「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

老人たちを描いた昼のドラマが終わったが…

2017年09月30日 16時14分18秒 | Weblog
超大物脚本家・倉本聰氏が書いたテレビドラマ
「やすらぎの郷」が終わった。私は録画して毎回
欠かさず観たのだが、読後感ならず観後感は、
スッキリとしないものだった。理由は、登場人物
の多くが、そして主人公が、実に俗っぽく志が低
いと感じたからだ。これが今の老人たちの実相だ
としたら、なんともやるせない。
また、「死」の扱い方も合点がいかない。死は全
ての人間に訪れる最後の事実だ。最後の事実が忌
み嫌う不幸だとしたら、人間は不幸になるために
生まれたことになる。更に、80歳を過ぎた主人公
が、20代の女性に微かだが下心を持つ設定も、な
んとも汚く感じられた。
聖人君子を描いて貰いたいわけではないが、若者が
尊敬できるような老人が観たかった。

私の周りには、尊敬できる老人が何人もいる。現役
時代の職業は、大工、教師、会社員、商売人と様々
だが、彼らの人生に対する姿勢が清潔で真摯だ。他
人のために少しでも役立ちたいという思いに溢れて
いる。そういう老人たちを描いた物語を、いつか誰
かが書いてくれると良いのだが…

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タンメンとサンマーメンの「かみ山」

2017年09月18日 12時15分33秒 | Weblog

農大通りと城山通りの交差点そばに
「かみ山」なるラーメン屋さんが出来た
で、早速のれんをくぐる

イチオシと書かれたサンマーメンにするか
迷ったが、結局 タンメンを注文




美味いのだ!





今度は焼きそばを頼もう
ビールつきで…



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カミサンと北朝鮮のミサイルの関係とは…

2017年09月15日 12時59分57秒 | Weblog

今朝、突然にJアラートが鳴った
北朝鮮が性懲りもなくミサイルを
発射させたのだ
「いい加減にして貰いたい」
テレビ画面を見ながら怒る私に
カミサンがボソッと
気になることがあるのよ」と

カミサンの言い分はこうだ

ずっと前にテポドンが発射されたときも
その後のミサイル発射の時も、先月の
ミサイルの日本上空通過の時も、そして今回も

「決まって、私の休みの日なのよ」

「もしかしたら、私の休みを狙って
 発射させてるのかもしれない…」

と、真剣に語り「どう思う?」

僕は真剣に返した

「うん、きっとお前の休みに合わせてるんだよ」

「そうかな…」と不安顔になるカミサン

私は心の中で思った。松本伊代も塙の奥方も
うちのカミサンには敵わないに違いない…と
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生涯で2番目にマズイ つけ麺

2017年09月05日 14時00分58秒 | Weblog

いゃあ、続くときは続くもんだ
以前に訪れた東日暮里の
にゃがにゃが停に行こうとしたら
火曜は休み
仕方なく近くのラーメン屋で
「カレーつけ麺」を注文
かなり年配の太った店員が
タンの絡んだ汚い咳をしていたので
嫌な予感がしたのだが
案の定 つけ麺を運ぶ手の爪が汚い


「あ~ 外れか」

ハエも飛んでるし 灰皿もある(喫煙可なのだ!)
味も三流 値段は一流
なんだかな~

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生涯で一番まずいラーメン

2017年09月03日 13時04分58秒 | Weblog
 
いやビックリした
どことは言わないが
経堂近くで最近開店した
白湯系ラーメン屋
見た目はまずまずだが
食べてみたら…

生涯で一番まずい
ラーメンだった


一口食べて金を払って
帰ってきた
なんか腹立たしいのだ

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地獄の詳細 仏典より

2017年09月01日 13時50分03秒 | Weblog
仏典を紐解いていたら「地獄」について
書かれていたものがあった
現代語に訳したものを掲載する
ただ、ここに書かれた地獄に落ちる
者は破戒僧等が対象らしいのでご安心を
また、自殺は「自分」という人間を
殺すことになるので、「殺人の罪」
に入るようだ
まあ、ご興味のある方は読んでください





