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環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

「治療的視点」と「予防的視点」:摩擦の少ない適正技術を

2007-06-12 06:43:23 | Weblog


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ここで、「治療的視点」と「予防的視点」の決定的な相違を検証しておきましょう。

日本では1967年に「公害対策基本法」ができました。2年後の69年に、スウェーデンでは「環境保護法」ができました。今から考えると、この2つの法律はほとんど同じ時期に生まれた環境分野の基本法ですが、法律の名前からしても前者は治療的視点で、後者は予防的視点でつくられていることが明らかです。視点の相違により、法律の対象となる項目の範囲に相違が出てきます。日本の法律は一般に対象を狭くしておいて、何か新しい問題が起こるたびに対象項目を追加するリスト方式ですが、スウェーデンの法律は日本とは対照的に最初から大きな網をかぶせておきます。

今日は、労働環境の分野で「治療的視点」と「予防的視点」を考えてみます。スウェーデンは予防を重視してきた国ですので、新しい生産技術が登場したときにはまず、それを生産部門や事務部門に導入したら作業者と機械の接点でさまざまな摩擦が起こらないだろうか、と考えます。このような考え方の繰り返しを通して「スウェーデン社会に適した技術」が選ばれ、社会に定着してきたのです。
 
30数年前にマイクロ・エレクトロニクス(いまでいうIT機器)の雇用への影響が、ILOなどの国際機関で議論されたとき、日本をはじめ多くの先進工業国の関心は、コンピュータやロボットが雇用の機会を奪うかどうか、という点でした。そんななかで、スウェーデンの主な関心は、これらの技術が作業の身体や心理にどのような影響を及ぼすか、という点であったことは、特筆に値します。
 
日本の産業界ではこれまでつねに、「競争」とか「効率化」という価値観を優先してきましたので、競争力があり効率化が図れると考えられる生産技術、たとえば、コンピュータとか、ロボットとか、あるいはそれらに支援された生産システムが開発され、市場に登場すると、ほとんど迷うことなく、それらの新鋭機器を生産現場に導入し、生産性の向上、効率化を図ろうとしてきました。事務部門も同様です。
 
また、私たち日本の消費者の行動様式も似たりよったりで、「便利さ」だとか「目新しさ」という価値観でつぎつぎに市場に投入される商品を購入し、廃棄し、さらに、新しいものを求めてきたのです。

その結果、「資源」「エネルギー」「廃棄物」に象徴される環境分野で新たな問題を引き起こしてきました。そしてまた、労働環境分野では、コンピュータやコンピュータに支援された生産システムやオフィス部門で、作業者との接点でさまざまな「医学的・心理的な摩擦(テクノストレス)」を生じています。 
 
このような状況が明らかになると、治療の必要性が生じて、医学の分野では治療医学、技術の分野では対策技術が、そして、両方の分野で診断技術、そのもとになる測定技術の研究開発の必要が生じ、それらの技術が発達することになります。

そして、癒し系ビジネス、スピリチュアルなビジネスが流行することになりますが、いずれも“治療的視点による対症療法”にすぎませんから、事態が好転するわけではありません。これが日本の現状でしょう。



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治療よりも予防を

2007-06-03 22:27:02 | Weblog


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1月5日のブログでスウェーデンが「予防志向の国」(政策の国)であるのに対し、日本は「治療志向の国」(対策の国)であると,私の観察結果を紹介しました。この相違をもう少し、具体的な事例で検証してみようと思います。

皆さんも薄々おわかりのように、日本は「何か目に見えるような問題が起こってから対応を考える、つまり、病気になってから治療する」というパターンを繰り返してきた国です。一方、スウェーデンは人間に被害が出てから行動を起こしたのでは「福祉国家」として社会全体のコストが非常に高くなるという認識から、「予防できることは予防しよう」という考えで行動してきた国です。

高福祉・高負担に支えられたスウェーデンでは、失業者や健康障害者ができるかぎり存在しないほうが望ましいのです。失業者や健康障害者を社会の一方でつくりだし、他方で一生懸命治療するような社会は、GDPの成長には貢献するかもしれませんが、非常にコスト高な社会となります。「治療」という考え方は「社会全体のコスト」を押し上げる原因となるので、スウェーデンにとっては望ましくありません。

ここに大きな相違、つまり、「治療志向の国」と「予防志向の国」の相違があるのです。言い換えれば、「対策の国」と「政策の国」の相違と言ってもよいでしょう。これまでに公表された様々な資料をながめてみますと、明らかに「治療よりも予防のほうが安上がりである」と言えると思います。

