「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

無能の人

2020年02月26日 17時13分55秒 | Weblog
特に最前列真ん中の人

なにせ行動が遅い
火星との衛星通信の方がまだ速い

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2020・2月の横浜

2020年02月20日 15時09分30秒 | Weblog
結婚記念など諸々重なるので昨年末に
横浜のホテルを予約。新型コロナの
影響を考えたが、折角なので、と横浜へ




ホテルは、間もなく100周年にもなる老舗
チャップリンやベーブ・ルース、そして
マッカーサーも愛用したホテルとか
映画のロケにも多く使われるらしい


夜は中華街へと繰り出したが
風評被害の為か、人通りが極端に少ない


早く、元に戻って欲しい
店々の人たちも、不景気で
倒産を心配している


春節の飾り付けが寂しく見えたのは気のせいか…


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最も強く信じられている宗教

2020年02月15日 16時50分15秒 | Weblog
世界の宗教人口の数を見ると、キリスト教が22億人
次いでイスラム教の16億人、ヒンドゥー教の10億人
が3番手につけ、仏教徒が4億人弱で5番手につく
さて、人口からみるとキリスト教が最も強く信じられ
ているように思うが、私の知る限り、朝も昼も、そして
眠るときさえ、強く神を思っている信者は、それほど
多くないように思う。特に都会は。むしろ、名ばかりの
信者で教会にも滅多に行かず、浄財を払うこともしない
何か困ったことがある時だけ天に向かって手を合わせる
おすがり信仰。信者としては劣等生が多いのでは…
ましてや、信仰のため命を投げ出し殉教を遂げる人は
数える程に違いない。だから、人数は多いが強く信じ
られているかと問えば、肯定は難しい
イスラム教に関しては、キリスト教徒より強信者が多い
のかも知れないが、これまた(あくまで)私の知る限り
では、イスラムの家に生まれたから宗教を受け継いでい
るだけで、また、イスラムは止められない教えなので
宗旨替えしない(出来ない)信者も多いと思う。実際
私の知り合いも、陰では(禁じられている)飲酒もするし
深酔いすると、私に「お前はいいな。止められる宗教で」
と愚痴を聞いたこともある。だから、キリストほどでは
ないが、劣等生はかなりの数いるように思う
ヒンドゥーに関しては全く判らないが、同じ感情を持つ
人間同士、五十歩百歩と思う
さて日本は、神道と仏教徒が圧倒的だろうが、その殆どが
おすがり信仰で、殉教もいとわない強信者は数人程度と
思う。(神官や僧侶の全てを含めても)

しかし、だ。世界には「強く強く信じられている」〝信仰〟
がある。その信仰のためなら命を賭してもかまわないという
強信者が、数十億人以上いる。キリスト教信者もイスラム
教徒も、ヒンドゥーも仏教も神道も、更には無宗教の人も
自らの信仰や信条より強く信じている。このためなら親も
殺し子も殺し、恩師も裏切り、神も仏も全て捨てる覚悟
さえ持っているようだ

その、世界中の人から強く信じられ、愛され渇望され
ほぼ例外なく平伏される信仰が、これだ




因みに、コレは人間が作ったものだ。神の啓示も仏の
血脈も何も受けていない。印刷機でガチャガチャと
作ったものだ。だが、人間の夢と欲望の殆どを叶える
神様に死ぬほど願っても、人生は変わらないが
これは人生を変えてくれる
実に興味深い
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私も感染したかも…

2020年02月14日 14時26分05秒 | Weblog
私も感染したかも知れない
否、新型ウイルスの話ではない
日本で、そして世界で蔓延し
多くの人々が侵されている
嘘慣れ症候群」のことだ
この病の症状として、白々しい嘘は勿論
重大な嘘に対しても「見過ごす」
「無感動にやり過ごす」「聞かなかった
ことにする」「一時は反応しても、やがて
何も感じなくなる」「ただ笑う」「仕方ない
と諦める」「だから何?」と言う等がある
そんな病人が増えると、政治家や官僚や
宗教家やマスコミや企業は、益々嘘を
量産するようになる…と、比例して
病気は拡大していく

この病気は、ある意味でエボラウイルス等の
高致死率の病気よりも怖い
何故なら、社会そのものが腐敗し壊れて
いくからだ
しかし、この病に利く薬はない。どの病院へ
行っても処方箋は貰えない
ただ、一人ひとりの市民が、自らを治そうと
懸命に闘病していくしかない
闘病で効果的なのは、新聞を読まない
週刊誌を読まない。ワイドショーを見ない
ネットニュースを読まない等があるが
それだけで治る訳ではない
結局は、自らの知性と正義漢を磨くしかない
が、これは難行苦行だ。少しでも油断すると
たちまち嘘慣れ菌が体内に広がっていく

私も、気づかないうちに、この病にかかったようだ
なにせ、政治家が何を言おうが、警察が
何を言おうが、法曹界や企業がどんな御託を
述べようが、全く気にならなくなっているのだ
そして、嘘を容認しているうちに、自らも嘘を
口にするようにもなった
「実は私…元MBLの選手なんです。ええ、エン
ゼルスの大谷君は、私の後輩です。昨日も電話が
あり、色々と相談に…」

