「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

感動、ゴジラ大復活!

2012年05月30日 09時26分56秒 | Weblog
 

やったー!
ホームランだ!
見たかっ、ベテラン魂!


対ホワイトソックス戦に
マイナーからいきなり先発出場
第二打席で 渾身のホームラン
さすがだゴジラ松井…感動した 
涙が出た ウウッ…
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日本人が「政治と宗教を語らない」理由

2012年05月29日 01時37分08秒 | Weblog
 
仕事の後、とある酒場で食事をしていた時、若い男性
客たちの談笑が耳に入った

「俺は結婚したら朝晩の勤行(祈り)は女房に任せる」
「そりゃいい! 俺もそうしよう」
「だったら皆、早く結婚しなければな!」

青年たちは何処かの宗教団体の信者仲間なのであろう
信者が行う朝晩の読経が面倒なので、自分の代わりに
伴侶にやらせようという話で盛り上がっていた

それを聞いて僕は、いかにも日本人らしいと思ったの
だ。殆どの日本人の信仰といえば、お経を読むなどの
実践は行なわず、僧侶や神主などの“プロ”の代理人に
布施や賽銭を払い、神や仏に祈って貰うのが通常だ
そして信者は、それによるご利益を「頂戴する」とい
うのが「信仰」と思い込み、それがDNAに染み付い
ている。だから、祈りなどの実践が他人任せでも、全
く疑問を持たないのだ。そんな下地が日本にあるため
か、宗教団体の信者である先の青年たちでも、(冗談半
分だろうが)宗教の最も根幹である“祈り”を「女房」
に任せることに、さほど抵抗が無いようなのだが、それ
は宗教人としては堕落に他ならない

キリスト教やイスラム教などのユダヤ系宗教の信者か
らすると考えられない、この「祈りの他人任せ」は
何故に日本人に定着してしまったのか…


社会主義国を除く多くの国では、それほど親しくない
人間同士でも宗教の話をするのは失礼にならず、批判
ではない建設的な話は歓迎される。宗教の話をわざと
避ける人間に対しては、「人には言えない良からぬ邪
教を信じているのか」と、逆に警戒心を持たれるくら
いだ。因みに、ユダヤ系宗教の信者に「自分は無宗教」
と告げると心底驚かれる。彼らにとって「宗教」は精
神の支柱。その支柱が無いのは、人間としての裏打ち
が無い、精神の不完全な軟体動物に思えるらしい

「アナタは、何故に信仰するのか?」

ある欧米人のキリスト教徒に、問いかけたことがある
すると「魂の安堵のためだ」と彼は答えた。そのため
に、毎夜、神に感謝を述べ、懺悔するのだという
彼の言う「神」とは、人間や動物、大自然を作った唯
一絶対神(キリスト教=父なる神・三位一体の第一位格
ユダヤ教=ヤーウェ。イスラム教=アッラー。皆、同
じ神のことを言っている)のこと。本当に神がいるか
どうかの議論は別として、その自分を創った創造主に
感謝し、父なる神に自分の犯した日々の罪を懺悔する
懺悔したことで赦しを得る。赦しは天国のキップを約
束されたに等しい。それで心の安堵が得られるという
のだ。理屈は通っているし、理解できる

同じ質問を台湾人にしたことがある

答えは「ご利益があるからサ」

どんなご利益があり、誰がそれを立証したのかは別と
して、ラッキーな奇跡を期待しての信仰姿勢。日本人
の多くも、彼と同じ答えをするのではないだろうか
こういった損得が先の信仰姿勢を西洋人は邪で不純と
感じるらしい。清らかな信仰姿勢ではない、と
最も、仏教の教えの本義は一般に「煩悩を消す」こと
とされているから、煩悩の最たる「ご利益を期待する
姿勢」は大いに矛盾しているとは思うが…。ともかく
東洋人はご利益を期待して信仰に励む人が多い

西洋人の信仰姿勢の「しょく罪=赦してくだせぇ~」を
ネガティブと捉え、東洋人の「ご利益頂戴よ~」を
ポジティブと捉えることも出来るが、「おすがり・お
ねだり・物乞い」は他力本願なので、後者も同じくネ
ガティブとも言える。何れにしても、興味深い


ただ、前述したように、東洋人、とりわけ日本人の場
合、その信仰活動とは、多くは布施=献金行為のこと
だ。ユダヤ系宗教の信者のように、朝に夜に神に向か
って祈っているのではない
日々の宗教的な祈りや先祖への供養は、神社の神主や
寺の僧侶などの“プロ”に代行してやって貰うのだ
そして神社や寺に行くのは、特に日本人の場合、お盆
や新年の初詣だけという例も多い
キリスト教における牧師やイスラム教の法学者、ユダ
ヤ教のラビは、神と信者の「仲介役」だが、日本の僧
侶などの場合、“仲介兼拝み代行業者”といえる

そう、布施と“拝み代行”では面白いエピソードがあ
る。数年前、所属する山登りの会で、ある山に登った
山の途中に寺があり、そこの玄関に『祈願代 小祈願
1万円 中祈願 5万円 大祈願 10万円から』とい
う看板があった。「まさに金次第」と、思わず苦笑した
のだが、たまたま近くに境内を掃く寺男がいて、彼と
目が合った瞬間に、僕の悪戯心に火がついた
僕は寺男に近づき、神妙な顔で、こう訊いたのだ

