おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

東桜島の農業今昔 思い出すままに

2013年04月05日 03時41分30秒 | 農業

写真1 桜島の火山灰を被らぬよう、ビニールをかけられたスナックエンドウ。煙を吐く山側に牛舎の白屋根が見える


写真2 スナックエンドウはビニールハウスの中 火山灰避け、霜避け、寒さ避け


写真3 白花をつけたスナックエンドウ ビニールハウスの中


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1.半世紀前の農業は変わる
 東桜島町の農業は変わった
 栽培方法や加工方法、品種が変わった
 たとえば、品種はキヌサヤエンドウに替りスナックエンドウ
 栽培方法や加工法の変化はダイコンやビワに見られる

 ダイコンは自家用の干しダイコンだけ、ソッデコンだけ(弊ブログ2013年03月29日
 畑に漬物用ダイコンの干し棚はない
 今のビワ袋は、新聞紙に油をひいたのでなく、ビニール製品(弊ブログ2013年03月07日
 キヌサヤエンドウに替ったスナックエンドウはビニールの下(写真1)やビニールハウスの中(写真2・写真3)
 火山灰避け・霜避け・寒さ避けのために
 かつてキヌサヤエンドウは露地栽培だった
 写真1に見る白屋根牛舎は規模拡大で宅地から出て来た(弊ブログ2013年03月05日

2.半世紀前、キヌサヤエンドウは特急寝台車・はやぶさに乗り大阪市場へ
 キヌサヤエンドウには次のような筆者の思い出がある
 1960年(昭和35)頃、古里町の叔母夫妻はキヌサヤエンドウの産地仲買商

 東桜島町や古里町の農家、大隅半島垂水市海潟あたりの農家から、キヌサヤエンドウを夕方買い集めた
 その夜に、パートさんを雇い、選別し箱詰め
 翌日朝、焼き玉エンジンの木造郵便船折田丸で鹿児島港まで運び、国鉄鹿児島駅へ
 特急寝台列車・はやぶさの貨物車で大阪市場へ
 当時、特急列車や普通列車の発着駅は鹿児島駅
 現在九州新幹線が発着する鹿児島中央駅は、当時西鹿児島駅と呼ばれ、主要駅ではなかった

3.マツダのオート三輪トラックでキヌサヤエンドウを買い集め
 話は変わり、当時筆者が興味をもったのはマツダの両手ハンドル三輪トラック
 このトラックでキヌサヤエンドウを買い集め、折田丸の着くガンギまで運んだ
 自転車ハンドルを長く太くした逆Y字状のハンドルで方向操作
 当時、モータリゼーションが始まったばかり
 スバル・富士重工の営農サンバーも走り始めていた
 営農サンバーは丸ハンドル

 三輪トラックの助手席に乗せてもらうのが楽しみだった
 冬休みには時々乗り、キヌサヤエンドウの買い集めを手伝った
 その際、前日の買い集め金額を茶封筒に入れて農家に手渡した
 上記のようなキヌサヤエンドウ産地仲買業を1970年代前半に止めた
 叔母夫妻は自身の高齢、JA等の集出荷体制整備などのために

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影年月日:2013年02月11日 撮影地:鹿児島市東桜島町

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