私も、これまでに幾つかの趣味や、あるいは熱中してきたことがある。
しかし、結婚を機に山登りはやめたし、山歩きをやめて写真からも撤退した。OM-1とOM-2は手元にあるけれど、フィルムを使うアナログ・カメラは子供たちを撮るためのビデオカメラに易々と交代。スキーもバドミントンも、合気道も、なんだかみんな遠ざかってしまった。下手くそでも、スケッチに興味を持ったこともないわけではない。
捨て去ったわけではなくても、どれもみんな手放してしまったようにさえ思える。
息子が映像関係の先輩から聴かされた言葉があるという。それを今日の会話の中で話してくれた。
映像で食べている先輩の言葉はごく短い。「一度始めたら、途中に休みはあっても一生続けるものさ。」
ちょっと耳が痛いと同時に、元気になれる言葉だ。趣味だけじゃない。惚れ込んで縁したものはずっと持ち続けて良いのかもしれない。他人との優劣や順位ではなく、孤独なる時間の中にだけ結晶するものもある。
幼少期、少年期、青春時代、そして三十路となり新婚時代を経て今に至るそのエポックエポックで関心事は移ろうものの、取り組んだ濃い時間から学んだものは数知れず身中に眠っている。
埋もれさせてしまえばそれまでだが、まだ終いにしなければ(まだ諦めなければ)、形こそ変われども「現役」のままということになる。縁したものへの愛(または愛着)は、誰憚ることのない私のものだ。
エポック(時代)ごとに(区切ってもいいかもしれないが)区切らなくてもいいなんてね、思った。
++++++++++++++++ご縁あり+
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2019.9.16 リタイア後に社会との接点をとか、集まりに入ろう等というが、今までと同じ状態で入っただけでもねぇ...。
2022.6.3 仕事時代と同じ根性での集団(団体)に帰属では何も変わらない。要らぬ制約無しの自由人として生きられる。