まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

0927 記念日に乾杯

2013-09-27 21:14:59 | ふと思ったこと

今日は私ら夫婦の記念日で、Kirin City で一杯飲って来ました。勿論10%割引の葉書持参です。

この店の良いところは、店内に音楽が流れていないこと。

素敵な音楽は幸せな気分にさせてくれることもあるが、「何でこの店のこの時間にこの音楽?!」という思いは誰しも身に覚えがあるのでは?

この店内には、人々の静かな「ざわめき」だけがあり、暖かい色温度の空間になっている(別にこの店の回し者ではない)。

今日行って気がついたのは(以前はそうでもなかったと思うが)中高年の客で占められていた事。
きっと落ち着くのだろう。いや他人事ではない、私も落ち着けた。

一品ごとの値段は安くはない。たとえば幅5センチも無く長さ10センチも無いようなパン(バケット)が280円ほどもする。ベーカリーで買うことを思えば「そんな阿漕な」と言えなくもない。しかしながら、どうにも居心地がいい。

結構なお年寄りも長いこと席に着いており、そこそこオーダーも入れているので満席状態だ。

ランドマークタワーのアスコットでは一杯だけで良かった生ビールを、同じような時間に3倍は飲めた。つまみ(肴)もそれぞれ量は少なめだが、美味しくて話も弾む。

Kirin Cityの弱いところは、あっちこちに展開していないところだ。旨いビールを提供する志が都会に偏っているきらいがある。もうじき出かける富山には、どうも無いみたい。それに、今日の店では「ハートランド」も壜でしか提供しないみたいだ。以前は確か生があった。ビンならば専門店で買えばいい。

「ブラウマイスター」は旨かったし、フローズンビールは「スタウトが美味しい」と私のを一口飲んだカミさんの評。カミさんは「ハーフ&ハーフ」のフローズンを飲んでいた。

朝、カミさんが作っておいてくれた「おむすび」を頬張る程度の昼食をしてからのKirin city 。

世間的にはいざ知らず、自分たちの好みの波動のお店で飲んだり食べたり喋ったり。

ちょっとした「夫婦ごっこ」かもしれないのだが、それで、今日は楽しかった  ・・・・・マル


0927~ ゴールデン・マレーシア

2013-09-27 15:59:59 | 小さな旅の思い出

結婚式を終えてYキャットからリムジンバスで成田。途中、TDLの打ち上げ花火がバスの車窓から眺められて、祝福されているような気分。日航ホテルで宿泊、眠くて爆睡。これが0927(金)。

0928(土)
台北などをトランジット、マレーシアに到着。
空港は出口などの表示に乏しく、もたもたしていたら、どこへ行ったらいいかわからなくなったり・・・。

車でタンジュンアルーホテルに着くと、まずはウエルカム・ドリンクのフレッシュジュース。
その美味しいこと!

そして夕方にホテル最上部から見た壮大に輝く黄金色のオーシャンビュー。すごくきれいだった。その光の中に包まれながら私たちもそこに居た。


0926 鈍色(にびいろ)の空、秋の心を訴える

2013-09-26 15:51:44 | 健康

腎臓病は活発な人が、
糖尿病は不活発な人がなりやすいんだそうだ。性格が作る病気?

性格・気質は、生活様式や日常行動パターンを作り上げる。う~ん、自分でそう持っていってるのか~。
"気象病"のせいか考えは輪をかけて沈みがち・・・。秋は、「うつ」も広がり易い?愁訴・・・・。

秋雨前線が抜けたら、きっと「日本晴れ」だ。そうそう!自分に言い聞かせよう。
雲外に蒼天あり!」



+++++++++++++++鈍色の空+

2020.1.18 青森では、冬場の鬱病患者が多いんだって、日本一?どんよりと垂れ込め続ける雪雲のせいとも聴く。


0926 気象病不元気

2013-09-26 15:31:41 | 健康

釣瓶落としの秋。何もかもが急降下。気温も「寒い」と感じるくらいだ。

娘の結婚式も終えてテンションも落ち、魂の幽体離脱感がある。もうちょっとワクワクしたい。元気が出ない。

それに台風20号の影響か、天気がはっきりしない。秋雨前線も南岸に貼り付いている。
梅雨の時とおんなじで「気象病不元気」かもしれないが、4ヶ月前にも「気象病のせいじゃん」と思っていた自分がいる。

あ~あ、延び延びになっていた富山の知人宅訪問にでも行ってこようか。一寸気分を変えてみたほうがいいような。
行くなら今月中には出かけたいが、今月ったって、もういくらもない。

どうせ俺なんか家に居ても居なくても、あまり大勢(たいせい)に影響はない(と、ブルー)。
行くぞ!「亭主元気で留守が良い!」。でもその元気がいまひとつ。弱っちゃったね~ ... この不元気。

【気象病/寒暑の汀最近自分は楽しんでいるか?/】



++++++++++++++++ 気象病+
*********

2018.12.5 考えてみりゃ不元気はひょっとしたことで一年中。気象がスイッチを入れはしても、免疫力つけとこう。
2018.12.7 自分に即して行動できた日は元気だ。外に出た?身体を動かした?人を思った?泣いたり笑った?。5つの要素。
2018.12.8 季節が巡り廻る(めぐりめぐる)。分かってることだし感じられることなればとて、うまく順応できるといいね!
2019.5.30 この時期、いろんなものが黴るカビる。そんなだもん、人間だって温度湿度に気圧etc.にやられる【シメジがカビた~
2019.6.1 まずはときめかないと。知里幸恵さんも、嬉しいこと!嬉しい、感謝!と口にし自分自身にも心を添わせている。凄い19歳。
2019.8.2 異常な天気の常態化、困ったもんだ。
2019.8.7 古き良き?"日本の四季"は美しく豊か。今は様相を少し異にする。こんなんじゃなかった。厳しいだけでなく、優しさがあった。
2020 7 20 『うちの嫁、俺が傍に居ないと淋しがっちゃって』なんていう爺ぃがいて気色悪!こいつ気性病?と思う。


0924 合わせて貰っている私?

2013-09-24 16:53:45 | ふと思ったこと

同じものを見ていても人によって見え方が違う。
ヒトは目ではなく脳でモノを見ている。これをうちのカミさんが、補足する。

「現実」がその人の生き方を決めるのではなく、「現実の解釈」がその人の生き方を決める、と。

普段、私の前では結構おちゃらけているのだが、いろいろな切り口を持っているね、カミさんも。
なんか、勉強している人の「つぶやき」は、違うな~。

昔、会の仲間が「随分合わせてきたつもり」と言い放って会を去り、それっきりになってしまったことがある。
何故、今頃ふっと思い出したのだろう・・・。

現実の解釈は、難しい。解釈の仕方で自分はもっと素敵な人生を生きられるのだろうか?

【解釈一つで/独り善がり/離俗か乖離か/】









++++++++++++++++合わせて+


誰にも非はあるが"随分合わせて来た"も同等の独り善がりな解釈に思える。一方的な自責は不必要だったか...  2018.9.24


0923 好きな空間に身を置きに行く

2013-09-23 16:09:11 | 健康

娘の結婚式を終えて後、カミさんは体調不良のまま先週は仕事も休みがち。
連休に入ってからも体を立てておく気力がなく、すぐに横になる日々を送っていた。大好きなコーヒーからもこのところ遠ざかるカミさん、次第に元気を取り戻しつつはあったが、昨日「自然の中に行きたいな。」と言う様になった。あれこれ考えたが遠ければ疲れを残す。そこで、カミさんと何度も出かけたことのある例の里山へ行くことにした。

今朝は程よく曇って風もある。途中「ミニストップ」で「ベルギーチョコソフトクリーム」を食べるのがいつものカミさんのパターン。今日も「イートイン」で1個を二人で分けつつ食べてから里山の駐車場へ。