第一に八大地獄の因果を明かせば、
 第一に等活地獄とは、この閻浮提の地の下、一千由旬の所にある。
この地獄の広さは、縦と横が等しく一万由旬である。この中の罪人は、
たがいに殺害心を抱いている。もしもたまたま見ることがあれば、
犬と猿とが出会ったようなものである。おのおの鉄の爪で互いに
身をつかみ裂き、血肉がなくなってただ骨だけが残る。あるいは
獄卒が手に鉄杖を取って、罪人の頭から足にいたるまで皆打ち砕く。
身体は砕けて砂のようになる。あるいは利い刀で細かく肉をさく、
しかし、そのたびにまた身体はよみがえり、よみがえりして同じ
苦しみを繰り返すのである。
 この等活地獄の寿命は、人間の昼夜五十年を六欲天の第一の
一日一夜として、四王天の天人の寿命は、五百歳であり、四王天の
五百歳をこの等活地獄の一日一夜として、その寿命五百歳である。
 この地獄に堕ちる業因をいえば、生き物の命を断つものがこの
地獄に堕ちる
。螻・蟻・蚊・等の小虫を殺した者も、懺悔しなければ
かならずこの地獄に堕ちるのである。譬えば針のような軽いもので
あっても、水の上に置けば必ず沈むのと同じである。また懺悔しても
懺悔した後で重ねてこの殺生罪を作れば、その後の懺悔ではこの罪は
消えがたい。譬えば盗みをして牢獄に入れられた者が、しばらくして
から後に許されて牢獄を出たとしても、また重ねて盗をして牢獄に
入れられたならば、今度は容易に許されがたいのと同じである。
 それゆえ今の日本国の人は、上一人から下万民に至るまで、この
地獄をまぬかれる人は一人もないであろう。どれほど持戒の評判を
とった持律の僧であっても、蟻や虱等を殺さず、蚊や?をあやめない
ことがあろうか。ましてその他の山野の鳥や鹿、江や海の魚を毎日
殺す者や、それにもまして牛や馬や人等を殺す者がこの地獄に堕ち
ないことがあろうか。
第二に黒繩地獄とは、等活地獄の下にあって、縦横の広さは等活地獄と
同じである。獄卒は罪人をとらえて、熱く焼けた鉄の地面に伏し倒し
熱く焼けた鉄の繩で身体に墨縄をうち熱く焼けた鉄の斧でその跡に
さそってきり、裂き、削る。また鋸でひく。また左右に大きく鉄の山
がある。山の上に鉄の幢を立て、鉄の繩をはり、罪人に鉄の山を背負
わせ繩の上を渡らせる、罪人は繩から落ちてくだけ、あるいは鉄の幢に
突き落とされて煮られる。この苦しみは、先の等活地獄の苦しみより
も十倍である。
 人間の百歳は、六欲天の第二のトウ利天の一日一夜である。
そのトウ利天の寿命は一千歳である。この天の寿命を一千歳を一日一夜
として、この第二の黒縄地獄の寿命は一千歳である。殺生のうえに
偸盗といって盗みを重ねた者がこの地獄に堕ちる。
 今の世の偸盗の者の中で、物を盗むうえに物の主を殺す者は、
この地獄に堕ちるのである。
 第三に衆合地獄とは、黒繩地獄の下にあり、広さは上の二つの
地獄と同じである。多くの鉄の山が二つづつに向かい合っている。
牛頭や馬頭等の獄卒が手に棒を持って罪人を駈りたて山の間に
追い入れる。この時、両側の山が迫って来て合わさり罪人を押し
つぶす。罪人の身体はくだけて血が流れて大地に満ちる。
そのほか、この地獄には種々の苦しみがある。
 人間の二百歳を六欲天の第三の夜摩天の一日一夜として、
この夜摩天の寿命は二千歳である。この天の寿命を一日一夜として、
この地獄の寿命二千歳である。殺生・偸盗の罪のうえに邪婬といって
他人の妻を犯す者は、この地獄の中に堕ちるのである。
 ところが、今の世の僧や尼や在家の男女の多くは、この罪を
犯している。とくに僧にこの罪を犯す者が多い。在家の男女は、
夫婦としておのおのが互いに守り合い、また人目を忍べないので
この罪を犯さない。僧は独身であるから、婬欲を満たす機会が乏しい
ところに、もし相手が身籠ると父は誰かと糾され露見してしまうので、
独身の女人を犯さず、もしや隠し通せるのではなかろうかと、
他人の妻をうかがい、犯したのちも深く隠しておこうと考えている
のである。今の世のことのほか尊く見える僧の中に、とくにこの罪を
犯す者が多くいるであろうと思われる。それゆえ、大部分は今の世に
尊く見える僧が、この地獄に堕ちるのである

