まるさんかくしかく〇△☐Ⅱ

雑感・雑記・日記

1013 菜っ葉の掛け声

2023-07-23 15:15:47 | 昭和的な

よおしやるぞ!   さあ!やるか!!
掛け声ばかりで実が無い。「菜っ葉の肥やしで、かけごえばかり。」
私の母は、実動を伴わないのを言語道断!のように言っていた。

私の記憶に残る、先輩の退職送別会スピーチ。仕事が丁寧で漏れの無い方だった。
"さあやるか 昼からやるか もう5時か。毎日こんな感じで仕事しているうちに、いつの間にか退職です"。

それはともかく、私は退職後の今も毎日"菜っ葉の掛け肥"ならぬ「菜っ葉の掛け声」で過ごしている。
私の人生、最後までずっとこれかい?
然し乍ら、とはいえ、そうは言っても ... 「ゼロでもない」という思いも、無くはない。(ちょっと歯切れが悪い)

ぼちぼちと、ほどほどに、小さな歩み、止むことなく。焦れたら(じれたら)負けよ。急いたら負けよ。

【私の母/一つ動かすと旅の空と家の中、2つの自由/】

 

++++++++++++++++菜っ葉の肥+
***** ***** **

2019.2.20 ここでもまた一意専心、一時専心。気を散じることなく、一つ事を楽しい気分でおつきあい。
2019.3.29 春でも秋でも疲れてくると億劫になる行動。動いた後の自分が楽しみ!ワクワクするだけでいいんだってよ。
2019.9.9 本当に疲れてくると声も出なけりゃ表情もない。掛け声は出るが掛け声しか出ない時、それは"休め"のサイン?
2019.10.4 休まずに動き続けるのも脳力なら、休みを入れてゆくというのはそれと同等かそれ以上の"能力"ではある。
2020.8.29 真夏とか、秋バテとか。早朝のひと時だけが僅かばかりの掛け声タイム。あとはちょっと .......... 。
2020.12.10 どうしてもやらなければならない時は別だが、気乗りしない時は、掛け声ばかりの自分も、認めてあげる私。
2022.5.17 頭で捏ね上げないことが私の課題だと、カミさんも言う。私もそう思う。頭がち、頭でっかちはヒトの常?
2022.6.3 拙速は巧遅(こうち)に勝る、さっさとやれよと言う。だが、ちょっと待て。三分でいい、吟味せよ。
2023.7.23 元気でいられるのは日の出前のひと時か?さあやるかの元気も出ない酷暑の夏。


金柑食ってまた食って

2022-07-02 09:20:25 | 昭和的な

<2022-07-02 0702>
金柑の花言葉は「思い出・感謝」だという。白いマッチ棒の頭のようだった蕾が開くと、小さいながら花びらは五弁。
"ありがとう"の一文字一文字を当ててみたくもなるか。0629はKさんんが亡くなった日だが、思い出しては感謝するそんな方だった。あまり華々しい事のなかった私の人生だが、そうした幾人かの人に巡り合えたことは、感謝だなぁ。
時々、あらゆる感謝を忘れたかのような振る舞いをしてしまうことがある。潤いの無い時間もまた時々やって来るから。それでも、気持が乾いたら金柑の花言葉。そう、乾いたら塗り 乾いたら塗り。

+++
<2013-05-05 0505>
カンカンキンコンキンカンコン、カンカン鍛冶屋のおじいさん~♪ 
あのころは楠トシエが歌ってた。開けたてはツンと鼻を突く強烈な臭い。虫刺されには定番だったキンカン本舗のCM。

"キンカン塗って、また塗って~"、そのあとが思い出せない。"みかん金柑酒の燗~嫁御もたせにゃ働かん"かな?と思ってネット検索したら、ちゃんと出出て来た。こちらの記憶は頗る(すこぶる)いい加減だったことが分かった。金冠堂とか、とか、キンコンカンコンキンカンコンだったりとか、私の記憶は当てにならない。まあ子供時分のことだし。
しかしこれをアップした方も、よく蒐集したものだな~。

うちのカミさんは、快活に動き出した。朝の掃除をやっていて自分で気持ちイイと言う。少し動くと、まだ疲れやすく休み休みだけれど、笑顔に無理がなくなってきた。
そうそう、カミさんは金柑が大好きで「キンカン食ってまた食って、今日も元気にキンカンコン♪」と、私の脳内にはあの旋律が流れる。あの金柑もカミさんの健康に役立ったに違いない。

