東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

善福寺川 桜(2023)

2023年03月22日 | 写真

善福寺川 桜(2023) 善福寺川 桜(2023) 善福寺川 桜(2023) 善福寺川 桜(2023) 善福寺川 桜(2023) 善福寺川 桜(2023) 善福寺川 桜(2023) 善福寺川 桜(2023) 善福寺川 桜(2023) 善福寺川 桜(2023)

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善福寺川 梅・桜(2023)

2023年02月28日 | 写真

善福寺川 梅・桜(2023) 善福寺川 梅・桜(2023) 善福寺川 梅・桜(2023) 善福寺川 梅・桜(2023) 善福寺川 梅・桜(2023) 善福寺川 梅・桜(2023) 善福寺川 梅・桜(2023) 善福寺川 梅・桜(2023) 善福寺川 梅・桜(2023) 善福寺川 梅・桜(2023)

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桃園川支流緑道(2)

2023年02月21日 | 散策

前回(桃園川支流緑道(1))の桃園川支流緑道を出発地点まで戻り、そこから下流側にちょっと歩き、その後、別の水路跡の小路を歩いたが、意外なことに気づいた。

以下の地図は、桃園川の上流域を示し、前回と同じ。

昭和12年杉並区地図 昭和10年頃杉並区地図 昭和24年杉並区地図 1962年杉並区地図 桃園川緑道地図





(1)一枚目:昭和12年(1937)の杉並区地図
(2)二枚目:昭和10年(1935)頃の杉並区地図
(3)三枚目:昭和24年(1949)の杉並区地図
(4)四枚目:1962年(昭和37年)の杉並区地図
(5)五枚目:桃園川緑道脇に設置の緑道地図

地図(1)(2)(4)(5)ではいずれも、前回の支流は、松山通り、その東に並行する現在の中杉通りの付近でほぼ東向きに流れている。

地図(3)では松山通りから同じように東に流れているが、ちょっとすると、急に向きを南に変え、本流に接続している。この水路は他の地図(1)(2)(4)(5)には見えない。

桃園川支流緑道(16)桃園川支流緑道(17) 桃園川支流緑道(18) 桃園川支流緑道(19)桃園川支流緑道(20)





前回の桃園川支流緑道の歩き始めの松山通りまで戻り(現代地図)、その出発点を背にして東側を撮ったのが一枚目で、小路がまっすぐに中杉通りに向けて延びているが、車止めはない。

中杉通りの歩道に出ると、道路の向こう側に車止めのある小路が見える(二枚目)。通りを横断し、その小路の入口まで行き、そこからと中程から撮ったのが三、四枚目で、東へとまっすぐに延びている。直進すると、車止めがある(五枚目)。ここまでは、前回の支流と同じ流れであったと推測される。

その向こうにさらに支流跡が続いているように見えたが、今回はここで終わることにした。

桃園川支流跡(21) 桃園川支流跡(22) 桃園川支流跡(23) 桃園川支流跡(24) 桃園川支流跡(25)





小路の車止めから出て右折し、帰りに向かったが、ちょっと歩くと、車止めのある小路が見えた(一枚目)ので、引き込まれるようにしてここに入って歩いた。

すると、小路には幅狭のコンクリート板が隙間なく敷き詰められている。これがこの小路の終点までずっと続いている(二枚目~下五枚目)が、水路を暗渠化するために塞いだのであろう。

桃園川支流跡(26) 桃園川支流跡(27) 桃園川支流跡(28) 桃園川支流跡(29) 桃園川支流跡(30)





小路は、ちょっとうねりながら続き、ときおり、一般道を横切るが、背の低いコンクリート製やピカピカの金属製逆U字形の車止めがあったりして変化があっておもしろい。

小路を歩いているうちに、ちょっと記憶がよみがえり、ここはいつか反対方向に歩いたことがあるような気がしてきた。そうだとすると、あの道に出るはずである。疲れたための既視感ではなく、たしかにそうである。