 第四に叫喚地獄とは、衆合地獄の下にあり、縦横の広さは前
の衆合地獄と同じである。獄卒は、荒々しい声を出して弓矢で罪人
を射る。また鉄の棒で罪人の頭を打って、熱く焼けた鉄の地面を
走らせる。あるいは、熱く焼けた煎架に何度も打ち返して罪人を
あぶる。あるいは口を開けさせ、沸いている銅の湯を入れると、
五臓が焼けて下からただちに出てくる。
 この地獄の寿命をいうと、人間の四百歳を六欲天の第四の都率天の
一日一夜として、また都率天の寿命は四千歳である。その都率天の
四千歳の寿命を一日一夜として、この地獄の寿命は四千歳である。
この地獄に堕ちる業因をいうと、殺生・偸盗・邪婬のうえに飲酒
といって、酒を飲む者がこの地獄に堕ちるのである。
 今の世の比丘と比丘尼と優婆塞と優婆夷の四衆で、四衆で大酒を
飲む者は、この地獄の苦をまぬがれがたいであろう。大智度論には
酒に三十六の失を挙げ、梵網経には盃をすすめる者は五百生の間、
手のない身に生れると説かれている。人師の注釈には、ミミズの
ような者となると書かれている。まして酒を売って人に与える者、
それにもまして酒に水を入れて売る者においてはとうてい及ばない。
今の世の在家の人々は、この地獄の苦しみをまぬがれがたい。
 第五に大叫喚地獄とは叫喚地獄の下にあり、縦横の広さは前の
地獄と同じである。その苦の相は上の四つの地獄のすべての苦しみの
十倍も重い苦しみを受ける。寿命の長短をおうならば、人間の八百歳は、
六欲天の第五の化楽天の一日一夜であり、この天の寿命は八千歳である。
この天の寿命、八千歳を一日一夜として、この地獄の寿命は八千歳である。
殺生・偸盗・邪婬・飲酒の重罪のうえに、妄語といってうそをついた
者がこの地獄に堕ちるのである。
 
今の世の多くの人は、たとい賢人や上人といわれる人々でも、妄語を
しない時はあっても、妄語をしない日はない。たとえ妄語をしない日は
あっても、妄語をしない月はない。たとえ月はあっても年はない。
たとえ年はあっても一期生の間、妄語をしない者はいないであろう。
もしそうであるなら、今の世のすべての人は、一人ももれなくこの
地獄をまぬかれないのである。
 第六に焦熱地獄とは大叫喚地獄の下にあり、縦横の広さは前の
地獄と同じである。この地獄には種々の苦しみがある。もしこの
地獄の豆粒ほどの火を閻浮提に置いたとすると、一時に閻浮提が
焼け尽きてしまうであろう。まして罪人の身のやわらかいことは
閻浮提の堅さに較べれば綿のようであるから、激しく焼かれる苦
しさはいうまでもない。
 この地獄の罪人は、前の五つの地獄の火を見れば冷たい雪の
ように感じるのである。譬へば人間界の火でも薪の火よりも鉄や
銅の火のほうが熱いのと同じである。
 寿命の長短をいえば、人間の千六百歳を六欲天の第六、他化天
の一日一夜として、この化他天の寿命は千六百歳である。この天
の寿命千六百歳を一日一夜として、この地獄の寿命は一千六百歳
である。
 この地獄に堕ちる業因をいえば、殺生・偸盗・邪婬・
飲酒・妄語のうえに邪見といって仏法が説く生命の因果を否定す
る者はこの地獄に堕ちるのである

邪見とは、ある人のいうには「人が飢えて死んだならば天に生まれる」
などの考え方である。
 総じて因果を知らない者を邪見というのである。世間の法では、
慈悲のない者を邪見の者という。今の世の人々は、この地獄に堕
ちることをまぬかれがたい。
 第七に大焦熱地獄とは焦熱地獄の下にあり、縦横の広さは前の
地獄と同じである。前の六つの地獄の一切の苦しみに十倍して重く
受けるのである。その寿命は半中劫である。
 この地獄に堕ちる業因をいうならば、殺生・偸盗・邪婬・飲酒・
妄語・邪見の罪のうえに、戒を清浄に持っている比丘尼を犯した
者がこの地獄に堕ちるのである。また、比丘が酒をもって不邪婬
戒を持っている婦女をたぶらかしたり、あるいは財物を与えて犯
したりする者がこの地獄に堕ちるのである