「あのー、1億円の宝くじを当てたいのですが、どの
くらいお布施を払えばいいでしょうか」

すると寺男は、値踏みするように上から下まで僕を見
て「まあ、最低でも10万円はお布施しないとダメでし
ょうな。この前、6億円のtotoがあたる願掛けをした人
が、100万円のお布施しておりましたよ」とシラッと
言ったので、僕は「それで当たりましたかね?」と訊
いてみた。すると寺男は「もちろんですよ。当たりま
したよ、6億円」。僕は無言のまま、寺男の顔をマジ
マジと見てやった。すると彼は気まずそうに視線を外
し、再び境内を掃き始め、僕から離れていったのだ
100万円の投資で6億円が入るなら、こんな美味い話
は無い。逆に言うと、そんなことはあり得ない。霊感
商法ならぬ宝くじ商法だ。見方によっては、ヒドイ詐
欺に思えるが、良いのか悪いのか、日本の法廷でこの
手のことで寺を訴えた人間を、僕は知らない


話がそれた。つまり、ユダヤ系宗教の信者は、個人的
祈りの量と深さが、信仰心の強さと考えるのに対して
日本人はもっぱら、代行業者への布施が信仰心と考え
ている。「地獄の沙汰も金次第」とはよく言ったものだ


さて、東洋人と西洋人では、その祈りの実践も大きく
異なる。東洋人の具体的な祈りの行動は、ユダヤ系宗
教信者が、聖書の一節やコーランの一節を唱えるのと
は異なり、何か願い事をしてムニャムニャと二~三回
どこかで聞いた題目や念仏など唱えてみるだけだ
先の青年たちのように宗教団体に入っている人たちは
例外だが、大抵の場合は、本格的にお経を唱えるのは
プロの仕事で、殆どの信者は読経をしようにも難解で
唱えられないし奨励もされない。神社詣でにいたって
は神主が唱える呪文のような祝詞も信者には許されて
いないので、出来るのは神殿の前の賽銭箱に銭を投げ
入れ、何度か手を叩いて頭を二度下げるだけだ
そうそう、信者の中には「賽銭をあげると神様が願い
を叶えてくれる」と勘違いしている人も多いが、それ
は大きな間違いだ。賽銭は神主などへの浄財。神主は
それを糧に、信者の代わりに神に祈るのだ。これは神
主に聞いたのだから間違いない。金と引き換えに願い
を叶える神など、幾らなんでも、それは酷すぎる
しかし、そんなことに疑問を持たないほど、世界の常
識から見て、日本人の信仰姿勢はズレているのだ


こういった信仰姿勢は何時から始まったのか

話は平安時代に遡る。当時、土地の所有権は、皇室や
摂関家・大きな寺や神社などの権力者が持ち、その土
地を借りて農民が米などを作り、その米の一部を年貢
(税金)として、土地の持ち主に上納していた。いわゆ
る荘園制度である。それは戦国初期まで続いたが、豊
臣秀吉の時代に廃止される



さて、今までは何もしなくとも年貢が入ってきた寺や
神社は、荘園制度が廃止されると途端に生活に困った
荘園制度は信者組織の檀家制度も兼ねており、盆暮れ
の布施集めや、葬式の際の“拝み代徴収”もやっていた
のだが、年貢がなくなると肥満した坊主たちには到底
足りない金額。そこで、思いついたのが、それまでの
仏教界には存在しなかった“永代供養”“塔婆供養”“戒
名”など、少しでも信者から金を巻き上げ、自らの腹
を満たそうという“布施増額計画”だ

商売人と化した寺社の信者への教育はそれは熾烈だった
「塔婆を立てないと先祖が成仏しない」「戒名がないと
極楽にいけない」「葬式で僧侶が拝まないと成仏しない」
「先祖が地獄で苦しんでいいのか」等など、釈尊の説法
の中には存在しなかった“アイデア”を次々と発案して
寺院の経済を潤していったのだ

こうして、狡猾な策略は成功し、その“賜物”は何百年
経った現代でも生きているのだが、その策の中心となっ
たのが「信者の神仏への直接的祈りの無効性」の啓蒙だ
つまり、信者が自分でお経を唱え死者の成仏を祈ってし
まっては、自分たちの出る幕が無くなる=布施が入らな
いから、「僧侶以外が拝んでも効果は無い」と信じ込ませ
たのだ。さすがに祈りの禁止は出来なかったが「僧侶が
拝んでこそ成仏が叶う」との説得は功を奏し、宗教に無
知な多くの民は「先祖の成仏のため」「自らの死後のため」
せっせと布施を収め「プロに拝んで」貰い、自らの信仰
実践は次第に萎んでいったのだ

これに異を唱える者もいた。「仏教の本道は自らが祈ること」
「自らがひたむきに信仰するから成仏が適うのだ。他人に
拝んでもらって適うものではない」「ましてや金銭を払えば
成仏するなど、邪説なり」「僧は俗より出て俗よりも俗なり
そんな奴らに仏教を説く資格は無い」
この正論に、仏教界は猛烈に反発した。寺の経済の根底を
揺るがす一大事だからだ。正論者に対し坊主たちは「罰当
たり」「死んでも成仏は適わない」「先祖が地獄で苦しんで
いる」等の脅しをかけ、それでも怯まないと檀家を総動員
して、反抗する者を村八分にした。更に正論を言い続ける
者には、「政を批判している」などと嘘をつき役人を動かし
投獄などの弾圧を加えた。中には獄死した者もいたという

そんな過酷な弾圧を見て、多くの信者は寺社には逆らわな
くなった。少しばかりの金銭の無理の我慢と、「仏教の本
義」などの難しいことに触れず寺社に従順でいれば、波風
は起きず村は平和が保てるからだ。そう、宗教の権威に口
を閉ざしてしまったのだ

こういう歴史が「祈りの他人任せ」と「宗教批判はタブー」
との意識が定着してしまったのだ。批判すれば「地獄へ堕
ちる」と言われれば黙ってしまうのは人情。仕方が無い面
もあるが、西洋では宗教の権威とこう然と戦った歴史があ
る。周知のように、教会が“免罪符”を発行し、例え罪人
でも寄付をすれば罪が許されるという邪説を立て資金集め
をした。これに反発した者たちの“宗教改革”は有名だ
「自らの祈りが、唯一の神との対話」思想は、その戦いの
勝利があって定着した

逆に日本では、民衆が政治や宗教の権威と戦い勝った歴史
が無い。どれも潰され、歴史から抹殺されている。大事な
戦いの敗けは、その後の歴史に深く影響する
民衆の勝利を逃した結果は、飼い慣らされた犬同様、権威
に媚を売り尻尾を振り、民衆のために権威と戦う者を、自
分たちも民衆であるはずなのに、体制側に立ち反権威を攻
撃するという、実に屈折した態度をとる国民性だ


「祈りの他人任せ」同様、日本人は、不思議なことに政治に
関しても具体的活動を嫌う。西洋では当たり前の「○○候補
は素晴らしいので宜しく」と一般の選挙民が行う選挙活動も
日本では無意識に「胡散臭い」「やってはいけない越権行為」
と感じる人が多いようだ。これも前述の「権威への迎合」体
質がDNAに染み込んでいる結果だろう
こういった経緯が、日本人に「政治と宗教を語るな」という
世界では通用しない変なポリシーを生んでしまった。僕も社
会に出始めた頃、先輩から上記の「~語るな」を教訓として
聞かされた。当時は何も疑問も持たず「世の中はそういうも
のなのか」と思ったのだ。実際、ある人気司会者がテレビで
特定の政党を応援していると発言しただけで、彼は番組を降
され、それ以後テレビで観ることは無くなった。司会者とし
て完全に抹殺されたのだ。最近でも、あるタレントが某政党
を支持する発言をした翌週に、番組を降板している。つまり
この迷信めいた教訓は日本では、まだ生きているのだ

しかし、世界に出ていろいろな人と話をしてみると、この
“教訓”は明らかに間違っていると感じる。何故ならば
「政治と宗教を語らない」事は、“政治権力・宗教権威に
逆らわない”のと同義だからだ。それは共産主義国ではあ
り得るだろうが、民主主義国ではあってはならないことだ


東大大学院教授の姜尚中(カン サンジュン)氏は「日本に
真の意味でのリーダーが生まれないのは、政治と宗教を語ら
ない風土があるためだ(趣旨)」と、ある番組で語った。そ
の意味を僕なりに解釈すると、痩せた土地では桃は育たない
ように、権威に逆らわない精神土壌からは、小市民や役人は
輩出しても、ダイナミックに時代を変えるリーダーは出ない
ということだ

代理人任せでは無く「自らが祈り」、積極的に政治に参画し
そして堂々と「政治と宗教を語る」ことが、豊穣な精神土
壌を作るのだ。その土壌からやがて、偉大な人間たちが輩
出されるだろう


酒場で青年たちの宗教談義を聞いていて、そんなことを
思ったのだった…
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“幸せ”って何だっけ?

2012年05月25日 16時32分14秒 | Weblog

“幸せ”って何だっけ?

昔の醤油のCMの話ではない。これは誰しもが思
う疑問ではないだろうか。ある人にとって幸せは
お金であり、健康であり、出世であり、商売繁盛
であり、家内安全であり、結婚であり、名誉であ
り豪華な暮らしであり、子供の成長であり、異性
との恋愛成就であり、その他諸々であり、または
それら全部かもしれない

何れにしても、その人の望む“幸せ”そのものが
その人の人生の「価値観」であり、もっと言えば
「その人そのもの」なのだ

例えば「幸せとは、愛に生きる人生」と言いきる
女性がいる。「愛の人生」と言えば、なんだか聞こ
えはいいが、その中身は多くの場合「一人の人を
一途に愛する」のではなく、不特定多数の異性と
の恋愛ごっこを楽しむことと思っている節がある
そういう人生の末路は、大抵の場合、容姿などの
見た目が既に恋愛対象から遠く離れた中年以降に
チャンとした伴侶を得られず、不幸せをより一層
感じてもがくのがオチなのだが…

なんとも気の毒だ。誰からも尊敬されないし、自
分のことしか考えず自由奔放な恋愛に生きた若い
頃を知っている者からは、同情も期待できない
正に自業自得だが、自らがそういう人生を選んだ
のだから仕方がない

そう、幸せを何処に求めるかで、人生は決定され
るが、金や恋愛、地位や名誉等の自己の欲望のみ
に生きる人生は、大抵の場合、人生の最期に振り
返り、後悔する人が多いようだ

逆に、裕福な人生でなくとも、自らの夢が達成で
きなかったとしても、他人の幸福に貢献し、また
そうしようと努力した人は、深い安堵にも似た幸
福感を長く感じ、最期の時もその幸福感を抱えて
いる為か、安らかな顔で旅立つ人が殆どだという

偉大な人物は、自らの人格完成を目指し、人類の
ために何か貢献しようと人生を燃やす。それこそ
が彼の“幸せ”なのだ。取るに足らない人物の
“幸せ”は、やはり“取るに足りないモノ”だ

そういう方程式を知った上で、その人物を知る為
「幸せって何?」と訊くのは、実に効果的なのだ

さて、アナタにとって“幸せ”って何だっけ?