先日娘と取ったキンカンは今朝無くなった。カミさんが食してくれた。
カミさんはキンカンを口に入れると、種を出してテーブルに並べる習性がある。まるで撃ち殺した決闘相手の数を銃の握りに刻み込んだビリー・ザ・キッドみたいだ。テーブルに綺麗に並べている。
捨てりゃあいいのに結構いつまでもそのまんま。これが乾くと、くっ付いてくっ付いて、どうしようもねぇ。

今朝はキンカンも種もテーブルから消えていたので、あと少し残っているのを取ってくるか。サッと洗ってそのまま口に放り込めば、爽やかな美味しさが広がる。旬のもの、いかにも健康に良さそう。

うちのキンカンの木は背丈を越える程度だが、お隣のは我が家の2階に届くほどの樹高。しかも鈴生りの実を食べる気配がない。「俺はキンカンは好きじゃない」と、息子は変なところでニヒリズム。お隣もそんなところか?

人様が食おうが食うまいが大きなお世話ではあるものの、2階のベランダからもう少しで手が届きそうな金柑の実たちを何とはなしに眺めている私。ジロ見でもチラ見でもないその中間。「ジト~」か「チラ~」、なんとなくイヤラシイ。


+++++++++++++++++++キンカン+
***** ***** ***

2019.6.9 蚊の時期、足裏をよく拭って細菌の種類を減らし蚊がさほど近づかないようにしたい。いちいちアルコール?
2019.6.10 5月末頃だったか... ポロポロと実落ちするころに最後の金柑を食べた。鳥や虫に先を越された。甘さ増し美味。
2019.6.11 食べられるものが庭に生える楽しさ。韮とかパセリ、上手くすると放っていても出てくるのは二度美味しい。
2019.12.12 今年は秋頃に枝を剪定して実を大きくする策に出た。金柑の実は未だ緑色だが、風邪の時期、早く食べたい。
2020.3.18 昨日3回目の収穫。実が青い内に大分間引いたので、大きめに生ったのを頂く。金柑の苦甘さ、ビタミンC!
2020.4.24 カミさん、疲れとる。そうだ、金柑採って来よう。春なのか、毎日眠たいこと眠たい事!
2022.5.7 この時期、毎年のように疲れ顔のカミさん、先日孫と一緒に金柑を採取。お皿に盛ったのが少しずつ無くなる。
2022.6.29 金柑の花の蕾が白くて小さくて気づかなかったがビッシリ。今年の実は小さかった。蕾、間引いてやるか。
2022.7.2 南天の枝と格闘 夏の汗。一休みして気がついた。上の方、日当たりの良い枝にキンカンの花が咲いていた。
2022.7.3 湘南の海にはカツオノエボシが打ち寄せられていると聴く。潮流か沖のうねりか強風か。
2022.7.9 三浦海岸にはカツオノエボシ見なかった。8時過ぎ、制服の2人が警戒パトロール、未だ出てないようだった。


急にカーペンターズが聴きたくなる時って、無い?

2021-10-30 16:26:32 | 昭和的な

晴れれば晴れた時、雨降れば雨降る時、いつ聴いても好きなものは好き。自然呼吸が柔らかくなる感じがする。
YouTubeはありがたい。歌声を聴き肩の力も抜けて、タイピングできる。
⇒https://www.youtube.com/watch?v=fhB0Lf3vJ8s
+++
<2021-08-17 0817>
Rainy-days & Mondays always get me down ... 。
このところの雨続き、そしてコロナ禍。気が滅入りそうになる。YouTubeで久しぶりに聴きながらPCキーボードを押していると、ちょっとだけ若いときの自分にタイムワープ。そういう沈澱もたまにはいいと思う。
ちょっと休んで、また歩きはじめよう。山を歩くように、疲れたら休み、また元気が復活する。そしたらまた、歩き出せる。楽しい気分を持ち続けて、歩けたら、それも幸せなこと。 <2021.8.17 0817>
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<2016-05-20 0520>
裏に切なさを秘めたカレンの、あの歌声を何故だか急に聞きたくなることって、私にはある。