 今の世の僧の中で、多くの者がこの重罪を犯している。大悲経
の文に「末代には在家の男女の多くは天界に生じ、僧尼の多くは
地獄に堕ちる」と説かれているのは、このような姿をさしている
であろう。心ある人々は大いに恥じなければならない。
 総じて以上の七大地獄に堕ちる業因を諸経論によって考え
、今の世の日本国の四衆にあてはめて見ると、この七大地獄を
離れる人を見ないし、また聞きもしない。涅槃経には「末法の代
に入って、人間に生まれる者は爪の上の土のように少ない。だが
三悪道に堕ちる者は十方世界の細かな塵のように無数である」と
説かれている。もしそうならば、我等が父母や兄弟等の中で死ん
だ人は、皆、上の七大地獄に堕ちているであろう。残念であると
しかいいようがない。
 竜と蛇と鬼神と、仏と菩薩と聖人をいまだに見たことがない。
ただその名を聞くのみである。今の世に上の七大地獄の業を造ら
ない者をいまだに見たこともないし、またその名を聞いたことも
ない。ところが我が身をはじめとして、一切衆生で自分自身が
七大地獄に堕ちると思っている者は一人もいない。たとい言葉
では地獄に堕ちるとはいっても、心では堕ちるとは思っていない。
 また、僧や尼や在家の男女が、自分が地獄の業を犯していると
思っても、あるいは地蔵菩薩等の菩薩を信じ、あるいは阿弥陀仏
等の仏をたのみ、あるいは種々の善根を修めた者もいて、皆、
自分はこのような善根を持っているから地獄に堕ちるはずがない
などと思っていて、地獄をも恐れない。
 あるいはおのおのの宗旨を学習している人々は、おのおのの
智慧の分際をたのみとして、また地獄の業因を恐れない。しかし、
仏や菩薩を信じている人も、愛しい我が子や夫や妻を愛し、父母
や主君等を敬うのに比べればその思いに雲泥の差がある。仏や
菩薩等を軽く思っているのである。それゆえ、今の世の人々が
仏や菩薩をたのんでいるから、また、おのおのの宗旨を習学して
いるから地獄の苦しみはまぬかれるであろうなどと思っているのは、
誤った考えではないか。心ある人々は、よくよく思慮すべきである。
 第八に大阿鼻地獄とは、または無間地獄ともいう。欲界の最も底で、
大焦熱地獄の下にある。この地獄は縦横の広さは八万由旬である。
外に七重の鉄の城がある。この地獄の極苦についてはしばらく省略
するが、前の七大地獄ならびにその別処の一切の苦しみを一分とすると
大阿鼻地獄の苦しみはその一千倍もまさっている。この地獄の罪人は、
大焦熱地獄の罪人を見ると、他化自在天で楽しんでいるように見える。
この地獄の臭気をかぐならば、四天下・欲界・六欲天の天人は皆死んで
しまうであろう。けれども出山と没山という山がこの地獄の臭気を
さえぎって人間世界へ来させないのである。ゆえにこの世界の者は
死なないと見える。また、もし仏がこの地獄の苦しみをつぶさに
説かれたならば、人はこれを聞いて血をはいて死ぬだろうから、
仏はくわしく説かれなかったと思われる。
 この無間地獄の寿命の長さは一中劫である。一中劫というのは、
この人間の寿命が無量歳であったのが、百年に一歳を減じ、また
百年に一歳を減じていくうちに、人間の寿命・十歳になるまでを
一減という。ついで十歳から百年に一歳を増し、また百年に一歳
を増していくうちに、八万歳になるまでを一増という。この一増
・一減の時間を一小劫として、二十の増減を一中劫というのである。
この地獄に堕ちた者は、これほどの久しい間、無間地獄に住して
大苦を受けるのである。
 大阿鼻地獄の業因をいえば、五逆罪を造る人がこの地獄に
堕ちるのである。五逆罪というのは一に殺父、二に殺母、三に殺阿羅漢、
四に出仏身血、五に破和合僧である

今の世には仏はいらっしゃらない。したがって仏の身から血を
出すという罪はない。和合僧がないなら破和合僧の罪はない。
阿羅漢がいないから阿羅漢を殺すこともない。但し殺父と殺母の
罪だけがある。しかし、王法の禁めが厳しいからこの罪は犯しが
たい。もしそうであれば、今の世には阿鼻地獄に堕ちる人は少ない。
ただし相似の五逆罪がある。木画の仏像や堂塔等を焼き、かの仏像
等へ寄進したものを奪い取り、率兜婆等を切り焼き、智人を殺す
などする者が多い。これらの者は、大阿鼻地獄の十六の別処に
堕ちるのである。それゆえ、今の世の衆生は十六の別処に堕ちる者
が多いといえよう。また謗法の者⦅仏が説く正しい法を否定・
誹謗する⦆は、この地獄に堕ちるのである。

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