あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

イタリアでも 脱原発へ

2011-06-16 08:26:10 | インポート

イタリアでも,ドイツに続き原発への「ノー」の判断がなされたようです。

新聞によれば,47都道府県知事への原発に対するアンケートでは,脱原発が2人,削減が9人,どれでもないが26人,現状維持が4人,現状維持もしくは削減が1人,無回答が5人という結果になったようです。現在停止中の原発の再稼働拒否には,安全基準が不十分として25人が支持をしたとのことです。

福島から何を学ぶか,その学んだことを通して今後のエネルギー政策をどう考え,どんな未来を後世に残していくのかについて,じっくりと考えていきたいものです。

個人的には脱原発の方向に一歩でも踏み出してほしいと考えているのですが,予想されるさまざまな問題点について議論が深められ,未来の在り方について想像力を駆使して語られるようになってほしいと思います。

脱原発の考えは集団ヒステリー状態と,ある政治家が言っていたようですが,未来を見通した上での民意をそんなふうにしかとらえられないところに,今の政治の貧困があるように思います。


自分の物語を紡ぐということ

2011-06-16 08:24:44 | インポート

誰もが 自らの人生の 主役です。そして,今の今も 人生としての物語は 進行しています。

この物語は,主役一人だけでは 成立しません。主役を支える多くの出演者によって,ストーリーが展開していきます。縦糸を主役が紡ぎ,横糸を出演者が紡ぐことによって,織物としての物語の世界がつくり出されていくのだと思います。

紡ぐという言葉の内には,共に・一緒に・力を合わせて といった たくさんの糸を織り混ぜてつくりあげるということが 含まれてるように感じます。

震災以来,人と人とを隔てる壁のようなものが取り払われ,横糸を紡ぐたくさんの人々の存在を意識するようになりました。東西ドイツを隔てたベルリンの壁が取り払われた時のように,共に生きるという人間としての連帯の絆のようなものを感じるからなのでしょうか。日本の中だけではなく,世界の人々との人間としての温かい絆も感じます。

横糸を紡ぐ多くの人とのつながりや支えに感謝しながら,縦糸を自らの手でしっかりと紡いでいきながら,物語の世界を描き続けていきたいものです。

宮沢賢治が理想とした世界も,幸いなるものを誰もが感じ受け止めることのできる世界だったのではないかと思います。

世界中の誰もが,幸いの中に生きる物語の主人公として生き,活躍する世界であってほしいものです。


命に 物語があるということ

2011-06-15 08:35:17 | インポート

今朝の新聞に,心に留まる記事がありました。

「…… 数字となった命に,それぞれの物語がある。」

14日現在の被災者数は,死亡:15,429人,行方不明:7,781人,避難:83,951人です。

この他この数字に含まれない 自宅に戻っても電気や水道のない不自由な生活をおくっている人々,働きたくても仕事のない人々,故郷を遠く離れて過ごす人々なども たくさんおられるのではないかなと思います。

数字となった命はもちろんですが,数字にならない震災のために心身ともに苦難の道を歩まざるを得ない人々の命に,それぞれの物語があることを 想います。

亡くなった方々が,それぞれ歩んできた人生。

共にその時間を過ごしてきた家族や友人。

その時々にあった喜怒哀楽に満ちた物語のことを 想います。

失われた命を真ん中にして紡いできた 思い出となった 数々の物語のことを 想います。

命の数をはるかに超えた 命を通して紡がれた物語のあることを 想います。

これから紡がれていく物語が 誰にとっても 少しでも 幸せなストーリーであることを願います。

数字は,目に見えるものです。

数字の向こうに 一つ一つの命が紡ぐ物語があることを 改めて考えていきたいと思います。

その物語を通して,命はかけがえのない 尊くて 重いものであることを 実感できるのかもしれません。


今日の心の色は?

2011-06-13 08:11:14 | インポート

「今の心境を色で表すと何色ですか。」

昨日,こんな質問を投げかけられ,答えるのに戸惑いました。

そして,かって担任だった頃,子どもたちが自主学習として取り組んできたノートに返事を書きながら,(今日の心の色は何色?)(明日はどんな色にしたいですか?) といった問いかけをしたことを思い出しました。一日一日をその子の一番大好きな心の色で過ごしてほしいなあという願いを込めて書いた言葉でした。見えないものを見ようとする想いを,子どもたちと共有していきたいという願いもありました。学級全体で見ようとしたものは,『仲間』という言葉の向こうに見える,縦にも横にも上にも下にも,子ども相互の心が結びついている関係だったように思います。

見えないものを見えるように表現するのは難しいことですが,見えないものを見ようとする心の構えは容易につくることができるように思います。見えない風を見ようと構えれば,五感を通して揺れる木の葉,通りぬける感触,風の音を感じることができます。

かんじんなものは目では見えない。心でさがさないと…… (星の王子様より)

見えないものを見ようとすることで,周りの世界も違って見えてくるのではないかと思います。見えるものだけでは推し量ることのできない,人間として生きる上で大切な「かんじんなもの」も見出すことができていくのではないかと思います。

年はとってもまだまだ人間としての未熟さを感じます。人間は,一生成長途上にあるのかもしれません。足りないところを自覚しながら,少しでも自分を高めていきたいものです。

「今日の心は何色ですか。」と自問し,「青空色」と答えることのできる一日一日でありたいものです。


鳥たちが食べ尽くしたサクランボ

2011-06-12 20:35:49 | インポート

前日まで,赤く色づいて来たサクランボの実を見て,妻がジャムでもつくろうかなと言っていたのですが,果実がすっかり無くなっていました。

摘果作業をしないので,一粒一粒が小さいサクランボなのですが,実の数が多く,甘酸っぱい味が魅力のサクランボでした。

それがきれいに種だけを残し,その周りのおいしい果実部分をどうやら鳥たちが食べ尽くしたようです。

食べている様子を見たわけではありませんが,偵察と試食に来た小鳥の姿は見かけていましたので,多分たくさんの仲間を集めて楽しい晩餐のひとときのように,にぎやかに食べおいしく味わっていたのではないかと思います。

娘の話によると,前にも同様のことがあって,前の日に確認して次の日に果実を取りに行ったら,すべて食べられてしまった後だったとのこと。鳥たちの食欲のすさまじさに改めて感心してしまいます。

そういえば昨年の秋には,柿の実を食べにやってきた鳥たちを目撃することができました。

イチジクの実をついばむ鳥の姿を見たこともありました。

ブルーベリーは,背丈が低く周りの草木にかくされた感じになるので,鳥たちの食欲からはずれて何とか果実を味わうことができました。

我が家には,実のなる木としてリンゴ・キウイ・ブドウ・プラム・ナシ・ミカン・クリ・グミ等がありますが,大半の果実は鳥たちのおなかに入るか,落果してしまいます。

今年こそ,鳥に先立って熟した頃あいに果実を人間が味わえるよう,注意深く観察を続け,食べるタイミングを逸しないようにしていきたいと思っていたのですが…。 

まるで,鳥と人間との壮絶な果実獲得合戦といえそうですが,実際は人間の方が余裕をもって勝ちを譲る方向にあります。鳥たちとは仲良く共存を図っていきたいと考えています。

サンショウの木には,早くもアゲハの幼虫の姿を見つけました。畑のキャベツの葉には食べられた痕がたくさんあり,アオムシの姿も見かけます。毛虫等の害虫との共存は避けながら,虫たちとも,鳥同様仲良く共存できたらと考えています。