芝生の丘を歩いて登ると見晴らし広場に着く。テーブルベンチがあるので、コンビニで買ったおむすびとサンドウィッチを頬張る。カミさんはパンが好きだが「こういうところでは、やっぱりおにぎりが美味しいね。」と言う。カミさんが淹れてきたコーヒーを飲みながら、しばし風に吹かれた。
珈琲を飲み終えると、『帰ろうか』とカミさんが言い、少し遠回りをして池や竹林の傍らを抜けながら、駐車場へとゆっくり戻る。汗ばむこともなく、鳥の声を聞きながらの散策だ。

昨夜、息子は友達の結婚式で流すビデオ映像を撮りに遅くまで時間をかけていたのだろう。私らがTVを見終わるときにはまだ帰宅していなかった。今朝、カミさんが「帰りにお弁当でも買ってこようか?何がいい?」と聞くと、「ガリガリ君、梨味」と寝言のように応えたらしい。帰りにスーパーで果物と一緒に買って帰った。

家から少し離れたところに程よく整備された自然が広がっているのは幸せなことだと思った。こうした自然の中だけでなくても、自分の好きな空間に入って行くと、"元気"が出てくることがある。瞑想めいていたりする。

カミさんは、少し元気度アップ。


++++++++++++++好き空間+  【マインドフルネス
***

2019.9.23 チコちゃんで"ガランとしている"の意味が伽藍由来と紹介。本来仏道修行は野外の静かな処だった。【到彼岸
2019.9.25 消費的であろうがあるまいが、傍からどう見えようが、自分の好きな空間に身を置くことは自分への"ご褒美"。


0915 結婚式じゃ泣かね~よ

2013-09-16 23:56:06 | スペシャルな日

挙式は始まった。チャペルへ新郎と新婦の母親(うちのカミさん)入室。扉が閉じ、花嫁である娘、その半歩前に立つ新婦の父(私)。宇宙戦艦ヤマト式の敬礼とは違うんだろうが、娘の手掛かり用の腕型を保ちながらゆっくりとした自然歩行で入室。カミさんが扉のすぐ内側で娘のベールを下げ、私は脇にどいている。再びエスコートの形になり、花嫁と一緒に行う会釈を忘れてドギマギする。参列者が花嫁に視線を集める。その中を花婿の近くまで歩いていく。

介添えの人が声を掛けてくれるので止まる。彼が近づいて私は右手の手袋を左に持ち替えて彼と握手してから右手で娘の右手のひらを掬い取り、左手で娘の腰軽く手を添えて花婿のほうに押してやるのだが、彼が握手に近づいてこない。しょうがね~な~、リハーサルの時も「新郎の方から一歩近づいて」って言われてたじゃね~か・・・。待っても来ないもんだから、私が半歩歩み出て握手。彼もカチンコチンだ。まあ、そんなもんだろう。あとはベンチのカミさんの隣へと促されてエスコートは終わる。

娘は「しおらしい伏し目がちで清楚な花嫁」を演じ、見る者の溜息をかう。と思いきや、ニコニコ笑顔で神父の進行中も楽しそうだった。花婿がベールを上げての誓いのキスでは入室前の打合せどおり「ほっぺ」にしていた。娘が言うと彼は「え?頬っぺた?」と確認していたようだが、壇上でも何やら暫く二人で会話を交わしているのが長くなり微かな笑い声がさざめいた。神父さんも微笑んでいたようだ。

青空まで出たので、外のテラスへ出て二人で鐘を鳴らした。外は湿気が高くて蒸し暑かったが、雨は降らないで良かった。再び建物内に戻る2人を2列で囲みフラワーシャワーで迎え入れる。いよいよ披露宴へと進む。

