「へンくつ日記」

日常や社会全般の時事。
そして個人的思考のアレコレを
笑える話に…なるべく

草食系でいいんだよ

2012年11月28日 06時08分41秒 | Weblog
 
草食系男子を 女性に消極的な
頼りなくてネガティブな男性の
代表みたいに言う人が多いが

男性諸君!

草食系でいいんだよ! 
だって女性は
花なんだから

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実は、誰も見たことがない

2012年11月27日 14時55分37秒 | Weblog

本当に不思議なことだが、ユダヤ系宗教(ユダヤ・キリスト・イスラム)
では、唯一神と呼ばれる擬人化した“人”のような存在を信じている。
その数は数十億人。世界の中の圧倒的な数だ
だが…実はこの“人のような唯一神”を見た人は、未だかつて誰もいない
厳密に言うと数人(一説にはムハマンドなど2人。更には10数人、百数十人
という説も…)いる(らしい)が、これも“見た”のではなく「神からの
啓示を受けた」ので、それも勝手に「受けた」と言っているだけなのだ。
何の証明もされていない
本当は、そんなものは存在しない想像の産物、全くの架空の“モノ”
なのかもしれないのだ(こんなことをイスラム圏で喋ると、即、殺さ
れるような恐ろしい説なのだが、幸いにしてここは日本。良かったァ~)

例えば僕が「アッ…」と神がかり的な態度の後で、目を輝かせて
「いま…啓示を受けた」とかなんとか言って、少し意味不明な難
解な語彙を織り交ぜながらもっともらしいことを言ったとする。
そして支援者(共犯者)に「おお、まさしく神からの啓示のようだ」
と演技させれば、そこらへんにいるおバカで信じる者も出るだろう。
そのおバカがおバカを呼び、時代を重ねて雪だるま式に増える…。
増えた信者を見て、また入ってくるおバカもいて、更に増える…。
そうして一大勢力となると、神の啓示の真偽や、そもそも神は存在
するのかなどという問題は、もうどうでもよくなり、教団自体が既
成事実となってしまうのだ
それが現代の世界宗教の実体だ…とは言わないが、それでも色々と
腑に落ちない。まるで、世界が大掛かりな暗示に掛かっているよう
だと思うのは僕だけか

そんな風に斜に構えていると、「私も同意見」と近づく者もいる。
そして、彼らは言う「だから私たちは“無宗教者”なのです」と。
“無神論”と“無宗教”を混同している。“無神論者”は宗教が必
要だという土台に立った上で「神はいない」といっているのだ。
“無宗教者”は世界では「自分の人生を高める作業を放棄した者」
「自分を精神的に成長しようとしない愚人」「自分を越えた大い
なるものとの真摯な繋がりを求めない傲慢な野獣」もしくは「単
なるおバカ」と捉えられてしまうのだ

そもそも、「無宗教者」に限って、「宗教」の意味を判っていない。
神社でダラ銭を投げ入れ「願いを叶えてくれ」と手を叩くのが「宗教」
と思っている。もしくは、死ぬ時に三途の川を渡るために、閻魔様に
怒られないようにお経を唱えてくれ、程度の理解なのだ

前述したように、世界では「宗教」への「信仰」は「自らを越えた
存在への畏敬。人智を超えた大いなる世界に近づく作業=自分を高
める作業」なのだ
「助けてけろ~」「願いを叶えてけろ~」は信仰の極一部。本来の
信仰の枝葉に過ぎない

それが「誰も見たことのない神」への信仰でも、ある程度の意味はある。
つまり、自己を磨こうとする動機としては…。それが本当に力のある宗
教なら申し分ない

例によって、発射したロケットが別の方向に向き、いつの間にか紙飛行
機に変身したようなエッセイになってしまったが、実はこれは意図的

さて「宗教」とは、「信仰」とは、一体何?
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泣きの政治家・土下座の候補者

2012年11月23日 17時22分38秒 | Weblog
泣きの政治家・土下座の候補者


選挙モードだ
何処かの政党は、もう街宣車で自党の宣伝を
ガナリ立てている。五月蝿くて仕方がない
第一、今の時期の街宣車は選挙違反なんじゃないか?
日本の法律も守れない政党が存在すること自体ナンセンスだ
国会議員とは「法律を作る」のが仕事なのだがね…

さて、選挙になると候補者が、できもしない公約を
のたまわった後に「皆さん、助けてください」とか
「勝たせてください」「負けられない戦いなのです!」
という言葉を絶叫するが、そんなの知ったことかと
思ってしまう。アンタが負けて困るのは自分の生活が
かかってるからだというのが透けて見える
更に土下座して投票を懇願したり号泣する候補者が
いるが、こっちとしてはドン引きだ

そんな原始時代の選挙を展開する候補者は、これからの
時代の政治には必要のない人と思ってしまう

政治家が人前で土下座し号泣し、感情に訴えるやり方を
是とするのは、それだけで21世紀の政治家の資格はない
激動の時代に必要な政治家は、確固とした哲学と高い目標
を持った、優れた知性と理性と行動力の人だ
口先だけの、無能な浪花節人間ではない
そんな人に対して、僕は逆に号泣し土下座して
「どうか消えて下さい」と懇願するしかない…?



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波平の“毛”

2012年11月22日 18時15分38秒 | Weblog
 
我が家から自転車で10分ほど走ると
サザエさんで有名な「桜新町」駅に着く
その駅前に、話題となったサザエさん一家の
銅像が立ち並んでいて、以前、波平の“毛”を
誰かが悪戯で抜いてしまったことがニュースにもなった

その後、一度は修復したらしいが、先日、駅前を通ったので
確認してみたら…



修復の毛は再び抜かれ、誰がそうしたのか
今は不恰好な針金が刺さっている
なんとも見た目も悪く最悪なり

毛を抜いた悪戯者の将来は
きっと禿げ散らかした
悲惨な頭となるに違いない
その時後悔しても

遅いぞ!

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新たな嘘

2012年11月19日 22時20分26秒 | Weblog
 
まだ言うか…
ほんでもって、過去はどうだったの?
昔のことは棚に上げても、ねぇ~


「できたこと、できなかったこと」

殆ど出来てないよね

「そして、何故出来なかったか」

無能だったから、だよね
やる気がなかったからだよね


あ、厚顔無恥って言葉 知ってる?
額に飾って壁に掛けといてね 
鳩山さん、菅さん、野田さん
そして○主党の皆さん (^^)

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つれづれなるままに…

2012年11月18日 15時28分58秒 | Weblog
 
京都大学の中山伸弥教授の研究の賜物“iPS細胞”のおかげで
将来的には様々な難病が克服される可能性が高まった。数10年後
癌や内臓疾患の治癒、眼球や指など部位の欠損さえ、病院で修復
できるかもしれないのだ。なんとも画期的な医療技術だ
このiPS細胞は、他人の細胞でも作製できると言う
免疫の拒絶反応が起きにくい白血球の型を持つ人を選び、皮膚や
血液の細胞を採取。これらの細胞をもとに、人体の様々な臓器の
細胞に変化する能力を持つiPS細胞を作製するのだが、有望な
提供者が10人もいれば、日本人の3~5割の人に移植可能な細胞
がそろうらしいのだ


ここで物語の発想が生まれる
逃走していた極悪非道の殺人鬼が遂に御用となる。そして裁判の
結果は当然死刑。後は執行の日を待つだけだ

と…。刑務所内でチョットした怪我をした殺人鬼が医務室で治療を受け
その際の研究資料として血液が調べられた。すると驚愕の結果が出る
殺人鬼の白血球は、拒絶反応が殆どおきない世界的にも稀な型だったのだ
彼の細胞を利用し培養すれば、膨大な数の人間が救われる。それを知った
研究者は、法務大臣の秘書を通じて「刑の執行停止」を願い出るのだが…

研究者を主人公にするパターンと殺人鬼を主人公にするパターン。殺人鬼を
逮捕した刑事、殺人鬼に愛する者を奪われた者、殺人鬼のiPS細胞で娘の
難病が治療できることを知った刑務官など、それらを主人公にするパターン…
色々に考えられるが、僕なら刑務官を主人公にする…かも
ともかく、描く視点が違うだけでドラマは大きく変わる。更に思想的なもの
死刑廃止や司法のあり方、死生観の観点から描けば、また違ったドラマになる


刑務官を主人公にして、自らが執行する立場の法を犯すことに苦悩しながらも
殺人鬼を逃がし共に逃亡するアクションものにしても面白いだろうし、人を愛
することを憎んでいる殺人鬼は、刑務官の愛する娘を殺すことを企みつつ共に
逃亡することも考えられる。つまり、逃亡が成功すれば娘は殺されるのだ
だが、警察に捕まれば、娘の治療は絶望的だ
観客はそのパラドックスを知り、ハラハラする

逆に、刑務官が敢然と法を守り、殺人鬼の死刑を執行する…のも面白い
研究者の「奴を救えば、娘さんは助かるんですよ!」との説得にも揺る
がない。だが、刑務官は娘の未来を自ら閉ざしたことに苦悩する。その
葛藤はドラマに値いするが映画的ではない

大事なのは、登場人物が殺人鬼以外「人間として幼稚ではない」という点だ
「お子様」では観客の共感は得られない。最近のドラマは、設定はそこそこ
面白いのに、キャラクターが幼稚で漫画チックなので、入り込めないものが
多い。CX系の「ひまわりナンチャラ」のように、観ただけで、書き手が
「人間として作家として、未熟な女性」とすぐに判るドラマは、制作の時間
と費用の無駄遣い。ご愁傷様、だ

最も、「ひまわりナンチャラ」は、カミサンの出身地・高知県四万十市
(旧 中村市)が舞台なので、風景を楽しむため夫婦で観ているが、下手
な方言も含め、役者の未熟な演技、リアクションで判る幼稚なキャラ
ドラマに流れる底の浅い人生観などツッコミどころ満載なのだが… 
(カミサンは「もう、黙って観なさい!」と時折怒る)

iPS細胞から随分と話が飛んだ。気がつくと、もう夕方。晩酌の時間だ…では
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“塀の外”の懲りない面々

2012年11月17日 21時28分50秒 | Weblog
 
また…こういう勢力に票を投じる
懲りない面々がいるのだろうな

彼らが特権を得て、それが自分たちの
意にそぐわない政治をしても、文句言わないでね

投票した責任というのもあるのです








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ゲッ 衆議院解散!

2012年11月14日 21時59分12秒 | Weblog
 
バカで単純な財務省言いなりのアイツが
なんと、16日に衆議院解散すると言い出した

なんということかっ!
この馬鹿者が!!


…ま、いいか
僕 参議院だし
関係ないし…
自分だけ助かれば
別に、どうでもいいし…
民主党が無くなっても
◎○△があれば
僕の選挙は安泰だし…

がんばれ~野田さん…
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「太陽の党」?

2012年11月13日 22時32分44秒 | Weblog
 
「太陽の党」?「季節」じゃなくて?
ふーん、随分くたびれた太陽だけど
どこの銀河系の太陽? 晩年の太陽か?

 さあて、と 小林旭が歌います…

 ♪~昔の名前で出ています

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「仏」になりたい?