私の青春時代には、当たり前のように耳に入ってきたものだが・・・。

母アグネスとの関係。涙ぐましいまでに母親を求めて努力し自分を追い詰めるカレン。そしてコンプレックス克服のための幾度もの拒食。

のびやかでなめらかで、太く深みのある声の中に潜む可憐で繊細な女の子の哀しいストーリーが、泣かせる。

その物語をTVで見たのはどれだけ前のことかさえ思い出せないが、このごろなかなか聴くことがない。
なのに、その物語がひょいっと胸裏に浮かぶ。

ちょっと酔って、一人でいる夕べなどには歌ってみることもある。一生懸命覚えたよな~。

+++
<2016.11.25 1125>
兄、リチャードも、カレンのヴォーカルが表に出た後、「ただのピアノ弾きのように思われて」とコンプレックスめいた言葉で振り返ることがあった。クラシック・ピアノ ... 、優秀だった彼を、大き過ぎるほどの期待と激励を何よりも優先し続けた母と父のもと、実は寂莫とした思いさえ抱いていた妹カレン・カーペンター。

Loneliness is such a sad affair ... という、“SUPER STAR”の一節、哀しくなる。
実は母アグネスも、かなしく痛い青春時代までの思いのまま生きていた人だったのかもしれないと思うようになった。 


+++++++++++++++++++Carpenters+
**

2021.8.19 病の床で“Please,be my Mama.”と母アグネスに嘆願したというKaren Anne Carpentar. 1983.2.5逝去 32歳。


0905 やっぱり「天気雨」が好き

2021-09-05 14:56:32 | 昭和的な

雨音に気づいて遅く起きた朝はまだベッドの中で半分眠りたい(だったと思う)。
アメリカにはあんな「下手うま」な歌手はいないとデーブ・スペクターに言わしめたユーミンの"12月の雨"。
昨日の雨は太田裕美の「九月の雨」とも違っていた。雷鳴も凄かったし雨音も凄かった。

降れば土砂降り、天の恵みである水、無ければ命は無く多すぎれば命を脅かす。
ちょうど良くふって欲しいと願う気持ち、無視できぬほど切実だ。
水もお金も食物も多すぎる程は必要ない。
外から入り込んでくるゲーム的金融資本は津波か洪水のように被害を残し、どこかへ去っていく。
天災も人災もなくならない。
降れば土砂降りなんだものなぁ。

容赦の無い雨の後は晴れ間もある。
良いことばかりは無いし悪いことばかりも無い。禍福は糾える縄の如し、そう思うしかないのかな・・・・。

遊びをせんとやの子供時代に、天気雨が好きだった。
太陽の強い光の中で結構大粒の雨が降り注ぐ天気雨を見ると、何故か嬉しさが込み上げてきた。

昨朝も天気雨が降った。既に爺さんの私は、それでもやはり嬉しさが胸に弾けた。
天気雨は、先の知れぬ暗雲の中ではないからだ。  <2013-09-05 0905>

 

+++++++++++++++++++「天気雨」が好き+ 
*

2019.11.7 光を通す雨の滴はキラキラ光って可愛くも美しい。下手なダイアモンドよりも美しくないか?水は命に通ず。
2021.9.5 治まらぬコロナ禍。人々もそれに悪馴れしてしまった。だらだらと続くのか、これは先のしれぬ暗雲の部類。


時々フッとかすめる全部出てこないアレ、何だっけ

2021-02-18 16:32:10 | 昭和的な


昭和25年生まれの私は、当時の多くの人々同様、そこそこ貧しい時代に少年時代を過ごした。
今も決して豊かではないが、時代と共に自家用車やPCも持てた。狭いながら自宅にも住めている。

日常生活の中で、昭和の歌やCMや、いろんなものが脈絡なく脳裡に去来。
これ、あんまり意味はないが、懐かしかったりする。  <2013-05-06 0506>


++++++++++++++++何だっけ+
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・紙石鹸:コロナ禍で携帯用の石鹸として復活?(石鹸工房コクーン)。かつては、お化け煙とか紙石鹸は駄菓子屋で買った。

キンカン塗ってまた塗って
・ シミちょろ
・青山のエンドゥ豆の白兎 ・・・ ま~けたお方はお逃げなさい ?
・たまごのおやじゃ ぴーよこちゃんじゃ ぴっぴっぴーよこちゃんじゃ あひるじゃガッガ(グヮッグヮ) ?