披露宴は階下の会場へ移る。エレベーターで向かう。緊張からか熱くてしかたがない上にトイレが近い。会場前の部屋ではジンライムの提供があり、息子とカミさんたちはちゃっかり頂いて飲んでいる。息子に一口貰ったら、おいし~。披露宴受付から30分、このちょっとした時間に主賓に挨拶をしたり彼我の親戚の方々と会話を交わしながら、娘夫婦の友人たちを眺める。披露宴が開宴されると、あとは2人が何度も通って打合せをした料理と司会進行で宴は進んでいく。

あとは、実はあまりよく覚えていない。扉近くのテーブルから、一番離れた正面テーブルの新婚の二人、とりわけ娘の表情や仕草をひたすら眺めて悦に入っていた。当日の両親の心得は何処?
カミさんなんかは、またスパークリングワインをスタッフにお願いしていた。

このごろは親族へのお酌やお礼も「しないほうがよい」とされているらしいし、終わりのほうの父親の挨拶もなく新郎の決意表明みたいな挨拶でいくそうだ。それはそれで結構だ。そのように決めてきたのならそれでよい。

と思ったら、宴の途中で司会の方がテーブルにやってきて「お父様からも手短な謝辞を」と突っ込んできた。まあ、これはこれで「あり」かなと思う。それでも、「新しい息子」本人が「お礼や決意」を述べるにあたっては、二人のために嵐の中を今日駆けつけて祝福してくれたお礼と、明日からのご支援をお願いするという2点に絞って、親から皆様への感謝の気持ちを手短に話そうと思った。

ぼんやり見ていたが、中盤の写真映像によるプロフィール紹介も、サブリミナル的なカットもある「動き」を感じられる構成で、昔とは随分変わったものだと思った。
キャンドル点火はなくてフロスティーボトルの液体を注ぐとグラスの中のジェルボールの粒々が青く発光する。
挙式リハのビデオ映像などを織り交ぜながら、披露宴の最後に流す「動画エンドロール」は一寸した感動モノだった。編集も上手だし、勿論出席者全ての名前が流れて映画のエンドロールのようだ。そこそこ「いい値段」はするが短時間に作り上げてしまうのだから、これは○だろう。

ずっと前、この「つぶやき日記」にも書いたが、2人の結婚式までの流れに沿って二人を支援してきた。だからある部分は「順番が逆」ということもあったが、それとても結構!よくやってきた。式よりも2人の生活が先だったから、「明日から居なくなってしまう娘」ではなかった。それに、娘は楽しそうに「変顔」まで交えて結婚式を貫いてくれた。私が泣かないように気を遣ったか?

いずれにしても、私は泣かなかった。絶対泣かね~よ!とも思っていた
新郎新婦が手紙を読み上げた後、歩んできて花束をそれぞれの母親に差し出した。娘からカミさんへ渡し、私にはハグしてきた。私もハグで返したようだ。
その後、親父として手短な言葉をマイクに載せたが何を言ったかあまり覚えていない。
ただ、スピーチが大の苦手だと言っていた新郎が、落ち着いた明瞭な声で決意を述べていた横顔は目に焼きついている。頗る(すこぶる)良かった!

お見送りのときが、来た。結婚式をあげた2人は、これまでに良い人々の中で過ごして来れたと感じて安心した。余韻が長く続き、会場スタッフから少し「巻き」が入った。
招待客は至近の駅へと帰る人、同じ会場で2次会にも参加する人として三々五々・・・。とりあえずこの夜は私たち夫婦と息子は式場近くに一泊したが、息子は、海外に行っていて暫く会っていない友人と近くで久々に会うため出かけていった。

私たち2人はホテルの部屋から夜景を眺めおろしながら、しばらくボ~っとした。腹は一杯だが生ビールを飲もうということになってホテル2Fのバーに行った。「終わったね、お疲れ様」で乾杯した。
心付けも、よく紹介されている相場みたいなものとか、やり方や対象については何か違和感を感じるね、とも会話した。
金額の多寡よりも「ポチ袋」方式を徹底した方が素直な感じもした・・・。でもとにかく、結婚式は無事、締めくくれた。よかったよかった。
私にして見れば、挙式日の花嫁の父役も、終わった。

