まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

1229 Phytochemicals

2015-12-29 22:59:59 | 健康

カミさんが部屋の戸をトントン。(解決ナイナイアンサーで)虻ちゃんが飲んでたの、アボカドの種茶だって~。
産後太りの虻川が9kg痩せたという食べ物なんだろう?の解答報告だった。


カミさん伝・・・
〇アボカドの種茶。(血糖値上昇を抑制、市販されているらしい)
胃の中などでゼリー状になる水溶性食物繊維が豊富。
〇トマトジュースにオリーブオイルを加えて加熱したもの。500Wか600Wかで1~2分加熱。
リコピンは子供が欲しい夫婦なら、男性が事前に摂りたい栄養(女性では葉酸が必須みたい)。
〇ブロッコリーのスプラウト(新芽)。ブロッコリーは抗酸化食品として知られるが、その7倍以上。微量含まれるフィトケミカルスルフォラファン」が酵素に作用して肝臓機能を高めてくれる。
1回20gくらいで良いという。しかも3日に1回程度のもので効果は続くようだから凄い!肉も(70gだっけ?)毎回少量ずつが良いというのとかぶる。
自宅で居酒屋風?食事する時も、冷凍の枝豆と共に冷凍ブロッコリーや、生でサラダでスプラウト、摂りたいと思った。
なお、スルフォラファンはイソチオシアネート(アブラナ科野菜の辛み成分、例えば大根)の一種で、体内に存在する酵素への活性作用により、さまざまな効果が認められているようだ。
解毒 抗癌 肝機能 抗酸化 新陳代謝 ピロリ菌殺菌 花粉症抑制 その他・・・皮膚や眼への紫外線(UV)ダメージ防御などもあるという。
たとえば、抗酸化機能がビタミンCが摂取後数時間でその機能を失うのに対し、3日も効果を維持できるのは、抗酸化酵素の生成や活性に働きかけるところにあり、消費ではなくむしろ製造に関与しているようなイメージか。
悪酔い防止にも良いらしい。→ http://www.murakamifarm.com/about/functional/sulforaphane/

その他にも、カミさんによれば、アンチエイジングにはヨガの「戦士のポーズ」が良いのだとか。腕を前後に水平まで上げ、片足前に踏み出して太腿を水平まで腰下げる。半身になりがちな骨盤の腸骨、しっかり前に向くように、だって。

私は「ファイトケミカル」という呼び名を昔聞いたことがある。
フィトとファイト、読み方の違いか?ちょっと調べてみた。
グーグル・サーチではPhytochemicalsと記載があり、読み方の音声データもあった。
ファイト ケミカルスと発音されていた(これも米式と英式では違うだろう。Phytoは植物を意味する接頭語)


+++++++++++++++++++Phyto+
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2020.8.8 食べ物は量を食うより良く噛んで!


1229 1年も押し迫ってきた

2015-12-29 21:08:06 | 季節的な

TVはSPばっかり。暮れらしいと言えば言えるのかもしれないが、ぼ~っと付き合ってしまうことになりかねない。
「あ~、面白かった」で満足することもあれば、あとで損した気分になることもある。

外食なんかでも、「あ~、美味しかった」と満足することはあるが、まったりとして家でする鍋の湯気、なんて寛ぎ感(くつろぎかん)に聊か(いささか)の遜色もない。

今年のカミさんはどちらかというと外食を敬遠していると見る。
私のお小遣いでどう?と提案すれば、「そういうことなら」と応じてきたカミさんが、今年はちょっと違う。

カミさん、通院関係で出かけることも今年は多かった。
限られたお金は可愛い孫にこそ使いたい?やりたいこともあるけれど思ったように体が動かない。
事がサクサク進められない。体力気力の衰えを実感してきている?
美味しく食べられることは今でも幸せだが、若いときほどには未体験の美食がさほどのものでもなくなってきた。
これって、若くなくなったことへの実感を持ってしまったということ?

