東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

杉並の三年坂

2010年06月11日 | 坂道

杉並区にも三年坂がある。

花見のときに訪れた。再訪であるが、そのときの短い散策記である。

五日市街道と善福寺川とが交差する尾崎橋を東から西に渡り、五日市街道から離れる道を直進する。左にコンビニを見て歩き、突き当たりを右折し、すぐ左折すると、三年坂の坂下である。

坂下から撮った左の写真で、右手が杉並二小で、左手が宝昌寺である。

かなり狭く、そんなに長い坂ではない。

坂上に立っている説明板によると、むかしは小学校側は崖であったようである。

横関英一「江戸の坂 東京の坂」(中公文庫)の「三年坂にまつわる俗信」によると、三年坂と呼ぶ江戸時代の坂が旧東京市内に六ヵ所ばかりあり、いずれも、寺院、墓地のそば、または、そこから見えるところの坂である。三念坂とも書く。

昔、この坂で転んだものは、三年のうちに死ぬというばからしい迷信があった。お寺の境内で転ぶとすぐにその土を三度なめないと三年のうちに死ぬという迷信があり、坂はころびやすい場所であるので、お寺のそばの坂は、特に人々によって用心された。こうした坂が三年坂と呼ばれたとのことである。

右は坂上からの写真であり、右側がお寺である。

ここも寺のそばにある坂であるから三年坂の要件を満たしている。

坂上の説明板に上記の横関と同じ説明があり、「当地のこの坂も、ほぼ同様のいい伝えが残されており、かつては、尾崎橋から宝昌寺北へ一直線に上がる坂で成宗村の村境に位置していたと思われます。
 明治時代のころの地図でみますと、崖端を直線で登る車馬の通行困難な急坂で、宝昌寺のうっそうとした森と杉二小の崖に挟まれた昼でも暗い、気味の悪い物騒な感じのする所だったようです。
 そこで、人々は、坂の行き来に用心が必要だと言うことから三年坂の名をつけたのではないでしょうか。」

説明板は上記のように無難な結論にまとめている。

坂上で接続する道は鎌倉街道(写真の左の道路)で、杉並のミニバスすぎ丸(阿佐ヶ谷駅~浜田山駅)が通り、近くに三年坂というバス停がある。

現在は、そんなに暗くもなく物騒な感じもせず、尾崎橋とバス通りとの近道となっているようである。

東京の「三年坂」は次のとおりである。
①台東区谷中五丁目の観音寺の築地塀の奥にある坂(別名蛍坂)
②新宿区の神楽坂の途中から本多横町の通りを筑土八幡に向けて下る坂
③神楽坂駅近くの早稲田通りから下る江戸川橋通りの坂(別名地蔵坂)
④千代田区霞ヶ関の財務省南側の坂
⑤千代田区五番町の市ヶ谷駅近くの坂
⑥港区の我善坊谷坂を下り直進し左折して上る坂(三念坂)

横関は、現在、まわりにお寺やお墓がなくとも、三年坂と名がついている限り、そのむかしはあったはずとしている。

例えば、霞ヶ関の三年坂は、江戸絵図にも寺はないが、徳川家康の入国以前までさかのぼると、この辺りの高台は大きな寺院や墓地でふさがっていたようであるとしている。

確かに、goo地図の尾張屋版江戸切絵図を見ると、虎之御門近くに三年坂があるが、その周囲に寺院はない。

坂名から過去の施設(寺や墓場)を判断できる例である。

参考文献
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)

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