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以前、塩っぱいクリスマス・ケーキの話を書いた
家族がまだ揃っていた頃の懐かしい話だ
その記憶以外にクリスマスの思い出と言えば
児童施設、いわゆる孤児院にいた頃の
またまたケーキの思い出がある
それは今から40年近い前の話だ…
Xマスが過ぎた26日になると
売れ残りをケーキ屋が
孤児院に差し入れてくれる
それを皆で分けて食べるのだが
ケーキの上のデコレーションは均等ではない
イチゴの乗っている所
文字の書かれた板チョコのある所
小さなサンタ人形が乗った所と様々だ
イチゴやチョコが乗っている
ピースを貰った子供は喜び
何もないピースの子は泣き出してしまう
それが元で言い争いになったりする
施設の職員は、それを防ぐため
不平等にならないよう
飾ってあるデコレーションを全て取り
その飾りを更に均等に切って
1ピース毎に平等に乗せるのだ
それで配られたケーキには
四分の一のイチゴと細長い
板チョコの切れ端等が乗っている
皆は自分のイチゴと
他の子のイチゴの
大きさを見比べながらも
静かに食べるのだ
ある年のクリスマスの翌日
豪華で巨大なケーキの差し入れがあった
なんでも、地元有力者の
令嬢の結婚式が25日にあり
その際に出された超巨大ケーキが
児童施設に届けられたのだ
後で聞いた話だが
披露宴の司会が
「恵まれない子供たちのために
総額百万円のこのケーキは
孤児院に届けられます」と
声を張り上げ紹介したという
会場は万雷の拍手だったとか
慈善事業に尽力する有力者として
令嬢の父親は面目躍如
娘の晴れ舞台に自らも光を浴び
鼻高々だったに違いない
さて、その巨大ケーキは
令嬢の父親が経営する
大きなホテルの形をしていた
中庭まで菓子で作られ
その庭の中心には
クリスマス・ツリーまであった
全ては菓子で作られているので
どれも食べられるということだった
あまりに巨大なので
施設に届けられたものは
庭や木やホテルの部分等に分解されていた
それでも、全体像を想像することが出来
見たこともない大きなスケールのケーキに
子供たちは歓声を上げたのだった
ところで、これも後で聞いたことだが
施設の職員(センセイ)たちは
ケーキの解体の際
非常に困惑したという
それは、庭やクリスマスツリーは
砂糖や水あめ状のもので固く作られ
とても食べられたものではない
ホテル型のケーキの中身も
スポンジケーキだけではなく
その巨体が崩れないよう
木や針金で内部を固定していたというのだ
だから、それらを外して
子供たちにケーキを取り分けると
原形を留めず崩れてしまっていた
それでも、こぼれた生クリームを塗りなおし
体裁を整えながら
一皿ひと皿取り分けたのだ
そして、一日遅れのクリスマス会
僕ら子供たちは、そのケーキを食べた
すると…酸っぱいのである
生クリームが腐っていたのだ
おそらく、何日か掛かって作られたケーキは
披露宴が始まった頃には腐敗が始まっており
その後、熱気のある厨房の片隅に
置かれたままになっていたに違いない
それが施設に届けられたのだ
僕らはおろか、センセイたちも
ガッカリしていたのを記憶している
だが、ケーキを届けた有力者は
それを知ることも無く
「施しをしてやった」という
満足感でいたことだろう
「私はやりました」という
既成事実のためだけの行為だった
といわれても仕方が無い
食べる子供への配慮が欠けていれば
慈善は自己満足に過ぎない
むしろ、贈らない方が良かった
その日、結果的に子供たちは
辛いクリスマスを過ごした
その子らも僕と同世代
いいオヤジ・オバサンになっているはず
彼らも僕と同様、クリスマスが来るたびに
あの酸っぱいケーキを思い出すに違いない
そして、自己満足の慈善はニセモノであり
本当の慈善とは次元の異なるものということを
実感として感じていることだろう
見た目は同じように見えて
本物とニセモノは全く違うということを
僕らは子供の頃に学んだのだ
だから、あの有力者には
かえって感謝しなければいけないかも知れない…