日本×画展(にほんガテン!)に行ってきました。
今回は6人の作家さんの作品が展示されています。
日曜日の横浜美術館でしたが、イサムノグチ展に比べれば雲泥の差で空いていました。
ラッキーです。
みなとみらいの駅は花火大会の人出で明るいうちからごった返してたのとは対象的でした。
前回、3人のアーティストに行った際に気になってたのです。
実際にその場で作家さんが公開制作してて、お話出来てしまうという何気にすごい企画。
藤井雷(ふじい らい)さんは筆を進めながらも、きさくにいろいろと応えてくれました。
そんな藤井さんのデビューとなるのが今回の日本×画展でした。
正直なところ、実際に制作してるのを見てて、まあそこそこかなと思ってたのです。
ところが、やれらちゃいました!!
会場の先頭からかっ飛ばしてます。
絵手紙の封筒の裏に描かれた作品は、布のフレームに入れられて、ちょうどフィルムのコマみたくなってるのです。
4コマでひとつの布フレーム。
この布のフレームの端には、ジッパーがついてて何枚でも横に連続して繋げられるのです。
入口のところにいきなり、この長い長い絵があって何メートルかで終わると思ってたのです。部屋の入口のところあたりで。。。
ところが、そのまま部屋の中に続いてるのです!!
これは久々にやられちゃいました。
この見せ方を考えたひとは偉いです。
展示室の壁を伝い、さらにガラスケースの向こうに越境し、またこっちに戻ってきてそれがさらにうねうねとつづら折りになってどんどん距離を延ばしています。
終わりのところまでくると、なんと期間中に藤井さんから続きが送られてきて、まだ伸びていくとのこと。
なるほど、だから先にもちゃんと展示の為のスペースが空けてあるのですね。
作風はこんなふうに、いろいろな手法で描かれてて見応えがあります。
カラフルなパターンみたいのもあれば、水墨チックなモノトーンのもあって、その世界たるや圧巻です。
これは実物を見ないと分かりません。たぶん、メディアでは伝わらないんですよね。
だから、本物を目の前で見ることに価値があるんですが。
もう、今回はこれでお腹いっぱいでした。
というか、頭がいっぱいですね。
さて、そんな状態だってのに、続いては松井冬子さんなのです。
しかも、今回は狂気の要素を出してる作品ばかりとのこと。
ド頭からガツンときました。
「短時間の強力な蘇生術を行うについてとくに必要とされるもの」なるタイトルの作品。
最初、葉っぱかと思ったのです。
が、さにあらず。なんと、無数のねずみが死んでるのです。
でも、腐ってたりはしないのです。死んだままの形を保ってるのです。
どうしても、松井さんの作品に描かれる死せるものは、腐っていたり、壊れてたりするイメージなのですが、この作品についてはそうではないのです。
それはタイトルが物語っているとおりで蘇生への期待があるからこそ、原型をとどめているのでしょう。
あと、現代美術館の『NO BORDER「日本画」から/「日本画」へ』で見た「浄相の持続」の下絵も見ることが出来ました。
やはり、精緻です。これも下絵だけではなく、完成したのも横にあるとよかったです。
代わりにこれと同じように、花と死体がモチーフの作品がありました。
(タイトルちゃんとメモってなかった。「○灰の裂目」とかだった)
彼岸花と横たわる死体。じっと見てて、背後の木が折り重なるひとに見えてきて不気味なのです。
さて、続いてはしりあがり寿さんの作品。
「オレの王国、こんなにデカイよ。」
反則です。
こういう方法で作るとは!
ひとつの展示室の中をまるまる半紙で覆って、そこに筆で描いた作品。
強烈です。
ご存知、しりあがり寿さんはマンガ家なので、どういった形にしてくるか興味があったのです。
こんな作品になってるとは想像もつきませんでした。
展示室は丸に近い形状で天井まで広がってて、完全に彼の作品の世界に飲み込まれてしまいます。
これは、作品の形体上、今回の展示終わったら壊されてしまうんでしょうかね。
だとしたら、もったいないことです。
中村ケンゴさんのはすみません。
今回の展示タイトルと内容があまりかみ合ってないように思えました。
たぶん、個展で見たら難なく見られるとは思うのですが。
おそらく、今回、一番時間をかけて見てたのは小瀬村さんのお部屋です。
というのは、映像だったから。
ループしてるのをちゃんと見ようと思ったらどうしても時間がかかります。
さすがに全てを初めから終わりまで見てるとキリがないので、興味のあるものだけじっくりと楽しみました。
中でも一番、惹かれたのが「鏡台の女」。
実際に鏡台が置かれてて、その鏡のところがスクリーンになってて、鏡に映るであろう畳の部屋が映し出されています。
そこに長襦袢の女性が何度も通り過ぎる。
帯を微妙にほどいたり、締めたりしながら。ま、けっしてはだけたりはしないのですが。
時には鏡にぎりぎりまで寄ってみたり、手でなぞってみたり。
見てて、とても不安な気分になるのです。
こちらが向こうを覗き込んでるのを、彼女は知らないふうに見えるのでこんな奇妙な感じがするんでしょうか。
ゆらぐように動くのは襦袢の女性なのに、見てるこっちの気持ちがゆらゆらさせられてしまう、とても不思議な映像です。
中上清
最初、見てるとあまり面白くないなと思うのです。
ところがずっと見てるとなんというんでしょうね。このひとのトーンに馴染んでく感じ。
ただの黒に黄色くらいに見えてたのがパアっと音を立てて、広がってく感じ。
何点かに見られた、光の玉から上空に向かってく一筋の光。
これがすごくひっかかるんですよね。
これはなんだろうって。
全部全部、取りあげて書くつもりはなかったのですが、結局かなりの部分を書いてしまいました。やっぱ、欲張ってしまうんですよね。
今回は6人の作家さんの作品が展示されています。
日曜日の横浜美術館でしたが、イサムノグチ展に比べれば雲泥の差で空いていました。
ラッキーです。
みなとみらいの駅は花火大会の人出で明るいうちからごった返してたのとは対象的でした。
前回、3人のアーティストに行った際に気になってたのです。
実際にその場で作家さんが公開制作してて、お話出来てしまうという何気にすごい企画。
藤井雷(ふじい らい)さんは筆を進めながらも、きさくにいろいろと応えてくれました。
そんな藤井さんのデビューとなるのが今回の日本×画展でした。
正直なところ、実際に制作してるのを見てて、まあそこそこかなと思ってたのです。
ところが、やれらちゃいました!!
会場の先頭からかっ飛ばしてます。
絵手紙の封筒の裏に描かれた作品は、布のフレームに入れられて、ちょうどフィルムのコマみたくなってるのです。
4コマでひとつの布フレーム。
この布のフレームの端には、ジッパーがついてて何枚でも横に連続して繋げられるのです。
入口のところにいきなり、この長い長い絵があって何メートルかで終わると思ってたのです。部屋の入口のところあたりで。。。
ところが、そのまま部屋の中に続いてるのです!!
