俳人、吉本和子の句集である。
作者は、三月に亡くなった吉本隆明の妻にして、二人の娘(ハルノ宵子、吉本ばなな)の母でもある。京都の三月書房からのメールで10月9日に死去したことを知った(ニュース)。
この句集は、吉本隆明の妻によるものということで購ったが、よい句が多いように思った。追悼の意味から、ぱらぱらとめくって印象に残ったものや気に入ったものをいくつか、以下に、掲げる。(写真は、私のアルバムからあうようなイメージのものを選んだが、無理にこじつけたものもある。)
生き暮れて猫を抱けば猫温し
三月の景蒼ざめて日蝕す
夢で行くいつもの街に迷う春
男坂のぼり梅観て女坂
仲春の坂のぼりゆく下りるため
余命への祭りたけなわ蝉しぐれ
小さき花集め紫陽花掌に余る
露路裏にコスモス招く入りてみる
逝く猫の目を閉じやれば月のぼる
老猫の目も和みたる小春かな
風は北風に変わるや遠く貨車の音
病み猫を抱けば部屋染む冬茜
坂好きとしては、坂の句がうれしい。はじめのは、湯島天神の男坂・女坂であろうか。次のは、どこか不明だが、谷中の三崎坂のような比較的長い坂かと思い、その写真を貼り付けた。谷中の生まれだそうであるので、ちょうどよいと思ったからでもある。(吉本隆明「坂の上、坂の下」)
吉本家は、猫好き一家のようで、そのためか、猫を詠んだ句も多い。
最後の二句などは、その貨車の音が聞こえるようで、また茜色に染みた部屋が思い浮かんできて、北風の夜の寂寞や病み猫の様子が心にしみ込んでくるかのようである。
「「寒冷前線」は、わたしがこの一年十ヶ月間に「秋桜」誌に投稿した全句である。二年前までの私は、自分が俳句という表現方法で、自己表出を試みる事になろうとは、思ってもみなかった。」
「あとがき」(平成十年七月)の冒頭である。晩年になってから句作をはじめたようであるが、その才能がよくあらわれていると思う。
吉本隆明は、昭和36年(1961)から平成9年(1997)まで『試行』を編集発行していたが、その事務を和子が担当していた。
「周知のように『試行』は直接予約購読制という独特の販売方式をとっていた。当然のことながら名簿、会費、発送の事務作業が欠かせないものになる。作業は煩雑を極める--最盛時七千部を上廻った購読者の受付、予約切れの通知、住所変更etc.。創刊以来、その事務作業を担ってきたのが、隆明の妻・和子だ。」(石関善治郎「吉本隆明の東京」)
そうとうにむかしだが、私も、ほんの短い期間、購読したことがある。そのときの思い出であるが、あるとき、住所表記の変更かなにかの手違いで、二冊送られてきたことがあって、一冊を送り返したところ、お詫びの手紙が送られてきた。送り返すのに要した分の切手も同封してあり、その簡潔だが丁寧な文面とともにこちらがかえって恐縮する思いであった。しかし、もっと驚いたことがあった。その手紙の書体である。ペン字であったが、流れるようにすらすらと書いたうつくしく品格のあるすばらしいものであった。おもわず、私は、隆明はこの字に惚れたのか、などと思ったのであった。
参考文献
吉本和子「寒冷前線」(深夜叢書社)
石関善治郎「吉本隆明の東京」(作品社)