軍事政権下のミャンマーで、僧侶を中心とした反政府デモが起こっている。そのデモの様子を取材していた長井健司記者(50)が、ミャンマーの兵士に銃撃され亡くなった。
事件を伝える側を標的にする権力の横暴に、
人間を国家の下に押さえつけようとする傲慢に、
怒りで血が逆流し、視界が白くぼやけそうだ。
「命令」だからと人の命を簡単に奪う兵士の、
内面性を欠いた空虚な魂、その浅薄さに絶望する。
亡くなった記者のことを思うと、
悔しくて大地を叩き、地団駄を踏む。
記者のご家族にたいしても、言葉がない。
そして、フッと思った。長井記者の立場を…。
彼は、日本の某通信社の〝契約記者〟なのだ。
かなり以前、長崎の雲仙普賢岳の噴火があった時、
取材にあたっていた各局、各紙の記者が事故に巻き込まれた。
多くの記者が亡くなった。
その「教訓」があって、あまりに危険な取材には
「社員」は行かなくなった。
代わりに行くのが、下請け会社の、
それも社員ではなく〝契約記者〟である。
かつての自分もそうだった。
自分の場合、「社会面」担当ではなかったが。
彼らの中には、雇用保険に入っていない者もいる。
契約している会社が「業務委託」ということにしているのだ。
給与体系は、ほぼ「日雇い」と変わらない。
キー局も大手新聞も、その内情を知っている。
しかし、「そんなの関係ない」のである。
戦火の現地から、「いいネタ」を送ってくることだけが大事なのだ。
取材を依頼した記者が亡くなっても、局や新聞社は、
もっともらしく「目を伏せて」見せるが、
それだけである。
日本のジャーナリズムを支えているのは、
まるで日本の土建屋さんのように、
大手の社員ではなく、孫請け、曾孫請け会社の
それも〝契約記者〟なのである。
だから、日本には、真実を追求するため、命をもかける…。
そんな肝のすわった「本物のジャーナリズム」が育たない、という主張もある。
ちなみに、欧米では、「社員」が現場に行くのが当たり前だ。
もちろん、その雇用は日本とは違うけれど…。
話がそれてしまった。
長井記者には、心から哀悼の意を表します。
追伸
長井記者が撃たれた瞬間の衝撃的な写真が
世界のメディアに流れた。
もし…その写真が「なんだか」賞を獲得し
きらびやかなパーティーの席上
シャンパンを手に、笑顔でお礼の言葉を言う
カメラマンの顔を、
僕はどんな気持ちでながめるだろう…。
僕もやはり、伝える側として肝がすわっていない