でもまた、若くなくなったことを素直に認められるなら、一歩前に足を進めたということでもありそう。それを手がかり足がかりに、来年は生きていけたらとも思う。



+++++++++++++++++++押し迫る+
*

2020.7.14 終わりが見え始めた時も、長いトンネルの闇の向こうに光が見えた時も、人の心にエネルギーが宿る事有り、


1229 エルニーニョ

2015-12-29 18:44:44 | 雑感

海洋が酸性化でも温暖化でも苦しがっているという。

海洋が二酸化炭素を吸収、酸性化してきていることは、食物連鎖の均衡が崩れて生物の絶滅までもが危惧されるという。
温暖化にはいろいろな形態があるようだが、海洋深層が異様に熱くなっていることが観測されたりもしているようだ。

だいぶ前から耳にするようになったエルニーニョ現象は、日付変更線あたりからペルー沿岸にかけての広い赤道域における海面水温が平年に比して高い状態が1年程度と長い期間にわたって続く現象で、これが気象に大きく影響を与える要因のひとつになっているらしい。
(同じ海域で低温が続く場合にはラニーニャと呼ばれる)

気圧の高低と同じく、温度の高低も、相対的な「流れ(対流など)」を生む。これによって気象上の大掛かりで異常な現象が引き起こされたりする。

ある(ザックリとした)解説によれば・・・、
ペルー沖が熱いと、相対的にフィリピン付近が高気圧帯となり、ジェット気流を押し上げる。
これにより、日本付近は低気圧が多くなり、南の暖気が流れ込みやすい冬となるが、寒気とのせめぎ合いで大きく変化する。
南岸低気圧が通過するような場合には、太平洋側に大雪が降りやすいことになる。

6月頃に、エルニーニョの観察の有無が報じられることもあるが、長丁場に続く現象なのでチェックしておいて損はなさそう。



1228 おさらぎの宿(喜多方)

2015-12-28 16:05:13 | 小さな旅の思い出

猪苗代で家族スキーのあとのこと。
ここから遠くないね、とカミさんと顔を見合わせた。そして、車で喜多方へと向かった。平成7年。もう21年前のことだ。

雪の喜多方は初めてで、たしか只見の民宿で会った男性から得た喜多方ラーメンの美味しいお店を目指したのが最初だった。
個人的には「まことや」さんが好きだとその男性は言っていた

今回喜多方は3回目のような記憶。
代が変わっていたようだが相変わらず美味しい。(わりと最近もTVで女性が跡を継いだような映像を見たように思う)
満喫したところでふと気がついてまたカミさんと顔を見合わせた。「今夜、どこに泊まる?」

アナログの地図を見ると、喜多方の北方に「おさらぎの宿」というのが記されている。そんな遠くないし、予約できないかと、まことやの方に電話番号など分かりませんかと尋ねてみた。
ところが、同じ喜多方なのにこれがどうもわからないらしい。それでも東北の人ならではの「あったかい親切」でとうとう探し当てて空き状況まで確認してくれた。
まことやのご家族とか全員「おさらぎの宿」の存在を知らなかったので、まだ新しいのかもしれない。
しかし電話で宿の人と話している様子で、だんだん素性が見えてきたような・・・。
電話を終えて場所とかいろいろな情報を伝えてもらっている時に、身内の方が「誰がやってる宿?」と聴くのに「あの馬車屋よ!」と答えた。

地図上で近いとはいえ、夕暮れ時に店を出るとじきにあたりは暗くなっていった。白っぽく見える道路を地元の車が次々と追い越していく。
私たちの車のすぐ後に着いた車は帰路を急ぐのだろう、随分迫ってくる感じ。なるべくアクセルを踏み加減にするが、けつを振りたがる車。
その危うい様子からか後続の車が追い越し車線で追い抜いて行った。チラッと見るとやはり軽乗用車で運転は中年のおばさん風。

もう路肩いっぱいに寄せてノロノロと走った。チェーンを装着していたが全然だめ。車を下りて道路を確認してみると、道路表面は氷でコーティングされた状態。スケート、出来るんじゃない?!
(「私をスキーに連れてって!」風に言えば『凍ってるネ!』といった感じ)で、こっちとしては全く以てヨロコベナイ。
4WDだが普通にラジアルタイヤ。地元車はチェーンも無しで突っ走って行く・・・。あ~、スタッドレスか。

ぶりんぶりんケツ振りそうになりながら、ようやく宿の前に車が到着。夕飯はすでに用意できないような時刻だったが、一安心。

(書きかけ)

 

 

 

 

