ついに小十乃の出生の秘密が明らかになった。
21話で既に、父親はアッシュと判明していたが、アッシュとヨシュアが腹違いの兄弟で、ヨシュアと小十乃の関係は姪・叔父にあたるものだった。これじゃあ、ロリ○ンだけでなく近○相○だね(違。
今回はほぼ全編ヨシュアによる過去の話で、極めてシリアスな展開だった。アッシュの非道っぷりが徹底していて見応えあり。ヨシュアは丁度猟兵のような感じ。二人とも小十乃をきっかけにアッシュの存在を振り払っていくことになった。
クルツ社長はそのアッシュの上を行く存在。ユアン君ごときにいいようにあしらわれていてはダメじゃん!って感じのユアンの奇襲だったけど、中途半端な挑発は手痛いしっぺ返しを食らうのよって思わせるラストのクルツ社長の姿にいよいよラストに向けた展開が待っていそうだ。
それにしても、今回強く思ったのは、そう、第1話でも感じた登場人物たちの強さだ。
第1話でエルリックが小十乃に両親のことで精神的に攻撃したときも、彼女はそれを一蹴した。これまでの物語の中で落ち込んだり悩んだりすることはあったが、それらはありがちな些細な問題ではなく簡単に乗り越えられない壁だった。
今回も小十乃とヨシュアの過去を知り、その過酷さに同情しつつもその運命と立ち向かうのは自分自身だと明確に語る菜月や三咲の強さにこの作品の本質を見た気がした。
猟兵のようにうじうじしている奴もいるが、それでも子供たちも大人たちも、普段はふざけていたりちゃらんぽらんだったりしても、大事な場面では本当に強い意志を見せる。
これは好みの問題かもしれないが、私が物語の登場人物に最も求めるものは強さだ。もちろん強さばかりでは作品にならないが、強さを感じない作品は見る価値がないとはっきり断言できる。「Fate/stay night」への評価が低いのもその強さをあまり感じなかったからとも言える。弱さを否定しているわけではない。ただ弱さを肯定する作品が嫌いなだけだ。向上心の微塵も感じられない弱さに同情できないから。
この基準で他の作品を語り出すとキリがないのでそれはまた別の機会に。
21話で既に、父親はアッシュと判明していたが、アッシュとヨシュアが腹違いの兄弟で、ヨシュアと小十乃の関係は姪・叔父にあたるものだった。これじゃあ、ロリ○ンだけでなく近○相○だね(違。
今回はほぼ全編ヨシュアによる過去の話で、極めてシリアスな展開だった。アッシュの非道っぷりが徹底していて見応えあり。ヨシュアは丁度猟兵のような感じ。二人とも小十乃をきっかけにアッシュの存在を振り払っていくことになった。
クルツ社長はそのアッシュの上を行く存在。ユアン君ごときにいいようにあしらわれていてはダメじゃん!って感じのユアンの奇襲だったけど、中途半端な挑発は手痛いしっぺ返しを食らうのよって思わせるラストのクルツ社長の姿にいよいよラストに向けた展開が待っていそうだ。
それにしても、今回強く思ったのは、そう、第1話でも感じた登場人物たちの強さだ。
第1話でエルリックが小十乃に両親のことで精神的に攻撃したときも、彼女はそれを一蹴した。これまでの物語の中で落ち込んだり悩んだりすることはあったが、それらはありがちな些細な問題ではなく簡単に乗り越えられない壁だった。
今回も小十乃とヨシュアの過去を知り、その過酷さに同情しつつもその運命と立ち向かうのは自分自身だと明確に語る菜月や三咲の強さにこの作品の本質を見た気がした。
猟兵のようにうじうじしている奴もいるが、それでも子供たちも大人たちも、普段はふざけていたりちゃらんぽらんだったりしても、大事な場面では本当に強い意志を見せる。
これは好みの問題かもしれないが、私が物語の登場人物に最も求めるものは強さだ。もちろん強さばかりでは作品にならないが、強さを感じない作品は見る価値がないとはっきり断言できる。「Fate/stay night」への評価が低いのもその強さをあまり感じなかったからとも言える。弱さを否定しているわけではない。ただ弱さを肯定する作品が嫌いなだけだ。向上心の微塵も感じられない弱さに同情できないから。
この基準で他の作品を語り出すとキリがないのでそれはまた別の機会に。