「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

沈黙では“金”ならず (抗議すれば金・銀・銅?)

2012年07月31日 12時15分47秒 | Weblog

フェンシング女子準決勝で、判定を不服として競技場に
座り込む韓国の選手。このお陰で、次の決勝が約1時間
遅れて開始される事態となった

なんとかしてよ

ジュリ~!


呼んだ? (by 沢田研二 古っ…)
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某農業大学のマンゴー

2012年07月29日 21時50分32秒 | Weblog
 
とある有名農業大学が
沖縄のある地方で作っている
最高級のマンゴーを頂いた
大きさは、赤ん坊の顔くらい
これとおなじ大きさの
宮崎のマンゴーは約1万円

引けをとらない大きさだ
明日 有難く頂く予定
ああ、功徳じゃ功徳じゃ 笑

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尖閣諸島に自衛隊!?

2012年07月28日 16時35分04秒 | Weblog

我が国の領土を自衛隊が護る…

理屈では、それは正しい事と理解できるのだが、実際に
それを映像にして思い浮かべると、とてもキナ臭く感じ
感情的に肯定できない自分がいる

尖閣諸島の話だ

先日、野田首相が衆院本会議での答弁で「尖閣諸島を含む
我が国の領土領海で周辺国による不法行為が発生した場合
は、必要に応じて自衛隊を用いることを含め、政府全体で
毅然として対応する」との見解を述べたのだ

国を守る総理として、正しい発言とは思うのだが…

尖閣諸島に最新鋭の自衛艦が配置され、砲弾を中国側に向け
ている図を想像すると、何故だか心臓が苦しくなり、手に脂
汗が滲んでくるのだ。戦争の予感がするからだろうか

中国は人口の増大による資源確保のため、今まではあまり関
心を持たなかった“海”に手を伸ばし始めている。それも形振
り構わぬといったやり方でだ。中国は、今や資源に飢えた超
大国なのだ。彼らにしてみれば「背に腹は変えられぬ」とい
う事なのだろうが、それが日本にしてみると、とても危険だ

こういう場合、「自分」を主張して衝突するのか、お互いに
何か知恵を出して解決するのかで、結果は大きく変わる

戦争という最悪を避けるためにも、互いの利害・感情を乗り
越えた「最善の策」を考えるべきなのだが、野田さんにそれ
を望むのは無理か…。同窓の議員よ、何か知恵は無い?
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今年92歳

2012年07月28日 11時56分45秒 | Weblog
 
我が家の愛猫モネは、僕とカミサンが一緒に暮らし始めた頃に
我が家にやってきた。まだ生まれて三ヶ月ほどの仔猫だった
それから19年の年月が経ち、人間で言えば92歳の老猫になった
だが、その顔は若い頃と変わらず、目つきもキリッとして
とても老いた猫には見えない。だが、今回のこの猛暑。急に
老化が襲ってきたようだ。ある日突然、後ろ足が地に足が着かず
腰がヤジロベエの様に左右に動き、フラフラしだしたのだ
いつもは40センチ程の高さのソファーへのジャンプも簡単に
(時には失敗するが)していたのが、ここにきて成功率はほぼ
0パーセント。カミサンが介護して乗せてやることが多くなった
自分でも、いきなり襲ってきた老いに戸惑っているのか
時折、不安な鳴き声を出す
「いつかは…」と、内心ではその日を覚悟してきたが、それが意外に
遠くないと認識させられ、少しばかり暗い気持ちになる。それでも
フラフラしながらも懸命に老いと闘い生きようとするモネに
生命本来が持つ力強さも感じる

ともかく頑張ろうゼ、モネ
お父さんも頑張るから…
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暑すぎて可笑しくなる

2012年07月26日 16時31分37秒 | Weblog
 
参った…
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イチローがNYに! 