1224 雪でも降りそうな寒さの時に昔やったこと

2020-12-24 15:39:15 | 昭和的な

寒い時の思い出は「炬燵と蜜柑」だ。
半纏、どてら、火鉢などの思い出に浸って、お汁粉、生姜湯なんてのも悪くない。冬至の柚子湯も、もうじきだ。
酒粕で甘酒もいい。(甘酒は江戸時代において、本来猛暑による夏バテを防ぐ夏の飲み物だったという)

今は、ダウンジャケットを着て、なるべく体を動かすように心がけている。 【動即暖/】

好き嫌いもあるようだが・・ミカン丸ごと火鉢で焙って焼いたりもした。ミカンの皮もよく干して、水きりネットなんかにいれて風呂に使うのもいい。陳皮という漢方薬らしい。近頃は入浴剤、それも炭酸系が温まっておすすめだとか。
蚊連草があるなら茎ごと多めに束ねて葉を擦り、風呂場の中で振ると良く匂う。うちのは12月の今も青々している。

そういえば、12月24日はクリスマス・イブ。ケーキやスパークリングワインなんかも、気持ちあったまる~。雪でも舞い落ちてくれば、気分は最高!
ホットミルクか、あったかワインも、いいんじゃないだろうか?

結婚前にはスキーも流行っていた。仲間とあちこち出かけて、クリスマス・ナイト・スキー、はしゃいだな~。



+++++++++++++++++++
雪降り寒+
***

2019.5.17 蚊嫌草(蚊連草)は消滅してしまった。ブルボンローズとかセンテッドゼラニウム...名前色々?
2020.12.24 今年は冬至が21日だった。クリスマスイヴは私ら夫婦2人では概ね割愛状態。柚子、嗅ぎたくなった!
2020.12.27 天気予報のいう事だから外れるかもしれないが、明日の夜から明後日の未明にかけて、淡雪?どうかな~?
2021.2.27 子どもの頃は、押し競万頭なんてやった。今でも子供は風っ子、1月でも2月でも寒風の中で鬼ごっこしてる。


消印有効

2020-10-05 16:47:56 | 昭和的な

国政調査、インターネット回答は9月14日~10月7日。

郵送でのご提出は10月1日から10月7日までにお願いします、となっている。
今日ようやく出せた。記入作業そのものは10分から15分だが、6Bの鉛筆を探したり集配時刻の定かでない投函である。

昔、郵送しか手段が無い時代には“消印有効”と記載されていることが普通のようにみられた。
回収する側からすれば、期限を設ける事は必須で、締め切りはいつと明記しなければその後の動きが取れない。

昭和の終わりころだったか、役所に何かの申し込みをした際に、提出期限〇〇とあったので数日前にやっとこさ投函した。
同じ県内で、当時も翌日には配達されていた時代だから当然大丈夫だと信じて疑わなかった。

どうも結果が届かないので問い合わせの電話を入れたところ、役所は文書とか郵便物を一旦役所内の集配所(文書課?)みたいなところに集め、それを庁内メールボックスに振り分け、それを“誰か”が回収担当課に届けるなどして、最終的に担当者の机上に届くのだと言っていた。当該担当者は、提出期限の朝机上に無ければ無効と見做す、というのだった。担当者が一存でMyルールを設定したように思えたので、上司を電話口に出させたが、のらりくらり。公僕とは程遠い、やってやってるんだ式の“小役人根性”を強く感じて、腹立たしかった。次の申し込みは翌年となった。

少なくとも私の常識では、提出期限は(役所なら)当日の17時だろうと思う。提出期限日いっぱいは「待機日」の筈だ。
役所は大勢からの申し込みや依頼を集め捌かなければならない、何某かの閉じ方は大切になる。特に、告知から回収までが短い場合は、「必着」や「期限厳守」が必要にならざるを得ないだろう。
しかし、何かの拍子に往々にして集配の遅延は起こり得る。大学受験、応募、何かの申し込み。色々想定される。

そこで、緩衝材または中間根として、「当日消印有効」は機能していたと思う。たとえ回収日が一日早く設定されても、
“消印有効”は単純明快だと思う。


++++++++++++++++消印有効+
**

2020.10.6 <速達>はタイミングにより通常郵便より遅いときもありそうだが、“消印有効”は有効。
2020.10.7 不確定・不明瞭な条件で成立させようとする“必着”、“期限厳守”は、曖昧で不確かで弱い。
2022.9.4 変なところでグダグダなせに、変なところで鬼厳しい。これ、直した方が全体にスッキリする。


0704 突然の"戦争を知らない子供たち"

2019-07-04 16:59:06 | 昭和的な

朝7時頃、..。急に浮かんだらしくカミさんが.歌い出した。
題名は出てこなかったらしいが、明らかに"戦争を知らない子供たち"。懐かしくってネット検索。
1970年リリース、私が二十歳、大阪万博の年だという。カミさん、"私9歳"だとよ。

