うちのカミさん、孫が生まれたものだから、今日はひとり童謡を口ずさんでいる。
白ヤギさんからお手紙ついた 黒ヤギさんったら読まずに食べた
仕方が無いのでお手紙書いた さっきの手紙のご用事なあに? (ご用はなあに?かもしれない)
黒ヤギさんからお手紙ついた 白ヤギさんったら読まずに食べた
仕方が無いのでお手紙書いた さっきの手紙のご用事なあに
歌い終わりと「あたしこの歌、だ~いすきだよ。」と言う。
そういえば、うちの息子もカミさんも、この2頭のヤギになんとなく似た性格だと思った。
うちのカミさんは大根サラダをはじめとして、大根大好き人間だ。だからよく買ってきて料理してくれる。
大根葉はカットして売られているのでなかなか食べられないが、ビタミン・ミネラルともに豊富で美肌にもよいと言われる。
大根の首から上を切り落とすと、カミさんは生ごみとして捨てるが、私は小皿に水を張って置いておく。
葉が出たらそれを使うと物の本には書いてある。ニンジンのそれも、味噌汁に入れると旨いよと知人が教えてくれた。
ダイコンの葉は、切っても切ってもまた芽を吹いて台所の片隅で健気に緑を展開する。
それが先ほど見たら、薹立ち(とうだち)のような按配になって頭頂部に蕾が ... 。窓辺でもないのに、元気なやつだ。
そういえば、庭の雑草でもある「ハナダイコン」。あの紫色の蕾はまだ出てこない。
40年ぶりの大寒波だそうだから無理もないか。昨年は3月12日に咲き出した。一昨年は3月28日に開花。それより前は大体3月8日から14日くらいまでに開花が始まっていた。
真冬寒、湿度も随分と低い。日中といえども油断していると危ない陽気がこのところ続いた。
体から熱も水分も知らないうちに抜けていくので、まだまだ気を抜けない日々が続く。でも、春光は確実に隣ほどに近い。
+++++++++++++++
*
2019.3.20 今年のハナダイコンは、0318ころに咲いた。蕾はもう少し前、春の雨の朝、まるで突然のように現れた。
たまに、"俺は嫁からも娘からも、はたまた息子からも慕われている"と得意顔の男も見るが、きわめて希少価値が高い。
もしくは、とんでもない勘違いだ。
仲良し親子はあっても、主には"仲良しな母と子"と置き換えた方が当たっている。
父親というものは、どう頑張っても「煙ったい」存在だ。発想が硬いのだ。
娘や息子はというと、若いんだから柔らかそうなものというのも大間違いで、若けりゃ若いほど未熟で硬い。だから、ともすると「硬い者同士」、触れれば必然的に嫌な音が立つ。しかしそれがまた「順調な」成長過程の若者ということになる。
自分が何か話しかけた時、子供らは受け取ろうとはしてくれるものの「・・・」となることが多い。
いや、カミさんと私との一見良好と思える間柄でさえ、多くの場合向こうが大人であることにすぎないかもしれぬ。
あるいは「すでにヒビの入った器」として扱う妻の器量に負うところが大きいのではなかろうか。
男はあんまり成長はしないもののようだが、それはそれでいいではないか。というより致し方ない。腐るより活き活きだ。
鯛ほどにも値打ちの無い腐り方は周囲に迷惑か。トンチンカンであればあるほど、家族から間合を取るくらいが丁度いい。
我が家は息子も嫁いでいった娘も、うちのカミさんと仲がいい。これは見ていて感じがいい。言えば「しあわせ」である。
世の中には色々な尺度があって、いままでずっと主流だったものもあるが、社会的な成功や評価があってもなお得られないプライスレスなものがある。私には自分の「家庭という場所」で、しあわせな「最高の景色」を見られる喜びがある。今日は3月9日。略してサンキュー。こういうことを言うと「略さないでいいよ」と腐してくるカミさんたちではある ... 。
++++++++++++++++仲良母子+
2019.3.9 サワコの朝に、突き抜けた感性の"みやぞん"で出ていた。文章書きでもある阿川佐和子の質問が噛合わない。
2019.3.9 みやぞんの母親が"わたしの産んだ子やもん"と、みやぞんに一切の強制も矯正も施そうとはしなかったという。