2012年07月24日 10時35分22秒 | Weblog
 
いやー、久々にビックリするニュースだ
てっきりシアトルに骨を埋めるものと思っていた
MLBの至宝イチローが、なんとニューヨークに移籍

ヤンキース・ファンの僕としては歓喜ものだが
いや、ともかく驚いた。そして今日、いきなり
ヤンキース対マリナーズという皮肉な対決
俄然、メジャーが面白くなってきた

でも川崎は可哀想に…
松井も寂寥だろうな…
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ピントがズレている、野田総理もマスコミも…

2012年07月23日 11時51分41秒 | Weblog
 
野田佳彦首相が日曜日に、母校の早稲田大学で講演したんだと
そこで例によって「消費税増税を柱とする社会保障・税一体改
革関連法案の成立」のワンパターンを繰り返したんだと
まあ、報道は、法案成立に「政治生命を懸ける」総理の足を
民主党内で引っ張っている云々を中心に伝え、ついでに、学生
からの質問に苦笑い…で閉めていたんだけど、その総理が苦笑
した質問内容が「国民からの批判にさらされているが、総理は
国民に対して怒りや不満を抱くことは無いのか」というもの

これに対して野田さんは「国会でも訊かれない最も厳しい質問」
と話しながら、内心では「国民に怒りや不満を感じている」風を
みなぎらせ苦笑したらしいが、マスコミはこれに対して何のツッコミもなし

そこで偏屈者の僕は
物申す!


独裁国家以外で「国民に不満や怒りを感じる」宰相が何処にいるか!
民主主義国家での宰相とは“国民を命がけで守る下僕”の別称だ
国民の家来のことだ。家来が主人に怒りを抱くとは…
国民より自分が偉いとでも思っているのか。なんと不遜な輩
とんでもない勘違い男だ!
政治も経済も民のためにあるという精神の松下政経塾で、一体
何を学んできたのか!

マスコミもマスコミだ
勘違い男を正すこともない。根本たる民主主義が判っていない証拠だ
そんな基本も判らぬ奴らに“正しい報道”など出来るはずもない

全く嘆かわしい限り

と…今日も数本の頭の血管をぶち切らしたヘンクツ者なのであった…
体がもたん…
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で、出てこない…

2012年07月21日 16時28分50秒 | Weblog
 
うーーん、絶不調だ
アイデアも何もかも出てこない
こういうのを……ん? 
なんだっけ
言葉も出てこない

なんだっけ…なんだっけ…
ジャンプじゃなくストライクじゃなくて
キリングじゃなくてサンプルじゃなくて
コロンボは刑事だしコジャックも刑事で

なんだっけ…うーん
ドクターじゃなくトランプじゃなく
スタンプじゃなくスマップじゃなく…
あ…

スランプ!


こんな言葉も出てこないようじゃ…重症
ダメじゃん
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バンザイ! 付和雷同

2012年07月21日 07時31分55秒 | Weblog
 
いいなぁ この人 発言が自由で
ま、発言した責任は、とらないけど…
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暑いときに見たくない顔↓↓

2012年07月19日 13時41分23秒 | Weblog

ただでさえ、顔を見ると腹が立つのに
暑いときには余計見たくない顔
だから、とりあえず更新


↓ ↓ ↓ ↓
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総理のお言葉

2012年07月17日 04時19分34秒 | Weblog
 

皆の者、頭が高い!
総理のお言葉なるぞ!



因みにこの方、テレビで「いじめは卑劣」と
いじめ撲滅を訴えたのだが、この方が言って
いじめがなくなるなら結構なことです…はい
何様? 野田様、総理様
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迷える「哲学者」たち

2012年07月16日 16時31分13秒 | Weblog
 
あれは昭和40年代の初め。小学1年生だった僕の、初めての夏休みが
終わった頃だった。突然、父と母が離婚した。理由は判らなかった
ただ「父さんと母さんは他人になった」とだけ告げられた。末の弟二人は
母の元に残り、僕と妹は父に連れられ、住み慣れた市営住宅を出た
そして、遠く離れた札幌郊外の古いアパートの一室に居を移し
ぎこちない親子三人の生活を始めたのだ

