まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

0521 川越 蔵のまち初歩き

2018-05-22 12:35:48 | 小さな旅の思い出

川越にはずっと行きたいと思っていた。
富山の旅
の際、乗鞍高原民宿の食堂で隣り合わせた川越からの旅行者と会話した時から、行ってみようと思っていた。
だが、割合近場だし、いつでも行けるという理由の縁遠さってある。川越はまさにそれだった。

最近自分は楽しんでいるか?そうも言えない自分にも気づいていたので、急遽出かけることにした。9時過ぎのことだ。

お金と水とタブレットなどを入れたデーパックに帽子、長袖、それに釣り用のベストはザックに突っ込んで出かけた。
川越に着いたのは12時前だった。COEDOビールを飲んだ。川越に行ってもグラスに注いでくれる生ビールは無いのか、ロゴ入りのプラコップでしかないのが口惜しい。

循環バスは300円と500円のがあるが、「蔵造の街並み」へ路線バスで直行した。初めての川越も、車窓から眺めると「本川越駅(西武)」、「川越市駅と川越駅(東武東上線)」の位置関係や様子が地図よりも何よりも鮮明。川越駅観光案内所は次々と人が並ぶ。循環バスの1日乗車券もここで買える。
教えられた通り1番乗場に着くとじきに路線バスは発車。さて、仲町で降りて札の辻へ歩くかその逆か?
浴衣のレンタルを着たらしい娘さんをはじめ大勢下車する人の最後尾について「一番街」で降りた。バスで言えば3つの内真ん中に位置する停留所だ。バス通りも狭い昔ながらの道幅か、店構えをじっくり堪能できるわけでもないが、とにかくこれが川越だ。最近は川越ほか「小江戸」がやけに流行っており、確かにTVでもよく特集が組まれている。

案内所では、Coedo ビールをサーバーで注いでくれる店を「一番街商店街マップ」黄色のマーカーで示してくれたが、このマップは「蔵造の街並み」の中にある観光案内では品切れになっていて、川越駅改札に近いこの案内所で貰っておいて良かった。
とはいえ、ざっくりした略図なので街並みの北のはずれである「札の辻」には月曜というのに大勢の観光客であっという間に着いた。そしてシンボルである「時の鐘」の入り口を見逃すありさま。それほど通り沿いの蔵造はしっかりとして、ガードレールも無い道路にバスや車が生活道路として通行する。

昼だ。札の辻にある「蕎花」という蕎麦専門店へ入ったが、そもそも川越は「うどん」が有名らしい。八割と九割の天婦羅付き蕎麦セットは暑い日には良かったが蕎麦のボリュームは少ない¥1550を是とみるか非とみるか。(案内所には「そば・うどん」マップも用意されている)
店の話しでは、土日は混雑が激しくててんでダメって感じのニュアンス。それに外国の人が多くってね、とも。

この日は月曜で、比較したら全然いいとのことだったが、店を出て歩いたら中国やらフィリピンやら、それにオランダっぽい人も含め海外旅行者の姿も多い。浴衣姿の若者も数多く歩いていた。月曜なので博物館や城は休みのようだ。月曜閉店の店も散見される。
すぐ近くの観光案内所で色々聞くと、駅の案内所では聞けなかった「ミオ・カザロ(黒豚の大野農場)」でもCOEDOの生がいただけるらしい。で、入ってみた。
ところが、TakeOutの奥にあるレストランはビールの提供はあったが、ツマミが無い。で道路際のソーセージ立ち食いベンチで頂くことに。
プラコップ入りのビールはすぐに注いでくれたがソーセージの方は焼き上がりまで2~3分。この2つで¥950。

直ぐ近くの観光案内所にも入った。それから「稲荷小路」という脇道に入って一旦蔵の街並みから外れることにした。人影がまばらになり悪くない。うどん(うんとん)、豚カツ、寿司、ハツネヤ・ガーデン(レストラン)を見ながら、蕎麦じゃなくても色々楽しめそうと思った。

川越氷川神社に向かった。日差しがちょっと夏過ぎる。縁結びの神様らしい。朱塗りの大鳥居がデカい。太田道灌がどうこうとも。
境内は鎮守の森ほどでもないが緑の木立が夏の陽射しを遮り、涼しい。観光に来たらしい母親の抱っこ紐の乳児の小さな手が母の首あたりを確かめるように置かれ、安心してぐっすり眠っているが、髪の毛は汗で少し濡れてそれを微風が少し揺らすような、日陰。

それからずっとメイン通りを離れたまま、県立川越高校で右折して「時の鐘」の通りに入る。遠くにそれが見えたとき、いくつもの映画に使われていたのを思い出した。

札の辻に近くにはトイレや貸し自転車もあるが、もう一杯飲もうかどうか考えながら、蔵の街を駅に向かって歩き、途中箸屋さんに入って自分のを見繕うも、かなりの品数の奥行きのある店だったが、お気に入りには出会えず。

仲町近くの「カフェ・エレバート」の前を通りかかったら、ビヤ・サーバーが見える。コーヒーも一杯¥500くらい。
でも、店から出て来た客の手にはさっき飲んだのと同じ「持ち飲み歩き飲み」用プラカップを持っていた。そういえばウロ覚えながら、敢えてこのロゴ入りのカップで行くようなことをTVか何かで言っていたような気もする。
でもビールはやはり、飲み口の厚さにもこだわった冷えたグラスでいただきたいものだ。この為に来たようなものだから、今回は。なので飲むのはやめた。それに昼に飲んだビールが胃腸内にやけに残っている気もした。

そのまま駅まで歩いた。徳川家光の、春日局の、と由緒ある「喜多院」は今回割愛。五百羅漢など次回?果たして来るか、この混雑へ。
「本川越」の駅構内を通り抜けて少し行くと「川越市」駅に着いたが、ここは小さな駅だ。駅のあっちとこっちにコンビニが離れて2つ。で、徒歩好きな私は川越まで30分ほど歩く。それより、来るときは乗れなかった「Fライナー」に一本でちゃんと乗って帰れるよう時刻表を見よう! (ライナーと呼べど、何せ無料の急行電車)。と、あと2分で発車だ!
急ぎSuicaで改札に入り、割合混雑の車内では何駅かで座席に座れ、うたた寝。
行きは車内で敢えて立ち続け、現地については歩き回り、多少の筋肉疲労も覚えている。さあ居眠りだ・・・、と思ったら2時間程度はかかると思われた乗換駅にあっという間に着いた。というより、乗り過ごしが危なかった?

家に帰着する迄たっぷり歩き回って15000歩近く。流石にこの晩は眠かった。風呂に入り早く寝た。私には帰る家がある。これは有り難く、重要なことだ。この普段のしあわせを日常的に忘れていることも多くないか。

翌朝まで、ぐっすり眠れた。それでも朝忙しいカミさんのバタバタした忙しない動きに気持ちが波立ったが、私は昨日の「川越行き」を、心身の健康管理に有用であったことを知った。

