まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

0728 定年退職後、男の皿洗い

2013-07-28 16:50:41 | ふと思ったこと

「食器洗い」は夫婦間で押し付けあう家事の筆頭という。そこまでに面倒なものではないのだが、いくつかの考え方のもとに、夫婦どこかで綱引きのようなことをやっている。

その点、私は食器洗いに徹しようと思っている点で、えらいんじゃない?。リタイアして家にいるのだから、やって当然というわけではない。そんな風に言われたら、私だって黙ってはいまい。ただ、仕事に出かける前の一寸した時間に食器を洗おうとしてくれるカミさんには、俺がやるからいいよと声を掛けたくなる。

それに、カミさんは一生懸命に料理を作ってくれる。私も自分の食べる分くらいは自分で作れるように、レシピ見い見い、多少は料理にトライしている。だが、自分で食べるとか、応援の「おいしいで賞」をくれるカミさんには良くっても、こどもたちの評価は低い。
したがって、皿洗いとか出来ることはやってやろうじゃないかと思う。私が給料を稼いでいた時も考え方は同じだった。
お互い、出来るときに出来ることをやっていく。
家庭は「男子と女子が文句を言い合い押し付け合う学校の掃除時間とは違う

リタイア後の私の親父だって、私の母が出かけたときなど、ごく普通に食器洗いをしていた明治生まれの親父である。
まだ若かった私が「おれ、やろうか?」と言えば、「いいんだ、座ってばっかりでもしょうがない」と答えて、苦にもしていないようだった。

リタイアして家にいると生活のリズムは緩慢としたものになる。みずから時間を細切れにすることも要る。長時間座っていたら立つし、汗をかいたら涼む。当たり前の「陰と陽」を繰り返して先に進む
らくチンだけを求めず、苦しみだけを尊ぶこともせず、淡々と生きていたのが、私の父母の時代だったように思う。

ラスト・サムライで「スピリチュアル」として描かれていた領民(庶民)の暮らしぶりの名残りのようなものを感じられた。
今はその父母も思い出の中だけに生きている

私の父、「偉かったよなと思う部分」もあるが、しょうもないところも一杯あった。今や私も同じ立場にあり、多分同じ見方をされている。

歩いたら休まないと、先が続かない。座ってばかりいると「ムズムズ脚症候群」みたいな感じにもなる。散歩や運動を取り入れていかないと「息切れ」しやすい。
プラスとマイナス、NとSのような陰と陽を取り入れた、上手な「合わせ技」でないと立ち行かないのだ。

そしてまた、子には疎まれるような日常・・、若いものには理解しがたい老化という症状...。そんな心身状況になってきた。その中で頑張ったにせよ、むしろ殆どが「なんだかな~」で終わる。家庭もなかなか肩身が狭い?

老人が褒められるのはごく僅かな部分でしかない。そう、私は「部分の人」なのかもしれない。とはいえ、しょうがないな~と言いながら、カミさんも子供たちも居てくれる。どちらかと言えば、チラ見で見守られている

歴史は繰り返すんだな~。なんとなくそう思う


+++++++++++++++++部分の人+
*

2021.7.31 今や、親父のことを振り返るとき、ごめんな、悪かったよ、としか思えない。おやじはやっぱ偉かった。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 0722 月光文化 | トップ | 0728 葉陰取るやつ、匂... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ふと思ったこと」カテゴリの最新記事