新郎新婦も素直に前向きに健気に頑張って結婚式につなげたね、と話す。2人も疲れているだろうが若いし、主役だし、気の会う仲間と2次会も盛り上がっているだろう。
店の人が空いたグラスを察して「お飲み物は?」と聴いてくれたが、もう十分だった。美しい氷の入った水を出してくれて、いま少し話す。
いい人たちが式にも披露宴にも集まってくれた。結婚式当日の「思いのほか恵まれた天気」は、新郎新婦2人への祝福だろうと思った。

店を出た後も、結局2次会が終わる21時まで2人で近くを歩いたりしたが、すべて終えてドッと疲れが出るかもしれない「新郎新婦の2人」に、ランドマークタワーの一室をプレゼントしたのは、私達からの、せめてものご褒美だ。



【娘のこと/娘の結婚/】


++泣かね~
***

2019.8.7 実際、泣かないで終えた娘の結婚式。だって娘も輝いていたし、娘の旦那になるやつも、これからの楽しみに満ち溢れてた。


0915 挙式日の花嫁の父

2013-09-16 20:50:05 | スペシャルな日
娘の結婚式は無事に終わった。折しも台風18号が日本の南海上に接近、9月15日の朝は強烈な雨が降っていた。国道は冠水部分もあって車は水を蹴立てながら走る有様だ。出席してくださる方々のことが危ぶまれたほどだったが10時くらいには雨はすっかり上がり、晴れ間も出るほどになった。

前日の夜までも含め、この何日間は準備に明け暮れた娘とカミさん。カミさんの顔が少し痩せて見えるほどだった。それでもまた当日は当日で息を抜く暇も無くあれこれ気を配り、娘はウェディングドレス、カミさんは留袖の着付けやメイクのため、美容ルームに行く。その間、息子と私は喫茶室で軽食を取り、美味しいコーヒーを飲んで休むんでいた。

時間は静かに流れていくが、特段退屈な思いはない。花嫁の父親としては、温泉に使っているような「まったりほっこり」した時間でもある。とはいえ多少の気持ちの揺れは否めない。

クローク利用開始の12時少し前に、息子と二人で更衣室に向かった。貸しモーニングは更衣室にハンガーがけしてある。慣れない手つきで一式身に着ける。ポケッチーフは既に胸ポケットに差してある。インターネットで調べて「スリーピークス」がフォーマルでの基本であることは分かった。

ポケッチーフ付の礼装用ネクタイを買っていた息子には、「クラッシュド」を(さも知ったふりで)教える。調べておいて良かった~。インターネット・・・、いい時代になったものだと思う。着替え終わってクロークにカミさんの荷物ともども預け、控え室に行って椅子の配置などもちらっと見た。新郎新婦の椅子が部屋の奥、中央に置かれ、左右の壁側に新郎新婦それぞれの親族用に椅子が配置されていた。私たちの結婚のときは「親族控室」はアコーディオンカーテンで仕切られていて、「親族紹介」の段になって開け放たれた。桜湯などが出されたが、ここではウーロン茶やコーヒー、オレンジジュースが用意されていた。

親族が集まりだしたので息子と喫茶室に足を向けた。皆でコーヒーとピザを注文、ピザは1~2ピースずつ分け合って、「多過ぎぬ腹の足し」にした。挙式のリハーサルがあるので、息子に支払いを頼んで私は先に席を立った。この間にも新郎新婦は身支度を整えて記念写真を撮影している。控室で待っていたら、新郎新婦の親族とも集まりだし、軽く挨拶を交わすうちに教会式の挙式リハでうちのカミさんとともにチャペル室へ。