アパートは赤茶色に錆びたトタン張りの二階屋で、僕たち家族の部屋は
二階の一番奥にあった。階下の一部は何かの工場になっており、朝から
晩まで機械音が鳴り響いていた。工場の音は僕らが寝る時間になっても
止まなかった。布団の中にもぐり込んだ僕は、階下から響いてくる機械
音に紛れ、声を押し殺してよく泣いた。とにかく、母が恋しかった。二
人の幼い弟とも会いたかった。何故、こんな不幸が突然に襲ってくるの
かと、子供ながらに考えた。答えは出なかったが、人生の理不尽を肌で
感じ、運命に翻弄される身の不幸を嘆いた。子供の頃の自分にとって
家庭が崩壊し離散するというのは、この世が終わってしまうような衝撃
だったのだ
今でも、夕闇の空の向こうに工場の機械音が聞こえると、当時の記憶が
呼び起こされ胸がざわつく。人生の理不尽さに対する漠然とした悔しさ
と、大きな何ものかに翻弄される無力感、肉親との離別の悲しみが蘇り
鼓動が僅かに乱れ手に汗がにじんでくるのだ。母へ恋慕は遥か昔に消え
ているというのに…


アパート階下の小さな工場には、幾人かの壮年に混じって一人の若い工員
が働いていた。その青年といつの間にか顔見知りになり、挨拶を交わした
のをキッカケに親しくなった。僕は彼を「お兄ちゃん」と呼んで懐くよう
になった。お兄ちゃんはよくキャラメルをくれた。油まみれのお兄ちゃん
の手からキャラメルの箱を受け取ると、それを大事に両手で持ち帰り、妹
と丁度半分に分け、その1粒を口に入れた。「エヘヘ」と自然に笑顔になる
互いを見ながら、黙々と口を動かして甘いキャラメルを食べるひと時は、貧
しかった兄妹の唯一の至福の時だった。その幸福を与えてくれるお兄ちゃんを
僕は益々好きになり、本当の兄のように思い始めていた

お兄ちゃんは、何かというと「哲学」という言葉を口にした。「いまの政治
家には哲学がない」「あの歌は、哲学の匂いがしないから低俗なんだ」「哲
学って、本当に大事なんだゾ」
意味は判らないがフンフンと聞いていたのだが、何かの拍子に聞いてみた
「お兄ちゃん、哲学って…ナニ?」
するとお兄ちゃんは、少し驚いたように僕を見て「え? うん…」と、言葉
を詰まらせた
僕は、お兄ちゃんの顔をマジマジと見ながら答えを待った
暫くして、お兄ちゃんはやっと口を開いた。「哲学ってのはな…その、ここに
石が落ちているだろ? この道の石みたいなものでな…」と説明を始めた
だが、その話はドンドン“哲学的”になり、子供だった僕には到底理解できない
難しい語彙の羅列が続き、やがてそれは、傍目にも収拾がつかないものになっていった

やたらと「つまり」や「その、なんというか」を連発した。合間に「ニーチェ」や
「カント」という誰かの名前らしき言葉が紛れ、1度だけ「相対性理論」という
言葉も飛び出した。哲学と物理がどう結びつくのかは皆目不明だが、今思うと
お兄ちゃんの頭の中では「哲学」は「難しい」イコール「相対性理論」と連想
ゲームのように繋がり、思わずそれが口に出てしまったのかもしれない

「哲学とは…」。もしかして彼は、その問いかけ、人類が始まって以来、哲学者
たちが答えを探し求めている超難問、深遠な真理と初めて向き合ったのかもしれ
ないが、実際はどうだったのだろう。半世紀近く経った今となっては確かめよう
がない

ともかく、お兄ちゃんは汗だくになって「哲学」を説明してくれた
「な、判るだろ? 哲学って、そういうことなんだ」と、ようやく結論に漕ぎ
着けたことに安堵したのか、ホッとしたような笑顔を見せて汗を拭いた
僕は、実はサッパリ意味が判らなかったのだが、これ以上意味不明な言葉を聞く
のが面倒になったので「へぇ…そういうことか」と判ったふりをした

それ以来、「哲学」が嫌いになった

間もなくして、僕ら家族は再び別な場所に転居した。お兄ちゃんとはそれきりになった

その後の約10年間で、心休まる穏やかな日は数えるほどしかなかった。続かない
父の仕事のせいで転校を繰り返し、その父がアルコール依存症で入院した。僕た
ちは母の元に帰れると思ったのだが、経済的理由でそれは叶わなかった。他に身
寄りのなかった僕と妹は孤児院に送られ、やがて妹だけが里子に出され再び離別
の悲しみを味わった。気まぐれな運命に翻弄され続ける子供時代だった
天涯孤独に自棄になっていた青年時代の一時期は、半ば常軌を逸した、基軸のな
いハチャメチャなものになった。“人生設計”という言葉は、高級な冗談のように
思えた。設計などしても、予定通りには絶対にいかない。人生が順調に進んでい
る時に限って、突然に嵐が襲ってきて、積み重ねた様々な事柄や大切な思いを壊し
全てを空しいものにするのだと、無意識に思っていたのだ
青年期のある時期までは…