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ダーウィンの話

2020年02月09日 17時02分45秒 | Weblog
チャールズ・ダーウィン(1809~1882)
言わずと知れた「進化論」の作者だ
生命の進化の大樹をあらわしたこの書物
出版当時はローマ教皇から、現在でも
キリスト教福音派から「あり得ない」
と拒絶されているが、実は彼、若い頃は
真剣に聖職者を目指してケンブリッジ大学で
神学を学んでいるのだ
神の僕になろうとした彼が、神の側から嫌悪
されている…なんとも皮肉な話ではある

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伝統・言い伝え・風習・因習に関すること

2020年02月01日 17時04分27秒 | Weblog
世界的歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ博士曰く
「私たちの〝価値観〟は、太古の祖先から
伝わる貴重な遺産だと言い張る。
とはいえ、私たちがそう言えるのは、祖先がとうの
昔に死んでいて、何一つ発言出来ないからにすぎない。
例えば、女性達に対するユダヤ教徒の態度を考えて欲しい。
今日、ユダヤ教超正統派は、公共の場に女性の画像を掲示
することを禁じている。掲示板や広告は、たいてい男性や
子供しか描かず、女性は決して登場させない。
(その理由は、古代から続く)「慎みの戒律」によってだという。
(中略)「我々は何千年にも及ぶユダヤ教の伝統に支えられている」
と説明する。
ユダヤ正統派の礼拝堂(シナゴーク)では、女性は男性から
注意深く隔離され男性の目に触れさせないようにしている。
(これは伝統だと言い張る。しかし、だ)イスラエルでミシュナ
(ユダヤ教の口伝律法)や古いシナゴークを考古学者が発掘したとき、
性差別の形跡は全く見つからず、女性を描いた美しい床のモザイクや
壁画が出てきて、その中には肌もあらわなものもあったという
事実を、どう説明すれば良いのか。
ミシュナを書いたラビ(ユダヤ教の指導者)たちは、いつも
そういうシナゴークで祈り学んでいたが、今日のユダヤ教正統派は、
そのような場所で祈るのは〝伝統に対する冒涜〟とみなすだろう…。
これと同じような古代からの伝統の歪曲は、イスラム教・キリスト教は勿論、
あらゆる宗教に見られる」

 
正視眼による考察だ。日本においても、これが当てはまる。
例えば今日、寺院などで高度な修行とされている「山ごもり」「断食」、
7年掛けて比叡山を歩き回る「千日回峰行」などがある。
素人には、常人には計り知れぬ何かとてもつない修行のように思える。
実際、これらの修行をやり抜いた者は「阿闍梨」という最高位に
就く事が出来るのだ。仏教創始者の釈尊が聞いたら、
さぞや涙を流して喜ぶだろう…。
しかし、事実は違う。妻子を捨てて出家した釈迦族の王子(後の釈尊)は、
当時のインドで信じられていたバラモン教の教えに従い、身体をいじめ抜く
荒行に耐え、断食も死の一歩手前まで続けた。だが、彼は突然、
それらの修行を「意味が無い」と止めてしまう。若者の父である王に命じられ、
釈尊に付き従い、共に修行をしていた五人の使者は若者の挫折に落胆し、
彼の元を去る。
その後若者は、人間の心の奥に内在する尊極の生命を覚知し、
悟りの境地に至るわけだが、その後の彼の一生を通して、弟子や信者達に
「断食」や「荒行」などの修行を行わせていない。
そんなものは「無意味」だからだ。インドから遙か離れた東の地で、
自分の教えと信じて断食や果てしない山歩きをしている者を見たら、
彼はなんと思うだろう。
また、現代の寺院では、よく「護摩焚き」なるものをしているが、
あれは古代インドのバラモン教徒がやっていた「火あぶり遊び祈祷」
もどきのもので、これも釈尊は否定している。仏教の祖が否定した事を、
滝の汗を流し顔をまっ赤にして有り難がってやっている姿は、
滑稽にさえ思える。
また比叡山・延暦寺では、常行三昧と称して、暗い寺院にこもり、
阿弥陀仏を礼賛する「念仏」を延々と唱えているらしいが、
これもまた不思議な光景だ。延暦寺は、言わずと知れた最澄
(伝教大師 767~822年)が開いた天台宗の総本山だ。
天台宗といえば、中国の僧・智顗(天台大師)が起こした宗派で、
釈尊が晩年説いた法華経を根本としている。その流れを汲むなら、
比叡山も当然法華経が根幹のはずだが、念仏を唱えている。
念仏は、法華経を完全否定している阿弥陀仏を礼賛するものなのだが、
それを熱心に唱えているのだ…。
世の中には、このような歪曲、すり替え、後付けが数多くある。
どうしてそうなってしまうのか…。身近な例で言うと「伝言ゲーム」に
似ている。非常に訓練され高い使命感を持った…例えば阿難陀、
迦葉等の釈尊十代弟子のように、命がけで師の教えを忠実に伝えきった
「伝言ゲーム」と、意識が低くヤッツケ仕事が常、丸投げが仕事と
思っている人間による「伝言」と、基礎知識もなく全てを自分の範囲で
勝手に解釈する人間達による「伝言ゲーム」、更には私利私欲に溺れ、
嘘と邪なものを抱えた人間による「伝言ゲーム」など、それぞれが
次元の違う内容になるだろう。そして、そこに「翻訳」の問題がある。
サンスクリット語から漢語、また日本語への翻訳者の質で、
内容は更に変わっていく…。
「それでも良いのだ」という生臭が居たら、その者は是非とも
死後に釈尊の前に出でて、同じセリフを言って貰いたい。
 
「本当はどうなんだ?」
この厳しい探究に耐えられて初めて、本物だ。
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