「ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎 箱宇宙を讃えて」に行ってきました。
今日は始動が遅かったものの、今日までということで千葉県の佐倉まで行ってきちゃいました。
どうもここのところラッキーみたいです。
事前に調べたりとかしてなかったのですが、ちょうど高橋睦郎さんご自身による詩の朗読のタイミングでした。
会場に入ってすぐだったので素晴らしいタイミング。
下手に朝一から気合い入れて見に行ってたら遭遇できなかったんですよね。
何点か見始めたところでしたが一旦、中断してロビーへ。
白髪の高橋さんはかっこよかったです。
なんていうんでしょう。言葉を生業としてここまで来たっていう感じが漂っていました。
まずは朗読の前にコーネルの作品との出会いからお話されていました。
1970年代にアメリカのどこかのミュージアムショップでコーネルの画集を見つけて心打たれたのだそう。これがはじめてだそうです。
その後、日本の竹芝でのコーネルの展示を見たとのこと。
神奈川近代美術館でコーネルの巡回展が行われていた際にかなり熱心に見入ってたことで、この川村記念美術館への巡回の際に講演を依頼されたのだそう。
とはいえ、高橋睦郎さんは画家でも美術評論家でも学者でもないので何を話すか考えて、コーネルへの想いを詩にして朗読したそうです。
当時は黒電話の受話器を耳に当てて、あたかもコーネルに話すかのように朗読したそう。ご本人はそのときにそんなことやったっけかなあという調子でした。
詩は会場入口を入ってすぐの「この世 あるいは箱の人」。
その詩を作られたご本人の朗読を聞くのって初めてでした。
けっして流暢なしゃべりではなかったけれど、じっくりしっとりと自身の想いを確かめるようににじませるように読まれる言葉はその空間に響いていました。
素敵。
恋文ですね、これ。尊敬してやまないアーティストへの愛がこもっていました。
その場で朗読を聴けた人はすごく幸せだったと思います。
いやー、なんかもうこれでいいってくらい。
とはいえ、作品あってですからね。
さて、もう一度最初から見直してみます。
コラージュが9点、箱の作品が7点。トータルでわずか16点。
ところがこの展示空間が最高の出来でした。
微かな灯りの中で仄かに聞こえるオルゴオルの音色。
壁紙は黒をバックに☆。
コーネルの作品の傍らに厚手の紙に書かれた高橋睦郎さんの詩。
各作品の間はガラスで仕切られてきちんと対峙出来るのです。
コラージュもいいのですが、やはり箱の作品の持つ面持ちがなんともよかったです。
気分とか雰囲気、そして記憶の断片を詰め込んだ宝箱。
☆無題(星ホテル) 1956年頃手製の木箱、ブリキ製の太陽(缶の切り抜き)、金属棒、輪、鎖、釘、小球など
こういう既成のモノを組み合わせて世界を結実させる様が素晴らしい。
個々のモノでは決して得られないこの響き。
なぜ、玉が鎖に繋がれているのかは永遠に謎なのだけれど、この配置は間違いなくこれであっていると思います。
☆鳥たちの天空航法1961年頃手製の木箱、コルク球、コーディアル・グラス、巻貝、素焼きのパイプなど
コルクの玉の位置とグラス、そして青い背景。貝殻があるところを見るとこの青は海なんだろうか。
置き去りにした記憶のかけら。
☆鳩小屋:アメリカーナ1950年代初め手製の木箱、小球、板など
なんてことない穴ぽこなんですが、こういう佇まいで見せられるとぐっときます。
☆海ホテル(砂の泉) 1958-59年頃手製の木箱、コーディアル・グラス、着色された砂、木の根など
この朽ちた感じがなんともいえません。
時は等しく平等に無常。
☆無題(ラ・ベラ[パルミジャニーノ]) 1950-56年頃手製の木箱、複製画、釘、木片など
こ、これは!(冒頭の画像のチラシ)
現在、国立西洋美術館で開催中のカポディモンテ美術館展のメインのビジュアルでお目にかかるパルミジャニーノの「貴婦人の肖像(アンテア)」なのです。
(関連記事:
カポディモンテ美術館展(国立西洋美術館))
捲れてしまった塗料に向こうの彼女。
見てるといろんな思いが浮かんでは消えてく。
☆無題(オウムと蝶の住まい) 1948年頃手製の木箱、版画、蝶の標本、金網、ガラス、捕虫網など
鸚鵡と蝶の対比とバランスが素晴らしい。囲われていないハズの鸚鵡が実は木で出来た偽物で、実は蝶は一羽だけ本物の標本があるというあたりの構成や素敵すぎる。
☆無題(ピアノ) 1947-48年頃手製の木箱、楽譜、小箱、青ガラス、オルゴール、天使の塑像など
添えられてた詩が蜂と音符の文章でこれもよかったです。
音符でパッケージされた紙の小箱。
思い出がいっぱい詰まってそうでした。
暑い夏の中、つかの間の幻が見られて満足でした。
安易なコラボは大嫌いなのですが、こういうきちんとお互いの作品が響きあって世界が広がるような展示は大歓迎です!
※会期は本日で終了しています。