+++++++++++++++++おさらぎ+


1223 夜空の下で出発

2015-12-23 08:59:59 | 今頃の我が家と周辺

息子、4時半出発。カミさんが駅まで送っていく時の声と物音で目が覚めた。
夜空の下の出発で、「懐かしいね。スキーとかよく行ったね。」と、息子はカミさんに言ったそうだ。

今ではスキーに行くことも無ければ、山登りもしなくなったので、私は夜行列車にもとんと縁が無くなった。
子どもができてからも、家族で安達太良山に登ったりキッツメドウズスキー場(今ではサンメドウズ清里と名称も変わったらしい)などへ車で出かけた。

蓼科の方へ家族でスキーに行った時も、4WDアトレーでチェーンは携行したが履かずに北側の道路から登っていった。
駐車場に着いたら、どこかの人たちが「スゲ~、軽なのにラジアルだけで来てる~」と驚いていた。雪も少なかったし、それほど雪道に慣れていた。
(のちに、喜多方ではチェーン履いてもどうにもならず、怖い思いをした)

出発は大抵冬の星空の下だった。キンと冷たい乾燥した空気の中、荷物を車に積み込むときの高揚感
まだ小さかった子供たちは軽のワンボックスの後部座席で小突き合いをしていた。
荷物や遊び道具やお菓子で手狭な空間で縄張りを主張するというやつだ。

それでも、荷物を積み終えて、トリップメーターをゼロにして走り出すと、そこはもう旅時間になっている
日ごろ通り慣れている国道も、見慣れているはずなのに異空間のようだ。
カミさんなんかは、出発して間もなく、好きなチョコとか淹れたてのコーヒーかなんかを出して「食べる?飲む?」と聞いてくる。子どもとも色々分け合ってはしゃいでいる。
少し長距離になる夜空の出発はいつもそんな感じ。それが深夜であれ早朝であれ、一緒にどこかへ向かう楽しさがあった

今は、ほんとうに縁が無くなった。
子どもたちは大人に成長して、その時の思い出を語ることもなかったし、あまり印象に無いのかと思っていた。
でも、たとえそれが曇り空でも・・・冬の夜空を見上げながら家を発つときに、ふっと、想い出すことがあるのかね・・・。

ま~、星空にエラク思い入れのある私とは異なり、楽しかったのはやはり、カミさんの出してくれていた空気、「遠足気分」の楽しさ故なのかもしれない。
なにせ、夜の出発から間もない車中は、お菓子や飲み物のいい匂いが充満していたのだから・・・。

 

 

 

+++++++++++++++++夜空の下+


1222 CAは愛し合うと秋刀魚を食べる羽目に?

2015-12-22 22:13:55 | 雑感

うちのカミさんの職場で、割りと新婚な男性がキャビンアテンダントと結婚したそうだ。そして暫くして妊娠。お二人の愛の結晶。
ところがCAさん、妊娠すなわちフライト禁止だそうで、地上勤務に空きがなければ働けない、それは収入無しということを意味するらしい。

悪くはないであろうCAの給料が無くなると、急にエンジン一つで家庭を賄っていくことになる。緊急避難的緊縮。毎日がサンマだそうである。

そういえば、私たち夫婦も新婚のころマンション購入のローンやら何やらで、秋と言わず冬と言わず秋刀魚には散々世話になった。

子ども一人を持つことが、女性を職から遠ざける。家庭の食も貧しくなる。子どもを預けりゃ出費となる。稼がなければ遣り繰り困難。生甲斐だって持ちたい女性に、社会制度は立ち遅れ最低ラインぎりぎり近くを行きつ戻りつやっていく。

サンマは美味しいし健康にもいい。活きのいいのが手に入れば、冷凍してから刺身で食べるのが旨い!とガッテンでやっていた。とはいえ、毎日となると、それはそれでやりきれない思いもする。秋刀魚苦いか塩っぱいか・・・。その時々でサンマの味わいも違う。



++++++++++++++CA秋刀魚+
*

2019.11.24 サンマもサバも、隣国等々の乱獲で不漁、したがって高値。庶民の味方だった魚を、旬の時期に味わって食べたいだけが困難に。


1220 十二周祈という自由

2015-12-20 20:02:29 | ふと思ったこと

我が家は無宗教である。というより、個としての私は無宗教である。たまたま、カミさんも無宗教と言っている。
私の葬式は、だから仏式でも神式でも何でもないはず。戒名も読経も要らない。私は無宗教(free from religion)だから十三回忌も無かろう。

