たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

人とのおつきあい <人生相談人間関係に疲れました=回答者・高橋源一郎>を読みながら

2017-08-28 | 心のやすらぎ・豊かさ

170828 人とのおつきあい <人生相談人間関係に疲れました=回答者・高橋源一郎>を読みながら

 

昨夜というか深夜から明け方にかけて、寒いぐらいに冷え冷えした状態になり、どうもきちんと眠れなかったようです。午前中はまぶたが重く、頭もどうもはっきりしません。そんな中、今日書面提出期限の裁判事件があり、普段であれば臭味の本でも読んでいるのですが、そういうわけにもいかず、なんとか仕上げました。そして裁判所や代理人(当事者が多く)合計4者に合計40枚くらいの文書をファックスで送りました。登記事項証明書などはどうも送信時間がかかり、全部送信終わるのに1時間くらいはかかったようです。

 

その後もすっきりせず、いつの間にか夕方6時半を過ぎ、帰る時間です。ブログを書いていないことを思い出し、<さい帯血の無届け投与容疑で医師ら6人も逮捕>が出たとの記事を読みながら、これはどうかと思いましたが、時間がかかりそうで断念しました。だいたい、これ立件できるのなんて気にしつつ、捜査本部も一罰百戒の感じで無軌道な再生医療に歯止めをかける意図がわかるので、その整理に時間がかかりそうと思った次第です。

 

こういうときは、いわゆる「源ちゃん」と呼ばれている高橋源一郎氏のすかっとする人生相談で、簡潔にまとめようと思った次第です。

 

今回の相談は34歳の女性で<人間関係に疲れています。自分から周りの人を盛り上げるように適度に気を使って、人間関係を築いてきたつもりです。ですが前職で、仲良くしていた同期の女性から裏切られ、会社中からいじめに遭い、頑張る気力がなくなりました。・・>といったもの。

 

高橋氏の回答は、まず知人の葬儀の話でした。<知人が何十年も勤めた会社を定年で辞め、数年後に亡くなったとき、彼の葬儀に参加した会社の元同僚は「ひとりだけ」だったそうです。・・・「職場の同僚」にとって、彼らは「通行人」と同じような存在だったのです。>

 

定年をとっくに過ぎ、高齢者と呼ばれる存在は私も含め、日本人の何割でしょうか。どんどん増えていますが、上記の葬儀事情は結構どこにでもありそうです。

 

次に高橋氏は漫画家の話を見事に引用します。<マンガ家のしりあがり寿さんは「友だちがいない」と悩みを訴える学生に「そもそも、偶然同じ場所に集められて勉強しているだけの人間を『友だち』と呼ばされているだけで、そんなのなんの関係もない人なんだから、いなくてふつう」と答えました。名答だと思いませんか。 たまたま一緒にいるだけの人と必要以上に親しくすることはありません。>

 

最近、fb、SNSLANでしたか、次々と仲間作りのネットが流行していますが、これこそ上記の名答と同様でしょうね。むろん一定の距離を置いて付き合えば、それなりにいい関係が作れると思いますが、人間関係に気兼ねしたり、悩んだりするまで深く入り込むことは普通の大人であればあまりないでしょうね。ただ、学生や若い人の場合上記の名答を心しておいた方がいいかもしれません。

 

最後にまた、「源ちゃん」の名答を。<理解し合える友人や心はずむ相手が、ふだん仕事している職場にもいる方が珍しい。いたらラッキー。いなくて当たり前。 あなたのやりたいことは何ですか? どうせ考えるなら、楽しいことにしてください。あとあなたの最高の笑顔は、大切な人にとっておくこと!>

 

今日は20分もかからない超短縮でした。これでもブログ千日を続けたうちに入るかどうかは、お天道様に聞いておくことにしましょうか。ほんと千日回峰行を実践する人はつくづくすごいと思う次第です。

 

今日はこれでおしまい。

付け足し

昨日このように書いた後、なんとなく気になっていました。高橋氏が葬儀の出席者の顔ぶれで、故人の付き合い方の事情を寸評している点です。何気なく、そんなものだろうと。でも腑に落ちなかったのです。

葬儀・法要・納骨など、葬送は個人的な事情を背景に、従来の慣行が大きく崩れ、葬儀出欠も義理的なものがすくなくなりつつあるのが都市社会ではないかと。田舎はまだ違いますが。それでも分散して居住する都市も田舎も、葬儀に参加するという当然のように思われた国民感情も、希薄化していくように感じています。イギリスなどの葬儀事業はもっと早い時代から始まっているのでは。

そんなことを書き出したのは、今朝、いとこの夫が亡くなったという電話が兄からあり、自分は認知症の母の対応で行かれないので、代わりにいってくれないかという話がありました。兄はいとこ夫婦と懇意でしたので、母がショートステイで帰宅するのに対応しないといけないから、泊まりになるため出席できないというのです。私は長年会っていないこともあり、兄を連れて参加しようかと思ったのですが、一人での参加は辞退することで兄の了解を得ました。

この3者は距離的には車でそれぞれ5時間程度は離れています。普段長距離ドライブをしていないので、きついのですが、それでも母も一緒に行けるのなら連れて行くのですが、無理ですので、断念しました。

要は、高齢化社会の結果、老々介護があり、親族といえどども離ればなれに暮らし、加えて認知症の家族がいるといった場合、葬儀への出席は儀礼的に留まり、本来の追悼の気持ちを示すことも容易でないでしょう。兄は今度時間調整して訪ねると行っていました。その方が落ち着いて話ができるでしょう。

葬儀が儀礼形式になりつつある一方、家族葬など多様なやり方も次第に選ばれていきます。生前の付き合いを、葬儀への出欠席で示すことは、必ずしも当を得ていないのではと思って、少し付け足してみました。

 

 

 

 

 


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