東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

松見坂

2013年02月23日 | 坂道

松見坂下 松見坂下 松見坂下 松見坂中腹 前回の大坂下を右折し、小径をちょっと歩くと、すぐに山手通りの歩道に出るが、右折し北へ進む。やがて山手通りと淡島通りとの松見坂の交差点に至る。この東南角から西側を撮ったのが一枚目の写真で、横方向が山手通りで、交差点の向こうが松見坂の坂下である(現代地図)。

交差点を渡って南側の歩道を進むが、二枚目は坂下すぐのところから坂上側を、三枚目はそのちょっと先のバス停「松見坂下」から坂上側を撮ったもので、緩やかに西へ上っている。四枚目はさらに進んで中腹から坂下側を撮ったもので、中腹のあたりからちょっと勾配がついてくる。工事中でちょっと雑然としている。

松見坂上 松見坂上 松見坂 歩道小階段 松見坂 歩道小階段 やがて坂上に至るが、坂下側を撮ったのが一枚目の写真で、かなり長く上っていることがわかる。二枚目は、坂上の先を撮ったもので、ほぼ平坦に延びている。

この坂の南側の歩道を歩いていると、何箇所かに歩道の住宅側に小階段があることに気がつく。三枚目の写真は坂上近くで撮ったもので、小階段の上が水平になって建物への出入口があることから、もともと住宅用につくられたのだろうか。しかし、それだけでなく、四枚目の写真のようにもっと小さな階段が横断歩道の手前わきにある(2007.11撮影)。ちょっと不思議な小階段である。

この坂には、坂の標柱が立っていないようであったが、工事が終わったらできると期待したい。

横関には、次の説明がある。

「目黒区駒場一丁目と上目黒八丁目の境を、東から西に新遠江橋まで下る坂。旧遠江橋のそばには松見地蔵がある。駒場坂とも」

新遠江(しんとおとうみ)橋まで下る坂とあるが、この橋は、昭和16年(1941)の目黒区地図や昭和31年(1956)の東京23区地図や目黒区HPの松見坂の説明を見ると、山手通りとの交差点から西へちょっと入ったところにあった。ここに空川が北の駒場四丁目から南へと流れていた。(横関の「東から西に・・・」は「西から東に新遠江橋まで下る坂」である。)

上一枚目の写真のように坂下を交差点の東側から見ると、山手通りの方が坂下よりもちょっと高くなっていることの理由もわかる。

松見坂上 松見坂上 松見坂中腹 江戸名所図会 富士見坂一本松 一枚目の写真は、坂上の平坦なところから坂下側を撮ったもので、このあたりから坂下側で道路が広くなって中央分離帯がある。道路を横断してから坂下側を撮ったのが二枚目である。北側の歩道を下るが、中腹で坂上側を撮ったのが三枚目である。

この坂名の由来であるが、松の木が見えたことによると容易に推察がつくが、どこにあった松なのか、大きく分けて二説あるようである。

一つは、山賊をしていたとされる道玄に由来する道玄物見松で、江戸名所図会(道玄坂の記事参照)の本文にあるように、道玄坂上の先、大坂の手前にあって、道玄はこの松に登って往来の人を見下し、部下に命じて衣服や物を強奪させたという。目黒区HPの松見坂の説明にも紹介されている。

もう一つは、同じく江戸名所図会にある一本松で、四枚目は富士見坂一本松の挿絵の右半分であるが(その左半分の上側は道玄坂の記事参照)、一本松が描かれている。道玄物見松の説明のかっこ書きの最後に「今、駒場坂の下、用水堀の傍に一株の古い松あるを混じて、道玄松と称すれども、一本松と称してこの松と別なり。」とあるように、この坂の下で三田用水のわきにある松が一本松で、道玄物見松とは別としている。三田用水は坂下の空川の東に流れていた。

松見坂中腹 松見坂下 松見坂下 江戸名所図会 駒場野 一枚目の写真は坂中腹から坂下を、二枚目はその下から坂下を撮ったもので、坂下の向こう(東側)は上り坂で、その坂上は道玄坂上の先(西)である。

江戸名所図会の道玄坂の説明(道玄坂の記事で引用)に、道玄坂を登って三丁ほど行くと岐路で、直路は大山道、右へ行けば駒場野の御用屋敷の前通り、北沢淡島への道とあるが、この道が上四枚目の挿絵の中央付近に見えるうねうねと曲がりくねった道で、その上の横に延びる街道は道玄坂上のあたりであろうから、現在の様子と比べると、その甚だしい違いがわかってきて興味深い。

三枚目は、坂下から坂上側を撮ったもので、このあたりでちょっと勾配があることがわかる。目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」によれば、この坂の全長、高低差、平均斜度は、171m、4.8m、2.44で、比較的緩やかであるが、坂を上下した実感とあう。

四枚目は、江戸名所図会にある駒場野の挿絵の左半分である。老人がちょっと疲れたような感じで坂を上ってくるが、ここが松見坂であるかどうか不明である。岡崎が松見坂の説明で引用している。

松見坂下 松見坂地蔵尊下 松見坂地蔵尊上 松見坂地蔵尊 一枚目の写真のように、坂下のバス停近くの歩道に地下へ潜るように階段がある(反対側の歩道にもある)。ここを下るとトンネルで、ここを右折し、抜けると、二枚目のように左手が坂になっている。坂上は、先ほど山手通りを横断した松見坂下の歩道付近である。三枚目は、その坂上から坂下を撮ったもので、この中腹左手に四枚目の松見坂地蔵尊が祀られている。

目黒区HPの松見坂の説明に、「この(新遠江)橋は、空川にかかっていたものである。もっと以前には、この新道の下にわずかに残っている旧松見坂にあった。この橋は、伊達遠江守が創設したもので、明治に入って、明治天皇行幸に伴い西欧技術を取り入れたドーム型の橋に改築された。大正2年、道路を改修し、現在の松見坂と新遠江橋となった。」とあるが、この説明自体が30~40年ほど前の記事の再構成とのことで、現在とも違っている。

一枚目の歩道のわきにフェンスが写っているが、これが橋の跡とすると、トンネルのところに川が流れていたのであろう。反対側(南)の歩道にも同じようなフェンスがある。

旧松見坂のそばには松見地蔵があると横関にあるが、いまの地蔵尊の前の坂が旧松見坂の一部なのか、ちょっと不明である。

この坂が江戸から続く坂であるとしても、これまでかなり改修されてしまったと思われる。トンネルの先が南へ延びているが、この道を歩くと、このあたりがもっとも低地であることがわかる。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「古地図・現代図で歩く昭和三十年代東京散歩」(人文社)
「江戸から東京へ 明治の東京」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「東京人 特集 東京地形散歩」⑧august 2012 no.314(都市出版)
「江戸名所図会(三)」(角川文庫)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
菅原健二「川の地図辞典 江戸・東京/23区編」(之潮)

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