私が学生のころ、フリーセックスという言葉が随分と流行していた。仏教儒教キリスト教、すべてはダメ~!な筈なのに、なんでまたスエーデンではオッケーなの?みたいな。フリーセックスを謳ったポルノ映画も、週刊誌も持て囃した感があった。けれど違っていた。そもそもは、Sex free from religion だったりなんだりの話だったのだ。

例えばあのオリビア・ハッセーの「ロミオとジュリエット」なんかも、憎しみ合っている家と家(国と国)間での恋愛に命を貫く話。カースト制度なども、同じような働きをしているのだろう。日本でも... 家柄っちゅうやつ?

愛し合う男女が、社会的な区分や宗教的差異によって阻害分断されることからの解放。それが「セックス フリー」であって、セックス中毒と言われたりする国の人の言う「フリーセックス」とは違うのだということが分かった。もっというと、そういうものが宗教と相まって、あるいは後付けされた教義の解釈によって定めた規定により、制約や仕来たり、そして拷問を伴う様な審判を行っていくことも知った。

魔女裁判にかけられたジャンヌダルクなども、おぞましい宗教の歴史と言ってよいものだと思う。ISがイスラム教を恣意的に拡大解釈し、部分的に選択強調して強制力を行使するといった恐怖政治のようなことになるのも、宗教そのものというよりは、宗教に盲目的に従おうとする姿勢や、宗教や教義を都合のよい解釈で勝手に利用することから始まると考えられる。

おそらく、信仰は何人にも自由であるはずだと思うのだが、宗教は得てして他を排斥しようとする。

長ったらしくなるのでこの辺にするが、私が無宗教を選ぶと思っていることをここに記し残すとしたら、そうした"もっともらしい制約"を好んでかけてくるものからの解放・自由を求めたいからであり、それだけのことだ。

母の祥月命日、12年。十三回忌という風に見れば、これは仏教式なのだろう。遠い親族の中にも、坊さんも呼ばず位牌もないのでは意味がないという人もいる。だが、母のことに関していうなら、母自身が僧侶による読経とか回向とかを母自身が望まなかったということを、思いとして尊重しているに過ぎない。故人の希望より"形式大事"と声高に否定するのは簡単だがそれはあまりにも無思慮な"記号主義"だと思う。

人間の悩み苦しみから心を寛放するのが宗教だとすれば、その宗祖に阿ねながら長老の座に就いた人物の解釈と権力維持のため頸木(くびき)を制定していって出来たであろう多くの制約が、宗教の名のもとに課せられていると感じている。

宗教に携わっている方や信仰を持っている方々を私は一切否定しないし尊重する。だが形式としての宗教儀式を以て信心深いと自任している人からの"押し付け"に対しては、フリーでありたいし、あり続けたいと思っている。強要からの自由を求めたい。

母は、そう言いながらも仏教を信じていた。なので十三回忌的な発想をもってみたが、無宗教の私が「形式に合わない」と言われるなら、「十二周祈」とでも言っておこう。ちなみに、母と姻族との仏教宗派は皆バラバラ。型式は、そもそも合わないのだ。

お坊さんの存在や生き様もさまざまであり、素敵な方も居られる。けれども、故人を個人として思うことは個人個人で担当できることであり、先祖を想うこともまた、導師に頼ることも良いが先ずは自分、と思うのだ。

【昭和の価値観/TV爺ぃ/母の思い出/老後生活/】

+++++++十二周祈
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2019.4.22 十三回忌という形をとらなかった後悔は無い。父母の思い出は、割合いつも胸裏にあって屡々(しばしば)鮮明。
2019.4.23 "忌"は人が死んだあと一定の期間慎むことという。三回忌(2年)くらいまでは確かにそうした実感はあったが。
2020.1.7 今LINEでメッセージのやりとりする人も、故人と無意識レベルで常時繋がっていると思う。感謝の気持いつも。
2020.1.29 “思う”という限りなく無為とも取れるような行為。傍からはそう見えても、それは結構、膨大なエネルギー。
2020.8.19 盆休みも終った。墓参する人も多かったろう。中国から伝わったとされる先祖供養。有意味であり亦、無意味
2022.5.22 形だけ真似て"したり顔"になる人が多すぎる。合気道でも太極拳でもそう。まして日常生活に於いておや。