そこでモーニングのボタンの掛け方を(内掛けに)直され、白手袋の持ち方(右手で上から束ねた中央を鷲掴み)を教わる。花嫁の右側立ち位置やエスコートをサラっとオンザジョブで練習。親指内側で軽く拳を作り、腕時計を見るように「みぞおち」前に持ってきて、みぞおちからは拳少し離す。そこに娘が手を掛けてくる。ちょっと引っ張られるような感覚あり肩に力が入る。ちょっとヤバイ!新郎とカミさんは先に入り、本番では一旦扉が閉じられた(気がする、間違いないと思うが、それどころではない)。カミさんはベールを一旦おろす係。私は右足前の左足揃え、左足前の右足揃えという変則歩きを「小股で」と注意されながら、前から1~2列目の白いベンチまで歩むうちに、「次は右だっけ?」と迷って失笑の空気に益々緊張。

10分刻みでリハ、親族紹介(自己紹介式)を終え20分間で「親族集合写真」。14時からの挙式本番へとサクサク進んでいった。(続く)



【娘のこと/うちのカミさん/自分のこと/息子のこと/親子家族】


0913 八海山

2013-09-13 17:52:33 | 小さな旅の思い出

以前、新潟の八海山に一人登り、秋の無人小屋に二泊、三日目に屏風岩の鎖場を降りた。

初日、六日町の駅を未だ暗いうちに歩き出す。上の「千本桧小屋」は、小屋の管理人が下山して小屋を開放してあり、そこに2泊した。ここは標高は1700m程度だろう。
夜、10数人のパーティーが暗くなってから到着した。食事の準備から後片付け迄はよいとして、終わったあともヘッドランプをつけ、遅くまで談笑して一向に終わらない。ほかの何人もの登山者が既にシュラフで横になって静かに寝ている。山では「早着・早発ち」が原則。とうとう私が怒鳴ることになって、ようやく就寝の気配になった。

次の朝、私は朝の山を写真に収めたり、スケッチしていた。あとは翌日の下降だけなので岩の上に腰掛け、縦走に向かう登山者と挨拶をかわしたりしていた。人の命の儚さという、ある種の空虚感を味わうことになるとは想像する由もない。

小屋を利用した登山者が出払った後、のんびり出発していった例のパーティーは、私が座っていた場所から30mばかり進んだあたりで騒ぎ始めた。そこは登山道の進行方向左側が切り立った断崖だ。滑落したらしい・・・。仲間の人間は、降りられるところまで下って呼び声を上げるが応答は無い。谷底が見える距離ではなく救助要請するしか手はない。あたりは複雑な、でありながら淡々とした空気に包まれた。

そのうち、双方向から“転落”を知らない登山者が往来する。事故のことを告げると、「はぁ... 。」と残念な表情になりつつも、また今まで通りのペースで歩みを再開してゆく。自分の体調と山肌の感触とを感じ取りながら無事に歩き続けるしかないのだ。

気をつけても防ぎ切れない猛威には、嵐でも地震でも、実のところ首をすくめて通り過ぎるのを待つしかないが、普通に気をつけてさえいればこの転落は無い話だった。そんなに難しい山道でもなかった
どうしようもない事態はいつ起きるかもしれないが、そうなってからでは手の打ちようも無い。だから自分も含め、自然の声を絶えず傾聴しながら、黙々と歩く。

三日目、件(くだん)の事故の翌日、下山路は“屏風道”。通常は登りに使うことが多いコースのようだ。屏風岩の鎖はしっかりしていたが、ほぼ垂直と感じる箇所もあり慎重の上に慎重を重ねたが、手には力が要った。ザックが邪魔をし、手脂がヌル~っと滑りやすくなって少し怖かったが、ここで滑落するわけにはいかない。ゆるゆると下る。ようやく平坦地に降り立って緊張が解けた。
無事下り終えた時、丁度これから登らんとする単独の女性と挨拶を交わした。山屋っぽい肉付きで、クリッとした目に力があり菅笠を被っていた。どこかの山岳会にでも入っていそうな空気感。山との一体感を感じた。

駅を目指す私は、新潟の山里のフサフサと背丈の高い野草や、確か未だ若い薄(すすき)が美しかったような記憶そ、れもだいぶうすらいではいるが...。越後の野の豊かさを感じた。
観光土産は、菅笠と清酒“八海山”(税金対策か、この時は2級酒だったと思う)。 <1974年0921 と随分昔の話>