そう思いながら歩き、やがて小路の終点に近づき、五枚目のように、その先が見えてくると、たしかに前回桃園川緑道源流遡行のとき通った道である。緑道ゲートから出発しケヤキ公園わきからずっと歩いてきて、大きく左に曲がるところである(この写真)。

ふたたび昭和24年(1949)の地図(3)を見ると、松山通り付近から水路が現在の中杉通りを横断してちょっと東に延びたところで急に南下しているが、この南向きの水路がこの小路とちょうど合う。この小路の終点(五枚目)で本流に接続していた。ふと反対側から入り込んだ小路で予期せぬ意外なことに気がついたが、さまよい歩きの醍醐味というべきか。

それでも疑問なのは、他の地図、特に1962年(昭和37年)の地図(4)に、この南向きの水路がないことである。この南向きの水路の他に地図(4)のように、南東へ中央線に向けて流れ地図(1)(2)にもある本来の支流があったと思われる。

ケヤキ公園まで行き、そこから高架下を阿佐谷駅まで。

参考文献
「杉並の川と橋」杉並区立郷土博物館研究紀要別冊 平成21年3月発行
最新杉並区明細地図 昭和12年 東京日日新聞発行
杉並区全図 昭和10年頃 内山模型製図社
改訂版東京都区分図杉並詳細図 昭和24年 日新出版 昭和27年9月発行
杉並区図1962年杉並区役所
本田創 編著「失われた川を歩く 東京「暗渠」散歩」(実業之日本社)

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桃園川支流緑道(1)

2023年02月20日 | 散策

今年に入ってから、かつての桃園川の源流に向けて遡り、次の2つの記事にした。

桃園川緑道源流遡行(1)
桃園川緑道源流遡行(2)

そのあと、雲一つなく晴れわたっているがかなり寒い日、桃園川支流緑道を歩き、その帰り、水路跡と思われる小路を歩いた。

以下の地図は、天沼弁天池を水源とする桃園川の上流域を示し、出典は前回と同じだが、トリミング範囲が異なる。

昭和12年杉並区地図 昭和10年頃杉並区地図 昭和24年杉並区地図 1962年杉並区地図 桃園川緑道地図

 

 

 


(1)一枚目:昭和12年(1937)の杉並区地図
(2)二枚目:昭和10年(1935)頃の杉並区地図
(3)三枚目:昭和24年(1949)の杉並区地図
(4)四枚目:1962年(昭和37年)の杉並区地図
(5)五枚目:桃園川緑道脇に設置の緑道地図

地図(1)の中央左下、地図(2)の左上に日本大学幼稚園があるが、このちょっと右(東)あたりで、左(西)から流れてきた桃園川本流から支流が北へ分流している。桃園川緑道源流遡行(1)で支流1とした水路である。この支流は北東へ東へと流れ、松山通り(現在の中杉通りと西側で並行する)を本流の北側で横断してからも東へ向かっている。

地図(3)には松山通りから西へ延びる水路は示されていない。地図(4)に松山通りの本流の北に西へ延びる水路があるが、途中までで、本流と接続していない。緑道地図(5)には地図(1)(2)と同じく本流と支流があるが、その分岐点が地図(1)(2)よりも西側である。

今回歩いて、現在の支流緑道は地図(4)に示す水路と近いような気がした。

桃園川支流緑道遡行(1) 桃園川支流緑道遡行(2) 桃園川支流緑道遡行(3) 桃園川支流緑道遡行(4) 桃園川支流緑道遡行(5)





JR阿佐谷駅の北口から出て、中杉通りの歩道を北に向けて歩きはじめる。ちょっと緩やかな上り坂であるが、まもなく下りになる。ちょっと下ると、前回の車止めのある小路が見えてくる。このあたりから振り返ると、南側はちょっとした丘のようになっていることがわかる。

中杉通りの歩道から左折しこの小路に入り、直進すると、松山通りで、そこから前回の桃園川緑道が本格的にはじまるが、ここを右折し、松山通りを北へ向かう。ほんのちょっと歩き、煎餅屋の北側脇を左折すると、車止めがあり、緑道がはじまる。その西の上流側に延びる緑道を撮ったのが一枚目である。

この緑道は、地図(4)に示されている支流跡と思われ、地図(1)(2)の支流跡と途中から同じ流れと推測される。

上流側の西に向けて歩くが、大きな曲がりはなく、ほぼまっすぐな緑道になっている。二~五枚目、下の一~五枚目は順に撮ったものである。

桃園川支流緑道遡行(6)桃園川支流緑道遡行(7) 桃園川支流緑道遡行(8) 桃園川支流緑道遡行(9) 桃園川支流緑道遡行(10)





歩いてすぐにわかるが、この緑道には道の中ほどに常緑樹がほぼ一定間隔で植えられている。これがずっと続き、この緑道の特徴になって、緑道らしさをかもし出している。下五枚目のように、ブナ科のマテバシイで、公園などでもよく見る高木の樹木である。

やがて、突き当たりに至り、ここでこの支流緑道は終わる(五枚目)。松山通りの緑道入口から5~6分程度であった。

この支流と思われる地図(4)の水路は、途中で急に曲がり北上し、その先で途切れている。現在の支流緑道の終点は、地図(4)と比べると、その北上する地点と一致せず、そのちょっと東側のようである。

桃園川支流緑道遡行(11) 桃園川支流緑道遡行(12) 桃園川支流緑道遡行(13) 桃園川支流緑道遡行(14) 桃園川支流緑道遡行(15)





緑道の突き当たり手前に小路があったので(一枚目)、ここを通り抜けて北側に出て、左折し、次を左折し、慈恩寺の前をちょっと歩くと、前回の本流緑道に出た。この緑道を上流側に歩き、次の車止めで右折すると広い通りに出る。ちょっと北に歩くと、小さな公園風の一角があり(現代地図)、区画整理記念碑や石塔が並んでいる(二、三枚目)。

四枚目の説明板によると、これらの石塔は、江戸時代の民間信仰による庚申塔、地蔵塔、百番観音供養塔で、桃園川周辺、熊野神社際の路傍にあったが、区画整理の際にここに移転された。二枚目の記念碑は区画整理が完了した昭和13年(1938)に建立された。

この後、本流緑道を上流側に歩き、日本大学附属幼稚園のあたりまで行ったが、地図(1)(2)の本流と支流の分岐点についての痕跡はなにも見つからなかった。ただ、このあたりは本流緑道を中にして両側に一般道があって全体の道幅が広いが、これはその分岐のせいかもしれない(たんなる想像であるが)。

支流緑道に戻り、下流側に引き返した。

参考文献
「杉並の川と橋」杉並区立郷土博物館研究紀要別冊 平成21年3月発行
最新杉並区明細地図 昭和12年 東京日日新聞発行
杉並区全図 昭和10年頃 内山模型製図社
改訂版東京都区分図杉並詳細図 昭和24年 日新出版 昭和27年9月発行
杉並区図1962年杉並区役所
本田創 編著「失われた川を歩く 東京「暗渠」散歩」(実業之日本社)

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桃園川緑道源流遡行(2)

2023年02月01日 | 散策

前回(桃園川緑道源流遡行(1))の桃園川の水源のあった天沼弁天池公園(現代地図)から桃園川緑道に戻り、その上流側の千川用水跡を遡った。

以下の地図は、天沼弁天池の周辺を示すが、前回引用のものである。

昭和12年杉並区部分地図(2) 昭和10年頃杉並区部分地図(2) 昭和24年杉並区地図 1962年杉並区地図 桃園川緑道地図(2)

 

 

 


(1)一枚目:昭和12年(1937)の杉並区地図で水源の天沼弁天池の周辺
(2)二枚目:昭和10年(1935)頃の杉並区地図で水源の天沼弁天池の周辺
(3)三枚目:昭和24年(1949)の杉並区地図
(4)四枚目:1962年(昭和37年)の杉並区地図
(5)五枚目:桃園川緑道脇に設置の緑道地図

地図(1)~(5)のいずれにも荻窪駅近くの青梅街道から北へ東へと続く水路が見えるが、これが千川用水である。地図(5)に青梅街道に沿う水路が千川上水として示されている。

千川上水は、元禄9年(1696)玉川上水境橋から分水された。千川用水は、練馬・杉並の六ヵ村が灌漑用水の不足を補うため宝永4年(1707)に願い出て、千川上水の水を利用できるように練馬関村の出店から青梅街道に沿って南側へ開削された用水路である。この千川用水は、荻窪駅北口の青梅街道の教会通りの入り口西(追分)を境に西を半兵衛堀、東を相沢堀と称した。半兵衛は下井草村の名主、相沢は阿佐ヶ谷村の名主の家柄であった。

半兵衛堀と相沢堀との境である追分から天沼、阿佐ヶ谷の灌漑用水として新しい堀が開削され、天沼弁天池から流れる桃園川に合流した。この追分からの流れも千川用水と呼ばれたが、この千川用水跡が残っており、桃園川緑道に続いている。

桃園川源流遡行(1) 桃園川千川用水跡遡行(2) 桃園川千川用水跡遡行(3) 桃園川千川用水跡遡行(4) 桃園川千川用水跡遡行(5)

 

 

 


前回の天沼弁天社近くの車止めのある小路を通り抜けて(一、二枚目)、桃園川緑道に戻り、右折し、西に向かう。 右の一般道と並行するが(三枚目)、やがて一般道が右折するので、緑道一本になる(四、五枚目)。

このあたりまでは雰囲気が下流の桃園川緑道とほとんど変わりない。

桃園川千川用水跡遡行(6) 桃園川千川用水跡遡行(7) 桃園川千川用水跡遡行(8) 桃園川千川用水跡遡行(9) 桃園川千川用水跡遡行(10)

 

 

 


やがて前方に人通りの多い道が見えてくるが(一枚目)、ここが商店街となっている教会通りで、左折すれば青梅街道、右折すれば東京衛生病院方面である。

教会通りを横切って進むと、車止めのある千川用水跡が続いている(二枚目)。この辺から先は、下流側と同じく車止めを設置し歩行者専用であるので緑道と言ってよいが、ビルに挟まれており、植栽もなく、ちょっと緑道の雰囲気になっていない。

やがて向こうに青梅街道が見えてくる(三枚目)。四枚目の車止めのある青梅街道の歩道が千川用水跡の終点(または始点)である(現代地図)。天沼弁天池公園から近くここまで5分程度であった。(五枚目は歩道から振り返って千川用水跡を撮ったもの。)

昭和10年頃杉並区部分地図(2)

桃園川緑道地図(1)

上四枚目のあたりは、半兵衛堀と相沢堀との境である追分付近と思われ、右側が半兵衛堀方面、左側が相沢堀方面である。

相沢堀の千川用水は、緑道地図(5)のように青梅街道を新宿側へ向かい、阿佐ヶ谷田圃に流れ、後の阿佐谷駅付近へと流れた。

一枚目の地図は、昭和10年(1935)頃の杉並区地図(2)の下流側地図、二枚目の地図は、緑道地図(5)の下流側地図で、桃園川が中央線の北側で阿佐谷駅方面からの流れと合流しているが、この阿佐谷駅方面からの流れが駅南側の青梅街道から流れており、これは上記の相沢堀の千川用水であろう。

今回の千川用水跡遡行は、千川用水跡が桃園川緑道と境目なく連続し、距離も短いので、桃園川緑道源流遡行の続編とした。

千川用水の歴史と地理について下記「杉並の川と橋」が大変参考になった。

参考文献
「杉並の川と橋」杉並区立郷土博物館研究紀要別冊 平成21年3月発行
最新杉並区明細地図 昭和12年 東京日日新聞発行
杉並区全図 昭和10年頃 内山模型製図社
改訂版東京都区分図杉並詳細図 昭和24年 日新出版 昭和27年9月発行
杉並区図1962年杉並区役所
本田創 編著「失われた川を歩く 東京「暗渠」散歩」(実業之日本社)
井伏鱒二「荻窪風土記」(新潮文庫)

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桃園川緑道源流遡行(1)

2023年01月31日 | 散策

年が明けた1月のちょっと曇りの日、桃園川緑道を源流に向けて歩いた。久しぶりの散策記。

かなり前であるが、桃園川緑道を阿佐谷駅近くの高架下の出発ゲートから下流に向けて神田川付近の終点まで何回か歩いた(次の記事)。

桃園川緑道
桃園川緑道2013(9月)

桃園川緑道ゲート 桃園川緑道沿革説明板 今回は、一枚目(2022年12月撮影)のゲートから反対側の上流側へ歩き、途中から緑道を水源まで歩き、さらにちょっと足をのばし千川用水跡を歩いた。

二枚目は、環七道路近く(西側)の桃園川緑道側に立っている沿革説明板で、桃園川と緑道の歴史が要領よくまとめられている。水源は天沼三丁目にかつてあった天沼弁天池である。この天沼弁天池の湧水量がわずかなため旧千川上水を練馬区関町から分水した青梅街道沿いの千川用水から桃園川に流れるようにしたが、これでも田植えのとき流域の馬橋、高円寺、中野周辺で水が不足したので、天保12年(1841)善福寺川から引水する新堀用水がつくられた。

かつての川の流れを知るには緑道になる前(暗渠化前)の地図を見る必要があるが、ちょっと調べると、昭和10年(1935)頃、12年(1937)、24年(1949)、37年(1962)の杉並区地図が比較的よく示していた。

昭和12年杉並区部分地図(2) 昭和12年杉並区部分地図(1) 昭和10年頃杉並区部分地図(2) 昭和10年頃杉並区部分地図(1) 昭和24年杉並区地図

 

 

 

 

(1)一枚目:昭和12年(1937)の杉並区地図で水源の天沼弁天池の周辺
(2)二枚目:一枚目(1)の下流側地図で桃園川が中央線を横切る付近まで
(3)三枚目:昭和10年(1935)頃の杉並区地図で水源の天沼弁天池の周辺
(4)四枚目:三枚目(3)の下流側地図で桃園川が中央線を横切る付近まで
(5)五枚目:昭和24年(1949)の杉並区地図

現在と過去の地図の比較、複数の過去の地図の比較のために、過去から現在まで位置が不変の建造物や神社などを基準にする必要があるが、(1)(3)の上流側では荻窪駅、青梅街道、天沼弁天池、天沼八幡神社、日本大学幼稚園などがある。(2)(4)の下流側では法仙寺、松山通り(現在の中杉通りと西側で並行している)、中央線、阿佐谷駅などがある。

一枚目(1)を見ると、荻窪駅近くの左下の青梅街道からの水路が北へ、東へと流れている。上側に天沼弁天池、八幡神社があるが、天沼弁天池からの水路は見えない。このあたりから桃園川であろうが、そのちょっと下流の幼稚園付近で支流1が分岐し、北へ、東へと流れている。さらに下流側の右上にもう1つの支流2があるが、どちらが本流で支流2なのかすぐにはわからない。

別の三枚目(3)を見ると、荻窪駅近くの青梅街道からの水路、支流1、支流2も一枚目(1)とほぼ同じで、本流と支流2の区別がつかない。

二枚目下流側(2)を見ると、法仙寺の上(北)の松山通りを3本の水路がほぼ同じ間隔で横切ってから、北東に流れ最北点に達すると、南東へと向きを変えている。上(北)から、支流1,本流、支流2とすると、本流は、中央線を斜めに横切って、東へと右端(東)の404と405の間を流れているので、これが桃園川本流である。支流1は、中央線のあたりでその上側近くを流れているようにも見えるが、ちょっと不明。支流2は、天祖神社のあたりで途切れている。

四枚目下流側(4)では、天祖神社のちょっと右(東)で本流と支流2が合流し、そのまま南東に流れ、中央線の北側で阿佐谷駅方面からの流れと合流してから、中央線を斜めに横切っている。

この地図(4)では、本流と支流2がどちらであっても矛盾しないように見えるのがちょっと不思議であるが、上記のように真ん中が本流であろう。支流1は、中央線の北側で途切れている。

五枚目(5)には下流側の上右の水路に「桃園川」とあり、この本流が上流側に中央線を横切る手前で西から北西へ向きを変え、そのまま延びてから、西向きになって、八幡神社、天沼弁天池の下(南)側を荻窪駅近くの青梅街道まで延びている。上記の支流1、2は見えない。

1962年杉並区地図 桃園川緑道地図(2) 桃園川緑道地図(1) 一枚目(6)は、1962年(昭和37年)の杉並区地図で、水路が荻窪駅近くの青梅街道から延び、上記の3つの地図(2)(4)(5)とほぼ同様にして中央線を斜めに横切っている。この地図では、青梅街道からちょっと入ったところで、北側からの流れが合流している。これは位置的には天沼弁天池からの水路で、これよりも古い上記地図(1)(3)(5)には示されていない。

二枚目上流側(7)、三枚目下流側(8)は、JR中央線高架下近くの緑道脇に設置されている緑道地図で、この辺りをかつて流れていた川・水路が詳しい。二枚目(7)では中央線の上側(北)で水源の弁天池から桃園川が南へ流れ、青梅街道沿いの千川用水からの流れと合流し、東向きになり、途中分流したのが上記の支流1であろう。しかし、この緑道地図は、中杉通り(後年できた道路であるが)の西(左)でさらに分流した上記の支流2がなく、三枚目(8)の中杉通りの東(右)に支流が見える。この支流と上記の支流2との関係は不明。

三枚目(8)は、とくにたくさんの水路を示しているが、過去に存在した水路をまとめたのか、かなり複雑である。それだけ歴史的にいろんな水路が必要に応じて作られたのであろう。

これらの水路の跡は、桃園川緑道やその北側のもう1つの緑道や所々に存在する車止めのある小路などに残っていて、これらを歩くと、かつて田畑を流れていた水路を想起でき、その開削工事を担った当時の農民の辛苦に思いをはせることができる。

桃園川源流遡行(1) 桃園川源流遡行(2) 桃園川源流遡行(3) 桃園川源流遡行(4) 桃園川源流遡行(5)

 

 

 


桃園川緑道は、高円寺や中野やその途中の公園などに行くのに利用するが、上流側には通しては歩いていない。上流側は、緑道になっていない(一般道)が、途中から水源まで緑道になっている。

下流側からアクセスし、一枚目のJR中央線の高架下近くの合唱するカエルの置物のあるゲートを背にして、いまはなき幻の源流・水源に向けて出発。

高架下を通り抜けると、右側が新装されたケヤキ公園で(二枚目)、この突き当たり左側は阿佐谷駅方面で、ここを地図(4)の阿佐谷駅方面からの水路が流れていた。突き当たり右側に手前と向こう側に車止めのある道が見えてくる(三枚目)。ここを通り抜け、その先に進むと、ちょっと曲がりうねっている(四枚目)。なにやらそのむかしの水路を想起させるようでうれしい。

途中の四差路で左折し、河北総合病院近くにある阿佐谷弁天社に寄る(五枚目)。この弁天社は地図(4)に見える。ここにかつて湧水池(弁天池)があったが、いまはない。弁天と水(池など)は関係が深い。

桃園川源流遡行(6)

桃園川源流遡行(7) 桃園川源流遡行(8) 桃園川源流遡行(9) 桃園川源流遡行(10)

 

 

 


元に戻り、さらに進むと、左に大きく曲がるところがあるが、まっすぐ先に車止めのある小路が見える(一枚目)。ここもかつての水路の跡で、昭和24年地図(5)に見える。

二枚目は、左折したちょっと先であるが、この辺もちょっとうねっている。 道なりに進むと、やがて中杉通りに至るが、この大きな道路でこれまでの道が分断される(現代地図)。ここから道路の向こう側を撮ったのが三枚目で、車止めのある小路が見える。

上記の各地図と対比すると、ケヤキ公園の側からここまでの一般道は、緑道でなくともかつての桃園川の川筋とかなりの部分で一致しているように思われる。

中杉通りを横断し、先ほど見えた車止めのある小路を撮ったのが四枚目、さらにその先を撮ったのが五枚目で、緑道風になっている。ここを直進する。

桃園川源流遡行(11) 桃園川源流遡行(12) 桃園川源流遡行(13) 桃園川源流遡行14) 桃園川源流遡行(15)

 

 

 


やがて阿佐谷駅北口近くから延びる松山通りが見えてくるが、その先に、背の低い石柱の車止めのある緑道が延びている(一枚目)。ここから緑道が本格的に始まる。二枚目はそのちょっと先で撮ったもので、同じような石柱が立っている。

この先を順に撮ったのが三~五枚目であるが、ほぼまっすぐに西へ延びている。

ところで、緑道とはなにを指すのか、いまさらという感じもするが、ちょっと調べたら次の説明があった(不動産用語集)。

『緑道【りょくどう】 車の通行を禁じ、歩行者または自転車専用とした空間を、一般的に緑道といいます。通常は、建築基準法上の道路ではなく、公園の一種です。その名の通り、樹木や季節の草花が植樹されたり、オブジェやベンチなどを設け、憩いの空間が演出されています。緑道の形状は様々で、車道脇の歩道としての機能を併せ持つもの、大規模タウンなどで公園や学校、駅などを結ぶもの、廃線跡や廃河川跡を再利用したもの、河川敷の長大なものなどがあります。』

この説明によれば、これまでの緑道歩きでイメージしていたものとほとんど変わらないが、公園の一種とのことで、なるほどと納得。その廃線跡というのにちょっと興味をそそられる。

ここは、緑道と喧伝されていないようであるが、車止めを設置し、歩行者専用となっているので、上記説明から緑道といってよい。住宅側の樹木や植え込みもあって緑が多くなっている。

桃園川源流遡行(16) 桃園川源流遡行(17) 桃園川源流遡行(18) 桃園川源流遡行(19) 桃園川源流遡行(20)

 

 

 


これまで緑道一本であったが、やがて一枚目のように、緑道が片側で一般道と並行するようになる。さらにその先で二枚目のように緑道が真ん中を通り両側に一般道ができていて、三枚目は、その途中を撮ったもので、緑道を含めた全体の道幅が広くなっている(現代地図)。

一般道と並行するところは、植え込みが多くなって緑道の雰囲気がよくでている。

真ん中の緑道が終わり、ふたたび四枚目のように緑道が片側で一般道と並行するが、この近くに日本大学幼稚園があるので、地図(1)(3)の本流と支流1との分岐点がこの近辺にあったと推定される。

やがてそれも終わり、五枚目のように、緑道一本に戻る。このあたりは、緑道の形態がかなり変化しているが、この変化がおもしろい。

桃園川源流遡行(21)

桃園川源流遡行(22) 桃園川源流遡行(23) 桃園川源流遡行(24) 桃園川源流遡行(25)

 

 

 

 

しばらく歩くと(一枚目)、二枚目のように、やがて青梅街道から延びる天沼八幡通りが見えるが、ここを右折すればちょっとで天沼八幡神社である。

緑道は、この通りを過ぎると、緑道と一般道がまた並行する。緑道をちょっと歩くと、三枚目のように、左側に天沼もえぎ公園の出入口があるが、その反対側に車止めのある小路が見える。ここが、上記の地図(6)(7)にある天沼弁天池からの流れが千川用水と合流する地点と推定される。地図(7)のように厳密にはこの小路を含めこの地点から下流側が桃園川であろう。

この小路の入り口を撮ったのが四枚目で、その先で撮ったのが五枚目で、正面上側に天沼弁天池公園内の樹木が見える。この小路は真っ直ぐでかなり短い。

桃園川源流遡行(26)

桃園川源流遡行(29)

桃園川源流遡行(27) 桃園川源流遡行(28) 天沼八幡神社

 

 

 


小路を通り抜けると、天沼弁天池公園であるが、正面公園内は工事中である。左折しちょっとすると、道そばに天沼弁天社の祠がある(一枚目)。かつて天沼弁天池に祭られていた。

二枚目は、天沼弁天池公園の門構えの出入口があるあたり(現代地図)、三、四枚目は、公園内を撮ったもので、ここに桃園川の源流である天沼弁天池があった。四枚目に写っている池は人工池でかつての弁天池ではない。

JR高架下のカエル合唱隊の置物のあるゲートから桃園川源流まで35分程度で意外と短かった。

五枚目(2022年12月撮影)は公園近くの天沼八幡神社であるが、昭和2年(1927)からこの辺に住んだ井伏鱒二(1898~1993)は「荻窪風土記」に次のようなことを書いている。

「荻窪の天沼八幡様前に、長谷川弥次郎という鳶(とび)の長老がいる。この人は荻窪の土地っ子で、敗戦の年まで天沼の地主宇田川さんの小作であったという。私は最近この人と知りあいになった。まだ深い附合はないが、噂に聞く通り正直一途の老人であるようだ。」

「弥次郎さんは昭和初期の頃まで、宇田川の荻窪田圃で稲をつくり、天沼の畑で大根野菜をつくっていた。稲は陸稲もつくり、後作に麦をつくったから忙しかった。大根野菜を出荷するときには、その前日、天沼八幡様前の小川(灌漑用の千川用水)で洗い、朝荷と言って夕方から積荷に取りかかり、真夜中に東京の朝市場へ向けて出かけて行く。」

その天沼八幡様前の小川は桃園川であるが、千川用水としている。水量としては青梅街道からの千川用水の方が天沼弁天池よりも多かったと思われ、千川用水の方が通りやすかったのだろう。このためか、桃園川全体を千川用水と呼ぶことがあった。これが上記の地図(1)(3)(5)で天沼弁天池からの水路を示していない理由だったかもしれない。

井伏は弁天池について「天沼八幡様の鳥居のわきにある弁天池のまわりを歩きまわった。一筋のきれいな水の用水川が流れ、それとは別に、どこからともなく湧き出る水で瓢箪池が出来ていた。こういう湧水地は、武蔵野のこの辺の至るところにある・・・」と書いているが、池がひょうたん形状であったことがわかる。その一筋のきれいな水の用水川が上記の小路を流れていたのだろう。
(続く)

参考文献
「杉並の川と橋」杉並区立郷土博物館研究紀要別冊 平成21年3月発行
最新杉並区明細地図 昭和12年 東京日日新聞発行
杉並区全図 昭和10年頃 内山模型製図社
改訂版東京都区分図杉並詳細図 昭和24年 日新出版 昭和27年9月発行
杉並区図1962年杉並区役所
本田創 編著「失われた川を歩く 東京「暗渠」散歩」(実業之日本社)
井伏鱒二「荻窪風土記」(新潮文庫)

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善福寺川12月(2022)

2022年12月31日 | 写真

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大田黒公園紅葉(2022)

2022年12月05日 | 写真

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善福寺川11月(2022)

2022年11月28日 | 写真

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善福寺川10月(2022)

2022年10月31日 | 写真

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善福寺川9月(2022)

2022年09月29日 | 写真

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善福寺川8月(2022)

2022年08月30日 | 写真

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善福寺川7月(2022)

2022年07月31日 | 写真

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善福寺川6月(2022)

2022年06月28日 | 写真

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善福寺川5月(2022)

2022年05月30日 | 写真

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