僕の場合は、仕事の後のビールと旨いツマミ
このためだけに生きている…

小せぇ~

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やはり納得がいかない「電気の値上げ」

2012年05月24日 18時11分45秒 | Weblog

「電気の安定供給のために」

東電はその一点張りで電気料金の値上げを押し切ろうとしている
実質、電気は東電から買うしかなく、消費者の我々は大いに不満
だが、値上げに応じざるを得なくなっている。テレビなどに出演
し、平身低頭、値上げへの理解を「お願い」している担当常務は
来月に退社したらすぐに子会社の社長に納まるという。それを知
ると、彼の“弱々しい謝罪”が芝居じみて見え、なんとも白々しい

そもそも何故にこうなったのかを振り返る。ひとえに、絶対に来る
であろう大地震への準備が甘すぎたのだ。始めに「大地震ありき」
ではなく「出せる予算」から逆算し、「想定」を作り上げたのだ
そして、その予算は東電の利益からみても、あまりにも低すぎた
例えて言えば、豪華な料理を食べて上等な酒を飲み、ついでにお土
産まで買う予算を除き、あまった金から「予算を割り振った」に等
しい。彼らにとっての最重要項目は、自らの飲み食いであって
不測の事故に備える準備ではなかったのだ。なんという堕落した企
業か。原発という“完全操縦不可能の化け物”を飼っている自覚が
皆無なのだ。その挙句の今回の原発事故
この無責任は、謝罪では済まされない“重大なる過失”だ
その過失の尻拭いを、「電気料金の値上げ」という形で我々に押し
付けようとしている。この理不尽に、マグマのような怒りは治まらない

最近の調査では、富士山の五合目あたりでも、福島の原発から漏れ
たセシウムが検出されたという。東京に住む我々の頭上を、まだ放
射能は漂っているかもしれないのだ。それは雨のときに降りかかり
我々の体と環境を汚染し続けている

その“責任”はどうするのか。もし我々が死んだら、東電による間
接殺人ではないか

去年の地震後の計画停電では、田園調布や成城などは除外された
それは、きっと、東電幹部が住んでいるからだろうと、僕はこの
ブログで書いたが、図星だったのではないか?

民主党も「値上げは駄目だ」とは言わず黙認。彼らが何処を向い
て政治をしているのかが判る。ともかく、ともかく何度考えても
納得がいかない。超肥満体質の東電が心を変え、体型を変えるま
で、僕は何度も声を上げ続ける

「値上げの前にすることがあるだろっ!」と…

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今夏、テレビが消える

2012年05月24日 00時32分53秒 | Weblog
 
驚いた。週刊誌ネタだが、野村総研の試算によると
夏の節電で最も効果的なのはエアコンを消すことよ
り、テレビを消した方がはるかに良いらしい

エアコン1台の1時間あたりの消費電力は130w
テレビはなんと220wだという。つまり、テレビ
はエアコンの1.7倍も電気を食うということだ

因みに、東電管轄の全家庭のテレビによる消費電力
は、1時間あたり約336万kW。夏の一番暑い時の
東電の最大供給量が5,600万kWなので、昼間の1時から
4時までの間、全家庭がテレビを消せば、エアコンを
普通につけていても電力はパンクしない計算になる
これは関西方面でも同じだ

だが、このことは絶対にテレビでは言わないだろう
特に日テレ系の「ミヤネ屋」を始めとする昼のワイド
ショーでは絶対に触れないはず。だって、テレビを消
されてしまえば聴率ガタ減りして、番組も打ち切りと
なるのが火を見るより明らかだから

そう、テレビ局にとっては日本の電力の行方よりも番
組の存続が最優先なのだ。例え、日本が滅びようと番
組存続を彼らは取る…はずだ

だからテレビなんか信じてはいけない。そこで、節電
のためにも、自らの頭脳のためにも、過去に詩人の寺
山修二が言った言葉「青年よ、書を捨てて町に出よ」を
もじって青年(主婦やオヤジたちにも)たちに贈ろう

「青年よ、テレビを消して書を開け」


え? パソコンは開くけど、テレビなんか観ない? 
だよね…じゃあ、パソコン閉じようか。電気食うし…
って言いながら、せっせとバソコンでブログを更新する
僕なのであった…矛盾

おっと、MBL中継が始まる
ビール飲みながらテレビ観よ~っと
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「空気」という名の“フランケンシュタイン”

2012年05月23日 00時01分51秒 | Weblog

日常の会話の中でも、よく「空気を読め」という言葉が聞かれる
この言葉は、日本社会に完全に定着した感があるが、これには
強い抵抗感がある

少し前までは「状況を判断しろ」という言葉が当たり前にあった
今はそれが滅多に使われなくなり、代わりに「空気を読め」が取って
代わった。だが、この二つの言葉は多少ニュアンスが違う。前者の
「空気~」は「周囲に合わせろ」というものに対して、後者の「状況~」
には「ベストな行動を自ら選択せよ」という意味合いが強く含まれている

現在は「空気を読む」に「状況判断」は飲み込まれ、更に「自らのベスト
な選択」の意味は消えてしまっている。これは実に危険な兆候だ

日本人は、元々「習え右」の傾向が強かったが、それでも気骨ある
人々の頑固な「状況判断」は、付和雷同の「空気」世論を多少修正
する作用があった。それが、いまは無くなってきている

ある人は、現在の日本の状況が戦前の日本に似てきたと言う。一億
総玉砕思想とも言うべき「習え右」体質が、マスコミが作り上げた
“世論”という「空気」に左右され、流されて、その結果が「悲惨
な戦争」だった

懲りない日本人は、再び「空気を読」んで「民主党の政権交代」を
成立させた
彼ら選挙民が作った政権下で東日本大震災が起こり、原発事故が起
こった。それに対処する民主党政権の体たらくは周知のとおりだ
民主党は、選挙前には言わなかった「増税」を始めとする「マニフェ
スト違反」を繰り返した。無能総理、無能大臣が連続して登場した
世界の笑い者政治家が多く出た。日本を舐めた隣国に領土を侵され
そうになっている。そして日本の景気は依然として停滞している
生活保護申請者は戦後最大だ。それらの責任は、誰にあるのか

選挙民たる日本国民だ

選挙民は、「マスコミに扇動された」等という恥ずかしい言い訳を
する前に、自らの「愚」を深く反省すべきなのだ。常日頃、深い思
索と考察を怠らず、その上で「状況判断」する人間ならば、結果を
誰かのせいにするなどという愚かはしないはずだ
ましてや「一度民主党にやらせてみましょう」とほざいたマスコミ
連中は、現政権を非難する前に、「伝える側としての無能」を謙虚
に反省すべきなのだ。最も、そのマスコミをこれほどまでに増長さ
せたのも国民なのだが…

全ての愚行の発端は「空気を読んだ」ことだ。この曖昧な、実体の
ない「空気」は、マスコミや知識人とされる人間たちも支持し、「空気」
に反抗する人間を「空気の読めない奴」として弾圧し始めた
その結果、「空気」は次第に権力さえ持ち始めた。この権力は、様々な
それも重要なことを決定する主役となり、「風評被害」や「世の中の
偏見」をも増長させた

この「空気」を創り、増大させ、権力を持たせたのは、国民だ。国民
の創り上げた、この“フランケンシュタイン”は、逆に国民を動かし
配下においている


さて、橋下大阪市長率いる「大阪維新の会」に対する期待が大きいと
いう。更に、石原東京都知事が起こそうとしている政治グループ「東
京維新の会(仮)」にも注目が集まっている。これら新勢力への期待の
増大の要因は、ひとえに現在の政治不信だが、つまらない政治家たちを
選んだ自分たちの愚を棚に上げて、ましてや選挙にも行かないで
「政治不信」はジョークにもならない
そういった“選挙民”は「空気」を読んで、時期衆院選では、きっと
雪崩のように「新勢力」に投票するのだろうが、僕はあえて「同じ轍
を踏むだけですよ」と言いたいが、余計なお世話か…

前回の選挙での民主党候補者の多くが、「一旗上げよう」という野心の
塊や「就職」のための連中だった。そして実際に当選した議員たちを見ると
小沢グループの会合で弁当を食い気勢を上げ、議員であり続けることだけに
熱心な輩だらけだった。陳情に行っても話しは聞くが党の上には上げない
(報告しない)。ただ聞くだけ。そして話を聞いた最後には「献金のお願い」
だけは欠かさずにする連中だらけだった

さて、今回、維新の会の勉強会に参加した人たちと、前回の民主党新人候補
たちは、どう違うのか、興味深々なのだ

しかし、このブログに、この時期に、こんな内容の書き込みを載せるなんて
本当に僕は「空気の読めない奴」なのだ
友達が少ない訳だ…
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善意の上に成り立つシステムの脆さ

2012年05月20日 16時21分24秒 | Weblog
 
利根川水系から水を引く浄水場から有害物質が検出され
千葉県の広域で断水があった。そして東京でも、その有
害物質が検出され、川の汲み上げを中止。幸い、別の水
脈があるので、東京は断水には至らなかったが、今回の
ことで、改めて水源たる「川の水」の重要性と、その川
の清潔は善意の人々の努力で保たれており、実は危険と
隣り合わせだということを認識した

つまり、悪意の一人が水源に「何か」を流せば、とんで
もない事態となるのだ

これは実に怖いことだ

善悪が曖昧になり、正しいことを「正しい」と言わなく
なり、それが原因で悪がのさばり、思想が乱れ、検察が
証拠を捏造し、警官が犯罪を犯し、中学生が殺人を犯す
など、昔は想像すらしなかった犯罪が増え続ける昨今…
善意だけが頼りの“システム”は崩壊の危機を招きかねない

アメリカの某公的組織のように、「想定外」はない程に
あらゆる事態を想定し、それに対処する具体策を講じて
準備する公的機関の設立が急務だ
ただ、いまの民主党政権では無理だ。彼らは、全てにお
いて評論家で他人任せ「当事者」意識が非常に希薄だ

だからといって、前の政権がベストとは思わないが…

ともかく、あらゆる危機(防衛以外の)に対処する機関を
創り、そこに「水源」部門を作って欲しい
その総責任者には、猪瀬東京都副知事のような人がいいが…
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ダモクレスの剣

2012年05月19日 13時46分00秒 | Weblog
 
先日、北朝鮮の実質権力者・金正恩第1書記が
自国の「核抑止力」の存在を改めて発表した

「俺は全人類を全滅させることの出来る
最終兵器たる核爆弾を持っている。俺たちに
少しでも不利益があれば、躊躇なくお前たちの
頭上で爆発させる。その時お前らの命は、完全に、ない!」


彼は、修羅と畜生界の屑たる暴力団のように
周りを威嚇し挑発し恫喝し脅しているのだ!
なんという傲慢。激しい怒りが沸点に達する

全人類の生命を危険にさらす卑劣な挑発は許せない
世界中の国々と市民が、声をそろえ非難すべきだ
核兵器の脅威をチラつかせ、何かを要求するなど
犯罪者と同類ではないか。そんな北朝鮮の指導者は
どんなに口汚く罵っても足りない。最低の下司だ
これは絶対に、絶対に許されないことだ!


と、ここまで書いて「おや~っ?」と気がついた
「核兵器を持っている」「我らに不利益があれば
躊躇い無く使うゾ」という脅し言葉
これは、米国もロシアも中国も、そしてイラクも
インドもパキスタンも、みーんなが使っている言葉だ
つまり、北朝鮮と同レベル…ということだ

現状の世界とは、そんな低レベルだったのか?
知性と教養と良識で潤った文化的先進国ばかりの
集合体じゃなかったのかと驚いてしまう
まるで暴力団の修羅の論理で世界の均衡は保たれているのだ
なんと幼稚で短絡的か。情けない限り…そう呟いていると
西側首脳たちが訳知り顔で話し始めた

「我々の核兵器は危険ではない。だが、イラクや
北朝鮮の核兵器はきわめて危険なのだ」

北朝鮮の核兵器とアメリカの核兵器は何処が違うのか?
自分が持つには良いが、アイツには持たせられない
そんな論理は驕れる者の暴論に過ぎない
西側の核兵器も北朝鮮の核兵器も、同じく世界を破滅
させる究極の破壊兵器ではないか
誰が持とうがダモクレスの剣、紐が切れれば鋭利で
無常な剣が、皆の頭、母親の心臓、乳児の胸にも刺さる
全世界が危険にさらされていることに何ら変わりは無い


東日本大震災では、福島で原発事故が起きた。多大な被害が出た
そうなって初めて「原発は危険」という声が高まり、「原発擁護」
の人々も「出来れば自然エネルギーが望ましい」と言い始めた
核兵器に関してはどうだ? 実際に“悲惨な事”が起きても
「核兵器は必要」論者は、自らの主張を下げないか?
否、絶対に「本当は核兵器の無い世界が望ましい」と言わないか?
そして日本は、過去に実際に原爆が投下され、悲惨の極みを
味わったのだ。それを忘れて、まだ「核兵器は必要」と言うのか?
そんな論者は、ただの懲りない愚か者ではないか
大事なのは、「核兵器を無くすのは無理」と訳知り顔で
言うのではなく、「核兵器は絶対悪」という声を上げることだ

暴力団は「必要悪」か? 否、そんな悪人集団は社会に必要ない
“彼ら”を認めないことが、“彼ら”の除去の一歩なのだ
全ての道理は同じだ。社会に、日本に、世界に必要ないもの
あってはいけないものは、堂々と声に出して「いらない」と
言わないと、いつまで経っても存在し続ける

だから言う「核兵器は絶対悪。そんなものはいらない」
「核兵器と我々人類は、共存などできない」と
「核兵器は必要という者は人類の敵だ」と
そして、アメリカやロシアや中国等のトップたちに
「あなた達は、北朝鮮と同じ穴の狢だ。人類を危険に
さらしている。恥を知れ」と
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コンプガチャは違法

2012年05月18日 13時46分24秒 | Weblog

松原消費者相がついに決断 
「コンプガチャは違法」と
違法に巻き上げた金銭は返還請求できる
莫大な返還金訴訟が起こるぞ~

グリーもDeNAもどうする~?
会社が危ないぞ~
ワイルドだぜ~

ま、自業自得だな
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気絶からの復活…再び、気絶

2012年05月17日 13時38分48秒 | Weblog

おっとっと 気を失っていて更新が滞った…
ナンチッテ…

しかし、最近の世の中は嘘と誤魔化しと
正邪の曖昧アヤフヤいい加減が酷すぎる

気の弱そうな東電のお客様担当役員に
騙されてはいけない。姑息な東電め!
彼のキャラで乗り切ろうとしている
ともかく値上げは反対だ!

役人が刺青をするのは個人の自由?
ふざけてはいけない。刺青はシロウトからの脱却
つまり“ヤクザな人間”への変身の儀式なのだ
公務員に“ヤクザ”はいらない。即刻クビだ!
なのに、彼らを擁護するアホコメンテーター
君らも、実は刺青している?

万引きしてクビになった教師に退職金1800万円!?
正邪が判らなくなっている教育委員会なんかいらない

国会議員の歳費を年間250万円に下げろ!
なんらかんら言って高給だから庶民の困窮が判らないのだ
高給だから、国会開会中にセブ島でゴルフなんかするのだ
月20万円以下の給与なら、自らのためにも必死になるだろう
必死の国会議員が200~300人もいれば日本は変わる
日本が変わったら、その国会議員を永遠に顕彰し栄誉を与える
子孫代々、誉れの身内を持ったことを誇るだろう
歳費が少ない分、交通費などの移動費用なんかの
必要経費は領収書さえあれば無限だ どうだ?
家族を養えない? 庶民は共稼ぎしているのだ
女房にも働かせて、子供にはバイトさせろ!

本当に全く 考えれば考えるほど頭にくる世の中だ
怒りで血管が…ブッチ  ウッ… 気絶…
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ゾンビは誰だ?

2012年05月13日 12時14分42秒 | Weblog

次々と襲ってくるゾンビ。彼らは化け物。人間じゃない
感情の欠片も無いエイリアンだ。やらなければやられる
だけ。殺す以外ない。彼らに向けた銃口の引き金を引く
のに躊躇は無い。むしろ躊躇いは自らの死を招く。最近
のゾンビは高性能の武器で襲ってくる。危険極まりない
だから、彼らの姿を見た瞬間に、何も考えず銃をぶっ放
すのだ。ともかく殺して殺して、殺し続けるのだ…

人気ゲームソフト、バイオハザードの話だ

人間を襲うゾンビを倒し続けるこのゲーム、一度ハマると
恐怖心の裏返しか、化け物殺しに火がついて、その闘争心
はなかなか消えない。迫り来る恐ろしいゾンビとの戦いの
スリルは脳を激しく刺激し、薬物中毒さながら陶酔してし
まう。ゾンビ殺しは止められない。止められないゲームに
疲労困憊し衰弱し、疲れ果てて自分がゾンビのようになっ
ても、コントローラーから手が離せなくなる。人間の最大
の弱点である“恐怖”からの逃避と抵抗という人間心理を
ついたゲーム。大ヒットするはずだ


さて、世界中に潜む憎むべきテロ集団や武装集団。暴力で自己の主張を通し
人間を蹂躙しようとする彼らは、最も卑劣で残虐で、そして無知で愚かな唾棄
すべき輩だ。爆弾を抱え、罪無き人々の中に入って自爆するなど、およそ血の
通った人間とは言い難い。その自爆による犠牲者の中には、若い妊婦やいたい
けな子供もいるのだ。絶対に許せない。彼らこそ生きるに値しない醜いゾンビだ
先進国の全ての軍隊は、大量の兵士を投入して、一人残らず壊滅させるべきな
のだ。そう、皆殺しだ。何故なら、彼らはゾンビだからだ。ゾンビを全て抹殺
し、清らかで正しい世界を樹立すべきなのだ。だから、ゾンビを殺すことは正
当な行為。殺して殺して、そのバラバラになった死体を放尿で侮蔑するなど当
然のことだ。誰からも責められるべきものではない。正しいことなのだ…


限りなく驕った忌まわしいアメリカ人め…。奴らは私たちが食事を取っている居間
にドカドカと入ってきて、父と母を殺し、妻と妹を殺し、息子と娘を殺した。奴らは
無差別に爆弾を落とし、私たちの家を破壊し、町を破壊し、罪無き人々の命を奪った
奴らが共産主義と戦っていた時は、親友面で近づき、猫なで声で武器と金と食料の提
供を申し出て我々を懐柔し利用した。だが東西冷戦が終わって暫くして、奴らは豹変
した。奴らにとって大事なのは、自分たちの信じる宗派の信者だけ。それ以外の異教
徒は人間ではないのだ。つい最近まで、肌の黒い人間にも人間の位を認めなかった奴
らだ、異教徒を人間扱いしないくらい朝飯前なのだろう
そして奴らは、千年も前からの怨念を再燃させ悪魔の本性を現した。その悪魔の顔で
無差別に我々の女や子供たちを殺し始めた。その数、ゆうに6千万人…。奴らは、も
はや人間ではない。油田の利権争いとイスラム排除に狂奔するゾンビだ。我々は、母
や妻や娘たちを殺したゾンビに復讐する。奴らを退治することは正義。賞賛こそあれ
誰からも責められるものではない。正しいことなのだ…


そう…これはゲームの話ではなく、地球上で起こっている現実のことだ。お互いに
相手を人間とみなさず、本気でゾンビだと思っている。ゾンビを殺すことに罪悪感
はない。正義と信じているのだ

だが、この敵が実はゾンビではなく、もともとは気の良い青年だったり、世話好き
なオヤジさんだったり、料理の美味い母親だったり、踊りの上手なうら若き乙女だ
ったり、パイロットになるのが夢の小学生だったならば、果たして爆弾を落とし銃
口を向けるだろうか
相手が野球好きな電気工だったり、子供の学費のためにパートに勤しむ母親だった
り、プロのバスケ選手を目指す学生だったり、手芸が好きな乙女だったり、医者に
なるのが夢の小学生だったなら、果たして爆弾を積んだ車を突っ込ませるだろうか

この地球上にゾンビなどいない。いるのは、夢を持ち家族を愛し
日常を暮らす人間たちだけだ

「この世にゾンビなどいない。いるのは人間だけだ」

オバマ大統領は、選挙目当ての「同性結婚を承認」を言う前に、そのセリフを言う
べきなのだ。そして「ともかく、お互いに殺し合いを止めよう。まず、人間として
向かい合おう」と…

「この世にゾンビなどいない。いるのは人間だけだ」

イスラム法学者たちは、それを声高らかに言うべきなのだ。そして「ジハード(聖戦)
は人を殺すことではない。自らを善き人間へと変革していく精神の戦いを言うのだ
人間の輪の中に入り爆弾を抱えて自爆しても、決して神の下にはいけない。むしろ
永遠の地獄に堕ちる」と…

世界の中の力のある数人が、この言葉を発すれば、事態は大きく変わるはずなのだ
だから彼らは、人類の未来のために「宣言する」責任がある

「この世にゾンビなどいない。いるのは人間だけだ」と…

ゾンビがいるのは、あくまで「ゲーム」のなかだけだ
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夜の何時に見られる?

2012年05月12日 05時52分39秒 | Weblog
 
テレビに真っ黒な背景に輝く「金環日食」が映っていた
今月の21日に、九州から関東にかけて見られる
天体ショーの予告をやっていたのだが
それを見たカミサンがボソッと一言

「金環日食って、夜の何時に見られるの?
 おきていられるかな?」

僕は驚愕で振り返った。「え!?」
「昼間に決まってるだろ?“日食”だよ!」
「夜見られるのは月食!」

それを聞いたカミサンはビックリ顔で
「そうなんだ…」

カミサンは、日食の背景が真っ黒だったので
夜に見られるものと勘違いしたようだが
彼女は本当に天然というか、オオボケ発言が多すぎる
もしかしたら日食の仕組みも判っていないのかも…




【金環日食】太陽の中心部が月に隠され、縁だけ輝く現象
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お湯を沸かすだけなのに原子力が必要?