水俣病の話からもわかるように、水俣病という公害病は60年以上前に発生し、50年前の1956年に公式に認められた公害病です。しかし、患者の方々は今なお、この病気で苦しんでおられますし、裁判で一応の決着が着くまでに長い時間をようしました。判決後被害者に支払われたお金は大変な額にのぼったでしょうが、それでも、一度失われた健康は修復不可能です。

●NGO国際水銀シンポジウムの記録 水俣から学ぶ-50年の歴史から原田正純先生(元熊本学園大学教授)

こうしたことを考えますと、 「治療より予防のほうが社会全体のコストは安くなる」というのは事実だと思います。このように日本は、金銭と時間と、そして何よりもかけがえのない健康において、莫大なコストを支払う羽目になったのです。

直近の例では、5月31日に東京大気汚染訴訟で「国、和解へ60億円拠出」という報道がありました。

この記事によれば、「これまで政府は、国の政策とぜんそくとの因果関係が明らかでないとの立場から、都が患者との和解のため提案していた医療費助成制度への財源拠出を拒んでいた」そうです(上の記事の赤枠の部分)。さらに、この記事は96年5月の東京大気汚染訴訟から今回の和解に向けた60億円の国の拠出決定までの間に、原告計633人のうち121人がすでに死亡した、と報じています。

20世紀の日本では、目の前のコストが高くなることを大変気にしましたが、社会全体のコストがどうかということにはあまり関心がなかったように思います。一方、スウェーデンは公的な力により「福祉社会」を作り上げた国ですので、福祉社会の維持のために社会全体のコストがどのくらいかかるのかに常に関心があり、福祉サービスを低下させないで、社会全体のコストをいかに低くできるかが政治の大きな目標の一つとなっていました。

このように、20世紀後半のスウェーデンでは「治療より予防」という考えが社会の隅々まで定着していったと言ってよいでしょう。

21世紀に入り7年目に入った今、私たちが直面している「環境問題」と「その解決策としての持続可能な社会の構築」は治療志向の国では対応できない問題ですので、日本を「治療志向の国」から「予防志向の国」へ転換していかなければなりません。
 


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技術に対する考え方に大きな落差  

2007-05-02 12:41:21 | Weblog


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今年1月1日に始めた私のブログが昨日で5ヶ月目に入りました。この機会に、「技術」に対するスウェーデンの考え方と私の基本的な認識を紹介しておきましょう。

環境問題を考えるときも、持続可能な社会の構築を議論するときも、技術は重要です。日本は技術立国を標榜しています。技術者もエコノミストや主流の経済学者も「技術が日本を救う」的な発想で動いているように見えます。しかし、ほんとうにそう考えてよいのでしょうか。

日本とスウェーデンの間には、技術に対する理解と認識に大きな落差があると思います。スウェーデンの「1969年の環境保護法」(99年施行の「環境法典」に統合)は、ほとんど同じ時期に成立した日本の「1967年の公害対策基本法」が規定する「汚染物質の排出行為」を規制するだけでなく、「土地、建物あるいは設備の使用」「環境に有害な活動」と規定し、事前の環境アセスメントの対象としています。

仮にこの判断基準に従えば、日本の大都市につぎつぎに建てられる巨大構造物の建設は、スウェーデンでは「環境に有害な活動」と見なされたでしょう。また、公共事業や発電所建設などの際に、計画段階から住民の意見を聞き、環境影響評価を行う「戦略的環境アセスメント(SEA)」について、環境省は、経産省に押されて、発電所を適用対象外とする方針を固めたそうです(毎日新聞 2007年3月27日)。スウェーデンでは、発電所こそ、何よりも先に環境アセスメントの対象となるところです。

今回の環境省の決定も、私の環境論の根底を流れる 「今日の決断が将来の環境問題を原則的に決める」という経験則によって、将来の禍根を残すこととなるでしょう。日本の環境アセスメントについては、10年以上前に、次のような報道があったことを思い出しました。

スウェーデンでは、一度、操業許可を受けた施設でも、一定期間(原則的に10年間)経過後には再審査が行なわれます。その理由は「技術」が次の図のように理解され、認識されているからです。つまり、技術それ自体は重要だが、もっと重要なことはその技術が社会のなかで働き、認知され、信頼されることだと考えられているからです。このような考えに従えば、 「原発」は到底、環境にやさしい技術などとは言えないでしょう。


この考えと認識は私の環境論の根底をなすもので、ブログ全体の背景にある考えです。技術立国を標榜する日本の技術論はいったいどうなっているのでしょうか。皆さんはどう考えますか。



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 気持ちを新たに、そして真剣に!

