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感想:『”文学少女”と神に臨む作家 上・下』――私が”文学少女”を大っ嫌いなワケ

2009年10月03日 21時23分54秒 | “文学少女”
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“文学少女” と神に臨む作家 下 (ファミ通文庫)“文学少女” と神に臨む作家 下 (ファミ通文庫)
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シリーズ本編完結となる上下巻。批判ばかり書き綴ってきたが、どうにか最後までたどり着いた。短編集が外伝が存在するが、手を出す予定はない。

小説に限らないが、出会う時期が大切な作品は少なくない。それは時代であったり、読み手の年齢であったりする。特に後者は多くの児童文学などに当てはまるだろう。このシリーズは高い評価を受けているが、これもまた後者の代表的な作品と考えられる。
エンターテイメントに限らないが、100人の中で、或いは1000人の中で、たった一人でも強烈に支持し、その人の人生に影響を与え、その人の心の中に何かを残すことが出来れば、その作品は価値があったと言えるだろう。もちろん商業的な成功は望めず、作り手がその作品にどんな思いを残そうと。

”文学少女”に対する私の評価はこれまで述べてきた。最後まで読み終えても変わることはなかった。
なぜこのシリーズが高い評価を得たのか識るために最後まで読んだ。その答えを得たとは言わない。私にとってどうしようもなく薄っぺらなこの物語の何が若い人々の心を掴んだのか。私にとってどうしようもなく最低の主人公のどこに若い人々は惹かれたのか。多大な苦痛を感じながら読み続けたにも拘らず、こうした問いに明確な答えを出せない。

読み続けたもう一つの理由として挙げた、主人公の成長も描かれてはいる。だが、満足にはほど遠いものだ。本書で主人公が「けれど、ぼくは主人公の亜里砂に、共感できない」とその著者へ伝えるが、その言葉をそっくりそのまま野村美月に返したいほどだ。これほど、最後の最後まで微塵も共感を覚えなかった主人公と出会ったことに驚いてしまう。
いつでも無償で助けてくれる、”母性”の象徴である遠子先輩。何をしても許され、男にとって都合がいい女という、理想の”恋人”である琴吹。二人にひたすら甘える主人公。その自覚もなしに。自覚がなければ何をしても許されるなんて”幻想”の世界がこの作品である。

思わせぶりなシリーズ構成こそ評価できるが、物語の展開は酷いレベルと言わざるを得ない。作者の腕の未熟さが主人公のヘタレに磨きをかけている。特に目に付くのが、コミュニケーションしないことで強引に話を進めていく点だ。解決時にまとめてするために、大事なことはどのキャラクターも話さない。自分の気持ちや行動の理由を話せば簡単に解決することなのに、それを伏せることで物語を展開させている。もちろん演出手法としてそれが有効なのは間違いないし、シチュエーションによっては当然認められるものではある。だが、それを繰り返し、シチュエーションも何も関係なく同じパターンというのは手抜きと言われても仕方ないだろう。ライトノベルだから許されると言うならば、ライトノベルはそれだけのものとなってしまう。

文学作品に対する語りにも、キャラクターたちの行動にも、心に届くものはなかった。読んでいて感じた苦痛の要因の一つとして、主人公や他のキャラクターたちのヘタレっぷりに対する同類相憐れむような近親憎悪的な気持ちがなかったとは言わない。ヘタレでない者か、ヘタレに気付かない者ならば、また別の読み方もできるのだろう。だが、最後までそのヘタレっぷりを無条件に肯定されれば、無性に鬱々とした気分になるし、そんな作品が受けていれば苛立たしい気分になる。
結局本編最後まで読ませた力とは、私が稚拙だと忌み嫌い蔑みまでする作品が高い評価を得ていることに対する反発だった。嫌いだと叫ぶためにここまで読んだ。TVアニメでもつまらないと言うために最後まで見続けたりしたように。なぜ受けたのか識りたい気持ちはあるが、分からないことは分からないと言うしかない。いつか分かるかもしれないが、分からないままかもしれない。好きの反対が無関心であるように、嫌うということは決して関心が無いというわけではない。それを認めた上での嫌いということだ。

誰にでも優しいということは美徳ではなく、むしろ大きな欠点である。なのに、美徳のように描かれた歪んだ世界。その歪みに苛立ち、怒り、心がかき乱される。そこで繰り広げられる悲喜劇も馬鹿馬鹿しい茶番にしか見えない。そして、世界の象徴である主人公に対して、何度「死ね」と思い、「消えろ」と願ったか。最も嫌いな主人公として心に刻み込まれてしまった。
結論。私の評価では、真っ当な大人が読む価値は微塵もない、となる。現時点ではこれを書くために艱難辛苦に耐えたと言える。