最近刊行(2016年4月)のエッセイである。
独特の語り口からなるばななワールドが広がっているが、私的には2012年3月に亡くなった父(吉本隆明)についての部分が印象に残った。
『あんなに人にばかりつくし、自分の好きなことを最低限しかできなくて、いろいろな人の心の支えになって、体を壊し、最後のほうはいちばん大好きな散歩や買い食いやTVを観ることや読書もできなくなって、いちばん嫌いな病院で管につながれて痛がりながら死んでいった父。』
『あれほどに人を助けてきた人だから、きっと安らかな、望むような死に方で死ぬだろうと私は幼い頃から信じていた。』
「あんなに人にばかりつくし、自分の好きなことを最低限しかできなくて、いろいろな人の心の支えになって」からうかんでくるイメージは、著作からかってにつくりあげた吉本像とはまったく違う。とりわけ「あんなに人にばかりつくし」には驚いた。たんなる一読者で、身近に接したことなどないので、具体的にどのようなことかわからないが、やはりそういう人だったのか。そのような話を書くことなどなかったが、それでも、いわれてみればなんとなく想像ができる。
「いろいろな人の心の支えになって」はよくわかる。これまでわたし自身がその著作から心の支えを探しだし、かぎりなく慰安を感じ、内面的に多くの恩恵をうけてきた。その思想をどこまで理解できたかは、はなはだ心もとないが、その行間から伝わってくる迫力や情熱を感受すれば充分であったし、その責を負うべきどんな存在もなかった。書物はいったん作者の手からはなれると独立した客観的な存在となって、普遍的に人の心を支えることがあるが、「あれほどに人を助けてきた人」とあるので、いろんな具体的な人助けもあったことがわかる。
散歩や買い食いやTVを観ることなどが好きなことはなにかで読んで知っていたので、物書きの時間以外は、そんなことをしていたようにおもっていたが、そうではなかった。それらを止めてまで人につくし、人の心の支えになり、人を助けてきた人ということから、どうしても宗教者のイメージがうかんできてしまう。しかし、「目の前の人を助けるかどうかというのは、相対的な善悪にすぎない」と親鸞をとおして語っている吉本自身が人助けをしたとしても、それは相対的な善にしかすぎず、このため、黙ってするほかなかったし、そのことを文章にするはずもなかった。たんなる一読者にはわからなくて当然であったのである。善いことをするときは黙ってなせというようなことを書いていたのも、この脈絡から理解できる。
『なんであんな死に方をしなくちゃいけなかったんだろう?』という疑問を抑えることができない中、娘である著者は、イギリスにある神聖な丘の上で神の声をきいたという。
これまでは、どちらかといえば、家族(娘)の眼による父親像であったが、その神の声をきいてからは作家の眼が加わる。
『父は常に自分を後回しにし、不快な状況にはストイックによく耐え、常になにかと闘っていた。闘いを望んでいた。愛と安らぎよりはむき出しの真実を好んだ。』
さっそく作家の眼をとおして父を見て、その本質にせまっている。「不快な状況にはストイックによく耐え」るというイメージは、吉本自身が父親から学んだという父の像そのものではなかったか。自らの思想による絶対的感情から外の世界をみると、それを問い直そうとすると、闘わざるを得なく、闘いを望まざるを得なかった。愛と安らぎよりもむき出しの真実を好んだ、という見方はまさしく作家の眼による。たしかに、いつも真実に向きあい、真実にせまり、愛と安らぎを説く思想ではなかった。愛について語ることもあり、精神的にも肉体的にも疲れたら休息をとるのがよいと安らぎの極意も語った。しかし、それらよりも真実に肉薄するほうから主調音がきこえてくるのである。やはり、若いとき、「ぼくが真実を口にすると ほとんど全世界を凍らせるだらうといふ妄想によって ぼくは廃人であるさうだ」、と詠んだ詩人である。
そういった父なら、あの状況を受け止められたかもしれず、理解さえしていたかもしれないと納得することで、『父の苦しそうな姿よりも優しい笑顔のほうがリアルに思える』ようになって、著者はそんな面影を抱きつつふたたびやさしい父と向かい合っている。
著者は、最終近くで、「私も私の書いたものも、誰のことをも癒すことはできない」とした上で、「できるたったひとつのこと」として「その人の中に埋まっているその人だけの癒しのコードに触れて、活気づけることはできる。自分の足で歩む力を奮い立たせることはできるかもしれない。」と書いているが、かなりシビアな問題意識である。
人や書物がたくさんの人を癒したといっても、じつはだれをも癒していないことはよくあることである。逆に、だれをも癒していないといっても、じつはたくさんの人を癒していることもありえることである。よくある主観と客観の乖離の問題にすぎないからである。著者がだれのことをも癒すことはできないというが、それは現実に人を癒すこととは関係がない。
癒しという言葉は、吉本父の時代にはほとんどなかったが、最近、どんな理由からか、さかんに語られる。かなり主観的な言葉で、その意味合いやその方法が人によってかなり違っている。原因を問わず治癒のイメージが先行する。個々人を取りまく様々な状況を前提にするが、その状況そのものは問われない。この状況論を父はさかんに語って真実にせまったわけであるが、その癒しを語る娘はそれを受け継いでいるといってよい。
著者がその人だけの癒しのコードに触れて、活気づけることができる、自分の足で歩む力を奮い立たせることができるというとき、これらはすべて、人を癒しに向かうように励ます応援歌のようにきこえてくる。
参考文献
吉本隆明「今に生きる親鸞」(講談社+α新書)
「吉本隆明全著作集1 定本詩集」(勁草書房)