最近、あの「お兄ちゃん」のことを思い出す。彼はその後、どんな人生を歩んだ
のだろうか、と…
彼は当時、幾つくらいだったのだろうか。幼かった自分には随分と大人に見えたが
実際は一回りも違わなかったのではないかと思う。つまり、十代半ばから後半だ
記憶を辿り、彼の言動を振り返ると、そこには幼さが残り、しっかりとした学問の
足場もなかったように思う。おそらく、中学を出た後に何らかの事情で進学せず
場末の工場に勤めて間もない時期だったのではないだろうか
難しい語彙の羅列も、自分でも判らない「哲学」という言葉で“身を飾ろうとした”
ことも、高校へ進めなかった劣等感の裏返しだったのではなかったか。彼は、進学
した同級生に負けまいと、難しい哲学などの本の読破に挑戦したに違いない。だか
ら語彙だけは増えたのだ。その理解ほどはともかく…


「お兄ちゃん」のおかげで“哲学嫌い”となった僕は、およそ「哲学」に関連する
ものとは関わらないようにしていた。読書好きだったにも関わらず、哲学書などに
は手を付けなかったし、「哲学」を語る人とは距離を置いた。哲学を語る人は“言葉
と思考の迷路に苦しむ人”というイメージがあったし、何より関わるのが面倒臭かった
そんな僕が「哲学」に関して興味を抱くようになった
それは、ある青年の一言からだった

その青年とはバイト先で知り合った。仕事の後、酒でも飲もうということになった
酒の席で彼は「ギターリストになりたい」と目を輝かせて夢を語った。僕には夢が
無かった。その日その日を生き延びることだけが人生の全てだった。夢を語る彼を
羨望の目で見た。彼の口から僕の知らない演奏者の名前が出て、その演奏者がいか
に凄いかを熱く語った。退屈な話に、ただ「へぇ」と相槌を打つだけだったが
彼がギターそのものについて話しはじめた時、僕は強い興味を覚えた

ギターは温度や湿度などの環境によって木製の本体も変化し、弦も伸びたり縮んだ
りと大いに影響される。体温の高い汗っかきの演奏者とそうじゃない演奏者の楽器
にも音に違いが出る。更に、長い間弾き続けても、弦に緩みが出て音が変わる。調
律せずにそのまま弾いていると、正しい音が出ずに良い演奏が出来ない。楽器は知
らない間に、音が微妙にズレてくるのだ。それは初めは気付かない。そのままにし
ていると演奏者もズレに慣れてしまって、だんだんとズレていく音が当たり前にな
り、最後には酷い演奏となる。だから楽器は常に調律しないと駄目なのだが、絶対
音感の持ち主以外は道具を使って音を調律する他ない。その調律に使う道具が音叉
(おんさ)だ。音叉は常に正しい音を演奏者に教えてくれる
だから音楽家にとって、音叉は何より大事だ



「人間も全く同じじゃおませんか、ってことだよね」
青年は最後にそう言って笑った
「え?」と僕が聞くと
「だってそうだろ? 人間も環境や自分自身のせい、例えば慢心、怠惰、油断で
どんどん低い方に変化していくだろ? だから、自分を正しく律するものが必要
なんだ。楽器に音叉が必要なようにね。人間にとっての音叉は、哲学だよ」
久々に聞いた「哲学」という語彙に少しばかり衝撃を受けた。それ以上に、「楽器
には音叉」「人間には哲学」というフレーズにショックを受けた

