あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

青い空は 青いままで 

2011-06-22 22:44:07 | インポート

先日,福島県相馬市に住む酪農を営む男性が,「原発がなければ…」という言葉を残して,自殺するというニュースがありました。放射能汚染のため,牛乳が出荷できず,収入の道が閉ざされたこと。牛糞を肥料にするために設備投資をし,借金を抱えていたこと。奥さんと子どもは,放射能による被害を避けて,奥さんの故郷であるフィリピンで暮らす状況にあり,単身での生活であったことなどが,要因となったようです。借金をした大工さんやお世話になった近所の人へのお詫びの遺書も添えてあったとのことです。

亡くなった男性のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

この男性と家族の幸せを破壊したのは,地震や津波ではなく原発の事故だったのです。酪農家として搾乳した牛乳をただ捨てなければならない状況は,辛く悲しい毎日だったのではないかと思います。これまで積み上げてきたものがすべて無くなったような,絶望の淵に追い込まれていた男性の心境が見えるような気がします。そして,この男性と同じような状況に在る,多くの福島の人々のことを想います。

そこに住んでいても,これまでと同じように働くことのできない状況。農家が作物や牛乳を生産しても出荷できない。漁師が捕った魚も出荷できない。

故郷がそこにあるのに,住むことも戻ることも出来ず,新たな場所で新たな日々を過ごさなければならない人々もいます。事故の終息が見えない中,不安のみが大きくふくらんでしまっているのではないでしょうか。

先に東電が示した工程表に沿って,事故が速やかに終息し,希望のもてる未来が一日も早く訪れることを強く願います。

今回の男性の死が決して無駄にならないように,事故によって引き起こされたさまざまな問題に対して,一人一人が抱えている辛い思いによりそい,行政や政府,東電のきめの細かい経済的な支援や心のサポートが即実施されることを切望します。

新聞の投書欄に,広島と長崎に原爆が投下され核の恐ろしさを体験した日本が,自ら保有する原発によって福島の人々に犠牲を強いる現状を憂うる声が寄せられていました。ものをつくり,生活を便利にするために,電力の需要は増え続け,それに伴い原発もつくられてきました。その安全性についても確信に満ちた信頼が独り歩きし,今回の事故は想定外の事故とされました。

安全に対する神話がくずれた今,未来のありかたを原点に立ち返って考えてみることが大切なのではないかと思います。生きるために,原発は果たして必要なのかと問い返してみることが必要なのではないでしょうか。そして,原発のない未来はどんな未来になるのかと想像し,子どもたちに何を残したらいいのかと考えてみたいと思います。

私が未来の主役となる子どもたちに残したいのは,どこまでも澄んだ美しい青い空です。原発や核兵器で汚れることのない 透き通った 青いままの空です。

私の好きな歌に,「青い空は」という歌があります。

  作詞:小森 香子  作曲:大西ススム

 1 青い空は 青いままで 子ども等に伝えたい

   燃える八月の朝 影まで燃え尽きた

     父の 母の 兄弟たちの命の重みを

     肩に背負って 胸に抱いて

 2 青い空は 青いままで 子ども等に伝えたい

   あの夜星は黙って 連れ去っていった

     父の 母の 兄弟たちの命の重みを

     今流す灯篭の 光に込めて

 3 青い空は 青いままで 子ども等に伝えたい

   すべての国から 戦(いくさ) の火を消して

     平和と 愛と 友情の命の輝きを

     この堅い握手と 歌声に込めて

広島や長崎のような悲しい出来事が二度と起こることがないように 亡くなった方々の命の重みをしっかりと受け止めながら 一人一人の命が輝く 青い空が青いままの 戦争のない平和な世界を求めつくっていこう というメッセージの込められた歌です。

青い空は 青いままで 子ども等に伝えていくのは,大人の責任でもあります。

どんな世界を 子どもたちに残していくのか,理想的な未来を じっくりと考え つくっていきたいものですね。

 

     

  


あの子は 元気です!

2011-06-22 09:46:29 | インポート

震災に関連した新聞記事の中で,その後のことが気がかりだった子どもたちを,紹介する記事がありました。それぞれがそれぞれの環境の中で精いっぱい生きている様子に,安堵した思いと込み上げてくる感動がありました。その中の一人の子を紹介します。

以前の記事には,その子の言葉が見出しのような形で掲載されていました。

  ぱぱへ あわびとか うにとか たことか こんぶとか いろんのをとてね

  ままへ いきているといいね おりがみと あやとりと ほんよんでくれて ありがと

昆 愛海(まなみ)ちゃん(5歳)は,津波で両親と妹が行方不明になり,祖母の幸子さん(63)と二人で宮古市の半島に在る集落の小さな家で暮らしています。震災当日,高台の自宅の庭にいた家族4人は一瞬に黒いうねりにのみ込まれ,愛海ちゃんだけが奇跡的に庭にあった使い古しの刺し網に包まれ,引き潮にも流されませんでした。同居していた幸子さんは,病院に出かけていて助かりました。

愛海(まなみ)ちゃんは,5月から5歳になったのを機に,隣の集落の児童館にバスで通うようになり,今はお弁当づくりのお手伝いをしたり,児童館の出来事を幸子さんに話すのを楽しみにしているそうです。大雨でバスが走らず児童館に行けない時には,幸子さんに寄り添うようにしておもちゃのピアノをひいたり文字の練習をしたりします。幸子さんはもっぱら聞き役で,「パパはまなと一緒で猫舌だったね。ピーマン嫌いだったよね。」「おばぁやん,ママからもらったリボンだよ。」と語りかける言葉に目を細めてうなずくと,愛海ちゃんは喜ぶそうです。

「パパとママとアオ(二つ下の妹の蒼葉<あおば>ちゃん)がいたらなぁ。5人で家にいたのに,2人になったね。」 居間には3人の写真が並ぶが,蒼葉ちゃんだけ裏返されています。「かわいそうで見ていられない」と幸子さん。

幸子さんには,二つの心配があります。

一つは,新聞で紹介されて,全国から手紙や絵本,文房具が届くようになり,感謝しながらも「マナが特別扱いされていいのだろうか」という戸惑い。もう一つは,毎夜「マナを育てていけるんだろうか」という不安に襲われること。でも,毎日添い寝をせがむ愛海ちゃんが,小さな腕をきゅっと首に巻きつける時が,窮屈だが大切な時間になっているとのこと。

今幸子さんは,元気なおばぁやんであるために,愛海ちゃんを見送った後,ひざの治療に出かけているそうです。

愛する家族を失った悲しみ,その悲しみの中に取り残された愛海ちゃんの寂しさを,幸子さん自身も深く感じておられることと思います。

幸子さんにはこれからも元気で,愛海ちゃんの成長をいつもそばで見守っていただけたらと思います。小さな愛海ちゃんにとって抱えきれない寂しさや悲しみを感じる時,一番の支えとなりしっかりと受け止めてくれる最愛の人が,幸子さんなのだと思います。

二人で過ごす日々が,健やかで幸多い穏やかな日々でありますようにと心から祈ります。

妹の蒼葉ちゃんが一日も早く見つかるといいですね。