これは久々にやられちゃいました。
この見せ方を考えたひとは偉いです。
展示室の壁を伝い、さらにガラスケースの向こうに越境し、またこっちに戻ってきてそれがさらにうねうねとつづら折りになってどんどん距離を延ばしています。
終わりのところまでくると、なんと期間中に藤井さんから続きが送られてきて、まだ伸びていくとのこと。
なるほど、だから先にもちゃんと展示の為のスペースが空けてあるのですね。
作風はこんなふうに、いろいろな手法で描かれてて見応えがあります。
カラフルなパターンみたいのもあれば、水墨チックなモノトーンのもあって、その世界たるや圧巻です。
これは実物を見ないと分かりません。たぶん、メディアでは伝わらないんですよね。
だから、本物を目の前で見ることに価値があるんですが。
もう、今回はこれでお腹いっぱいでした。
というか、頭がいっぱいですね。
さて、そんな状態だってのに、続いては松井冬子さんなのです。
しかも、今回は狂気の要素を出してる作品ばかりとのこと。
ド頭からガツンときました。
「短時間の強力な蘇生術を行うについてとくに必要とされるもの」なるタイトルの作品。
最初、葉っぱかと思ったのです。
が、さにあらず。なんと、無数のねずみが死んでるのです。
でも、腐ってたりはしないのです。死んだままの形を保ってるのです。
どうしても、松井さんの作品に描かれる死せるものは、腐っていたり、壊れてたりするイメージなのですが、この作品についてはそうではないのです。
それはタイトルが物語っているとおりで蘇生への期待があるからこそ、原型をとどめているのでしょう。
あと、現代美術館の『NO BORDER「日本画」から/「日本画」へ』で見た「浄相の持続」の下絵も見ることが出来ました。
やはり、精緻です。これも下絵だけではなく、完成したのも横にあるとよかったです。
代わりにこれと同じように、花と死体がモチーフの作品がありました。
(タイトルちゃんとメモってなかった。「○灰の裂目」とかだった)
彼岸花と横たわる死体。じっと見てて、背後の木が折り重なるひとに見えてきて不気味なのです。
さて、続いてはしりあがり寿さんの作品。
「オレの王国、こんなにデカイよ。」
反則です。
こういう方法で作るとは!
ひとつの展示室の中をまるまる半紙で覆って、そこに筆で描いた作品。
強烈です。
ご存知、しりあがり寿さんはマンガ家なので、どういった形にしてくるか興味があったのです。
こんな作品になってるとは想像もつきませんでした。
展示室は丸に近い形状で天井まで広がってて、完全に彼の作品の世界に飲み込まれてしまいます。
これは、作品の形体上、今回の展示終わったら壊されてしまうんでしょうかね。
だとしたら、もったいないことです。
中村ケンゴさんのはすみません。
今回の展示タイトルと内容があまりかみ合ってないように思えました。
たぶん、個展で見たら難なく見られるとは思うのですが。
おそらく、今回、一番時間をかけて見てたのは小瀬村さんのお部屋です。
というのは、映像だったから。
ループしてるのをちゃんと見ようと思ったらどうしても時間がかかります。
さすがに全てを初めから終わりまで見てるとキリがないので、興味のあるものだけじっくりと楽しみました。
中でも一番、惹かれたのが「鏡台の女」。
実際に鏡台が置かれてて、その鏡のところがスクリーンになってて、鏡に映るであろう畳の部屋が映し出されています。
そこに長襦袢の女性が何度も通り過ぎる。
帯を微妙にほどいたり、締めたりしながら。ま、けっしてはだけたりはしないのですが。
時には鏡にぎりぎりまで寄ってみたり、手でなぞってみたり。
見てて、とても不安な気分になるのです。
こちらが向こうを覗き込んでるのを、彼女は知らないふうに見えるのでこんな奇妙な感じがするんでしょうか。
ゆらぐように動くのは襦袢の女性なのに、見てるこっちの気持ちがゆらゆらさせられてしまう、とても不思議な映像です。
中上清
最初、見てるとあまり面白くないなと思うのです。
ところがずっと見てるとなんというんでしょうね。このひとのトーンに馴染んでく感じ。
ただの黒に黄色くらいに見えてたのがパアっと音を立てて、広がってく感じ。
何点かに見られた、光の玉から上空に向かってく一筋の光。
これがすごくひっかかるんですよね。
これはなんだろうって。
全部全部、取りあげて書くつもりはなかったのですが、結局かなりの部分を書いてしまいました。やっぱ、欲張ってしまうんですよね。