東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

不動坂~閻魔坂

2010年10月20日 | 坂道

丹波谷坂上を右折し、次を右折すると、そこが不動坂の坂上である。

右の写真は坂上から撮ったものである。すぐに急に下っているが、長さはさほどない。ここには標柱は立っていない。

尾張屋板江戸切絵図をみると、不動院があり、そこへ至る行き止まりの短い道であったようである。近江屋板も同じであるが、その道の南側に、門前、とあり、北側に、俗ニ六軒町ト云、とある。

明治地図では、現在のようなまっすぐな道があり、道の左側に不動院がある。

戦前の昭和地図も同じであるが、不動坂と坂名がのっている。この坂は前回の丹波谷坂とほぼ平行で、両方の坂を結ぶ道があったようである。

現在、坂の中ほどに、不動院があり、門には、「高野山 真言宗」「五大山 不動院」とある。

石川には、坂下に不動院があったが戦災で焼けて、坂南に移ったとあるが、ここが現在の不動院と思われる。

左の写真は坂下から撮ったものである。左上にビルの白い看板がみえるが、ここに、綜合法律事務所 六本木不動坂ビル、とあり、標柱のかわりに、不動坂であることを示している。

石川によれば、不動院の門前町を不動院門前町といい、坂名の由来となった。もと麹町平河町にあったが江戸城築城のためこの地に移されたといわれ、玄海和尚を中興の祖とする真言宗大和長谷寺末の寺院で五大山と号し、その本尊が不動明王であった。境内にあった児(ちご)稲荷とよぶ小祠が子育ての神様として庶民に人気があったが、明治初年の神仏分離で廃絶されたという。

坂下は、ほぼ平坦となっていて、まっすぐに続いているが、この先、都会とは思われない不思議なところにでる。

坂下を進むと、左に少し曲がり、道が細くなり、そのまま進むと、突き当たるが、その左右がかなり狭い道になっている。そこを左折すると緩やかな上りとなって外苑東通りの方へと続くが、その途中、ふり返って、通ってきた道を撮ったのが右の写真である。右側が不動坂方面で、左側が六本木墓苑である。

狭い道が続いているためなんとも不思議な空間を造りだしており、樹木で暗くなっているためいっそう異次元に迷い込んだ雰囲気に陥ってしまう。

この道は、写真の奥側に進むと、すぐに前回の丹波谷坂下にでる。坂下を右に見て道なりに進めば、六本木通りの市三坂の下側にでるので、外苑東通りと六本木通りとの近道になっているのかもしれない。

上記の狭い道を写真奥側に進み、左折し、次を左折すると、閻魔坂(えんまざか)の坂下である。

左の写真は坂下から撮ったものである。ここにも標柱は立っていない。写真の左側が六本木墓苑で、写真奥側の坂上は外苑東通りである。勾配ははじめ緩やかであるが、次第に急になっていく。

石川によれば、「麻布区史」に「八番地(三河台町)の横、崇巌寺に下る急坂は里俗閻魔坂と呼ぶ。これは崇巌寺の閻魔堂に因んだ呼称である」と記されているという。

尾張屋板江戸切絵図を見ると、上記の不動院の西隣に浄圓寺があり、その南隣に崇岸寺とあるが、これは、崇巌寺の誤りと思われる。六本木通り(いまの外苑東通り)から道が浄圓寺まで延びている。

近江屋板では、浄円寺、崇巌寺が並び、浄円寺までの道に坂マークの三角印△がある。この道が閻魔坂で、江戸からの坂であるが、坂下で行き止まりの道である。これは不動坂と同じである。

明治地図にも崇巌寺があり、坂は行き止まりである。戦前の昭和地図でもそうであるが、別の道ができている。

右の写真は坂上側から撮ったものである。ほぼまっすぐに下っている。

石川によれば、崇巌寺は見生山官養寺と号した浄土宗知恩院末の寺院で、開山は玄貞和尚といい、境内にあった閻魔堂は同寺の開基よりも古いものといわれていたが、戦災で本寺とともに焼亡し、その跡地は、不動院や浄円寺の焼け跡とともに共同墓地(六本木墓苑)となったという。

上記の説明から想像すると、墓地のさきまで延びる坂下の平坦な部分はたぶん戦後できたのであろう。この坂は、外苑東通り側が江戸からの坂と思われる。

このあたりの坂は、以前にも訪れているが、この坂ははじめてである。

坂を下ると、途中左側に二箇所連続して階段があり、六本木通り(市三坂)につながる。階段下から撮った写真が下左の写真である。

下側は段数が少ないが、上側(奥側)はかなり急で段数も多い階段である。

この階段は、松本泰生「東京の階段」に六本木・不動坂として紹介されているが、上記の不動坂との関係が不明である。こちらもそう呼ぶのか、または、単なる間違いか。

階段を上り直進し、市三坂の坂上にでる。
(続く)

参考文献
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)

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