東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

藤坂

2011年04月01日 | 坂道

藤坂下 藤坂下 藤坂下 藤寺門前 蛙坂を下り、茗荷坂の方へ続く道を反対方向に右折しガード下を進み、そこを抜けると、藤坂の坂下である。この道は、このまま歩くと、庚申坂下を過ぎ、やがて水道通りへと至る。

藤坂下には右手(南側)に傳明(伝明)寺(藤寺)がある。この寺を右に見てほぼまっすぐに北東へややきつい勾配で上るが、坂上で緩やかになってちょっと右に曲がり、春日通りに至る。その交差点の向こうが播磨坂上である。

蛙坂の説明に、小日向一丁目から北へ小日向四丁目に下る坂、坂のふもとの右手に藤坂、左手に釈迦坂が見えるとあり(横関)、これら三つの坂の位置関係がわかるが、現在は、地下鉄の線路が上を走っているので、このように見ることはできない。

藤坂下 藤坂下 藤坂中腹 藤坂中腹 坂下右わきに説明板が立っており、次の説明がある。

「藤坂(富士坂・禿坂) 小日向四丁目3と4の間
「藤坂は箪笥町より茗荷谷へ下る坂なり、藤寺のかたはらなればかくいへり、」(『改撰江戸志』) 藤寺とは坂下の曹洞宗伝明寺である。
 『東京名所図会』には、寺伝として「慶安三年寅年(1650)閏(うるう)十月二十七日、三代将軍徳川家光は、牛込高田田辺御放鷹(鷹狩のこと)御成の時、帰りの道筋、この寺に立ち寄り、庭一面に藤のあるのを見て、これこそ藤寺なりと上意があり」との記事があり、藤寺と呼ぶようになった。
 昔は、この坂から富士山が望まれたので、富士坂ともいわれた。
 『続江戸砂子』に、「清水谷は小日向の谷なり。むかしここに清水が湧き出した」とある。また、ここの伝明寺には銘木の藤あり、一帯は湿地で、禿(河童)がいて、禿坂ともいわれた。
   藤寺のみさかをゆけば清水谷
      清水ながれて蕗(ふき)の薹(とう)もゆ(太田水穂)
   文京区教区委員会 平成11年3月」

藤坂中腹 藤坂上 藤坂上 藤坂上

吹上坂と同じように禿坂ともいうとあるが、これは、坂下が湿地であったかららしい。前回、ちょっと触れた清水谷に関し、上記の歌によれば、藤寺の坂を行けば(上れば)清水谷があるようである。現在、どうなっているのかわからないが、いつか確かめたい。

尾張屋板江戸切絵図には、徳雲寺の東に道があり、その下側に、傳明寺 藤寺ト云、とある。ここから北東へ上り、坂上側左に、前回のように小日向清水谷町がある。近江屋板には、徳雲寺のわきの道に、△フチサカとあり、坂下に、傳明寺 藤寺ト云 フチタナアリ、とある。いずれの切絵図にも藤寺の門前に道が後退したような空き地があるが、現在も、上の写真のように、門前にちょっとした広場がある。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)

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