2007-04-01 07:43:37 | Weblog


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2007年度の始まりの日です。穏やかな朝日がふりそそいでいます。このブログも、気持ちを新たに、そして、真剣に続けていきます。この日のために、つぎの図を用意しました。現在の私の基本認識であり、今日からの議論の出発点(前提)でもあります。


そして、1月4日のブログ「明日の方向を決めるのは私たちだ」に掲載した図を再掲します。

政治の分野では、先の長くない政治家が、およそ60年前につくられた法的枠組みのなかで、経済の拡大志向の考えをほとんど変えることなく、21世紀前半社会の方向づけをしているのが現状です。そして、これまでの日本の制度では、政策をリードしてきた官僚は数年で別の部署に移動し、政策決定の責任を追及されないのです

2000年に20歳の人が100年後の2100年まで生きられる可能性は高くないと思いますが、50年後の2050年であれば、その可能性はきわめて高いはずです。つまり、いま生きている私たちだけが、今後50年間の「年金問題」や「環境問題」などに代表される行き詰まった日本社会を改善させるか、さらに悪化させるかを決定する、すべての責任を有しているのです。

その意味で、日本の21世紀前半社会の行方は、2007年から定年が始まる、約700万人と推定される団塊の世代の「環境問題に対する意識と行動」、「その子どもたちの行動」にかかっています。重要なことは前進であって、後退ではありません。環境問題や資源の保全を考えるとき、過去を振り返るのではなく、新しい考え方で将来を展望しなければならないのです。


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ブログ開設から3ヶ月

2007-03-31 21:32:03 | Weblog



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今年1月1日にブログを始めて、今日で3ヶ月が経ちました。この間に120本以上の記事を書きました。そして、およそ2週間前の3月14日に「人気ブログランキング」と「環境ブログ」に参加しました。この記事の最後にある2つのマークをクリックしていただくことで、私のこのブログのランキングが上昇します。昨日までのランキングは「人気ブログランキング」では12位(今日は9位)、「環境ブログ」では昨日4位(今日は4位)となっています。

日本では、環境問題を何となく自然科学的、技術的な問題と考えがちですが、私は社会科学的な考え方のほうが重要だと思っています。それは「環境問題」「経済活動」は切り離して考えられないからです。

自然科学は、環境問題を分析し理解するのに役立ちますが、環境問題の主な原因が「人間の経済活動の拡大」であることを考えますと、環境問題の解決には、人間社会を研究対象にする社会科学からの適切なアプローチが強く求められます。

経済活動の本質は「資源とエネルギーの利用」であり、その結果必然的に生ずるのが「環境問題」です。経済活動は「その目的とする結果(経済成長)」と共に、必ず「目的外の結果」を伴います。経済活動に伴う「目的外の結果の蓄積」が環境問題です。ですから、環境問題の解決とは「持続可能な社会」を構築することです

環境問題は「自然」と「人間」との間で起こっている問題です。環境問題は「人間による自然法則の違反」です。自然法則は人間が発見したルールではありますが、人間がつくったルールではありません。ですから、「自然」と「人間」の間には「人間の命が大切」という人間社会の共通認識(暗黙の了解)は存在しないのです。人間のつくったルールはいつでも自由に変えることができますが、自然法則は変えることができません。ですから、環境問題は私たち人間にとってたいへん恐ろしい問題なのです。


明日4月1日から、気持ちを新たに新しい情報を提供していきます。皆さんと議論を続けていくことができることを希望しています。



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あれから1年が経った

2007-02-10 22:51:42 | Weblog


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「安心と安全な国づくりとは何か」という副題をつけた私の本「スウェーデンに学ぶ持続可能な社会」(朝日新聞社 朝日選書792)が、昨年2月10日に書店に並んで、ちょうど1年が経ちました。

いくつか熱心なうれしい書評をいただきました。ほとんどが私の存じ上げない方々からのものでした。その多くはネット上で見ることができます(主なものは私のHPの「著書紹介」からアクセスできます)。そして、講演の依頼を受ける機会が多くなりました。


スウェーデン環境省のニュースレター「Sweden & the Challenge of Climate Change」(スウェーデン&気候変動への挑戦 2007年1月4日発行)の最新号は

スウェーデン政府は気候変動(日本では地球温暖化)が21世紀の主な環境問題の一つであり、主な政治的挑戦であると考えている。
「1990年と2005年の温室効果ガスの排出量を比較すると7%減少し、経済は同期間に36%成長した。スウェーデンは長期目標を達成するために、さらに努力を続ける。すべての部門で化石燃料から再生可能エネルギーへ転換していかなければならない


と伝えています。 

この本はその背景を明らかにすると共に日本の現状を検証したものです。この機会に改めて、この本で私がみなさんにお伝えしたいことを箇条書きにまとめておきます。

●この本は、私の環境論(このブログの市民連続講座「環境問題」を参照)に基づいて、スウェーデンと日本を検証し、21世紀前半の方向性を明らかにしたものである。

●私たち日本人が将来に不安をかかえて暮らしていることは、さまざまな世論調査から明らかである。そして、「将来への不安」こそ、政治の力で解消すべき最大の課題であることは間違いない。しかしどういうわけか、日本の環境問題、エネルギー問題、経済問題に関する議論や資料のなかには、「人間の生活(国民の暮らし)」や「人間の命」の視点がないようにみえる。

●21世紀前半に私たちは否応なしに人類史上初めて直面する2つの大問題を経験するこ
 とになるだろう。一つは「少子高齢化問題」、もう一つは「環境問題」である。

●20世紀の国づくりではまったく想定されていなかった「少子高齢化問題」と「環境問題」が21世紀の国づくりの大前提となる。

●「経済」と「環境」は切り離せないこと、経済活動の拡大(の目的外の結果)が環境問題(の原因)である。

自然科学が地球の有限性を明らかにし、「資源」や「エネルギー」に限界があること、「環境の許容限度」と「人間の身体の許容限度」に限界があることがはっきりしてきた。

様々な限界が明らかになったことで、21世紀前半の社会を考える手段として「バックキャスト」という考え方が有効になり、20世紀に有効であった「フォアキャスト」という発想は不適切となった。

●国連の環境と開発に関する世界委員会(WCED)が提唱し、92年の地球サミットで合意された「持続可能な開発」(Sustainable Development)という概念をスウェーデンは「社会の持続可能な開発」と理解したのに対し、日本は「経済の持続可能な開発、発展、あるいは成長」と解釈した。

●その証として、スウェーデンは21世紀前半のビジョンとして「緑の福祉国家(生態学的に持続可能な社会)の構築」を掲げた。判断基準は「資源とエネルギーの流れ」を重視している。日本は「持続的な経済成長」を掲げている。日本の判断基準は20世紀と同じように「金の流れ」である。

●「私たちがこれから直面するであろう環境問題を私たちが解決できるものだ」と仮定した場合、科学技術が貢献できる割合はせいぜい30%程度だろう。残りの70%は「社会システムの変更」であり、「教育」であろう。

●スウェーデンの人口は2005年4月に901万人。日本の団塊の世代は、スウェーデンの人口の80%弱の約700万人と推定されている。日本の21世紀前半社会を明るく豊かにするか貧しくするかはひとえに、2007年から定年が始まる約700万人の団塊の世代の「環境問題に対する意識と行動」と、その子どもたちの行動にかかっている。
 

ブログ開設10日目

2007-01-10 13:07:55 | Weblog


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私のプロフィールや主張、連絡先は、HP:http://www7a.biglobe.ne.jp/~backcast/

皆さんへの期待は「環境問題」に対する私の考えや「スウェーデン」に関する私の観察と分析を、ぜひ批判的な立場で検証し、日本の将来を「明るい希望の持てる社会」に変えていくためにそれぞれの立場から日本の現状を真剣に考えてほしいことです。私たちの子供や孫のために・・・・・

同じテーマに対して、皆さんの考えが私の考えと大きく異なるようであれば、大いに議論しましょう。議論を通して私自身の誤りを正すことができるし、「環境問題に対する共通の認識」と「持続可能な社会の構築の必要性」を分かち合うことができると思うからです。
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昨年12月、ある会合で「ブログを始める」と言い出したのが発端で、今年1月1日にブログを開設しました。今のところ不慣れなブログ操作に悩まされていますが、とにかく文字と図を希望する箇所に納めることができるようになりましたので、ここ当分はブログの体裁などは二の次にして、情報発信に努めたいと思います。

