奇想庵@goo

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遠藤雅伸氏のインタビュー記事を読んで

2009年05月04日 18時27分51秒 | FF11
あの“ゲームの神様”遠藤雅伸氏がMMORPGに言いたい放題。「ドルアーガの塔」からケータイゲームまで,存分にどうぞ

4Gamersで、『ゼビウス』『ドルアーガの塔』などの開発者として知られる遠藤雅伸氏へのインタビューが掲載されている。
アーケードゲームの開発経験から成されるMMORPGへの批判は非常に的を射たものに感じられた。以前から述べているが、作って売ってしまえば終わり的な製造業型のものづくりから、持続的に顧客に満足を与える必要のあるサービス業型への転換は、MMORPGだけの問題ではなく様々な局面で求められているものだと思う。

例えば、遠藤氏はこう述べている。
 MMORPGについていうと,何をしていいか分からない状況に陥ることや,周りの人達との関わりですね。あと,移動するのも面倒だと思います。
 それから,なんといってもデスペナルティが嫌ですね。あれは考え方自体が間違っているので。

ファイナルファンタジーXIもプレイしたと語っている遠藤氏だが、まさにFFXIに当てはまる批判だろう。

新規プレイヤーへの対応として公式サイトに「新米冒険者ガイド」が導入されたのは2007年3月末のこと。2002年5月に正式サービス開始されて5年近く経っての導入だった。ゲーム内に「チュートリアル」が導入されたのは更に後の2008年9月という有様だ。いかにサービスのイロハを知らなかったかの証明だ。
オンラインマニュアルもネット上では閲覧できず、ゲーム内でも閲覧できない。情報も古く、ほとんど役に立たない。もちろん有志による優秀な攻略サイトはいくつも用意されてはいるが、基本情報についてここまで利用しにくいまま放置しているなんて信じられないくらいだ。
クエストやミッションの攻略情報までは必要ないが、例えば「MMM」のコンテンツの基本的な仕様を知りたい場合、過去のバージョンアップ情報を丹念に調べるか、ゲーム内のNPCから断片的な情報を得るしか公式の情報は入手できない。プレイヤーが利用しやすいような環境を作るという配慮に決定的に欠けている。

周囲のプレイヤーとの関わり合いも、初期から調整されたものはサーチコメントくらいで、チャット環境やメンバー募集関連の手段の多様化などはほとんど手が付けられていない。MMORPGはコミュニケーションが肝であるはずなのに、そのコミュニケーションが取り易い環境とはお世辞にも言えない状態だ。

移動に関しても、かなり調整は入ったものの未だに時間が無駄に掛かる状況には変わりない。本来必要のない部分で時間や手間を掛けさせることはサービスとして最も避けるべきことのはずだが、全く理解していないと言わざるをえない。それでも儲けは出ているということだが、「確かに,それでもプレイし続けるコアなファンがいるのは事実ですが,途中でふるい落とされている人がたくさんいるはずなので,そういう考え方では「マス」にはなり得ないんですね。「マイナーでいたい」という指向なのかもしれません。」という遠藤氏の弁の通りだろう。

 僕がもう一つ指摘したいのは,MMORPGにおいて確率論をどのように用いるかの煮詰めが甘いということです。


確率論の話も興味深かった。簡単に言えば、時間を掛ければ掛けただけの見返りがあるかどうかということだ。どちらも時間を掛けられる人の方が有利なのは確かだが、どちらがプレイヤーに優しいかは言わずもがなだろう。

 アーケードゲームを作っていた人達の文化と,PCゲームを作っている人達の文化の差ですね。アーケードゲームでは,できるだけ早くお客さんに倒されていただきたい。短時間にどれだけお客さんに満足していただけるかということを,本当に真剣に考えて作っていました。
 だって,最初に遊んだときに面白くなかったら,もう遊んでくれませんから。つまり,しょっぱなから面白い部分を前に出さなきゃダメなんです。

 一方,PCゲームを作っている人達の根底には,「時間は無限にあるもの」という考え方と,「プレイヤーはきちんと最後まで遊んでくれるものだ」という幻想があると思うんです。
 そりゃあ,1万円近く出してゲームを買ってきたのに,3分間プレイして面白くないからやめちゃうというのは,とても投資に見合わないから,我慢してやらざるを得ないんですよ。その状況に対して甘えている部分があったと思います。そのせいで,時間管理が甘くなっちゃうということなのかな。


これが冒頭に述べた製造業的発想とサービス業的発想の差だと思う。パッケージを買ってもらえばOKという発想なら、キャチーな要素は必要だがそれはゲームトータルの中に収めればいいという考えになる。アーケードであれば、いかに短時間で満足してもらえるかが鍵であり、更に何度も遊びたくなる要素も必要だ。一度のプレイ料金は安くとも常に金額に見合う価値があるかどうか試されている。
製造業は完成させることが目標だが、サービス業は完成したところからスタートとなる。MMORPGの場合それはより顕著だと言えるだろう。

 作っている側の驕りなのかもしれません。本当は,自分でプレイしながら調整すべきなんです。ゲームの難度についても,自分達の方がプレイヤーよりもスキルが高いことを理解して,その分を差し引いてヌルく調整する必要がありますよね。
 一生懸命に作ったから見せたくないという気持ちが,作り手の中に働くわけです。半年かけて作ったものが,世に出ると1時間でクリアされるとなるとちょっと残念な気がして。だったら難度を高くしてクリアに10時間くらいかかるようにしたくなっちゃう。


エンターテイメントの世界は基本的に製造業なわけだが、アーケードゲームなどと同じくサービス業的な仕組みになっているのがコミック誌の世界だ。そこで必要とされるのは作り手の自己満足ではなく、いかに読者を楽しませるかという精神である。小説ではあるが、ライトノベルもそうした方向性が強く現れたメディアと言えるだろう。
そして、インターネットもまた最もサービス業的なコンテンツ・メディアだろう。それは企業などがファンなどに向けて作るもののことではなく、草の根的に互いに楽しみを作り出すシステムとして成立する場面においてだ。

僕は最近,「コンテンツはコミュニケーションに勝てないんじゃないか」と考えています。つまり,人は潜在的に,コミュニケーションに対する欲求を持っているんじゃないかと。


このことを痛烈に感じたのは『高機動幻想ガンパレード・マーチ』を巡ってだった。ゲームの面白さ以上に、ゲームをきっかけとして繰り広げられたネット上での多彩なコミュニケーションの嵐に遭遇したことが私にとってこのゲームを特別なものとした。『ひぐらしのなく頃に』の成功も、ネット上でのコミュニケーションをうまく誘導できたことに由来する。
MMORPGももちろんコミュニケーションの契機として成功はしている。ネガネガと愚痴り合うのも実は楽しみのひとつである。しかし、残念ながらそれを戦略的に行ったMMORPGは聞いたことがない。話題づくり以上の仕掛けをMMORPGに用意することなんて決して難しくないと思うのだが。

MMORPG版ドルアーガの塔については、アイテム課金型のシステムを前提としているためほとんど興味がない。確かにコミュニケーションツールなのだと割り切れば、ゲームの内と外をそれほど区別する必要はないだろう。だが、FFXIに慣れてしまうとゲーム内の楽しみに外の要素を混ぜ入れてしまうことに違和感を覚えてしまう。アイテム課金型の方がコンテンツのあり方として優れているのも確かだろうが、今のレベルのMMORPGでは定額課金型を支持したくなる。