大阪万博へは友人の運転で出かけた。日産サニー1300ccでぶっ飛ばしていたっけ。車内では古いタイプの差し込み式?音楽カセットで"藤圭子"とかドリフのメドレーがずっと鳴っていた。万博会場は混雑していて目ぼしいパビリオンに入るのは諦めるような状態。真夏で暑かった。ニュージーランドのソフトクリームが、ただただ美味しかった。

今は便利、1970年のヒット曲がすぐ分かる。他にはどんなのがあったっけ。
「黒ネコのタンゴ」皆川おさむ 「ドリフのズンドコ節」ザ・ドリフターズ 「圭子の夢は夜ひらく」藤圭子
「逢わずに愛して」内山田洋とクールファイブ
「手紙」由紀さおり 「今日でお別れ」菅原洋一 「京都の恋」渚ゆう子
「白い色は恋人の色」ベッツィ&クリス 「希望」岸洋子 「経験」辺見マリ
「白い蝶のサンバ」森山加代子 「噂の女」内山田洋とクールファイブ 「命預けます」藤圭子 などなど

因みに翌1971年は
「わたしの城下町」小柳ルミ子 「知床旅情」加藤登紀子 「また逢う日まで」尾崎紀世彦
「傷だらけの人生」鶴田浩二 「花嫁」はしだのりひことクライマックス
「よこはま・たそがれ」五木ひろし 「雨のバラード」湯原昌幸 「さらば恋人」堺正章
「17才」南沙織 「雨の御堂筋」欧陽菲菲 「走れコウタロー」ソルティー・シュガー 
そんな時代だったんだね、と思う。

ところで、
"戦争が終わって僕等は生まれた 戦争を知らずに僕等は育った おとなになって歩きはじめる 平和の歌をくちずさみながら (略) 若すぎるからと許されないなら 髪の毛が長いとゆるされないなら (略) 青空が好きで花びらが好きで いつでも笑顔がすてきな人なら 誰でも一緒に歩いてゆこうよ きれいな夕陽の輝くこみちを 僕等の名前を覚えてほしい 戦争を知らない子供たちさ ref. "
そんな時代だったんだね、と思う。

このあともずっと、「〇〇を知らないこどもたち ...」が、次々と大人になっていく。


小沢昭一的こころ/】

++++++++++++++++子供たち"
*****

2019.7.6 何でまたカミさんはこのフォークソングを歌い出したのか。今日もまだ歌ってる。3日続くと一寸うるさい。
2019.7.19 機銃掃射の中を逃げ惑う経験をした母は戦争絶対反対。然し"戦争知らぬ子から生まれた子"はその怖さ知らず。
2019.8.18 親になり種々の経験をし子供に言葉を発する。己がその年齢の時、親にも世間にも反発。【無形の杖
2021.7.4 突然のというより“いつの間にか”。気がつけば“突然”と思えてしまう茹で蛙。かくして歴史は繰り返される?。


0226 白い想い出、いろいろ

2014-02-26 23:11:42 | 昭和的な

雪が解けてきた ほんの少しだけど 私の胸の中に 残りそうな雪だった
灰色の雲が 私に教えてくれた 明るい日差しがすぐそこに来ていると~

中学生のころだったろうか、ダークダックスや芹洋子が歌っていた「白い想い出」という歌。情感たっぷりな歌、っていうの?・・・こういうのが主流だった気がする。山崎唯作詞・作曲。

それにしても温かくなった。根雪になりそうなほどだった雪が、いつの間にかだいぶ解けた。

あと1週間もすれば、3月6日は啓蟄だ。春は本格的なものになる。今日は久々に起伏のある公園に出かけたが、林の径(こみち)は、雪とぬかるんだ泥道とが半々だった。雪のところを選んで歩いたが、結構気持ち良かった。

それでも早々に切り上げたのは、PM2.5が多いと報じられていたからだ。だいぶ吸っちゃったかな?日本もスモッグとか、物凄い時があったが、あれも今で言えばPM2.5?
田中角栄・大石武一。環境庁を新設した人、初代長官になった人。大石武一さんは頑張りが見えた気がしたけど、その後は、環境省になった今もなんだかパッとしない。まあ政治の世界は庶民にゃ関係ないや。あの人達見てると白々しいだけで、興味が湧かない。たとえ信用できないのばっかりでも、選挙に白票入れにだけは行くけどね。私利〇〇に駆られてだけ動くような「なあなあ党」みたいのばっかりで興ざめだ。

グルノーブルだっけ、冬季オリンピックで「白い恋人たち」というフランシス・レイの曲が、これもまた随分と流れたものだった。札幌大会の「虹と雪のバラード」も、トワエモアの歌い声も、まだ耳の中に生きている。
ソチには放送時刻もあって、ゆっくりと腰をすえて開会式も閉会式もみなかったからかもしれないが、強烈な音楽の印象が私にはない。かわりに、すばらしい人間ドラマが「白い想い出」として眼の奥に焼きついている。そしてまた残念にも五輪開催中に起きたロシアの対ウクライナ強硬策(侵攻)。

ロシア&ウクライナ TV局が戦争を煽った/】



++++++++++++++++いろいろ+


1102 勿体無い

2013-11-02 21:57:29 | 昭和的な

祖母も母親も手ぬぐいを手縫いして雑巾を作っていた。昔は余った布は何でも雑巾にして使い終えていたようだった。だから水を吸いにくい雑巾も中にはあった。今のようにタオル地の雑巾が当たり前の時代ではなかったし、雑巾を買うなんて事はとんでもなく「もったいない」「ずつなし(横着・怠け者)」なことだった。

うちのオヤジでさえ、肌着をハサミでカットして手近にストックしては、釣りの道具から日常の窓拭きなど掃除にウエスとして使っていた。

それから「ビニール袋」も、私の母親にとってはビックリ物であって、水も空気も漏らさない。だから使った袋は洗い上げて乾かして穴があくまで何度も使っていた後に。サランラップだのクレラップだのというものが世に現れれば、これまた大喜び大感激で、欧米には憧憬の念しかなかったようだ。

そういえば「シャンプー」というものも、私が小さいときには女物であったし、今でいえば納豆のタレが入っている四角い袋とか、弁当の醤油入れみたいなのに色のついた液体が入っていて、それを湯を入れた洗面器に溶かして使っていた。

男は石鹸をそのまま頭でゴリゴリ泡立てて洗髪するのが普通だったが、小さいときは母親に連れられ、銭湯の女風呂でシャンプーして貰ったことがある。

なんとなく思い出して、シャンプーを溶かして髪の毛を洗ってみた。水や湯は優れた溶剤だから、それもあるいは理に適っているのかもしれない。

全体にそんな空気の中で育ったのだから、今の世の中は、自分としても「勿体無い」ことが多い。それを、捨てられないことの言い訳にしている節があるかもしれないと、自分でも思う。

CMで、「カミさんのシャンプーを使ってる」というのがある。今は私も「サクセス」とかいうのを使ってみたりしている。男物シャンプーも進化した。でもなぜかしらん、風呂場はそういったボトルで溢れかえっている。しょうがないけど、なんか勿体無い気もしている。

【防災/老前整理/回顧】



+++++++++++++++++++勿体無い+
*


0801 減るもんじゃあるめぇし

2013-08-01 18:10:01 | 昭和的な

幼いころ見た映画の中の上田吉二郎。若くて可憐なお姉ちゃんに、無理やりいやらしいことをしようとする。
子供心にも「お姉ちゃん」に心ときめき、「お姉ちゃんの好きな人」との仲を引き裂こうとするこのオヤジを憎らしいと思う。

てめぇ!減るもんじゃあるめぇし、ジタバタするんじゃねえやい!のあとのヤラシイ息遣い。

しゅるしゅるしゅるしゅるっ!(帯に手を掛けてヒロインがクルクルクルッと回って帯が解ける音)

すると、
『お~っと、そこまでだ。』と現れる、正義のヒーロー。
映画館の観衆が一斉に拍手する、そんな時代だった。
みんなが好きな、勧善懲悪の世界だった。

「だっ!誰でぃ!てめぇわ~!」とかなんとかやりとりがあってのちに上田吉二郎が叫ぶ。時には悪代官、時にはやくざの親分みたいな役でも「曲者だ~、出あえ出あえ!」と手下を呼び寄せる。(曲者は、てめぇのほうでぃ!)

「野郎ども!畳んじめえ!」で、チャンチャンバラバラが始まると結局正義の味方が悪を懲らしめ、悪者が畳まれちゃう。お姉ちゃんと色男のカレシに正義の味方は、『幸せになるんだぜ。』みたいなことを言って、めでたしめでたしで終わる。そして後も振り返らず去っていく。

一度でいいから、やってみたかったな~。え?ヒーローの方じゃなくて・・・・上田吉二郎のほう。
今思う上田吉二郎、あれは一寸したギャクだ。あの上田吉二郎をやってみたかったな~。


あのときの一種純粋な心は、何だったのか。随分と汚れてしまった感じがするのも、あるいは自然な成り行きと申せましょうか・・・・・。
きれいなお姉さんが好きなところは、あの頃も今もまったく変わっていないと自覚する。

それにしても、減らなきゃ良いってもんじゃあ、そもそもあ~りませんでしたっ!