2012年11月12日 16時39分08秒 | Weblog

街行く人々に「仏になりたい?」と訊けば、ほとんどの人が
「と、とんでもない!」と慌てて否定し、足早に立ち去るはずだ
それもそのはず、日本では「仏になる」といえば、大抵が“死んだ人”
を意味する。つまり「死にたいか?」と同義語なのだ
「そんなに仏さんになりてぇのか?」暴力団がそんな言葉を吐けば
究極の脅し文句となり、立派に恐喝罪が成立するだろう
逆に「神になりたい?」と訊けば、多くの人が肯定するはずだ
何故なら、「神になる(なった)」といえば、とてつもない偉業を
達成したか、究極の成功を収めたこと意味するのが一般的だからだ

西洋には「仏」という概念はなく「神」だけが存在する。だが、人間が
どんなに偉業を達成しても、決して「神になった」とは言わない。何故
なら、彼らユダヤ系宗教(ユダヤ・イスラム・キリスト)の信者にとって
神は絶対的存在たる“唯一神”だけだからだ。その「神になる」など恐れ
多いのを通り越して、罰当たりなのだ
よく「ゴットハンド(神の手)」など、比ゆ的に「神」を用いることがあるが
それは「神になった」のではなく、「神の奇跡の力によって、限りなく神に近い
ものを授かった」「神に近づいた」ことを意味する。「神」そのものは、到底
到達できる境涯・ステージではないのだ。なにせ、神は「7日でこの宇宙世界を
創造し、人間を初めとする無数の生物を創りたもうた」のだから
(果たして、本当に“神”が作ったかの議論は別として…)
とても人間ができる芸当ではない。そう、ユダヤ系宗教の国々では、人間が
「神になる」など絶対に無理で、考えてもいけないことなのだ。だから西洋
では、どんなに成功しても「神」にはならないし、当然「仏」にもならない


「仏になった」といえば、先日、37歳のある坊さんが「仏」になったらしい
いや、死んだのではなく「生き仏様」におなりになった(らしい)ということだ

どのようにして「仏」になったかというと、まずは下界と関係を絶ち(もちろん
キャバクラにも行かず)12年もの間比叡山にこもった。その間の100日間はミイラに
なる寸前まで絶食し、塩と水も制限し、睡眠も3時間に区切り、起きている間は
護摩と称する木っ端を火に投じ続け、だみ声で経を唱え続けた
その後更に、7年かけて比叡山山中をグルグル周り、地球1周分を歩いたという
誰が決めたか知らないが、そうして彼は「仏」になった

荒行の末に仏となった彼は、憔悴しきって一人では歩けない。見た目はまるで
「死人」のようだったらしい。そんな「死人のような仏の彼」を見て、手を合
わせ涙する信者も多かったとか。AKB48の学芸会レベルの歌とダンスに涙す
る輩もいるのだから別段驚きはしないが、なんともいやはや…だ

その「生き仏様」となった坊さんは、教団では“生身の不動明王”と賞賛され
「大阿闍梨(だいあじゃり)」という最高位に就き、教団に君臨することになった
そうなると、もうやりたい放題。例えば、仮に、もしも、妾を囲ったとしても
誰からも文句は言われないだろう。なにせ、偉い「仏様」なのだから

そういえば、癌と闘いながら1年間かけてアースマラソンを完走した大阪の
芸人さんがいたが、彼にも「半分(もしくは四分の一)の仏様」くらいの称号
を与えてあげてもいいのではないかと思うが、比叡山は賛成するだろうか

まあ、冗談はともかく、日本の仏教では、そうやって体を苛めることで
「仏」になると(くどい様だが、誰が決めたか知らないが)信じられている

けれども、本来の仏教からすれば、それは間違った考え、“邪教”なのだ
仏教の創始者の釈迦・ブッダが言っているのだから間違いない

話は釈迦、ブッダの時代に遡る

今から2千数百年前、ネパールのタラーイ地方を治めていた釈迦族の王
浄飯王と善覚長者の娘・摩耶の間に、元気な(本当に元気だったかどう
かは不明だが)男の子が産まれた。後の釈迦・釈尊・ブッダである。因
みに、ブッダが産まれて7日後に、母の摩耶は病死している