【/生還~水色の静寂を抜けて/】

+++++++++++++++++ 八海山+
***** ***** *****

2018.9.23 清酒八海山も今や随分と高級な日本酒になった。庶民の愉しむ旨き酒に垂れ込める酒税という名の暗雲。まあ、飲める酒をいただこう。ラーメンも酒もビールも気取りがち、高く遠のく秋の夕空ってね。
2019.3.3 山歩きもまた、頭を空っぽにして登降を繰り返せばマインドフルネスのひとつと考えることができそうだ。
2019.7.2 突き詰めれば人は単独。それを孤独と嫌う勿れ。求める者は必ず孤独の道を通るからこそ同好に逢うと嬉しい。
2019.7.18 登山者は知人友人の遭難死を経験をすることがある。色々な意味で経験した人にしか分からぬ事が山にもある。
2019.9.2 早まらずとも人はいつか必ず死ぬ。リスカの人にしか分らぬ事もあるが、"死ぬんじゃねぇぞ"と中川翔子は言う。
2019.9.22 仙人にも、俗人にさえもなりきれぬ、中途半端なままのわれあり。
2019.10.13 八海山のある越後の友が丹沢登山に来たことがあった。遠い昔の事だが、それなりに満足してくれたみたい。
2019.10.17 一流の登山家、山行中の落命稀ではない。それぞれどんな思いで山に臨んでいるのか。【重荷そして寛放
2020.1.29 今の一歩を大事に歩みだし続けることの大切さ。休み休みでもいい。
2020.6.28 山は高きを以て貴しとせずとも言われる。最近は城山と呼ばれる山城跡(八王子城 etc)をポコポコ歩くばかりだ。
2021.10.6 合気道の会長さんだった方、78歳くらい。2人の奥さんに先立たれたが、畳の上で死ねて良かったのだろう。


0912 地味から地道へ

2013-09-12 17:05:09 | ふと思ったこと

南海トラフ地震が危ないことになっているらしい。放射能問題は津波がもたらしたが、元はといえば大地震。メガクウェイクⅢでは、群発する地震を映像化し、新たに「スロークウェイク」というものを追いかける人々を映していた。

ある程度は備えておかないといけない気になる。
防災袋を枕元に、とはよく言われるが、枕元はさすがに邪魔くさい。うちのカミさんは、表に飛び出せるように専用の靴を寝室に用意しているようだ。

地震で家がひっちゃかめっちゃかになれば、下手すると二階から降りられないなんて事態も起きる?縁起でもないが、少しでもイメージしといて損はないと思う。「想定外」という言葉は、哀れな政治・行政だけにしたい。

自分は、水はデポしておくにしても、体力が気になる。近頃は鉄棒にぶら下がるなんてことは、まず無い。フィールドアスレチックとやらも、維持が大変なのか、あまり聴かなくなった。でも、自分の体を持ち上げるとか支えるとか、「自分の体重」くらいは何とかコントロールしたい。今や、ぶら下がり健康器持ってる人、いないんじゃないの?

腕の力は私のような爺さんはどんどん弱る。足腰も同様。「粗大ごみ」にも「お荷物」にもならぬよう、運動しときましょね~、と自分に言い聞かせるものの、日頃の運動量は胸に手を当てるまでもなく、かなり少な目。

ず~っと遥か昔、テレビで「挑戦」というアメリカのドラマ・シリーズをやっていた。
嵐の高波の中を泳ぐが、波濤が崩れる瞬間に水中に潜ると波に飲み込まれて溺れる危険性が減るとか、密閉された空間意に閉じ込められた主人公達が、物入れの扉や箪笥の引き出しを全部開き、ありったけの空気(酸素)を使えるようにした上で、研究中のヨガの呼吸で助かるなど、毎回、目から鱗で面白く見ていた。多分私が少年のころだが?ハッキリしない。

