笑顔浴

優しい時間

防衛

2014年02月05日 | Weblog

1月25日~26日、一泊二日の宿泊研修で

杉田峰康先生の「防衛機制」を拝聴しました。

今回は、防衛機制がどのようなシステムで成り立つかを

交流分析のPACで解説くださいました。

夕食後も、お話を聞かせていただけて、本当に幸せ。

私の吸収力がもっとよければ、嬉しいのですが

足りないながらも、講義を理解し、

実際にカウンセリングを見せていただくと心が揺るので、

それは、少なからず影響を受けたということにして満足しています。

(と、かなり防衛的なコメントになりました)

正直な気持ちは、

私の理解の薄さに気付いたぶん、これじゃあいかん!と不安になりました。

と書くべきところです~。

 

私がよく使うのは、「すっぱい葡萄」と分類される考え方です

山の中で美味しそうな葡萄を見つけて 近づいて手を伸ばす。

ところが、手が届かなくて、食べられない。

悔しい気持ちをなだめるために、私はつぶやきます。

「あの葡萄はすっぱいはずだから、食べなくてよかったよ」

後で、あれこれ言い訳を考えて、私を納得させるのです。

 

なぜ、必要か?

新しい葡萄を見つけるか、或いは手堅くその葡萄を採取するために、

次の行動に切り替えるためです。

いつまでも、そこにとどまり、

身長の低さを嘆いたり

道具を持ってこなかったことを悔やんだり

協力者のいないことに腹を立てたり

その葡萄に執着し、思い通りにならないと泣いていても

結局、その葡萄は、手に入らないのですから。

 

しかし、納得しなければ動けません、

私のように、あきらめた後で

「あの葡萄はすっぱいはずだから、食べなくてよかった」

という負け惜しみでもよいし、

「絶対に手に入れる」と改めて出直してもよいし

「反省をばねに、新製品の開発をした」とか

「人の痛みがわかる人になれた」でもよいでしょう。

 

私の人生に起きることは、今までも、

そして、これからも、私の想い通りにならないことばかりです。

だからこそ、大切なことは、私が私らしく納得して

今日を気持ちよく生きる事かな。

 

 

 

 

 


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