
写真1 矢太神水源の10を超える湧水の中で、砂吹き上げの自噴現象が最も大きい湧水

写真2 10を超える湧水はY字型の池を造る。湧水は当写真の右下へ流れて石田川になる

写真3 Y字の左部分の湧水。吹き出された灰色の砂は同心円状に積もる。写真1の湧水は、当写真では右下、Y字の分岐部、草叢の前にある

写真4 Y字の右部分の湧水。ここだけでも5つ前後の小さな湧水がある

渡良瀬川は関東平野に出ると南北の大間々扇状地を造る
すなわち、みどり市・旧大間々町を扇頂に南へ約16㎞緩傾斜
太田市と伊勢崎市を結ぶ線・約12㎞を扇端とする
扇状地の伏流水は、標高55~60mの太田市・旧新田町で多くの湧水となる
なかでも、写真の矢太神水源(やだいじんすいげん)は最も豊富に湧き出し、石田川へ流れ、流域の水田を潤す
扇央のみどり市・旧笠懸村は伏流水位が深く、用水確保が難しかった
上記湧水の周りでは縄文時代から人々の暮らしが営まれていた
平安時代末期、12世紀中頃になると荘園・新田荘が成立する
新田義重(源義家の孫)は太田市西部を荘園とした
太田市西部、石田川流域や早川流域の19郷を支配、さらに37郷を支配
湧水は新田荘の成立及び維持に貢献し、荘園経営を安定させた
義重から数えて8代目、新田義貞の1333年(元弘3)の鎌倉幕府倒幕につながったと考えられる
隣接する足利荘の足利氏・足利尊氏の隆盛も、渡良瀬川などの「水」が支えたと考えられる
「水」ある所に人あり、繁栄あり
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2011年06月04日 撮影地:群馬県太田市新田大根町
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