今日でブログ開設10日目となりましたので、今後のブログの方向性について少々触れておきます。
このブログでは「連続市民講座:環境問題」「連続市民講座:緑の福祉国家」の2本をメインテーマにします。いずれも、私の個人的な認識を提供し、皆さんのご批判を仰ぎたいと思います。
 
この2つのメインテーマを補うために、必要に応じて「スウェーデンは今」「日本は今」で単発的な現在の話題を、「スウェーデン あの日あの頃」「日本 あの日あの頃」で単発的な過去の話題を、そして、「国際社会 今・昔」で単発的な国際社会の話題を取り上げたいと思います。

最近はスウェーデンやその他の北欧諸国をウオッチしている若い方々が少しずつ増えてきましたので、そのような方々が直接的にあるいは間接的に助けの手を差し延べてくれるのを期待しましょう。

それでは、これからをお楽しみに。



日本で唯一の肩書き?

2007-01-01 20:36:46 | Weblog


みなさん、明けましておめでとうございます。
今日、2007年(平成19年)1月1日、私も「ブログ」を始めることにしました。

ブログを始めるにあたって、最初に何を書こうか考えました。無難なところは自己紹介からということでしょうか。
 
私のプロフィールや私の主張は私の公式HPを見ていただくことにして、昨年暮れに、底知れぬ「インターネット」という大海から“バックキャスティング”で釣り上げた2つの成果(ゲット)を紹介することから、このブログを始めることにしましょう。

一つ目のゲット(私の肩書き)
初めてのブログへの挑戦ですので、ブログの現状を把握するために昨年暮れネットサーフィン(ブログサーフィン)を試みました。今となってはどのようなルートで到達したのか定かではないのですが、塩見直紀さんという方の「21世紀の肩書研究所」というブログに遭遇しました。何となく興味をそそられたので、読み進むとなんと「私の肩書き」が次のように取り上げられていました。

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 「環境問題スペシャリスト」(NO.0031)

テーマ:21世紀の肩書

 ぼくは「21世紀の2大問題」として、環境問題と天職問題の2つをあげています。ぼくの「仮説」はあたるかな。問題の1つである環境問題。今年、2月、以下の本が出版されました。

日本が「失われた10年」を過ごしている間に、スウェーデンは年金制度改革、化石燃料の消費量の抑制、資源の再利用、廃棄物の削減といった施策を着々と進めてきた。

「国家の持続可能性ランキング」1位の国の挑戦から学ぶ。

    『スウェーデンに学ぶ「持続可能な社会」
~安心と安全の国づくりとは何か~』
(朝日選書・2006年2月)。

 さてさて、今日、「21世紀の肩書研究所」がご紹介する肩書は小沢徳太郎さんの肩書である「環境問題スペシャリスト」(NO.0031)です。
 小沢徳太郎さんはスウェーデン大使館で科学技術部環境保護オブザーバーとして、環境・エネルギー問題を担当。退館後、「環境問題スペシャリスト」として独立。現在、執筆・講演等で、環境問題をテーマに東奔西走されています。他の著書に『いま、環境・エネルギー問題を考える』等があります。
 この時代に、自分をどう位置づけるか。自分の役割はこれだとわかっている人にとっては21世紀はほんとうに刺激的だし、困難がいっぱいでもがんばれるのです。

          2006.05.26 21世紀の肩書研究所 塩見直紀
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

特に最後の2行の塩見さんのコメントが新鮮だったので、今日、2007年1月1日に検索エンジン・グーグルに「21世紀の肩書き研究所」を入れて検索しますと、検索結果はなんと約105,000件が表示されました。

二つ目のゲット(環境問題ジェネラリストか環境問題スペシャリストか)
「21世紀の肩書き研究所」の検索結果が私の予測をはるかに超えていたので、試しに私の以前の肩書き「環境問題ジェネラリスト」現在の肩書き「環境問題スペシャリスト」を同じようにグーグルで検索してみました。結果はこれまた、大変な驚きでした。
前者は今日午後7時現在で約28,800件、後者は約32,400件とこれまた私の予想をはるかに超える件数が表示されました。なぜこんなにたくさんの件数が表示されるのであろう、表示する判断基準は何か、さまざまな疑問が出てきます。

