私の中の、一大メモリアルの日。私のコンプレックスを、打ち砕いてくれた人との遭遇。
もともと人は、誰だって「しくじる」し、
誰だって、
そう
誰だって、自分の弱点に悩み
ある時には(その必要が有る無いに関わらず)、「苛まれ(さいなまれ)たりする。
そんな時は、
大抵
「おひとり様」。
富山の知人、というより人生の先輩が
「砂漠に一人居る訳じゃないんだぜ」と声をかけてくれた・・・。
その時も、一人ぽっちじゃないんだ、と気づかされた。
孤独を選択するのは、いつも自分であったりする。
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この0727という日、
それはたまたまかもしれないが・・・
私のことを
認めてくれたもう一人の人に出会った日でもある。
それが、どれだけ深くなのかは
私自身も分からない。
それが永久の物であるとも思わない。
でも、
ありのままの(なのか、買い被りなのかはともかくも)自分を
認めてくれた人の存在は嬉しいものだった。
これは、うちのカミさんとは別の人だから、私は少なくとも複数の人に感謝をし続けている。
感謝と言えば
富山の知人もだから
3人以上ということになる。
もっといえば・・・
そういう人って
自分が潜在意識の中でしか会うことが無いだけで・・・
実は
私に向き合って
気持ちを投げかけていてくれた人が
わんさかと
出てくる出てくる・・・
これって・・・
あとの祭り?
・・・
人にとっては
忘れることも
大きな能力の一つだが
思い起こして括り直すのも、絶大な能力の一つのような気がしてならない。
なんなら・・・
中学生だったあのころの、彼、彼女・・・
今だって、いまだって
その顔や声や仕草が甦る
もう
言葉は要らないか
けっこう
けっこう豊かだね
自分
長い付き合いは、私が切ってしまわない限り
ちゃんと保たれているのかもしれない。
気持ちを決して・・・
会いに行こう
笑顔に会いに行こう。
笑顔を送りに行こう。
【出会い直し/プライスレス/最近自分は楽しんでいるか?/車での富山旅行から無事戻る/諦めない限り/雲外蒼天】
++++++++++++++++++砂漠独り+
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2018.8 瀬戸内寂聴の句集「ひとり」を扱った番組を観た(NHK) 。結局は「ひとり」といいつつ....。
2018.8 "折々のことば"。竹久夢二の詩"孤独"《いさかひをする時だけが 「私達」人はみなひとりびとりだ キスする時も》
2018.11.19 生まれる時も死ぬ時も基本一人。孤独と寂しさは別という言葉も。何かを成す時は必ず一人であり又孤独。
2019.1.4 会いに行くには時間もお金も気持ちも要る。それでも逢いたい人はそれほどに貴重で大切なもの。
2019.1.5 孤高を持すという言葉もあれば、人は群れて生きるようにできているとも言われる。共鳴共振の人は必ずいる。
2019.8.7 まだ手紙をやり取りしていた時代は"心までも瑞々しい"。会話にも思いが込められていた。
2019.9.7 砂漠は水なしでは命に関わる。"東京砂漠"って歌謡曲があった。都会の砂漠では、水でも酒でも潤わぬことも。
2019.9.15 求めて旅すれば砂漠の方がよっぽど"孤独でない空間"たりうる。人・物溢れる空間で孤独に覆われるのは何故?
2020.2.3 砂漠にも生き物は結構いる。砂漠にあって孤独を感じるのは人間だけというのも結構聞く。過剰な感傷も不毛。