パニックの時にこそ、静かでゆったりした呼吸が求められる。そういえばNHKで「ダイオウイカ」に遭遇した先生が「酸素の消費が激しい、はしゃぎ過ぎだ!」と窘められて(たしなめられて)いた。深海潜水艇で酸素が無くなるの嫌だな。

カミさんは、毎朝家の前を掃除し、夜はDVDで「ヨガ」をやっている。地味に見えて、なかなかきつそう。
本当に毎日欠かさずやっているので、地味から地道になっている。
うちのカミさん、きっと何があっても生き延びられるに違いない。


+++++++++++++++++++地味地道+

2021.9.12 このところ、娘・孫やハスキー犬が増えたこともあり地道な活動が疎かに。で、ヘロヘロにもなっている。


0911 デブの予感

2013-09-11 16:58:48 | 季節的な

少し蒸すが、涼しい。今日は「おでん」にしちゃおうかな。あれなら、あとはご飯炊いといてやれば、それでOK!?

なんだか、食欲も出てきそうな気配を自分の体にも感じる。秋だ、秋。




++++++++++++++++++デブ予感+
**

2019.8.1 ほんの少しだけ強めの運動をしよう。それを繰り返しを継続しよう。1年経ったら凄いことになると信じ。やらなきゃ今のまま。


0906 大滝秀治「これでいいのだ」

2013-09-06 17:58:02 | ふと思ったこと

うちのカミさんが、「オオタキエイジが死ぬ前にさ~」と話しかけてきた。「え?大瀧 詠二死んだの?」これが我が家の夫婦間会話だ。オオタキエイイチは出てこない。大滝秀治さんの話題のようだった。

この方の名前をずっと「おおたきしゅうじ」だと思っていた。亡くなったニュースで「オオタキヒデジ」だと分かったくらいのものだ。

それに私が若者のころ、この方はよくヤクザ映画に出ていたので、おっかない人の印象が強かった。ナントカ連合の会合を仕切る甲高い声。「ごいっとうさんには、遠路はるばる・・・」的な役が多かった。

ニコリともしない鉄仮面のような顔の大滝秀治が好きになったのは、テレビドラマ「浮浪雲(はぐれぐも)」で、謹厳実直な奉行が渡哲也演じる主人公に惚れ込んで、おちゃらけ砕けた部分もあらわにしてゆく役を演じたときからだった。

伊丹十三の映画ではスッポン料理の大御所みたいな役で、鴨南蛮、天ぷらそば、お汁粉と食べていって餅を喉に詰まらせる老人をやっていた。

存在感と味わい深さのある役者さんだったから、何を演じても本物になる感じが凄かった。

カミさんが話す。「肺がんで亡くなる前に、行きつけの立ち呑み居酒屋には行ってたんだってよ。」

なんだか唐突に出てきた話題だが、カミさんもこの「大滝秀治」が好きだったのだろう。「最期の言葉が『これでいいのだ。』だったんだって。なんか深いね。」という。

カミさんが、どう「深い」と思ったのか、よくはわからなかったが、病床での「これでいいのだ」は映画の1シーンみたいではないか。

まるでマヤのセノーテの如き透明な水の中にあるような、静かな気持ちになった。


0902 鬼蚊退治記録

2013-09-02 10:17:50 | 季節的な

0510から始めた“蚊取作戦”。
3ヶ月(0810)で764匹、そこまでの1日の最高退治記録67匹。
昨日(0903)までで、総数1006匹を取った。

11月までの長丁場。メダカも順調に大きくなっている。蚊ばかり見ているせいか、大きな蚊はまるで鬼のように見える。

今年初めて蚊に刺されるめざせ小さな大記録ヤブ蚊には勝てぬが/】



++++++++++++++++鬼蚊退治+
*

2020.10.7 数日前庭に出たら、すぐに蚊が寄って来たので急いで退散。あすは寒露。10月いっぱいで蚊の勢力は衰えよう。