1220 おふくろの命日

2015-12-20 00:00:00 | スペシャルな日

2003年12月20日 88歳

母が生前に残した短歌であろうか。遺品の中に手稿のようなものがあった。"秋晴れに気高く匂ふ菊の華 友また吾もかくてこそあれ"。

高齢者に抗がん剤//】



+++++++++++++母の命日+
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2019.12.20 "夢覚めて現の意識二度ばかり迫りくる死を押し返しおり"。これも作られた年月日は不明。この思いは短歌だけに遺されたのか。
2020.3.10 凛として、毅然。陸軍病院の看護師を務めた母は晩年の溢れんばかりの笑顔の中に、生きることへの賛歌を変わらず持ち続けた。


1219 窓開けて網戸も開けて冬の朝

2015-12-19 09:59:59 | 季節的な

朝9時半、網戸までも開け放っての窓全開。
快晴で室内に差し込む太陽のありがたさ・・・。
斜めに部屋の奥までも照らしてくれるおかげで身も心も、そうして床から壁から、あたたかいオーラが共振を始める。

布団を干すには絶好の日和(ひより)。掛け布団や毛布を持ち上げると、布埃が舞う。
いつもなら嫌なホコリだが、冬の日差しの中に浮いて遊ぶ、この白い物体は何故か好きである。

そいつが窓の外へ空気の流れに乗って出ていくときに、キラキラと光る。かと思うと風に乗って室内に吹き込まれたりする。それを見ていると、まるで息をしているように見えたりする。

これから真冬になっても、あるいは雪の降った翌朝も含めて、私はこのホコリの乱舞を愛でることになる。
時には夏に使う団扇や、もっと大きなモノを使って、掃き出し窓の上の方へとホコリを扇ぎ出す。窓の下の方から新鮮なキンとした空気が流れ込む。

1月生まれの私には、この凛とした冷気が好ましい。
たとえパンツ一丁であっても陽光を浴びながらのひとときは、太陽の温もりがあればこその話かもしれないが、ちょっとした幸せ空間。
そりゃもう、プライスレス



+++++++++++++++++++窓網戸開+
***

2019.7.19 梅雨空の日々でも外の空気は旨い。"朝起きたら5㎝でもいいから窓を開けて換気しろ"との母の教え。
2019.7.20 ダニ・カビ ... 。梅雨の時だけでなく、とにかく一年を通じて換気心掛けるべし。外はマイナスイオンの宝庫。
2020.11.29 カミさんなんか朝5時過ぎには家じゅうの窓全開放。20分30分は当たり前。私、自室換気短時間にして、避難。


1218 リフォームのちらし

2015-12-18 10:34:34 | ふと思ったこと

12月になると、道路工事が増えるし、交通安全運動週間みたいのがあって、道路が混みがち。

家に居るのが一番良い?

でも、暮れのこの頃は、ポストや新聞の折り込みで入るチラシも増えてくる。

クリスマスとかお正月、自動車販売、それに進学塾のチラシに混じって、リフォームのチラシも矢継ぎ早に入る。
築9年、我が家のあちこちも、少しずつは衰えが出てきてはいる。
この時期のリフォームちらし、なんだか高め(高価)な感じがしないでもない。安かろう悪かろうも困るが、こんなもんと胡坐をかかれるのも困る。

「ちょうどいい」は、なかなか見つからない。

【訪問販売専門の会社は避けた方がよい/年末と年度末/】

 

 

++++++++++++++++++のちらし+
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1212 姉の白内障手術後

2015-12-12 23:18:29 | 健診結果・療養記録など

姉cからのメール。
「1211 昼頃帰宅。左目で見ると「白くきれいに」よく見えるそうだが、大丈夫と思っていた右目がセピア色。」だって。

白内障なのにセピア色方向に濁りが来るのかね?
いずれにしても「透明感」たっぷりで、来年の右目手術への意欲を感じた。なんだか嬉しそうだ。

オペは15分程度で終わったそうだ。

昔、私の母が手術した時、術後の見舞では眼球に出血の痕(あと)が見られたが、今日電話で話したところ、それもなかったようだ。

 