富山旅行初日メモ喜多方佐原/桶川/北海道(道南)ねぎ~!むぎ~!消滅危機の街/情緒ある高山】



+++++++++++++++++++蔵のまち+
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2018.11.17 川越に再び行きたいか?ふと思う。あのビールはどうでもいい。何かを観ていない気もする。(親爺ギャグ)
2018.11.21 馬籠・妻籠宿には大学生の時に訪れた。最近もTVで映像が出たが、ネットで混雑する旅、ちょっと辛いか。
2018.12.10 朝のニュースで佐原マラソンが紹介された。香取神宮大鳥居スタート、柳の川沿い走るランナー達、寒そう。
2018.12.31 当たり前かもしらぬが、観光地は豪商・豪族の家が多いが一寸片手落ち。地道な生活者に目を止めたい。
2019.4.25 そういえば喜多方も蔵の町だし北海道や日本海側は北前船で栄えた家並み。思うは先住民族の家々の工夫。
2019.6.29 外国人観光客が押し寄せて観光業や飲食店は潤っても、自治会や一般家庭はマナー悪さに悩まされているとか。
2019.8.7 よく訪れた丹沢山塊、オーバーユースが指摘され遠のいた足。大自然ではない川越も紛れもくオーバーユース。
2020.6.26 コロナ禍、あんな外国人だらけの町“川越”もおそらく閑古鳥鳴いたか。コロナ無くも、混雑観光地はもう御免。
2020.8.4 夏は暑かろうな、川越。観光地観光地したところは受け入れ態勢こそ整っているものの、実は情緒が無い。
2020.10.19 日本を訪れる外国人、日本人より奥深い日本を訪ね歩く。美食や奇景だけではない人間のコアを探るような。
2021.8.13 コロナ禍で川越は本来の静かな佇まいが戻ったであろうか。昔の新日本紀行に見られたような空気漂うか。


0520 モビング

2018-05-20 23:18:08 | 今頃の我が家と周辺

ムクドリがカラスにモビングしていた。ムクドリは2羽だった。巣を守るオスメスの番(つがい)なのだと思った。
Mobbingは偽攻撃と訳されるらしいが、素振り(そぶり)だけでは終わらない何かを感じる。

フラッシュ・モブという言葉もある。"押し寄せる"、そんなニュアンスか。鳥に疎い私でも実際に何度か目撃した。
カラスもまたモビングするし、ヒヨドリやツバメ、スズメもそういうことをするらしい。
大体は子育て中だったりするようだが、縄張り争いみたいなこともあるのだろうか。

いずれにしても、食うための狩猟でなく守るための追っ払い行動いわばスクランブル
その本気度は、まさに本気。だから迫力がある。体の大きさと関係なく勇猛果敢に攻め立てる。それも容赦なく執拗
そこまで真剣、中途半端は無い。
人間もある時は、人里で暴挙に及ぶ野生動物に対して、こうしたモビングを行う必要があるのかもしれない。

【/育雛、オスヒヨドリメスヒヨドリコヒヨドリ/】


+++++++++++++++++++モビング+
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2019.2.20 生きるってホント大変。食うってホント大変。
2021.5.21 小満。この頃に野生の生活が活発に見える。大きな相手にも向かっていく子育ても、ここらあたりから。




0506 孫も、4才

2018-05-06 11:19:23 | 孫を持つ

母親だけの関りから、保育園やらTVやら、まあ色々な人間関係から社会性をつけてきた孫、4歳と4か月。
手に負えなくなってきた?でも理屈抜きで可愛い。 0506 

親の目に厳しさが増すのも、そう遠くない将来、小学校入学という感覚がある。でも自称おねえちゃんになった経歴はまだ1~2年のもの。0717 【雁字搦め/】

4歳はまた、すすんで食器洗いを手伝いたがり、草むしりも手伝ってくれようとする。覚えることが楽しくて、ずべてが新鮮に映っていることだろう。
そろそろ言う事すべてが通じるので、大変だったこれまでを取り返すかのように親はあれこれ都合よく規定付けようとするが、まだ生まれてから4年、自我の芽生えからも何年も経過してはいない。お手伝いをしてくれるのも、親や祖父母やともだちの傍に居たいからと思えば、まだまだ愛おしい年齢。ほっぺの膨らみが、どうみてもコッペパンのようなナボナのような...である時は、まだ躾よりも愛情を注ぐ時と思いたい。
そのうち孫の方で嫌がる時も来るのだから、向こうが欲している今の内はそれに添う(または"沿う")時期なのだ。

今暫くは甘えと自立の彼岸此岸を行きつ戻りつするはずの歳5歳、育て方によっては自信喪失やひきこもりの種を周囲が蒔いてしまうことだってある。くれぐれも大人の都合で"助長"しようとしないことだ。