そして驚いたことに、「環境問題ジェネラリスト」約28,800件のトップに位置していたのが、東京工業大学の社会理工学研究科価値システム専攻ブログ「Cafe VALDES」でした。そして、なんと、同大学の価値システム専攻「VALDESのHP」トップページには「せまりくる現実の問題は、文系、理系の学問的区別は持ってはくれません。境界を越えたジェネラリスト、すなわち、現実問題へのスペシャリスト-これが私たちのねらいです」と謳われています。

これまた偶然ですが、私はこのVALDESで橋爪大三郎教授の求めに応じて1997年、98年に非常勤で「私の環境論」を講じたことがあります。それがきっかけで、1995年3月1日から3日、奈良近郊のけいはんなプラザで、科学技術庁主催による「科学技術フォーラム:自然科学と人文・社会科学都のパートナーシップⅡ」(実施担当:財団法人日本科学技術振興財団、今回が14年目)という会合に参加することになりました。その第1分科会「人類の生存と科学技術」に参加したメンバーが、連日の討論を踏まえて書きおろした論文集が刊行されました。



当時の私の肩書きは「環境問題ジェネラリスト」でした。ちなみに、「環境問題ジェネラリスト」の後に個人名として私の名前「小沢徳太郎」と入れて検索すると16件、「小澤徳太郎」と入れて検索すると1件が出てきました。つぎに、現在の肩書きである「環境問題スペシャリスト」の後に「小澤徳太郎」と入れて検索しますと約220件、「小沢徳太郎」と入れますと約96件出てきます。

私は1973年から95年までスウェーデン大使館科学技術部で環境問題、エネルギー問題、労働環境問題を担当してきました。95年に独立して「環境問題ジェネラリスト 小沢徳太郎」の肩書きで2000年頃からは「環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎」の肩書きで今まで仕事を続けてきました。私が10年以上前に独立したときの肩書きを「環境問題」のジェネラリストにするかスペシャリストにするか、迷いましたが、同じような議論がいまなおネット上で熱く議論されているようです。

今回の塩見さんの「21世紀肩書き研究所」というブログに偶然出会い、触発され、調べた結果わかったことは、「環境問題ジェネラリスト」あるいは「環境問題スペシャリスト」という肩書きで仕事をしているのは、人口1億2千万人の世界第2位の経済大国「日本」でどうやら私ひとりだけのようです。そうだとすれば、アジアでも、世界でもこのような肩書きで仕事をしているのは、もしかすると私だけかも・・・・・・

そして、このブログがめざすもの
このブログは「環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎」が考える「環境論」と「その環境論に基づいて日本とスウェーデンの環境問題に対する対応の差」を検証することによって、 「環境問題の本質」に迫ろうとするものです。基本的なことは、昨年2月に朝日新聞社から出版した「スウェーデンに学ぶ『持続可能な社会』 安心と安全の国づくりとは何か」(前掲)に書いたつもりですが、この本に盛り込めなかったこと、その後の進展などをこのブログで書き続けて行こうと思います。

スウェーデンの人口は2005年4月に901万人。日本の団塊の世代はスウェーデンの人口の80%弱に相当する約700万人と推定されています。日本の21世紀前半社会を明るく豊かにするか貧しくするかはひとえに、2007年から定年が始まる約700万人の団塊の世代の「環境問題に対する意識と行動」と、その子どもたちの行動にかかっています。


私がみなさんに期待したいのは、「環境問題」に対する私の考えや「スウェーデン」に関する私の観察と分析を、ぜひ批判的な立場で検証し、日本の将来を「明るい希望の持てる社会」に変えていくために それぞれの立場から日本の現状を真剣に考えてほしいことです。私たちの子どもや私たちの孫のために・・・・・・


私は1973年から95年 までの22年間をスウェーデン大使館科学技術部で環境・エネルギー・労働環境問題を担当し 、これらの分野で日本とスウェーデンの対応を同時進行的にウオッチして来ました。このブログでは、 その体験から得た「私の環境論」に基づて、私が理解した日本と スウェーデンの現状を分析・検証したものです。ですから、別の方が別の視点で両国を分析すれば、別の姿を描くことも可能でしょう。  

同じ資料を参考にしても判断基準が異なれば、結論が違ってきます。ですから、同じテーマに対して、みなさんの考えが私の考えと大きく異なるようであれば、大いに議論しましょう。議論を通して私自身の誤りを正すことができるし、「環境問題に対する共通の認識」と「持続可能な社会の構築の必要性」を分かち合うことができる と思うからです。