「そうか…人間には哲学が必要なんだ…」
お兄ちゃんの顔が頭に浮かんだ。そして、哲学を避けてきた自分の人生を振り返った

親に捨てられ、妹や弟たちとも離れ離れになり、施設で育ち、まともな学問も身
に付けられず、自分を守ってくれる肉親もいない世間で孤独に生き、無頼漢のよ
うに酒と女と喧嘩に明け暮れ、社会に対して何の善なる貢献もしてこなかった
もし自分に「人生の音叉」があったならば、最悪な子供時代という環境だったと
しても、全く違う人生を過ごしたのではないか。そんな後悔が脳裏を掠めた

だが、命を失いかねない極道との喧嘩が避けられなくなり、いよいよ最期かと思った
矢先に、突然状況が変わり命拾いした際も、ちょっとの差で事故から助かったり、そ
の他にも「よく生きてこれた」と思うようなことを経験を幾度となくしてきた際も
青年なら誰でも考えるであろう「人生とは何か」「生きるとはどういうことか」
「自分は何故、ここにいるか」「自分とは何者か」という漠然とした思考を
無意識に繰り返し、その答えを求めていたのも事実だった
つまり、「人生の音叉」たる「哲学」を探し求めていたのだ


「人生とは何ぞや」
「哲学とは何ぞや」

「哲学」を辞書で引くと「世界・人生・思考などの根本原理を深く追求する学問」
(日本語大辞典・講談社)。「人生の方針。事をする上での拠り所」(国語辞典・
小学館)とある。また、哲学者は「哲学の研究に携わる者」(広辞苑・岩波書店)と

誰しも自分の運命や生き方全般について悩み、何がしかの答えを探し求めている
のではないだろうか。その意味からいえば、学位がなくとも、誰れもが人生の不
思議を探求する「哲学者」なのだ。今のところ、僕が知りうる限り、学位のある
殆どの「哲学者」は、“森羅万象を貫く根幹の仕組み”や“価値的で美しく善な
る人生とは”に関する明確な答えを見つけてはいないようだ。「ダークマター」の
正体を掴めずにいる宇宙物理学者と現状は同じように思える。対象物の核に辿り
着けず、その遥かに遠い周りを突きまわし、あーでもない、こうでもないと騒い
でいるに過ぎない


演奏が終わった時に「最高の演奏」ならば
楽器を音叉で正しく調律したことが判る
「価値的で美しく善なる人生」で命を終えた人は
正しい哲学に生きた人ということになる
逆に、「人生の音叉」を持たない人、または見かけは音叉だが、U型だけを真似た
紛い物で音の基準を計っている人の生き方は、年をとるにつれて次第にズレが大き
くなり、傍目にも明らかに「狂った音」の人生となっていくのだろう。そうした
「人生の音叉を持たない人たち」が嘘や隠蔽や保身の人生を送り、付和雷同、烏合
の衆、愚民となって、社会に害なる音を響かせるのだろう

学位の無い「哲学者」だったお兄ちゃんは、現在、何事もなく存命ならば、とうに
還暦は過ぎているはずだ。彼は今「人生の音叉」を見つけ、美しい人生の旋律を奏
でているだろうか。そして妹や弟たちも…
穏やかな日も、激流の日も、暴風雨の日も、いつも正しい音を外さず、一喜一憂せず
どんなときにも、“音叉に共鳴する本来の自分”でいるだろうか
数十年を経て、こんな思考に辿り着けたのも、激動の子供時代があったらばこそ
そしてお兄ちゃんとの出会いがあったればこそと、今は有難く振り返る自分がいる
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悪代官と越後屋みたい…

2012年07月15日 09時31分07秒 | Weblog
 
会見する大津市の中学校の校長(左)と
澤村憲次・大津市教育長

なんか、悪代官(右)と越後屋の
悪事隠蔽会見みたい…

「お主も悪よのぉ~」って感じか

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正義の味方の嘆き…

2012年07月14日 16時52分46秒 | Weblog
 
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その能力に疑問…

2012年07月12日 14時14分01秒 | Weblog
 
若くして大津市長になった越直美氏
その若さ、そして女性であることに
期待したのは僕だけではあるまい

しかし、何か問題があったときに
その真価が現れるというが
彼女の場合…かなり疑問だ
行政の長としての能力はあるのか?
今後に期待したいのだが…

日本の将来のためにも
若者のため、そして女性のためにも
真に能力のある「女性政治家」よ

出てこいや!


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