大人が使う言葉も、それらしいシチュエーション使いができるような案配で吸収してしまう。3歳あたりからは「おままごと」をさせれば、その家の夫婦関係や家庭状況は手に取るように分かると児童心理学者は言う。

"子ども"だからと甘く見ていると、あとあと手痛いしっぺ返しも。

あの手この手で口実つくり、孫の笑顔を浴びに行く孫との塗り絵孫、重い肩車でホタル変わり玉//】


+++++++++++++++++++負えなく+
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2018.7.15 相変わらず食器洗いは率先してやりたがる。本人にしたら、ちょっと高度なお手伝い?。「なるべく水撥ねないようにしよっか」くらいにちょっと注意すると『ごめんなさい』を何度も繰り返す。何かのトラウマか!?と感じる。
保育園で覚えるのか、『キモッ!』とか、"おなら"といった語句を面白がって使うようだ。

2019.3.31 5歳、自我の欲求が前面に出てくると親子は徹底抗戦へ。母親は気を逸らし男は怒り。どっち?、人生は長い。
2019.4.1 孫4歳7か月、我儘通らず"バアバのこと嫌~い"。カミさん"いいよ、バアバは好きだから"。孫、沈思黙考?
2021.7.17 孫も7歳になったが三つ子の魂は不滅なんだと思わせる。片付け嫌い、面倒くさがる、でもちょっと優しい。


0506 心ここにあらざれば

2018-05-06 10:38:36 | 老後生活

大体、うちのカミさんは私のことを「怖がりだ」と言う。しかし私に言わせれば、壊れやすいモノへのいたわり心であって、カミさんは物の扱いが私から見れば「ゾンザイ」である。カミさんとよく似た息子も同じようだし、もっと言えば昭和20年代生まれの人間と違いバブル経験以降は物を粗末に扱うキライがありすぎる、と私は思う。

高価な物であろうがあるまいが、私は自分の性格が丁寧だとも思わないので、刃物は食器洗いでも別扱いだし、フライパンや鍋の把手が台の外に飛び出ているのも嫌う。体が当たれば中身がこぼれたり落下の危険際もある。いわゆる回転半径を思えば、テーブルに置いた自分の腕から手のひらが回転する範囲にガラスのコップを置くのも避ける。

梵天雲龍のような切れ味の鋭い鍛造品は、硬くて強いが粘りなく折れてしまうものだ。店を終う刃物屋の爺ちゃんから「これは大事に使えば一生ものだよ。」と言われたのだが、カミさんを見ていると、百均の包丁と良いモノと、扱い方は一緒だ。下手をすれば足を傷つける刃物の落下は、まあ、私は怖がる。

カミさんは包丁を、これまでも幾度となく落としてきた。台所の床は落下刺し傷が結構ある。その中のいくつかは私自身が傷つけたものだから何も言えた義理ではないが、カミさんは「目を離す 先を急ぐ (包丁や熱い飲物の入ったカップなど)軽いものを水平に動かすのに勢いをつける 」みたいなところがある。

若いときにやっていたバドミントンでも、山なりに来た何でもないシャトルを空振りする。この凡ミスで失点するのは、目が離れるからだと思っている。相手コートのどこを狙うか、次のアクションを繋げるのは良いとしても、捌く前の、まだ頭上にあるシャトルから目を離す。

カミさんがよく言うところの「今を大切に」というのと、忙しない(せわしない)動き方とはどう結びつくのだろうか。
「忙」という字を、老後生活でも背負っていくのかなぁ、なんて思った。

若々しくあるのと齢とったという自覚は、バッテイングするものであないと、私は考えているのだが・・・。

【刃欠け記念日/黄昏色マインドフルネス/】



+++++++++++++++++++心ここに+
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2019.10.24 "心此処に在らざれば"は、誰それの問題ではなく、一過的な状況として、万人に共通の問題だ。