東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

馬喰坂

2013年09月04日 | 坂道

馬喰坂上 散歩道案内標識 馬喰坂下 馬喰坂下 前回の十七が坂の坂上から北へ道が延びているが、ここを庚申道という。この道をしばらく歩くと、一枚目の写真のように、ちょっと下り坂となって、その先に四差路が見える(現代地図)。

ここを右折すると、馬喰坂の下りとなる。

二枚目はその交差点の側に立っている案内標識である。そのまま直進すれば、長泉院などを経て駒沢通りにいたる。

以下、坂下から写真を並べる。

三枚目は、坂下から坂上側を撮ったもので、坂下で左にちょっと曲がって、その先で右に大きく曲がっているのが見える。この坂下近くに散歩道の案内標識が立っている(現代地図)。

四枚目は、ちょっと坂上方面に進んでから坂上側を撮ったもので、この坂下のあたりはかなり緩やかである。静かな住宅が続いている。

馬喰坂下 馬喰坂中腹 馬喰坂中腹 馬喰坂中腹 坂下から進むとやがて大きなカーブに近づくが、そのあたりでふり返って坂下側を撮ったのが一枚目の写真である。

二枚目はそのカーブのちょっと手前から坂上側を撮ったもので、右へ緩やかだが大きく曲がっている。このあたりからしだいに勾配がついてくる。

三枚目はそのカーブの先から坂上側を撮ったもので、この上でさらに左へ緩やかに曲がっている。

四枚目はその上側から坂下側を撮ったもので、先ほどのカーブがよく見える。

坂上に立っている坂の標柱(目黒区教育委員会)に次の説明がある。

「馬喰坂(ばくろざか)
 馬の鑑定や売買を行う馬喰(博労・伯楽)と関連させる説と、風雨にさらされて地面に穴のあいた状態を目黒の古い方言で「ばくろ」といったという説がある。」

坂下の案内標識にも同じような説明がある。

目黒区HPに次の詳しい説明がある。

「ばくろ坂は、目黒三丁目と中目黒四丁目の境の坂、永隆寺の南側を東に下る急坂をいい、十七が坂は、目黒三丁目3番の庚申塔の前から南東に下る短い急坂で、その位置は、それぞれ旧田道裏地域の西端と南端にあたる。

この地域の地勢的な特徴は、北から東回りに南にかけて低地が続き、北から西回りに南にかけて高地が続いていることである。したがって、低地と高地の間には当然傾斜地があり、それが西端のばくろ坂、南端の十七が坂なのである。

ばくろ坂は、低地の新寺道から高地の庚申道に通じていた。坂の傾斜は急で、険路であった。そこで切り通しの工事をしたが、それは坂上の路面を切り下げ、その切り土で坂下の路面を高め、坂全体の傾斜を緩めることであった。しかし、頂上部には庚申道が交差していたので、思いきった切り通し工事ができなかった。そのため、路面はいつも風雨にさらされ、大小の穴をあけていたので、人びとはこの坂を「ばくろ坂」と呼んだのだという。

「ばくろ」とは、風雨にさらされ穴のあいた状態を示す、目黒の古い方言だという。」

いずれの説が本当なのか不明であるが、石川は、馬喰坂が赤坂の牛鳴坂と同じように難路を意味し、牛を引く馬喰が苦労した所であるとしている。

坂上の四差路の所が鞍部のように凹んでいるが、その理由が上記HPの説明からわかった。

馬喰坂中腹 馬喰坂中腹 馬喰坂中腹 馬喰坂中腹 左に曲がるカーブの手前から坂上側を撮ったのが一枚目の写真で、二枚目はカーブを上って坂上側を撮ったもので、このあたりからかなり急になってくる。傾きかけた陽の光がまぶしい。

三枚目は、さらに上ってから坂下側を撮ったもので、坂下側のカーブも見える。さらに上ってから坂上側を撮ったのが四枚目で、標柱と坂上が見える。

この坂は、右へ左へと緩やかだが大きく曲がる二つのカーブが特徴的で、いかにも古くからの道筋であるように感じる。

明治44年(1911)発行の東京府荏原郡目黒村の地図に、この坂の道筋が見え、東へ延び、目黒川を渡ってから、茶屋坂と一本異なる道へ続いている。昭和16年(1941)の目黒区地図には、坂名が記され、現在のようなカーブが見える。

現代地図ではさほど大きなカーブでないように見えても実際に見るとかなり大きなカーブである。この違いはやはり実際に歩いてみないとわからない。

馬喰坂上 馬喰坂上 馬喰坂上 馬喰坂上 一枚目の写真は、坂上のちょっと下側の標柱を入れて坂上を撮ったもので、二枚目はさらに坂上側から坂下を撮ったもので、標柱が見える。

三枚目は坂上を撮ったもので、四差路からさらにちょっと上ったところが坂上で、坂上まで上ってからふり返って坂下側を撮ったものが四枚目で、北東方面の眺望がよい。

坂上の四差路の南西角の上側に「馬喰坂上の庚申塔群」の説明パネルが立っているが、実際の庚申塔はないようである。

この坂も、十七が坂と同じように、新茶屋坂茶屋坂のある永峰と呼ばれる台地と目黒川の流域を挟んで反対側の台地から谷地へと下る坂で、そのむかしはかなりの急坂であったようである。

目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」にあるこの坂の全長、高低差、平均斜度は、175m、9.3m、5.08で、そんなに急坂ではなさそうであるが、緩やかで長い坂下を考えると、坂上側はかなりの急坂である。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「東京人 特集 東京地形散歩」⑧august 2012 no.314(都市出版)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「荏原郡目黒村全図」(人文社)
「坂道ウォーキングのすすめ」(目黒区発行)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする