僕は月4万の安いアパート(?)住んでいます。そのアパートの会社から正社員募集の求人メールがきていました。
仕事名用:簡単なPC操作と電話対応。
休み、労働時間、など細かい事は不明です。
文章を読む限り、まるでバイト募集のようなライトさです。
今より生活が向上するのなら挑戦してみようかしら?なんて思っちゃいます。
労働時間が8時間前後だとしたら生活事態に変化はでませんし・・・どうしましょ。バイト感覚で正社員目指そうかしら。どうせ先は長いし。夢を諦める臨界点まで後4年・・・最近一日が本当にあっという間です。
今、背景を描いています。教室の背景です。前回、廊下の背景に100時間近くかけて泣きそうになったため、今回は途中の作業をすっ飛ばしました。
資料を見ながら直接描き始めることにしましたww
恐ろしい挑戦です。
自然物ならある程度線が狂っていても問題ありません。でも、人工物の直線系は1~2ミリもズレればすぐバレます。
フォトショの機能をフル活動してなんとか形にしているつもりです。
教室に整列される机を描いていましたら小学生時代を思い出しました。
僕はど田舎に住んでいまして、過疎化万歳なところに住んでいます。入学した小学校は1年生が僕を含めて4人しかいませんでした。全校生徒合わせて五十数人しかいなかったと思います。
確か今は廃校になったとか?とりあえず、そんなところにいました。広い教室に机が4つ四角く並べられた教室風景です。
1年間経たずに転校しました。
今度は一学年が24人の小学校へ行きました。
中学校になると人数が増えて、一学年47人。
しかし2クラスに分かれるため、教室はやっぱり少ない24人。
高校に入ると、どこにでもある教室風景と同等の机の数になりました。
などと自分は一般大勢とは違った学校風景を見てきたんだなって思ったんですよ。
故郷秋田を思い出した訳です。
今度はそこで最近見たドックウィルという映画を思い出しました。
ドックウィルという村は排他的、保守的な人たちがいます。
そこへ外から一人の女性がやってきます。
長い時間をかけドックウィルと女性は友好関係を築こうとします。
努力虚しくそれは叶いません。事態は悪化し、人々は女性にだけ醜い本性を現します。最終的には村ぐるみのドメスティックバイオレンスみたいな展開になります。映画のラストは村人全員が女性の意思によって射殺されます。
この映画、結構酷い話なんですけど過疎化の進む村を、上手く表現しているなと思えました。きっとこのシナリオライターも同じような思いをしたのではないだろうかと思います。
ドックウィルは映画ですからエンターテイメントとして大袈裟なグロさがあります。
家の村はですね、姑が死ねば嫁が手を叩いて喜ぶの方程式があります。実の話を聞けば普通に泣けますww
嫁が酷いのではなく、姑が嫁に酷いことをするが悪いのではなく、村だからこその外との繋がりの薄さ、村の不透明性、それらがあって許容している事に問題があります。
嫁、姑問題はどこにでもありますけどねw
嫁が一方的にやられるのが当然みたいな風潮はどうにかしてもらいたいですね。
一般枠からはみ出した奴が叩かれる、周りの目を気にする。
そういうくだらない事を当然のように行っていた親を見てきました。
外の漏れない、誰にもバレない、そんな環境ではついつい本性をだしてしまうんでしょうね。
それこそ宗教の指す理想なんて持って、優しい心なんて持っていた奴は餌食です。周りに合わせ、悪態を付かないと成り立たない生活だったと思います。もちろん全ての村がそうではありませんし、そういう村の方が少ないのかもしれません。でも、そこに住む人の相性でドックウィルのような村になる可能性はあると思います。
話は変わり、秋田にあるハローワーク。
あそこに存在する求人は偽情報が多いらしいです。
ハローワークに求人募集が集まらないそうです。
そうするとハローワークとしての維持ができなくなるため、知人の会社から募集してもいない偽の求人募集を貰ってきて、雇う予定も無いのに面接をさせているらしいです。
子供の頃、子供ながらに色々経験して考えていました。
まだ知らないドックウィル映画。村壊滅させた女性をのような存在を求めていた記憶があります。
教室の背景をシコシコ描きながら、透明性って重要な問題だな、とか考えていました。
仕事名用:簡単なPC操作と電話対応。
休み、労働時間、など細かい事は不明です。
文章を読む限り、まるでバイト募集のようなライトさです。
今より生活が向上するのなら挑戦してみようかしら?なんて思っちゃいます。
労働時間が8時間前後だとしたら生活事態に変化はでませんし・・・どうしましょ。バイト感覚で正社員目指そうかしら。どうせ先は長いし。夢を諦める臨界点まで後4年・・・最近一日が本当にあっという間です。
今、背景を描いています。教室の背景です。前回、廊下の背景に100時間近くかけて泣きそうになったため、今回は途中の作業をすっ飛ばしました。
資料を見ながら直接描き始めることにしましたww
恐ろしい挑戦です。
自然物ならある程度線が狂っていても問題ありません。でも、人工物の直線系は1~2ミリもズレればすぐバレます。
フォトショの機能をフル活動してなんとか形にしているつもりです。
教室に整列される机を描いていましたら小学生時代を思い出しました。
僕はど田舎に住んでいまして、過疎化万歳なところに住んでいます。入学した小学校は1年生が僕を含めて4人しかいませんでした。全校生徒合わせて五十数人しかいなかったと思います。
確か今は廃校になったとか?とりあえず、そんなところにいました。広い教室に机が4つ四角く並べられた教室風景です。
1年間経たずに転校しました。
今度は一学年が24人の小学校へ行きました。
中学校になると人数が増えて、一学年47人。
しかし2クラスに分かれるため、教室はやっぱり少ない24人。
高校に入ると、どこにでもある教室風景と同等の机の数になりました。
などと自分は一般大勢とは違った学校風景を見てきたんだなって思ったんですよ。
故郷秋田を思い出した訳です。
今度はそこで最近見たドックウィルという映画を思い出しました。
ドックウィルという村は排他的、保守的な人たちがいます。
そこへ外から一人の女性がやってきます。
長い時間をかけドックウィルと女性は友好関係を築こうとします。
努力虚しくそれは叶いません。事態は悪化し、人々は女性にだけ醜い本性を現します。最終的には村ぐるみのドメスティックバイオレンスみたいな展開になります。映画のラストは村人全員が女性の意思によって射殺されます。
この映画、結構酷い話なんですけど過疎化の進む村を、上手く表現しているなと思えました。きっとこのシナリオライターも同じような思いをしたのではないだろうかと思います。
ドックウィルは映画ですからエンターテイメントとして大袈裟なグロさがあります。
家の村はですね、姑が死ねば嫁が手を叩いて喜ぶの方程式があります。実の話を聞けば普通に泣けますww
嫁が酷いのではなく、姑が嫁に酷いことをするが悪いのではなく、村だからこその外との繋がりの薄さ、村の不透明性、それらがあって許容している事に問題があります。
嫁、姑問題はどこにでもありますけどねw
嫁が一方的にやられるのが当然みたいな風潮はどうにかしてもらいたいですね。
一般枠からはみ出した奴が叩かれる、周りの目を気にする。
そういうくだらない事を当然のように行っていた親を見てきました。
外の漏れない、誰にもバレない、そんな環境ではついつい本性をだしてしまうんでしょうね。
それこそ宗教の指す理想なんて持って、優しい心なんて持っていた奴は餌食です。周りに合わせ、悪態を付かないと成り立たない生活だったと思います。もちろん全ての村がそうではありませんし、そういう村の方が少ないのかもしれません。でも、そこに住む人の相性でドックウィルのような村になる可能性はあると思います。
話は変わり、秋田にあるハローワーク。
あそこに存在する求人は偽情報が多いらしいです。
ハローワークに求人募集が集まらないそうです。
そうするとハローワークとしての維持ができなくなるため、知人の会社から募集してもいない偽の求人募集を貰ってきて、雇う予定も無いのに面接をさせているらしいです。
子供の頃、子供ながらに色々経験して考えていました。
まだ知らないドックウィル映画。村壊滅させた女性をのような存在を求めていた記憶があります。
教室の背景をシコシコ描きながら、透明性って重要な問題だな、とか考えていました。