2012年05月12日 02時08分13秒 | Weblog
 
電気を作る方法に幾通りあるが、現在は火力・原子力が主流になっている
その他に水力、風力、そして太陽光発電がある。さて、水力はダムなどで
川の水をせき止め、水の落下の力を利用してタービンを回転させ電気を作
る。風力も原理は同じで、水の代わりに風の力で羽根を回し電気を作る
この、水力・風力、そして太陽光発電は全体からするとかなり少ない発電量

火力も原子力も原理は同じ。火力発電は、化石燃料を燃やして水を沸騰させ
発生する蒸気の力でタービンを回し電気を作り、原子力発電は原子の核分裂
の際に発生する大きな熱エネルギーで水を沸騰させ、その蒸気でタービンを
回し電気を作るのだ

ま、簡単に言えばお湯を沸かして、その蒸気で羽根を回すという、言ってみ
れば実に原始的な発電方法なのだ。そのお湯を沸かすのに、高い化石燃料を
使うか、材料は比較的安価な核物質を使うかの話だ

だが、何か事故があった際、今回のように原発は膨大な人的・環境的・経済的
被害が生じる。たかがお湯を沸かすのに、そんなリスクを背負っていたのだ

何故に、こんな危険な「湯沸し」を作ろうと思ったのか…。それは利権だ
この「湯沸かし器」製作には膨大な金銭がかかり、その設置や設備点検、設置
場所の「ショバ代」、賄賂、天下り、その他いろいろ、文字通り、お金が湯水
のごとく使われるのだ。こんなオイシイ「湯沸かし器」はない
だから温存させたい。なにせ、お金こそが最優先だからだ。「原子力発電は必
要だ」と言っている輩は、全員うそつきか無知なおバカだ!

しかし、考えてもみてくれ。お湯を沸かすのに、本当にこんな莫大な費用と危
険が必要なのか?「お湯を沸かす」発想を止めて、その費用を使って、太陽光
発電以外にも画期的な発電方法が発明できるのではないのか?本当は発明の糸
口はあったのに、利権で食っている政治家や天下り予備軍の官僚たちが、妨害
してきたのではないのか?

ともかく、たかがお湯を沸かすのに、自分たちや
子供たちを危険にさらすのは大反対だ

「早く、別のお湯を沸かす方法を考えろ」


と…無名の僕は叫び続けるのであった
コメント (2)
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政府、電気料金値上げを認定!

2012年05月10日 06時17分07秒 | Weblog
 
「政府は、7月から電気料金の10・28%値上げを認定した」

てやんでぇ! その前にだ!オイラは今の政府を
認定してないぞ!





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会社を発展させる唯一の方法

2012年05月09日 16時22分31秒 | Weblog
 
消費者金融が、いわゆるグレーゾーン金利を長年にわたり採用し
莫大なグレー利益を得ていたが、法律を厳密に適用され、利用者
の求めに応じて返金せざるを得なくなった。結果、莫大な利益は
消えて、更には会社まで消えるハメとなった
“法律違反”と判っていて、バレるまで稼ぎ倒そうという、犯罪
に極めて近い「不正義な経営思想」の行く末は、「社会悪」のレ
ッテルを張られた上の倒産だったのだ

さて…大手ソーシャルゲーム会社の運営する課金システム型ゲームが
「違法」との決定が下った。これに関しては、会社側が宣伝する「無
料」の触れ込みを信じた子供が、それとは知らずゲーム中に課金され
て、親元に何十万円もの請求がきたことで、以前から社会問題にもな
っていた。にも関わらず、有名タレントによる“ゲーム勧誘”のため
のテレビCMはしつこいまでに流され続けたし、今も流れている

そして、今回の国による「違法」の判断。すると慌てて「グリー」の
社長は青い顔をしてマスコミの前に現れ「国の判断に従う」旨の会見
を開いた。今まで散々、消費者からの抗議を受け、公共機関からも注
意を受けていたにも関わらず「儲けるだけ儲けよう」姿勢は変わらな
かったのに、司法の場で「返金訴訟」が現実になって初めて、「ゴメ
ンなさい」をしてきたのだ。悪徳サラ金と変わらない態度だ

ある学者によると、返金訴訟を起こされた場合、返金額は数千億円に
上り、結果として会社存続は厳しくなるというのだ。消費者金融の破
綻の再現だ

このブログでも、問題が起こるかなり前に、「無料」と謳いながら課
金するシステムを採用する彼らの経営姿勢を痛烈に批判し、「社長は
犯罪者気質、詐欺犯と同じではないか」とまで書いた。僕の投げた石
は波紋にもならず、彼らには痛くも痒くも無い砂粒のようなものだっ
たに違いない。だが、ここへきてようやく国も動き出し、彼らの震撼
寒からしめる事態と成り始めている。僕としては当然という思いだ

どんな時代になっても、商売は「消費者の幸福」を第一にしないと成
り立たない。その姿勢こそが「まっとう」なのだ。消費者より、自分
たちの利益を優先する企業は必ず倒れる。過去を振り返るまでもなく
自明の理だ。だから経営者は「まっとう」を貫かなければならない
それこそが、会社を発展させる唯一の経営方法なのだ
コメント (2)
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