東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

上野公園~旧岩崎邸庭園

2017年10月18日 | 散策

今回は、上野公園から弁天池の辺りを巡り、無縁坂下から旧岩崎邸庭園へ行った。

西郷隆盛像 清水観音堂 清水観音堂の階段 清水観音堂




午前銀座線末広町駅下車。

御徒町駅近くで昼食をとってから、アメ横をぶらぶらし、上野公園へ。階段を上ると、上野台地の南端で、西郷隆盛像が立っている。はじめてではないが、なんかしばらくぶりのような感じがする。それで写真を一枚。

晴天で、直射日光のところはかなり暑いので、木陰を選んで歩くと、まもなく、清水観音堂(現代地図)。ちょうど台地の縁に建っているので、下からだと見上げるようになる。寛永8年(1631)に天台宗東叡山寛永寺の開山の天海により建立されたとのことで、その舞台は京都の清水寺を模したものらしい。

ここから弁天池に行く。湖畔の端で木陰に座っていると、暑くなくちょうどよい感じ。ひたすら歩く街歩きもよいが、ゆっくりして風景を眺めるのもよい。

弁天池 弁天池 無縁坂下 小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861))




池の南西近くにある旧岩崎邸庭園に行くが、途中、無縁坂下を通る(現代地図)。以前、この坂に来たとき(以前の記事)、坂左側(南)の石垣とその上に積まれた煉瓦とからなる塀が印象に残っているが、この塀の向こうが旧岩崎邸庭園である。

無縁坂は、森鴎外の「」の主人公岡田の散歩道であったことから有名になったという。この作品は、主人公が医学生で、鴎外もそうだったことから、私小説風に読むこともできるかもしれないが、そうではなく、私小説から離れてその面白さを感じさせる小説のようにおもえる。

四枚目は、小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861))の部分図で、湯島天神わきの切通坂の北側にある榊原式部大輔の長い屋敷に沿って東西に延びる道が無縁坂で、この榊原邸やその南側が明治になってから岩崎邸となった。

昭和東京地図(昭和16年) 旧岩崎邸庭園 旧岩崎邸庭園 旧岩崎邸庭園




無縁坂下を右に見て進むと、まもなく庭園入口である。無縁坂方面に戻るようにして坂道を上ると、岩崎邸の洋館正面が見えてくる。ここは明治11年(1878)に三菱財閥初代の岩崎弥太郎が土地を購入し、この建物は三代目の久弥によりジョサイア・コンドルの設計で明治29年(1896)に建てられた。

敗戦後の昭和20年(1945)GHQ・G2(参謀第二部)により接収され、G2配下の特務機関(キャノン機関)がここを本部として日本で諜報活動や破壊活動を行ったことは有名である。昭和28年(1953)に返還された。

一枚目は、この付近の昭和地図(昭和16年)であるが、これから、北側の無縁坂から南側の切通坂まで敷地が広がっていたことがわかり、いまよりもかなり広かった。

旧岩崎邸庭園から出て千代田線湯島駅へ。

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
柴田哲孝「下山事件 暗殺者の夏」(祥伝社文庫)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする