笑顔浴

優しい時間

人生は選択の連続

2018年10月28日 | Weblog

 

1日のうちに、どれほど選択しているだろう?

朝、意識が回復。あー良く寝た。

起きようか? 否、もう少し寝てようか?

から始まり、

テレビを「今」ONにするか、否、「今」は観ないでおこうとか。

朝食の飲み物は、ミルクにしようか、味噌汁にしようか等と

人生に何ら影響を与えそうにない日々の選択が途切れない・・・

 

時々、大きな分かれ道で立ち止まり、迷う。

どの学校に進学しよう、どの会社に就職しよう どこでバイトしよう

たくさんの候補の中から どう選べばいいのか・・・

後でやり直して 比較ができないとしたら、もう賭けですな。

「どれでも良い」と言うと、乱暴すぎるかしら?

 

他者からの提案にも、返答が必要だよね。

「はい」と受けるか、「いいえ」と拒否するか 

どっちが得か、どれだけ損するか、

断った先々のことまで 慎重に検討する場合もあるけれど、

義理を果たす場合は、やるしかないわけで選択肢はないよね。

 

「はい」と提案に従う場合でも、

嬉しいワクワクの「はーい!」もあれば、

本当は嫌だけど仕方がないからの「はい」もある。

いづれにしても、行動の主体は私である。

 

親の勧めで薬学部を受験したので

「私が選んでないのに」と

しんどくなるたびに 不平不満をブーブー訴えたが

<親の提案に従う>を選択したのは、この私だったわいと

卒業してから、やっと気が付いた次第で。

 

「先生が私の人生を良い方向に変えてくれた」などと 

 感謝をいただく日が、ごくごくまれにあるも

「いえ、あなたの人生を変えたのは あなた自身です」と反論する。

 私の刺激にどう反応するかは、その人の自由だから。

 私なんぞおらんでも、あなたは大丈夫なのである。

 

これからも、気が遠くなるほどの選択が続いて

私の人生が物語に編集されてゆくとしたら

死ぬ瞬間を、どこで迎えようかしら?

自分で場所を選べるに こしたことがないけど

「選ばず、成り行きに任せる」を選ぶのも、いいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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