 

 

++++++++++++++++白内障手術+


1212 孫コンシャス

2015-12-12 14:21:25 | 孫を持つ

下痢をした。熱が出た。吐いた。そうなりゃもう、心配で堪らない。

そこにいないジジ、ババのことを口に出す、ジジババのところに行きたがる。そんなことを聴かされてご覧なさいよ、あ~た!
そりゃあ、息子や娘の時だって、可愛かったし心配もした。だけど、孫はひたすらカワイイ。

ここにいない孫の言動を真似て口にする。
孫の声が聴きたい、孫の顔を見たい、孫を見ていたい。いつも、孫のことが片隅にあり、いつも思っている。

これはもう、恋?    【孫を持つ/】

 

++++++++++++++++孫大好き+


2020.11.15 孫が私のゲジゲジ眉毛を眉毛鋏でカットしてくれた。僅か6歳。私の眉毛を見つめる間近な瞳が眩しい。


1203 父母の金婚式

2015-12-03 15:37:04 | スペシャルな日

結婚50年を祝う金婚式というもの。一口に五十年と言うけれど、これはなかなか紆余曲折。よくもまあ歩き続けたね。
っていうわけで、お祝いの食事会。おやじ、81歳。おふくろ74歳。

1989 (日)
「和可奈鮨」で。
事前の打診では「物は要らない」、と母。でも、台所ではなく食卓でモノを温めたりできる卓上電熱器がいいかな~と言っていたそうだ。
火を使わない、とか、炬燵に入りながらとか、そういうのに心が向くのかな?70歳代。その他もう1点2点、ささやかな贈り物。

東京大空襲を経験した父母、就中(なかんずく)母親の方は、現にこうして笑顔で集えることを何よりも大事と思っていたようだ。モノは二の次・三の次なのだ。どれが良い悪いと口角に唾をためて激論に及びたがる向きもあるが(男には有りがち)、母はそんなものよりも別のところを常に見ていた。
ま~、おやじは、大体どこの男とも変わらない程度であり、私もそこからは到底抜け出せないでいる。なんともできない「もどかしさ」みたいなものがある。

女性政治家なんかも、男社会の古い「政治屋」によって仕立てられているから、女目線でモノを考えも言えもしなくなっているから、ありゃま~男だね。
やっぱり「そこから抜け出せないでいる」くちだからね。そこへいくとうちの母は偉かったね~。エラぶらなかったしね~。

義兄hの容態もすでによくなかった。母は、それは仕方のないことだとは思いながらも、随分と心配して朝夕にはお祈りしていた。
ま~、昔の人は、病人だけでなく家族や友人知人のことを胸に思って気に掛けるのが当たり前だったし、そういやぁ、神棚みたいなのもあったな~。
毎日毎朝、拝んだり柏手打ったりなんて~のも少年だったころに見た。
今にして思えば、仏教と神道が同居しているような家々が普通の姿だったようにも思う。
こういうのを、多分「スピリチュアルな生活様式」みたいに言うのかね~(ラストサムライとか・・・)。

結婚して30年も経つのに私はカミさんに何にもしてあげていない。
日頃から感謝が足りてないんじゃないの~、と言われそう。
ま~、世の男どもは似たり寄ったりじゃないの?と嘯いたり(うそぶいたり)はしないものの、私も気づかぬ間に「しくじり先生」をやっているのに違いない。

ま~、しくじらない人間なんているんでしょうか?というオリラジの中田さんの言葉を借りるまでもなく、たいてい誰でも、そこに陥っていくみたいな心の流れに逆らえない。

心の理(法則とかなんとか)からすれば、安きにつきやすいし、ええかっこもしたくなる。もうこんな生活イヤ!!って耐えきれなくなる時もある。
昔の人のように「ただ辛抱あるのみ!」というのも苦しかろうが、明治生まれ・大正生まれの父と母は、その理不尽な部分も多かったであろう時代に、結婚生活を全うして「添い遂げた」のだ。

けっこう大変だぜ、50年・半世紀。 



++++++++++++++++父母金婚+
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2020.8.6 ♪いやだいやだと言いながら~五十年添ってる人もい~る~♪ 植木等の歌ではないが、添い遂げるって偉大。