まると、自然と信仰の話
になる。由比ヶ浜から龍ノ口刑場へは、徒歩で
約1時間半程。その間、一行も自然と信仰の話
になる。特に日蓮がいれば尚更のこと。質問や
他の信者の頑張りの報告など時を忘れて語り
合った。ただ、いつもと違うのは笑いが起きな
かったことだ。この教団の特徴なのだが、真剣
な信仰体験の時なども、時折、温かな笑いが起
きる。「もう何時間も題目唱えていると、足が
痺れて」と誰かが言うとドッと笑い声が起こる
笑いは会合では当たり前のことだったが、龍ノ
口への道では、日蓮の〝最後〟の言葉を聞き漏
らすまいという真剣な決意が皆の心にあった
張り詰めた緊張があった



やがて腰越近辺に着いた。刑場までは間もなくである
沈黙が一行を包んだ。そして、浜辺近くの龍ノ口に着く
侍頭が馬を下り、斬首の用意を促した。日蓮
以外の弟子や金吾たちは青ざめている
「御坊、ここへ座られよ」
侍頭は、そういって刑場中のムシロを指す
日蓮がゆっくりとムシロの上で正座をする
その横に立つ侍が、鉢巻きをし、たすきを
掛ける。金吾がたまらず嗚咽を漏らし
膝から墜ちた
「只今なり…」
それを見た日蓮が、金吾に向かい音声を放った
「不覚の殿方である。これほどの悦びを笑いな
さい。どうして約束を違えられるのか」
「はっ」金吾は拳で涙をぬぐい居住まいを正し
て砂の上に正座をし、脇差しを鞘ごと抜いて膝
の前に置いた。彼は、日蓮が刑を受けた瞬間に
後を追う決意だったのだ
日興ら弟子たちも砂に上に正座し、静かに題目
を唱えだした。日蓮、そして金吾ら兄弟もそれ
に和す
「南無妙法蓮華経…南無妙法蓮華経…」
執行人が抜刀する。たいまつの火がギラリと反
射する。執行人は侍頭を見る。侍頭と視線が合
った。二人とも顔面は蒼白である。共にある言
葉を思い出していたのだ
「僧侶を殺すと七代祟る」
「南無妙法蓮華経…南無妙法蓮華経…」
日蓮たちの題目の声は次第に高くなっていく
武者震いのような震えが執行人を襲う
侍頭は目配せで執行を促した
執行人は太刀を振りかざす
時刻は午前二時過ぎ
正に釈尊が悟りを開いたという丑寅の時だ
(ここからは日蓮がその時の
様子を描写した現代語訳)

江の島の方向から月のように光った物が
鞠のように東南の方から西北の方角へ光
り渡った。十二日の夜明け前の暗がりで
人の顔も見えなかったが、これが光って月
夜のようになり人々の顔も皆見えた。太刀
取りは目がくらんで倒れ臥してしまい
兵士共はひるみ怖れ首を斬る気を失って
一町ばかり走り逃げる者もあり、ある者は
馬から下りてかしこまり、また馬の上で
うずくまっている者もある
日蓮が「どうして殿方、これほど大罪ある
召捕人から遠のくのか、近くへ寄って来い
寄って来い」と声高高に呼びかけたが急ぎ
寄る者もない。「こうして夜が明けてしまった
ならばどうするのか、首を斬るなら早く斬れ
夜が明けてしまえば見苦しかろうぞ」とすす
めたけれどもなんの返事もなかった


日蓮の死罪は、実行されなかった
その後日蓮は、相模の依智の本間六郎
左衛門の邸の預かりとなる
龍ノ口刑場から本間邸まで付き添った
頼綱の家来の中から、数人が「二度と
念仏は唱えません」と日蓮に帰依して
いる。頼綱が知ったら発狂せんばかり
に怒ったであろう
また、頼綱の暴走を予知してか、時宗
が本間邸に以下の文を書き送っている
「此の人は罪の無い人である。今しばらく
してから赦されるであろう。あやまちをした
ならば後悔するであろう」

江ノ島から飛んできた鞠のような光り物
については、色々な見解があるだろうが
それが流れ星であれ、以前、白昼のロシ
ア上空を横切った巨大な火球であれ、絶
妙なタイミングで飛んだことで刑の執行
が止まったことは事実だ
それをどう捉えるかは、自由だ

さて、本間邸に一ヶ月ほど滞在した後
日蓮は、結局、佐渡に流されている
不思議なことだが、この一ヶ月の間に
鎌倉中で放火事件や殺人事件が多発
する。放火は「日蓮の弟子がやった」
という噂が飛び交った
それから間もなく、日蓮の流罪が
決行されたのだ。後日、日蓮は
「放火や殺人は、極楽寺や頼綱の仕業」
と言い切っている

日蓮は佐渡に渡った。先述したように
その約百日後、「二月騒動」が起きる
流罪は二年余で終わる。鎌倉に戻った
日蓮は、再び頼綱と対峙する
だが、今回の頼綱は別人のように日蓮
に接した。まるで大切な客人のように
「蒙古軍は、いつ攻めてきますか」
「今年中には必ず」と日蓮は断言する
事実、文永の役は、その半年後に起こる
その席で頼綱は、寺の寄進を申し出るが
極楽寺他の宗派はそのままと知ると、日
蓮はこれを拒否。そして「邪法邪義を用い
れば国に大きな災いが起きるとかねてから
言ってきた。事が起こったその時になって
から、決して決して『御房はそうはいわな
かった』と仰せなさるな」と強弁し席を立つ

その後日蓮は鎌倉を離れ、山梨の身延山に
草案を建て、布教の指導と弟子育成に励
んだ。そして61歳の時に東京・池上で入寂する


余談
日蓮が亡くなって二年後、時宗は32歳の
短い生涯を閉じる。時宗の子・貞時は
まだ幼かったが時宗の後を継ぐ
頼綱は、その貞時に取り入り幕府内外で
絶大な権勢を振るうが、頼綱の恐怖政治に
危惧した貞時の命令で、一族共に誅殺された
52歳だった
少輔坊のその後の記録は全く残されていない

四条金吾は佐渡に流された日蓮を訪ね
身延に移った際も数度訪ねている
老齢になり息子に家督を譲り、領地である
信州に移り住み90歳まで生きた
コメント
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