「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

リビアの今後…

2011年10月24日 16時35分21秒 | Weblog

42年間に渡り、北アフリカ・リビアで独裁政治を
行っていたカダフィが死んだ。独裁者に代わって
実権を握った反カダフィ派「国民評議会」のアブ
ドルジャリル議長は、リビアの「解放」を宣言し
その式典で、“シャリア”と呼ばれるイスラム法を
国法の基本となることを発表した

シャリアに基づけば、銀行の利子は原則として
禁止され、妻も4人まで持つことを許されるという
イスラム教がより厳格に国民生活に関わってくるの
だが、それには「女性は4人の夫を持てる」とは記
されていない…

今まではカダフィが国民を管理してきたが、今後は
“宗教”が国民を管理するということか…
リビア国民は、新たな“独裁”に苦しむことになら
なければいいが、という懸念は杞憂か

イスラム教では、女性が肌を露出することを禁止し
ている。そのため、イランの女子サッカーチームが
写真のような“ユニフォーム”を着ることを余儀な
くされ、それがW杯規定に反するため、試合に出る
前に失格となり、イランチームはワールドカップに
出場できなくなった。悲しむ彼女たちの姿を見て
彼女たちの無念を思い、僕も同じく悔し涙を流した



一体、宗教とは何なのだろう。本来は、人を幸せに
するための教え、哲学なのではないのか
イスラムだけではなく、キリスト教もユダヤ教も
そして戦前の日本の神道や、今の一部の仏教など
人間の上に君臨し、“神と人間の仲介役”とされる
牧師や、“仏の次の位”とされる坊主が信徒よりも
「偉い」と信じさせ、「言うことを聞かないと地獄
に堕ちる」と脅し、金を巻き上げ、跪かせている
また、それに疑問を抱かない信者たち…

この、今の現状を、マホメットやキリストや仏陀が
見たら何と言うだろう

彼ら宗祖は、「全ての民衆の幸福」を願い「生命の尊厳」を
教え「平和」を求めていたはずなのだ
“自宗の信者のみ”という風に、民衆を狭量に区切っては
いなかったはずだ。皆が誇らしい人間として伸び伸びと人生
の幸せを満喫して貰いたい。そう思っていたはずだ
宗教の名の下に信者を睥睨(へいげい)し、自分の家来か
子分と勘違いする神父や坊主がいたら、烈火のごとく怒り
それこそ“破門”にしていたはずだ。ましてや、人間を奴隷
化させ、殉教を強いるのは、邪教と断じていたはずだ


彼ら宗祖は、全ての人間を自らの大きな愛で
抱えていたはずなのだ。それを後世の偏狭な
宗教指導者たちが、宗祖に遥かに及ばぬ狭量
な人間性ゆえに、宗祖が慈愛で抱えた「全民
衆」を「自分たち信者のみ」に差し替え、
「全ての生命の尊厳」を「信者のみの命」に
差し替え、「平和」は自分達のみの「平和」
にすり替え、宗教の根幹たる「他者への尊敬」
や「寛容」を捨て、他宗の人間は「人間」と
して扱わないという教えに変えてしまった

そんな教えは人間を不幸にするばかりか、世界
をも壊してしまう

折角、国民を抑圧する独裁が終わったのだ
リビアは、そんな“変節”した教えに戻る
のではなく、本来の宗祖の教え、本当の
「原点」に戻るべきと思うのは、余計な
お世話だろうか…?
コメント
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