酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

子どもの渡航移植を考える

2013-02-27 09:37:36 | 外交
 重い心臓病を抱える子どもが、米国で心臓移植するケースが相次いでいる。2010年、WHOが渡航しての臓器移植自粛を決議して以来、「ブーム」は一時沈静化した(報道がなかっただけ?)と思っていたが…。

 
 ≪重い心臓病を患う長岡市の2歳男児が26日午前、心臓移植のため、新潟空港からチャーター機で米国へ出発した。27日未明(日本時間)に現地に到着し、移植を待つことになる。空港デッキに集まった支援者は「元気になって帰ってきてほしい」と見送った。

 米国到着後はニューヨーク市のコロンビア大学病院で移植の登録を行う。新潟大医歯学総合病院の主治医によると、米国の待機児童と同じ基準でドナー(臓器提供者)を待ち、「2、3カ月で移植できることもある」という。経過を見守るため、術後も半年ほどは米国に滞在することになる≫=新潟日報=。

 ≪米国で心臓移植手術を受けた川崎市高津区の浜崎陽菜(ひな)ちゃん(8つ)が帰国後入院した都内の大学病院を退院し、二十五日、市役所で自宅の生活に戻った喜びを報告した。全国から寄せられた募金約一億三千七百七十万円を数千万円残して手術代、渡航費などを賄うことができ、同席した両親は涙を浮かべ「ありがとうございます」と感謝を繰り返した≫=東京新聞=。


 「よかったね、〇〇ちゃん」などの見出しが躍る新聞を見ると違和感を禁じ得ない。移植される心臓があるということは、「適格者」の誰かが死ぬことである。軽々しく「命のリレー」などと呼んではいけないのではないか。亡くなったもう一つの命に対して、どのように敬意を表すのか。この点に触れた記事など見たことがない。


 それにしても、短時日に1億円をはるかに超える募金が集まるのには驚かされる。「私は優しい」症候群がこの国を覆っているからなのだろう。たとえば、凶悪殺人事件の現場。花束やドリンクボトルの山ができる。事件とは全く無関係の人が、次々と訪れては花を手向ける。こうした心情と心臓移植に寄付する心情とが重なって見える。

 「善意」をとやかく言う気はない。だが、集めた金の使い道はきちんと示すべきだろう。ひょっとすると支援団体では公表しているかもしれない。だが、メディアでこうした点に触れたケースを知らない。大々的に土地上げる以上、後始末についても面倒を見るべきではないか。

 日本からの患者が高額の手術料で優先的に移植されることはないのか。チャーター機を使うほどの重態なのか。金にまつわる疑問も多い。臓器移植全体がベールに覆われている。とりわけ、子どもが海外で受ける場合は、募金達成と手術の成否しか報道されない。これでは臓器移植への理解など深まるはずもない。
コメント
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