さて、話はどーんと飛び、ブッダ青年期。彼は人生の諸問題「生老病死」に
苦悩し、出家して悟りを得ようとするが、父の浄飯王に「跡取りがいないと
由緒ある我が家系が絶える」と言われ、仕方なく一時出家をあきらめ、父に
薦められて隣国の王の娘・耶輪陀羅と結婚、一子をもうける
そして「ゴメンな、妻よ。わが子よ。父ちゃん、やっぱ出家して世の中の
不幸と戦いたいんや」「判ったよ父ちゃん。頑張ってきてや」
という感じで妻子と別れ、出家してしまう

息子を案じた浄飯王は、5人の従者をブッダにつけた。5人の若者を引き
連れたブッダは、国中の英才という会うため旅に出る。数々の英才と会う
が彼を満足させる答えを与える者はいない
悩んだ彼は、当時、インドで隆盛を誇っていたバラモン教の修行法を取り
入れ、自ら悟りを得ようとする
息を止める修行。断食修行。過酷な肉体労働。ブッダは5人の若者ととも
に苦行の日々を送る

それが12年にも及んだ時、「アホらしい! こんなこと幾らやっても悟り
なんか得られんわい!全くの無意味だ!」とブッダは修行を止めてしまう

5人の若者たちは「えーっ!ま、マジですかっ!」と、修行放棄したブッダを
非難し、彼の元から去っていく…

修行をやめたブッダは川で体を清め、村の少女から貰った乳粥を食べ、ガリ
ガリになった体の回復に努めた
そして…彼は復活する。この十数年、考えに考えたことをまとめようと
ピッパラ樹の木の下に座り瞑想する…そして「あっ!」と膝を叩いた
ブッダ大悟を得た瞬間だ

彼はどんな悟りを得たのだろう。その後の彼の行動は実に精力的だ
各地を回っては民衆と語り励ましていったのだ。人をやる気にさせ
他人への自愛を芽生えさせる。それがブッダの活動だった
また、民衆を苦しめる権力者と言論で戦い、その非を改めさせていった
教育にも力を入れ、多くの弟子を教育した。そして最大の活動は、人々に
バラモン教を捨てさせ、自らの教えに帰依させる布教活動だった

ブッダは晩年期に弟子たちに伝える。「実はな、仏ってのはな、皆の幸せの
為に戦う人間のことを言うんや。だから、お前たちも人の幸せの為に人生の
全てを使えば、仏になれるんや。私がそうしたように…」「ほんでな、仏はな
常に謙虚で向上心があって勉強家で深い知識を持ち、人格が精錬で清々しいん
や…私みたくな(笑)」「貧困・病気・失業など、人生の苦境にあってもへこた
れない。つねに大きな境涯で不幸を見下ろし、乗り越え、皆の太陽として輝く」
「何も特別なことやないぞ。普段の行動、振る舞いこそが仏の証明なんや、判るな」
「権威主義になるな。そうなった瞬間、堕落するぞ」「仏は、常に自分と戦い、権威
・権力の魔性と戦うんや」「世の中を底辺から支え、善なる生活をし、日々、社会を
より良くしようとする人間こそが、仏なんや」
つまり、菩薩の行動を絶えず続ける人が仏なのだ、とブッダは言いたかったのだ


さて…先の「生き仏様」の件。どうして比叡山で荒業をやるのかを考察すると
ブッダの嫌った「権威主義」の結果と思われる。ブッダのいう「仏」は、見た
目には判らないし、一般の人間が「仏」になってしまっては、僧侶の面目が立
たない。更に商売にもならない。何か特別なことをして「仏」になって尊敬を
集めることで、面目も立ち商売も成り立つ。それにはどうすればいいか…そうだ
バラモン教の荒業だ。ついでにバラモンの祈祷、護摩焚きもやっちゃおう。火が
メラメラしているのはビジュアル的にも劇的だし、なんかご利益がありそうに見
える。こけおどしにも最適だ。ウンウン、そうしよう。なんだか仏教から大きく
外れちゃったけど、深く知ってる奴もいないだろうから、いいよね。アハハハ

