東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

新茶屋坂

2013年08月10日 | 坂道

新茶屋坂下 新茶屋坂下 新茶屋坂下 新茶屋坂中腹 前回の目黒川沿いの道を東南へしばらく歩くと、やがて右手に中里橋が見えてくるが、ここを左折すると、新茶屋坂の坂下である(現代地図)。

ほぼまっすぐに東北へ上っている。坂下付近は緩やかであるが、しだいに勾配がついてきて中腹付近では中程度の勾配となる。台地の南西の斜面を直登するように上っていて、かなり長い坂である。

一、二枚目の写真は、坂下から坂上側を撮ったもので、この上でちょっと左に曲がっている。

この坂の東に江戸から続く茶屋坂があり、それに対して昭和初期につくられた新坂であるためこの坂名となったのであろう(下二枚目の写真のように中腹にあるバス停は茶屋坂であるが)。

昭和16年(1941)の目黒区地図を見ると、この道があるが、明治44年(1911)発行の東京府荏原郡目黒村の地図にはなく、おもしろいことに、別所坂の東から茶屋坂までの間に台地と目黒川をつなぐ道はまったくなく、その間に火薬製造所とあるだけである。このあたりの南西の斜面には、現在、防衛庁の施設がある。

三枚目はさらに上側から坂上側を撮ったもので、この上でもちょっと左に曲がっている。四枚目はその上側から坂下側を撮ったもので、まっすぐに下っている。

新茶屋坂中腹 新茶屋坂中腹 新茶屋坂中腹 新茶屋坂中腹 一枚目の写真は、さらに上側から坂上側を、二枚目はそのちょっと上側のバス停から坂下を撮ったものである。

坂下の木立を抜けると、まっすぐな上りとなって、これがずっと続く。好んで坂巡りをやっているのだが、こういった単調な坂はちょっと苦手である。それでも、坂道の交通量がかなり少なく、坂西側は道沿いに高い建物がなくさほど圧迫感がないのが救いである。歩道にはまだ高くないが街路樹や低木の植え込みもある。ときたま散歩やジョギングの人とすれ違うのもよい。

三枚目はバス停よりも上側から坂上を撮ったもので、ようやく坂上に近づいてきた。四枚目は、そのちょっと上から坂下側を撮ったものである。

目黒区HPに次の詳しい説明がある。

「山手通りを中目黒駅から大鳥交差点に向かい、目黒警察署の先を左折すると、旧目黒村の小字名にちなんで、目黒川にかかる中里橋がある。橋を渡ると、こう配のゆるやかな長い坂道が、かつての海軍技術研究所に沿って続く。坂の中程にあるバス停に「茶屋坂」とあるが、この道は、右手奥の、3代将軍家光にまつわる「茶屋坂」に対して、昭和3年に開かれたずい道で、「新茶屋坂」と呼ばれる。

坂の途中にあるトンネル上には、昭和49年に廃止されるまで、三田用水が延々300余年にわたって流れ続いていた。

トンネルをくぐる辺りから、坂上にかけて左手に、うっそうと生い茂る松林は、江戸時代の目黒の姿を物語るかのように、当時の面影をしのばせていたが、ずい道は撤去され、町並みは変ってしまった。」

そのいまはないトンネルの写真がHPにのっている。 

新茶屋坂上 新茶屋坂上 新茶屋坂上 新茶屋坂上 一枚目の写真は、坂上のちょっと下から坂上を撮ったもので、二枚目は、そのあたりから坂下側を撮ったものである。

三枚目は、坂上を撮ったもので、この先はほぼ平坦となっている。この先で道を横断し、引き返すようにして南西へ進むと、左側に旧道が見えてくる(現代地図)。

四枚目は、そのあたりから進行方向を撮ったもので、右側が新茶屋坂で、左の道を直進すると、茶屋坂の坂上である。

目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」にあるこの坂の全長、高低差、平均斜度は、430m、12.4m、3.22で、長い坂であることがわかるが、同著の表を見ると、目黒区ではもっとも長い坂である。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「荏原郡目黒村全図」(人文社)
「坂道ウォーキングのすすめ」(目黒区発行)

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