【男の助平心/回顧/ステロタイプ(ステレオタイプ)】







++++++++++++++++あるめぇ+


0731 はんちくわ

2013-07-31 23:23:51 | 昭和的な

齢(とし)だけとってさばけてない。自分でつくづくそう思う。
上っ面を撫でてきた。
知情意すべてに「はんちく」だ。

母は常々「はんちくはダメ」と言ったが、私は今でも「はんちく」だ。
大きいことを求めちゃいない。
大中小のそれぞれに、真心込めろと母は言い、それも私は分かってる。
分かり方さえ「はんちく」で、どこまでいっても変われない。

中身が空洞、ピーマン・ちくわ。そして私は「はんちくわ」

有り難いのは我が家の家族。
生の私にキュウリ詰め、サッパリ味で楽しんだり、煮たり焼いたり炒めたり、私を上手に温めて、なんとか毎日「活かして」くれる。

・・・・・・・。
反省だけならサルでも出来る。やはり私は捌けていない。
母を想えば向上したい。

わが子のほうが大人に見えて、それにつけても親父は軽(カ~ル)。
===今日は一日、そんな気分の支離滅裂な日だった。これもまた「五臓の疲れ」?===

【私の母/親子家族】

 

+++++++++++++++++++はんちく+
*

2019.9.19 >>仙人にも俗人にさえもなりきれず>


0703 人からの元気

2013-07-03 16:58:57 | 昭和的な

沢田研二が歌っていた。「女は誰でもスーパー・スター」と。
昔の日本人女性は、お多福顔で身長も足も短かったが、ジュリーの歌うように、女性はどんどん「欧米化」していったようにも思う。
昔は男も女も、巷では「じゃがいも」みたいなもんだった。

昔、石原裕次郎が歌っていた。「素晴らしい男性」と。
何故か最近この歌が浮かんでくる。歌詞もなんとなく覚えている。

素晴らしい男性~、青い駒鳥が言ったとさ~
明るく陽気(元気?)で~、心すこ~やか~、何処にもい~るよ~、素晴らしい男性~
あ、な、たの、隣に居るよ、すば~らしい男性~
だったと思う。

当時格好良くて「いかしてるぜ」の裕次郎が歌うところに説得力がある。
ジャガイモが言っても効果は無い。やはり、それっぽい人が言うから、そうかもしれないとなるし、男どもも多少元気になれた?

ごく普通の男をいろいろあしらって「え!僕も?」とか「俺もかぃ!」みたいなことを言わせていた。
才能が凄い、技術が凄い、金儲けがうまいなどのスグレモノ、カガヤキ人、ひかりものを賛美したわけでもない。
ごく普通だが一生懸命に悩んだりしながら生きている「そこらの野郎たち」を光らせた歌だ。

ALWAYS 三丁目の夕日にでも出てきそうな気持ちの熱い普通っぽい人たちが、昔は一杯いたような気もする。


++++++++++++++++普通の気+
*****

2020.8.29 有名人だからではなく、一生懸命に動いている人から貰う元気は沁みる。言わんかなの言葉は魂が無い。
2020.10.29 (自他共に)気づこうとしてないだけで、周りの誰もが結構頑張っている。【追いかけつづける人になっていた
2021.7.3 天の気、地の気(食物)、そして人の気。若い頃は血の気ばかり多いのも結構いた。齢重ねると、馬鹿に映る。
2021.7.4 オバサン達は、喋ってないと死んじゃうからね。聴いちゃいないけど、そりゃあもう喋ること喋ること!
2022.7.17 人へも元気を分け与えたいところだが、自分の元気を先ず何とかせにゃ。こなすだけでない時間たちを過ごす。


0702 目から鱗

2013-07-02 10:11:42 | 昭和的な

片山龍二さんという眼鏡をかけた大人がブラウン管の向こうで目から鱗が落ちるような色々面白いことを言う。
そんな番組(か、コーナー)が、その昔、あった。私が何歳くらいだったか忘れた。だいぶ若かった時だった気がする。

例えば注ぎ口が片方に寄っている液体容器(豆乳の1リットルパックなどの形状)があるとする。
注ぎ口が下の方になるように容器を傾けてグラスなどに注ぐのが一般的だと思うが、片山氏は違った。
注ぎ口を上方にした感じで、グラスの方を注ぎ口に近づける。一見、しっくりこないイメージだがやってみると驚く。

まだ重たい容器よりも、軽いグラスを持ち上げる。なるほどなるほど、と思った。
注入口が下方だと、容器を傾けた時に液体の底部に近くなる。したがって、吐水は噴き出す形になり、暴れる。

一方上方にある注ぎ口からの液体は、傾けることで「溢れて流れ出す」形になる。
その時すぐにやってみて、少年の心は躍った(当時の私)。

知識としてその情報を覚えたのは間接体験だが、日常の中には、直接体験的な驚きが(目に見えるかどうかは別として)展開されているようだ。
但し、なかなか気づけない。

粘度の高いペンキとか油では、あまりオススメとは言い切れないかもしれないが、何十年も前のことでも、ちゃんと記憶に刻まれている。これは結構、スゴイ!


【日常/老後生活/懐古/TV爺ぃ】



++++++++++++++++目から鱗+
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2020.9.30 “うわっ凄い!”も、種明かしされればなぁんだとなるもの世の中に一杯ある。自分の目で探せれば数独も不要?


0502 私の母 「あっら!うまそ~」

2013-05-02 14:50:04 | 昭和的な

水族館の鰤(ブリ)を見て「あ~、美味しそう!」と私の母が言った件を食事時にカミさんに話した。
カミさんはとってもよく覚えていた。『あらっ!美味そう!!』と言ってたよね、びっくりしたよ、も~。』
子どもたちを連れての水族館だったから、見学最中の「うまそう」に驚いたというのだ。「あ~、おいしそう」程度の上品な言い方ではなかったようである。

私の母はリュックを背負って闇市に出かけた経験を持つ。列車で行った地方への買出し、憲兵が睨みをきかせていたとか、米軍戦闘機の機銃掃射に遭い重い荷物に引っ張られるように尻餅をつき、勢いあまってリュックの上を乗り越える格好で後頭部と肩が地面について両脚を空中でジタバタさせて死ぬ思いだったとか言っていた。
そういうところを通り抜けてきた人だから、あっらまあ、うまそう!は自然なんだろう

戦争という「生きるのにやっと」な真っ暗な毎日を「敗戦」で終えて(母たちは「終戦」と言う)、軍国主義という「空気」がアメリカによって吹き払われたらしい。蒙古襲来の時の「神風」、戦争中の「カミカゼ」、そして太平洋戦争の終わり。陸軍病院で外科病棟勤務だった母にしてみれば、泣き喚く(なきわめく)負傷兵をどやし付けながら、それでも「いつか勝つ日まで」と頑張ってきて聴いた「玉音」に号泣したという。だが母をはじめ、日本国庶民には幸か不幸か負けたことで「神の風」が吹いたのかもしれない

「相次ぐ勝利」というニュースが全て嘘っぱちだったことを後から知り肚が立ったという。よく分からないが、最近の近隣の国も、いまだに当時の日本と同じような状況なのではないかと想像してしまう。いや、最近の日本に於いておや。

私は戦後の生まれで、その辺には疎い。ただ小さいころ住んでいた町にも片足の無い「傷痍軍人」の人が、アコーディオンを奏でて町角に立っているところを子供の目で見ていた
母の願いは文字通り「平和」。戦争は、良いことがひとつも無い、といつも言っていた。

米寿を過ぎ、母は逝った。日本の平和だけでなく、世界のあちこちに見られる内戦や紛争にも心を痛め平和が訪れることを願っていた。昭和を潜り抜けた人の価値観は“食う”に始まり、良きにつけ悪しきにつけ、大きく展開してきたと思う。

母は日本人らしく「魚食文化」の人で、イクラ(昔はおもに筋子)とか刺身、とりわけハマチが大好きだった。水族館の鰤は正に大好物が泳いでいると見えたであろう。

“欲しがりません勝つ迄は”の戦争が終わり、婦人参政権も齎され(もたらされ)、さぞや嬉しかったことだろう。毎年8月ころにやる戦争番組は、父母の生きていた当時をもっと知りたいので、なるべく観ている。

2003年の1220に母が亡くなって10年を迎えようとしているが、
母はどこかの水族館とかに今も出向いて、言っているのだろうか? あっら~、うまそっ!

【母の尊敬していた人物/ナイチンゲール/市川房江/】



++++++++++++++++++私の母2+
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