と言う訳で、上記の大掛かりな荒業が始まったと思われる。ブッダが言いたかった
普通の人も、その行動で仏になれるという慈悲深い教えを、「仏とは、死ぬほどの
荒行をやった選ばれたごく一部の人間・特権階級だけ」のものにしようとした仏教
界の無慈悲ぶり、狭量ぶり、権威主義が露呈した「生き仏様」修行と思うのは僕だけか…


ブッタが生涯を通じて伝えたかった「仏」は、彼の人生の行動・振る舞いに現れている
「釈尊の出世の本懐は仏の振る舞いにてそうらいけるぞ」とは、哲人の言葉だ
それを踏まえて再度聞きたい

「仏になりたい?」
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サラリーマンが呑んだ後のシメにラーメン…?

2012年11月10日 23時16分02秒 | Weblog
 
サラリーマンが呑んだ後のシメにラーメンを食べている…?
と、思ったら、日本の総理大臣野田さんじゃないですか
違和感がないし全くオーラがないので、判らなかった

これを「庶民的な人」ととるか
「元々総理の器ではない小者」ととるか

彼を支持する人は、日本では超少数派ですが…
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この惑星の住人

2012年11月10日 16時59分57秒 | Weblog

以前、NHKのドキュメンタリー番組で、京都大学霊長類
研究所の興味深い実験が紹介されていた
二匹のチンパンジーが、透明なボードで仕切られた檻にそ
れぞれ入れられている。双方の仕切りには、手が入るほど
の穴があけられている
一方の檻には棒が転がっているが、片方の檻には棒がない
棒のない檻にいるチンパンジーは、仕掛けに入ったエサを
取るべく色々と苦心している。棒があれば、難なくエサを
取れるのだが、その棒がない
一方、棒のある檻のチンパンジーは仲間が苦心しているの
を、ただ興味を持って見ている。自分の近くに棒があるの
は認識しているが、それを仲間に与えようとはしない。意
地悪をしているのではなく、単に、それを渡そうという思
いに至らないのだ

エサを取るため苦心さんたんしていたチンパンジーは、仲間の
檻に棒があるのを見つけ、それを手に入れようと隙間に手を入
れる。だが、手を伸ばしても届かない。どうやっても届かない
棒の近くにいたチンパンジーは、ただそれを見ている。棒を取
ろうとしていたチンパンジーは、しびれを切らしたように仲間
に「キーッ」と訴える。すると、棒の近くのチンパンジーは悪
びれた風も無く「あ、これを取って欲しいの?」とばかり、相
手に棒を渡す。棒を手に入れたチンパンジーは、それを使って
ようやくエサを手に入れる…

このドキュメンタリーを観ていない人にも、様子が理解できただろうか

チンパンジーに悪意はない。つまり、仲間から取ってくれと
言われないと行動しないのだ。言われる前に、相手の心情を
察知したり、彼の苦労に思いを至らせ、その苦を取り除いて
あげようとか、助けようとかの行動を、自ら起こすことがで
きないのだ。ましてや、皆の将来の為に何かをするなどとい
うことは絶対にない

実に興味深い実験だ

また、同研究所の別の実験によると、チンパンジーの子どもは記憶力が
優れており、それは人間の大人以上だという。だが、のっぺらぼうの顔
や、目のないチンパンジーの似顔絵を見せても、チンパンジーは似顔絵
の輪郭をなぞったりするだけで、他に独創的な行動をすることはない

一方、人間の子どもは、のっぺらぼうの顔の輪郭に目や口、髪の毛など
を描き加えて遊びだす

チンパンジーは〝目の前にあるそのもの〟を見ているが、人間はそこに
“ないもの”まで見ているというのだ。つまり、想像力だ


だから人は、深夜に道で寝ている泥酔者を見れば、このままでは車に
撥ねられるかもしれないと思い、泥酔者を起こし、道路から離そうと
する。チンパンジーのように、「助けて」と言われなくとも、瞬時に
最悪な事態を想像し、先を予想し、そうならないために行動する
それが人間の証明だ

女児が一人でヨタヨタと道を歩いていたら、すぐに抱きかかえ、側に
親がいないかを探し、女児が安全に親元に届くまで心を配るのが人間
だ。それを無視し、たとえ車に轢かれ苦しんでいても何もしないのは
チンパンジーに劣る

原発の地下に活断層がある可能性が高いと学者が言えば、それが経済的に
痛手であろうとも、大地震が起こった際の被害(原発の周囲の人間はおろか
日本全体が取り返しのつかない悲惨な事態になり、更には世界にも多大な
影響を及ぼすという被害)を考えれば、このまま原発を稼動するのはあまりに
危険と判断し、一時的に原発は休止し、徹底的調査をする…というのが
普通の人間であり、そうすることが人間としての証だ

幼児を性の対象にした写真や動画で稼ぐのは、それを観た人間が、実際に
幼児に悪さをするキッカケになるかもしれないから、そんな恐ろしいこと
で金を稼ぐのは絶対に良くない、と人間ならば考える。麻薬は人間を破壊
し、破壊された人間は善良な市民の生命を危険におとしめる…だから、麻
薬の売買で糊口を凌ぐのは、人間として許されない…。チンパンジーには
及びもつかない理性と知性と想像力で、人間は判断し行動するのだ

一瞬にして凄まじい数の人間を灰にし、都市を消し去ってしまう核爆弾を
敵対する国への脅しの道具として遊んでいるうちはいいが、一人の狂人指
導者や、爆弾を実際に運んでいる戦艦の艦長や現場の兵士が、そしてまた
それを盗んだテロ組織が、世界を終わらせ神に返還しようなどと言い出し
行動したら、地球は本当に終わってしまう。人間は、その危険を想像して
核爆弾などという悪魔の兵器を地球上から無くそうとする。それは、チン
パンジーにはできない“人間の行い”なのだ

俯瞰で地球を見てみる
この惑星で実権を握る住人は…人間か、それともチンパンジーか…
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東京北区赤羽に行ってきた

2012年11月09日 16時05分13秒 | Weblog
 
夫婦で知人を訪ねるべく
北区赤羽に行ってきた
空は快晴、せっせと歩くと
少し汗ばむくらいの陽気

残念ながら、知人は引っ越されていた
チョッピリ肩を落とし、駅に向かう…

と…今朝の新聞で赤羽駅近くの
弁天通りの端に、素晴らしく美味い
もつ焼き屋さんが紹介されていたのを
思い出して、イトーヨーカトー裏の
弁天通りを歩き、到着するが…



ここも、まだ開店前
またまた残念!

ま、こういう日もあるワイ

また来ますね!
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バカなんじゃないの!?

2012年11月07日 22時57分25秒 | Weblog
 
私の言っていることが判らないアナタたちって…

バカなんじゃないの?


え、え、え、こっちが…ですか?

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祝 オバマ大統領再選

2012年11月07日 17時29分28秒 | Weblog
 
米時間深夜に行われた彼の勝利宣言の際の演説は
歴史に残る素晴らしいものだった
僕は感動し、落涙してしまった

最後の任期4年
頑張って欲しい


こういう政治の指導者が
日本に出て欲しいものだが
ま…田中ナンチャラが議員になり
更に閣僚になるようなお国柄

高望みというものか…

賢明になれ、自分たち日本人
と自分に言う僕なのだった

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